ダメ人間が集まるサークルにも入れないダメ人間

 ザ・ノンフィクション「会社と家族にサヨナラ・・・ニートの先の幸せ」を見た。

 僕のツイッターのタイムラインでは、「あそこに出ている人たちは世間が想像するようなニートではなく、一般的な社会性はないが、何らかの異能を持った人たちの集まりだ」というような意見が多かった。僕もそう思う。

 テレビで放映されたことで、これからギークハウスに入ろうと考える人が増えるかもしれない。ギークハウスに入ろうと考えるということは、既に社会からはみ出しているということだが、「ギークハウスに入れば人生が変わるかもしれない」と願って入居すると、多分絶望することになるだろう。ギークハウスの主要な面子は、ギークハウスに入る前から何かしらの能力を持っていて、足りないところを互いに補っているだけだから、何も才能がない人があそこに入っても余計に惨めになるだけだ。あそこにいると、常に「自分には何ができるのか」ということを自問するはめになる。

 コミュニケーションの問題もある。放送ではワイワイ楽しくやっているところだけを映していたが、実際はもっと平凡な毎日の連続だと思う。「人生を変えよう」と思ってあそこに入ろうとする人は、非日常的な「物語」を強く求めているので、既に独自の日常生活を築いている住人たちと齟齬をきたすだろう。むき出しの「情念」は、間違いなく嫌われる。あそこのシェアハウスは、「情念」を排していることによって、成り立っているからだ。その温度がわからない人は、住人と簡単なコミュニケーションをとることすら難しい。

 僕も大学時代は、ダメ人間が集まるとされているサークルに属していた。確かに、部長は何度も留年してたし、部員は昼間から酒を飲んでだらだらしていた。だけど、僕はまったく馴染めなかった。自分の能力も低かったし、共通する話題も見出せなかった。そこで僕は、「自分はダメ人間が集まるサークルにも入れないダメ人間」と感じた。それ以来、サークル的な物には一度も属していない。ブログもツイッターもそこそこ長くやっているが、「集まり」みたいな物に顔を出したことはほとんどないし、参加したとしても誰とも顔を合わせずにさっさと帰っている。自分が「ダメ人間が集まるサークルにも入れないダメ人間」があるから。何をしゃべってよいのかもわからないし、どう振舞えばよいのかもわからない。あと、誰かと社交することで、「人生を変えたい」という一発逆転的願望が芽生えて、それに蝕まれるのが怖いということもある。

 橋本治が『宗教なんてこわくない!』の中でこんなことを書いていた。

 

自分の頭でものを考えると、当然のことながら、”孤独”というものがやって来る。そうなると、日本人の多くはすぐに心細くなって、「この心細い自分をなんとかしてもらいたい」ということになって、”救済”の方へ行ってしまう。

 

 救済を求めて人間関係を作り上げると、だいたい碌なことにならない。宗教は「教祖」という揺るぎない存在がいるからなりたっているが、それ以外の緩い文化的な集まりであればすぐに瓦解する。

 ギークハウスのような「才能ある弱者の集まり」というと、僕はビート・ジェネレーションを想起する。彼らは、互いに影響を与え合うだけでなく、生活レベルでも助け合うことがあったし、原稿の持ち込みさえ代行することもあった。まあ、結局はバラバラになるのだが、その中で最も「孤独」に耐えたのがウィリアム・バロウズだったと思う。ケルアックが酒浸りになって死に、ギンズバーグが教祖みたいになっていく中で、彼だけはぶれずに独立心を保っているように見えた。だから、最後までカリスマでいられたのだろう。孤独に耐える力を持っていないと、いざという時に破綻する。僕は現状「孤独」だが、それは能力がないから孤独になっているだけである。このサークルにも入れなければ、一匹狼にもなることのできない中途半端さが、すべてをダメにしているのかもしれない。

 

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

 

  

ケルアック

ケルアック

 

  

由煕 ナビ・タリョン (講談社文芸文庫)

由煕 ナビ・タリョン (講談社文芸文庫)

 

 「由煕」は、在日韓国人の主人公(女)が、韓国に留学して挫折する話。「理想」と「現実」の狭間を徹底的に描いている。ギークハウスに共感した人は、これも読んでほしい。

ジャンキーの大部分は、隠れロマンティストだ、とアーヴィン・ウェルシュは書いた

 アーヴィン・ウェルシュの小説『トレインスポッティング』には、マッティという名のエイズに感染したジャンキーが出てきて、彼は小説の終盤、トキソプラズマ症が原因の脳卒中で死ぬ。二十五歳という若さだ。マッティは下手なギタリストで、恋人のために恋の詩を書くこともあった。恋人との間には娘が出来、結婚したが、ヘロインを止めることはできなかった。マッティの葬儀の場面で、ウェルシュはこう書いている。 

 

 昔からマッティには弱いところがあった。果たすべき責任と向き合うことができず、自制心を働かせることもできなかった。シャーリー(注:マッティの妻)の知っているジャンキーの大部分は、隠れロマンティストだった。マッティもだ。シャーリーは、屈託なく、優しく、愛情深く、生き生きとしているときのマッティのなかの夢想家を愛していた。だが、マッティの愛すべき状態はいつも長くは続かなかった。ヘロインを打ち始める前から、マッティが急に冷酷で無情な人間に変貌することはあった。以前はよくシャーリーのために愛の詩を書いてくれた。美しい詩だった。文学的な意味でではなく、その詩に読み取れる純粋な愛情を美しいと思った。いつだったかマッティは、とびきり感動的な詩を読み聞かせたあと、すぐに火をつけて燃やしてしまった。シャーリーは泣きながら、なぜ燃やすのと訊いた。炎が何かを強く象徴しているように思えた。そのときのマッティの答えは、シャーリーの人生にもっとも悲しい記憶として刻み込まれた。*1

 

 『トレインスポッティング』の中で、最も印象に残っている文章が上の引用だ。特に「ジャンキーの大部分は、隠れロマンティストだ」というところ。これは普段から僕も薄っすらそう思っていたので、薬物経験のあるウェルシュがこう書いてくれたことで確信を持つことができた(僕は薬物もアルコールもやらないので)。

 そうなのだ。ジャンキーというのは隠れロマンティストなのだ(ここでいうジャンキーの中には、アルコール依存も入る)。彼らは世俗的な物の考え方に嫌悪感を持っていて、そういった現実から逃避するためにアルコールや薬物を摂取する。そして、自分と似たような境遇にいる人間に強い親近感を持つ。それは芸術の好みにも反映されていて、彼らのお気に入りは、中島らもブローティガン、ケルアック、フィッツジェラルドブコウスキーといった、アル中作家たちだ。これらの作家も、世俗的な物に対し、強烈な嫌悪感を持っていたが、晩年は酒に飲まれ、早死にした。

 ジャンキーは、孤独を愛しているが、同時に人との繋がりにも飢えている。共通点を持った友人を作りたいが、素面では恥ずかしいので、薬物やアルコールに頼る。そして、アルコールや薬物を媒介としたコミュニケーションが生まれる。ビート・ジェネレーション、ウッドストックセカンド・サマー・オブ・ラブといったムーブメントはそうやって出来上がった。どうも隠れロマンティストの多くは、小さな集団を形成するのが好きらしい。そういえば、中島らもは、自宅をジャンキーたちの溜まり場にしていて、その家は、ヘル・ハウスと呼ばれた。

 隠れロマンティストは繋がるのが好きだが、一般的な上下関係は嫌っている。親と子、上司と部下、先輩と後輩。だから、ヒッピーたちは、「ラブ&ピース」を唱えた。これは全員が平等に愛し・愛されるということを目指したものだった。それは、アルコールや薬物が入っている間だけ、達成された。いや、実際は、そう上手くもいかないのだろう。ウエルベックはタブー無きセックス・コミューンの中でも孤立してしまうモテない男女を描いたし、ウェルシュもジャンキーたちの薄情さについて『トレインスポッティング』の中で詳細に書いている。共有するものが無ければ、集団は簡単に崩壊する。

 結局、隠れロマンティストはエゴイストでしかないのだろう。自分のことしか考えていないし、他人と繋がろうとするのも、自分の孤独を癒すためなのだ。確か、フィッツジェラルドの『楽園のこちら側』の第一部は、「ロマンティックなエゴイスト」というタイトルがつけられていた。フィッツジェラルドには、自覚があったのだろう。ロマンティストは言動は派手でも、自分の内面に対して、ネガティブな評価を下していることが往々にしてある。それがまた飲酒・薬物という現実逃避へと繋がっていく。そもそも彼らは長生きしようとも思っていないのだろう。中島らもなんかは、飲酒を緩慢な自殺ととらえていた。彼の死は事故によるものだが、限りなく自殺に近い事故だ、と考えている人もいる。僕は作家の伝記をよく読むが、アル中の作家は四十代に入る頃になって、がくんと衰えていることが多い。そうなると、ひたすら悪循環だ。書くことすらままならなくなり、気を紛らわせるために、酒を飲む。そして、身体を壊し、死に至る。

 人はいつまでもロマンティストでい続けることはできないのだろう。ウェルシュの小説も、最後は薬を絶ったレントンが現実へと向かっていくところで終わっていた。『華麗なるギャツビー』の、ギャツビーは殺され、フィッツジェラルド自身は、アルコールに溺れた。現実と向き合うか、燃え尽きるか、緩やかに身を滅ぼしていくか。ロマンティストの取る行動はこの三つかしかない。炎の中で消滅していく詩を美しく感じている限り、ロマンティストを卒業することはできないだろう。

 

トレインスポッティング〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)

トレインスポッティング〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)

 

  

素粒子 (ちくま文庫)

素粒子 (ちくま文庫)

 

  

らも―中島らもとの三十五年 (集英社文庫)

らも―中島らもとの三十五年 (集英社文庫)

 

  

楽園のこちら側

楽園のこちら側

 

  

 セックス・コミューンを現実で実践した人たちを描いたノンフィクション。個人の好き嫌いに任せるとあぶれる男女ができるので(ウエルベックの『素粒子』にあるように)、オナイダ・コミュニティではセックスを管理していた。

*1:アーヴィン・ウェルシュトレインスポッティング』(池田真紀子訳、ハヤカワ文庫、二〇一五年)四四九頁

キネマ旬報特別編集 『オールタイム・ベスト 映画遺産200 外国映画篇』

 本書は、『キネマ旬報』創刊90周年ということで企画され、2009年に刊行された。巻末にはキネマ旬報と関わりの深い会社の社長の名刺がずらずらと並べられている。

 オールタイムベスト企画では、キネ旬以外だと映画秘宝のものが有名だが、人選はやはりキネ旬の方が色々な意味で「固い」(文化人的な人が多い)。中には映画秘宝キネ旬両方で起用されている人もいる。例えば、井口昇とかみうらじゅんとか岩井志麻子とかである。実際にいくつか下に挙げてみよう。

 

安西水丸

ナバロンの要塞

飛べ!フェニックス

明日に向かって撃て

・冒険者たち

・脱出(72年)

・大いなる勇者

・夕陽のガンマン

アウトロー

ミズーリ・ブレイク

・ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦

 

井口奈己

①緑と色の即興詩

緑の光線

大人は判ってくれない

④のらくら兵

⑤周遊する蒸気船

⑥ハタリ!

⑦愛のそよ風

⑧プレイタイム

バルカン超特急

⑩ラヴ・パレイド(29年)

 

井口昇

①keiko

②早春

③ザ・チャイルド

ザナドゥ

⑤センチュリアン

⑥新学期 操行ゼロ

バットマン(89年)

A.I.

⑨マーズ・アタック!

真夜中のカーボーイ

 

石上三登志

駅馬車

キング・コング(33年)

③地上最大のショウ

④モダン・タイムス

⑤第十七捕虜収容所

雨に唄えば

⑦海底二万哩

⑧白熱(49年)

⑨見知らぬ乗客

宇宙戦争(53年)

 

市川森一

甘い生活

・道(54年)

8 1/2

・第三の男

荒野の決闘

・ヘッドライト

・大いなる西部

太陽がいっぱい

・望郷(37年)

・舞踏会の手帖

 

犬童一心

①ダーティーハリー

ゴッドファーザー

エクソシスト

バリー・リンドン

⑤追憶(73年)

ビリー・ザ・キッド 21才の生涯

悪魔のいけにえ

ナッシュビル

⑨チャイナタウン

⑩JAWS ジョーズ

 

上野昂志

・腰抜け二挺拳銃

・白熱(49年)

ウィンチェスター銃73

・不良少女モニカ

紳士は金髪がお好き

・現金に手を出すな

泥棒成金

・理由なき反抗

キッスで殺せ

勝手にしやがれ

 

内田けんじ

アマデウス

・ミッドナイト・ラン

ゴッドファーザー

北北西に進路を取れ

ダイ・ハード

・ビッグ(88年)

月の輝く夜に

・ロッキー

アパートの鍵貸します

燃えよドラゴン 

 

大場正明

①コロッサル・ユース

②隠された記憶

③ハーフェズ ペルシャの詩

愛より強い旅

殺人の追憶

⑥長江哀歌

グラン・トリノ

⑧愛をつづる詩

イースタン・プロミス

⑩そして、私たちは愛に帰る

 

大林宣彦

①静かなる男

②血とバラ

③めまい

恋のエチュード

⑤エル・ドラド

⑥サンセット大通り

若草物語(49年)

⑧軽蔑

⑨黄昏(52年)

イースター・パレード

 

 大森一樹

史上最大の作戦

②007/ゴールドフィンガー

サウンド・オブ・ミュージック

④大脱走(63年)

⑤冒険者たち

シェルブールの雨傘

⑦まぼろしの市街戦

⑧映画に愛をこめて アメリカの夜

⑨ビッグ(88年)

⑩オアシス(02年)

 

笠井信輔

・天国からきたチャンピオン

未知との遭遇

・2001年宇宙の旅

地獄の黙示録

ウェスト・サイド物語

・ロッキー

カプリコン1

燃えよドラゴン

モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル

遠い空の向こうに 

 

加藤幹郎

赤ちゃん教育

②13回の新月がある年に

③危険な場所で

④ウィークエンド

忘れじの面影

ゲアトルーズ

黒い罠

旅芸人の記録

⑨和解せず

⑩フレンジー 

 

金子修介

①サンセット大通り

ダーティハリー

③映画に愛をこめて アメリカの夜

アリスの恋

セルピコ

⑥タクシー・ドライバー

⑦フィツカラルド

オブローモフの生涯より

⑨モスキート・コースト

バック・トゥ・ザ・フューチャー

 

川本三郎

①第三の男

②野いちご

③夜行列車(59年)

④影(56年)

十二人の怒れる男

⑥シェーン

⑦真昼の決闘

荒野の決闘

⑨橋(59年)

⑩ヘッドライト

 

切通理作

①熱帯魚(95年)

明日に向かって撃て

エクソシスト

④髪結いの亭主

⑤ウェディング・バンケット

⑥青春神話

⑦SF巨大生物の島

ファントム・オブ・パラダイス

ジャイアント・ピーチ

⑩脱出(72年) 

 

熊切和嘉

レイジング・ブル

汚れた血

ディア・ハンター

インディアン・ランナー

⑤オアシス(02年)

グラン・トリノ

⑦サンタ・サングレ 聖なる血

ファントム・オブ・パラダイス

⑨ディープ・クリムゾン 真紅の愛

⑩ピアニスト(01年) 

 

黒沢清

絞殺魔

ビリー・ザ・キッド 21才の生涯

ゴダールの探偵

④ペイルライダー

⑤スポンティニアス・コンバッション 人体自然発火

⑥狩人(77年)

⑦牯嶺街少年殺人事件

そして人生はつづく

ミュンヘン

グエムル 漢江の怪物

ヒストリー・オブ・バイオレンス

 

小林政広

大人は判ってくれない

ロンゲスト・ヤード(74年)

真夜中のカーボーイ

・ペレ

フレンチ・コネクション

・秋菊の物語

・仁義(70年)

・新学期 操行ゼロ

・男と女

・タクシー・ドライバー

 

小山薫堂

①ザ・プレイヤー

②めぐり逢い

ラブ・アクチュアリー

④運動靴と赤い人魚

バック・トゥ・ザ・フューチャー

インディ・ジョーンズ・シリーズ

ショーシャンクの空に

トゥルーマン・ショー

ローマの休日

グラディエーター

 

今野雄二

①めまい

市民ケーン

③サイコ

④キャリー

ブルーベルベット

恋する女たち

⑦セブン

バートン・フィンク

⑨悪い男(01年)

⑩タクシー・ドライバー

 

佐藤純彌

大いなる幻影

天井桟敷の人々

③旅路の果て

④望郷(37年)

毒薬と老嬢

勝手にしやがれ

⑦第三の男

⑧真昼の決闘

さらば、わが愛 覇王別姫

父親たちの星条旗

 

佐藤忠男

①魔法使いのおじいさん(79年)

②野いちご

曼荼羅(81年)

④絵の裏

⑤大地のうた

⑥巴里の女性(25年)

⑦太陽(05年)

⑧にんじん(32年)

⑨未完成交響楽

⑩ザ・リザード

 

塩田明彦

①ヒーロー・ネバー・ダイ

②ハードボイルド 新・男たちの挽歌

八仙飯店之人肉饅頭

④ファーストミッション

スウォーズマン 女神復活の章

⑥ラヴソング(96年)

⑦いつの日かこの愛を

⑧帰ってきたドラゴン

⑨新Mr.BOO! 香港チョココップ

⑩ドラゴン・イン

 

品田雄吉

天井桟敷の人々

市民ケーン

荒野の決闘

④ショート・カッツ

アラビアのロレンス

⑥第三の男

許されざる者

俺たちに明日はない

北北西に進路を取れ

ゴッドファーザー

 

篠崎誠

サンライズ(27年)

・香も高きケンタッキー

・グロリア

・めぐり逢い

戦争のはらわた

悲しみは空の彼方に

・殺人捜査線

・愛のそよ風

・Child of Divorce(46年)

ラルジャン

 

芝山幹郎

ゴッドファーザー

②続 夕陽のガンマン

ミリオンダラー・ベイビー

ワイルドバンチ

パルプ・フィクション

レディ・イヴ

⑦極楽特急

ヒズ・ガール・フライデー

北北西に進路を取れ

⑩牯嶺街少年殺人事件

 

新藤兼人

戦艦ポチョムキン

チャップリンの黄金狂時代

③望郷(37年)

市民ケーン

無防備都市

⑥第三の男

⑦道

⑧波止場

勝手にしやがれ

暗殺の森

 

鈴木清順

・会議は踊る

・うたかたの戀

・格子なき牢獄

・モロッコ

・舞踏会の手帖

駅馬車

カサブランカ

・七年目の浮気

最高の人生の見つけ方

世界最速のインディアン 

 

瀬々敬久

・まぼろしの市街戦

ゴースト・ドッグ

ザ・コミットメンツ

・童年往事 時の流れ

・馬鹿宣言

ひかりのまち

・ふたりの人魚

・ドラゴン怒りの鉄拳

・ラヴソング(96年)

・長江にいきる 秉愛の物語

 

高崎俊夫

・ピクニック

たそがれの女心

・めまい

・知られぬ人

狩人の夜

ワイルドバンチ

暗殺の森

・美しき冒険旅行

ロング・グッドバイ

・チューズ・ミー

 

滝本誠

・冒険者たち

サテリコン

・エル・スール

・ウエスタン

気狂いピエロ

・肉体の悪魔

現金に体を張れ

ゴッドファーザーPART2

・サムライ

・殺人捜査線

 

竹中直人

乙女の祈り

フランケンシュタイン(31年)

カリフォルニア・ドールズ

パンズ・ラビリンス

・恐怖の足跡

・敵、ある愛の物語

・異邦人(67年)

・赤い影

ボディ・ダブル

ピーウィーの大冒険

 

立川志らく

雨に唄えば

・街の灯

ゴッドファーザー・シリーズ

・我が家の楽園

お熱い夜をあなたに

・天使(37年)

ザッツ・エンタテインメント

・マカロニ

スケアクロウ

・離愁 

 

タナダユキ

トト・ザ・ヒーロー

ノーカントリー

ダークナイト

ゴッドファーザー

殺人の追憶

パリ、テキサス

・恋恋風

・イン・ザ・スープ

ふたりにクギづけ

ヤンヤン 夏の思い出

 

谷岡雅樹

 ・卒業

カッコーの巣の上で

狼たちの午後

・タクシー・ドライバー

サタデー・ナイト・フィーバー

・ミスター・グッドバーを探して

さらば青春の光

・さよならミス・ワイコフ

男たちの挽歌

・セブン

 

塚本晋也

・タクシー・ドライバー

ブレードランナー

ミッドナイト・エクスプレス

・奇跡の人

ポセイドン・アドベンチャー

・大脱走

フェリーニのアマルコンド

ゴッドファーザー

・ジュ・テーム・・・

ディア・ハンター

 

寺脇研

ペパーミント・キャンディー

殺人の追憶

③オアシス(02年)

④悪い男

グエムル 漢江の怪物

復讐者に憐れみを

⑦私たちの幸せな時間

⑧初恋のアルバム 人魚姫のいた島

力道山

トンマッコルへようこそ 

 

富野由悠季

駅馬車

市民ケーン

エデンの東

④禁断の惑星

勝手にしやがれ

ウエスト・サイド物語

⑦2001年宇宙の旅

⑧ブリット

バベットの晩餐会

⑩エリザベス(98年)

 

中野翠

カリガリ博士

・極楽特急

・天使(37年)

ローマの休日

・道

アパートの鍵貸します

・続 夕陽のガンマン

・2001年宇宙の旅

地獄に堕ちた勇者ども

ストレンジャー・ザン・パラダイス

 

中原俊

①タイムマシン 180万年後の世界

ウエスト・サイド物語

ドクトル・ジバゴ(65年)

④昼顔

⑤卒業

⑥探偵スルース

⑦マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ

セント・エルモス・ファイアー

ガープの世界

⑩存在の耐えられない軽さ

 

西川美和

クレイマー、クレイマー

・情婦

・第十七捕虜収容所

狼たちの午後

・旅立ちの時

ダークナイト

ペパーミント・キャンディー

母なる証明

・ノーマンズ・ランド

しあわせな孤独

 

野崎歓

欲望の翼

・トリック大作戦

・一瞬の夢

子猫をお願い

インファナル・アフェア

スクール・オブ・ロック

輝ける青春

・エグザイル/絆

・言えない秘密

・オーム・シャンティ・オーム(07年)

 

羽仁進

・戦火のかなた

カサブランカ

ホフマン物語

・天国への階段

・将軍月光に消ゆ

風と共に去りぬ

ゲームの規則

大いなる幻影

 

原田眞人

・赤い河

・アルジェの戦い

アラビアのロレンス

・タクシー・ドライバー

・サンセット大通り

・捜索者

ゴッドファーザー

カッコーの巣の上で

シンドラーのリスト

・波止場

 

樋口真嗣

地獄の黙示録

・マッドマックス2

・レイダース 失われた聖櫃

ブレードランナー

ファイヤーフォックス

E.T.

ピンク・フロイド ザ・ウォール

・ブレインストー

ライトスタッフ

ストリート・オブ・ファイヤー

 

樋口尚文

・奇跡(55年)

・めまい

・ベニスに死す

・情事(60年)

カルメンという名の女

美しき諍い女

地獄の黙示録

・彼女(71年)

ラスト・タンゴ・イン・パリ

・下女 

 

廣木隆一

・ハネムーン・キラーズ

ラスト・タンゴ・イン・パリ

スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー

・タクシー・ドライバー

地獄の逃避行

気狂いピエロ

アメリカン・グラフィティ

・グロリア

・さすらい

地獄の黙示録

 

福間健二

女と男のいる舗道

・血(89年)

・青の稲妻

ストレンジャー・ザン・パラダイス

・オール・アバウト・マイ・マザー

・愛・アマチュア

・道

・エル・スール

・憂鬱な楽園

・闇に響く声

 

藤子不二雄A

①青春群像

②第三の男

③海の牙

駅馬車

禁じられた遊び

アラビアのロレンス

⑦現金に手を出すな

時計じかけのオレンジ

⑨激突!

グラン・トリノ

 

双葉十三郎

・キッド

・ピーター・パン(24年)

・巴里の屋根の下

・モロッコ

・三十九夜

・望郷

駅馬車

・マルタの鷹

・逢びき

禁じられた遊び 

 

降旗康男

・舞踏会の手帖

大いなる幻影

・邪魔者は殺せ

・逢びき

無防備都市

・自転車泥棒

勝手にしやがれ

・波止場

チャップリンの殺人狂時代

・かくも長き不在

 

松江哲明

悪魔のいけにえ

インディアン・ランナー

キラー・エリート

・恐怖の報酬

・恋のためらい フランキーとジョニー

光と闇の伝説 コリン・マッケンジー

・ハードボイルド 新・男たちの挽歌

ビデオドローム

フレンチ・コネクション

・レスラー

 

みうらじゅん

・大脱走

燃えよドラゴン

禁じられた遊び

ブルース・ブラザーズ

・さらば友よ

・ジェレミー

ワイルドバンチ

スター・ウォーズ(77年)

・南太平洋

・続 荒野の用心棒 

 

三木聡

マルホランド・ドライブ

ストレート・トゥ・ヘル

・マッチ工場の少女

ビッグ・リボウスキ

博士の異常な愛情

黒猫・白猫

ラスベガスをやっつけろ

・ショート・カッツ

柔らかい殻

・断絶(71年)

 

宮台真司

メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬

ガタカ

③欲望(66年)

ノーカントリー

殺人の追憶

ミスティック・リバー

マグノリア

未来世紀ブラジル

マルコヴィッチの穴

⑩うつせみ

 

本広克行

・2001年宇宙の旅

ガープの世界

ニュー・シネマ・パラダイス

ドッグヴィル

グッドフェローズ

・ミスト

・ピクニックatハンギングロック

グラン・トリノ

スター・ウォーズ(77年)

クレイマー、クレイマー

 

柳町光男

・スリ(59年)

・めまい

・小間使いの日記

散り行く花

・暗黒街の弾痕

ゴダールの映画史

ゴッドファーザー

父親たちの星条旗

赤ちゃん教育

・ボーン・イエスタデイ

 

山下敦弘

プロジェクトA

さらば冬のかもめ

悪魔のいけにえ

・ハズバンズ

ミーン・ストリート

スケアクロウ

ディア・ハンター

・マイ・プライベート・アイダホ

・プラットホーム

フランティック 

 

山田宏一

①ターザンの復讐

②三銃士(48年)

天井桟敷の人々

④白雪姫(38年)

⑤パンドラ

素晴らしき哉、人生!

⑦大平原

⑧彼奴は顔役だ

⑨罪ある女

乱暴

 

山田太一

・かくも長き不在

ドッグヴィル

トーク・トゥ・ハー

・42丁目のワーニャ

羊たちの沈黙

・キャバレー

ショーシャンクの空に

アニー・ホール

・秘密と噓

・スモーク

 

山根貞夫

・さすらい

リオ・ブラボー

・青春群像

・騎兵隊

北北西に進路を取れ

勝手にしやがれ

・スリ

・激しい季節

・穴

ピアニストを撃て

 

山本晋也

①素晴らしき哉、人生

②ゴースト ニューヨークの幻

イングリッシュ・ペイシェント

ショーシャンクの空に

アパートの鍵貸します

イージー・ライダー

⑦めぐり逢い

⑧ヘッドライト

⑨モロッコ

俺たちに明日はない

 

行定勲

①エル・スール

②情事

少女ムシェット

ふたりのベロニカ

⑤牯嶺街少年殺人事件

⑥恋恋風

霧の中の風景

⑧ママと娼婦

⑨サクリファイス

⑩愛情萬歳

 

赤瀬川源平(映画の名景ベスト5)

ダウン・バイ・ロー

・眼には眼を

・夏の嵐

・波止場

・ヘッドライト

 

片桐はいり(映画館が出てくる映画ベスト10)

・それぞれのシネマ

・楽日

・映画館の恋

カイロの紫のバラ

ニュー・シネマ・パラダイス

・サンセット大通り

時計じかけのオレンジ

・恋恋風

・タクシー・ドライバー

・マッチ工場の少女

 

貴志祐介(ホラー映画ベスト10)

スキャナーズ

・ポゼッション(81年)

・CUBE

ブレア・ウィッチ・プロジェクト

シックス・センス

ガーゴイル

・マレフィク 呪われた監獄

・エレファント

28週後

・ミスト

 

小池一夫(キャラクターベスト10)

アンブレイカブル

エクソシスト

オーメン

エンド・オブ・デイズ

プライベート・ライアン

プラトーン

ランボー

・シェーン

・夕陽のガンマン

・荒野の1ドル銀貨

 

柴門ふみラブ・ストーリーベスト10)

ロミオとジュリエット(68年)

・個人教授

・いちご白書

・ジェレミー

・愛の嵐

・離愁

・恋におちて

・チョコレート

・ベティ・ブルー

バグジー

 

ゴッドファーザー』、『タクシー・ドライバー』、『2001年宇宙の旅』が人気でウディ・アレンが以外に少なかった。あと、『牯嶺街少年殺人事件』を挙げている人も多い。

 

 

 

日本文学は海外からどう見られているか!?

 日本人は、海外(西洋人)からどう見られているか、ということをよく気にしている。テレビではかつての『ここがヘンだよ日本人』のような過激な物から、『YOUは何しに日本へ?』のような温和な物まで、外国人の視点を意識した番組が作られ、出版界隈では、『逝きし世の面影』や外国人が日本について書いたエッセイ等がよく売れている。

 僕自身は外国人(西洋人)が日本をどう見ているかということについてほとんど気にしたことはないのだが、自分の興味の対象である「文学」に関しては、それなりに気になっている。どう気になっているのかと言えば、今でも外国では「オリエンタリズム」と「異国趣味」が生きているのではないかということだ。三島由紀夫はそれがわかっていたから、自作自演の映画『憂国』を、まず海外の映画祭に出品した。

 それを確かめるべく、僕はピーター・ボクスオール編集『世界の小説大百科 死ぬまでに読むべき1001冊の小説』(原著は2012年出版)という辞典のような本を図書館から借りてきた。ちなみにこの「1001シリーズ」はキャセルという出版社から出ていて、日本でもいくつか翻訳されている。僕は高校生の頃に『死ぬまでに聴きたいアルバム1001枚』というのを買って読んでいたのだが、リラックスした筆致と豆知識の挿入の仕方が上手く、ディスクガイドとして非常に優れていると思った。

 それで、この『小説大百科』だが、ピーター・ボクスオールによる「第2版のためのはしがき」を読むと、初版と第2版(国際版)では、収録作品にいくつか変化があるらしい。どうも国際版を編集するにあたって、より非英語圏の作品を収録したとのこと。その変わり、初版に収録されていたバニヤンの『天路歴程』やクッツェの『エリザベス・コステロ』が削除されたとか。邦訳されたのはもちろん、国際版の方である。

 まず、ざっとした感想を言うと、収録作品がかなり現代の物に偏っているということか。22ページから232ページまでが19世紀までの作品で、それ以降236ページから949ページまでが20世紀から2011年までの作品となっている。ボクスオールが「はしがき」でも言っているように、こういうリストは色々と異議が出るものだが、日本文学以外に関しては、バルザックの『従妹ベット』やヘンリー・ジェイムズの『黄金の杯』、マーク・トウェインの『王子と乞食』ぐらいは古典として入れても良かったのではないかと思う。あと、20世紀の作品になるが、メアリー・マッカーシーの『グループ』とか。まあ、キリがないのでここらへんで止めておこう。

 さて、肝心の日本文学だが、ざっとリストを下に掲げよう。順番はあいうえお順。英訳本が本書の選択の基準になっているから、見慣れないタイトルになっている物もある。

芥川龍之介羅生門と他の物語』

有吉和佐子『恍惚の人

遠藤周作『沈黙』『深い河』

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』

川端康成千羽鶴

谷崎潤一郎『蓼食う虫』

夏目漱石『こころ』

三島由紀夫潮騒』『豊饒の海

宮部みゆきクロスファイア

村上春樹ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』

村上龍限りなく透明に近いブルー

紫式部源氏物語

吉本ばなな『キッチン』

作者不詳『竹取物語

 

 全部で17作品。まあ、突っ込みどころは色々ある。『竹取物語』と『源氏物語』が選ばれているのは良いが、20世紀以降の作品となると選定の基準にかなり凸凹がある。

 まず、谷崎だが、『蓼食う虫』を彼の最高傑作と見なす人は、日本の評論家・作家の中では、ほぼいないだろう。『細雪』が『Makioka Sisters』の題で英訳されているのだから、それを選ぶべきだった。評者の言葉を読む限り、「文楽」や「芸者」が、評価の一端を担ったのではないかとも思えるのだが、まずは置いておこう。

 大江もなぜ『芽むしり仔撃ち』なのだろう? 彼がノーベル文学賞を受賞した際、対象となったのは、『個人的な体験』と『万延元年のフットボール』で、単純にそれらの作品を選定すべきだったと思う。あと、選ばれているのが一作だけというのも寂しい。

 日本で本書と似たような企画を立てたら、夏目漱石はもっと入るだろう(序に、森鴎外泉鏡花尾崎紅葉田山花袋有島武郎樋口一葉太宰治安部公房も)。漱石の英訳されたものとしては、Amazonを見る限り、なぜか『こころ』が圧倒的な人気を誇っている(抑圧的なところと女性嫌悪的なところが、キリスト教に近いからか?)。『三四郎』と『坊ちゃん』は、ペンギン・クラシックス入りしているが、選ばれなかった。芥川も、ジェイ・ルービン訳の短編集が、ペンギン・クラシックスとして出版されている。ちなみに、『坑夫』は、村上春樹が『1Q84』の中で触れたことから、2016年に春樹の序文付きで再刊された。

 その春樹だが、『ねじまき鳥』はまあいいとして、『1Q84』が選ばれているのにはやや驚いたが、Amazonレヴューの数は、春樹の作品の中だと『1Q84』が一番多い。英訳が出版された2013年は、春樹人気のピークだったのだろうか。

 女性作家も貧弱だ。選ばれているのが、現代だと、有吉佐和子吉本ばなな宮部みゆきというのは……。個人的には、宮本百合子円地文子津島佑子富岡多恵子金井美恵子辺りが、もっと知られても良いと思う。

 色々ケチをつけてきたが、僕が最もここで注目したいのは、川端である。この『千羽鶴』というチョイスは、間違いなくオリエンタリズムによるものだろう。そもそも川端がノーベル文学賞を受賞したのも、オリエンタリズムが一役買っていて、受賞の対象となったのは、『雪国』、『千羽鶴』、『古都』という風に、芸者、茶の湯、京都を扱ったものだ。ジェイ・ルービンも『村上春樹と私』の中で、川端は「芸者と茶会」という「異国趣味」によって、海外で受け入れられたと書いている。『雪国』を評価する人は多いが、本書で選ばれた『千羽鶴』に関しては、川端の作品の中では失敗作に入るだろうし、甘く見ても、これを代表作と考える人はかなりの天邪鬼だ。ガルシア=マルケスが『眠れる美女』にインスパイアされて小説を書く時代に、『千羽鶴』を「情交が紡ぐ情念の機微を日本の伝統的な茶の湯というベールで覆って描いた」と評価するのはどうなんだろうか。いや、まあ、『眠れる美女』にも、「日本の女はエロい」という「異国趣味」はあるのだが、これについては、少し後で述べよう。

 さて、『千羽鶴』をチョイスしたのは、Haewon Hwangという人らしい。検索すると、ハーヴァードでBA、ロンドン大学キングスカレッジでPhDを取得したと、ある出版社のサイトに記載されていた。実はこの人、『蓼食う虫』の評者でもあって、どうやら彼女が本書に「オリエンタリズム」を持ち込んでいたようだ。日本文学に関心があるのは良いのだけど、もう少し見識を持ってほしい。あと、評者は彼女ではないけれど、アーサー・ゴールデンの『さゆり』が選ばれているのも、なんだかなあ、という気分にさせられた。 

 少し前のところで、ジェイ・ルービンの言葉を引用したが、ルービンは芥川、川端、三島が「異国趣味」で評価されたのに対し、村上春樹は「自然」な形で海外に受け入れられたと書いている。実際、春樹は「自然」に受け入れられていたのだろうか? 小谷野敦は『病む女はなぜ村上春樹を読むのか』の中でこう書いている。

 

世界中で村上春樹が読まれる時、おそらく人々は、「日本の女はエロティックだ」というイメージを引きずっている。川端や、ゲイシャ・ガールや、かつてのベストセラーでもあるジェイムズ・クラヴェルの『将軍』の、やたらとエロティックな女たちもそうだ。(中略)世界中で、日本の女はこんな風に積極的にセックスを迫るものなのだと思って読んでいる者は少なからずいる。日本人が気づいていないだけだ。(p7)

 

 春樹もまた、「異国趣味」から完全に逃れているわけではない。さすがに、ゲイシャ・ハラキリを真に受ける人はかつてより少なくなってきただろうが、「日本女=エロティック」というのは、「異国趣味」の最後の砦となっているようだ。ガルシア=マルケスが『眠れる美女』に惹かれたのも、そういう部分があるのだろう。大江は、ガルシア=マルケスが来日した時、『眠れる美女』のモデルに会わせてくれと頼まれたが、断った。

 ちなみに『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の英訳では、エロティックなシーンが一部削除されているそうだ。 

 

世界の小説大百科 死ぬまでに読むべき1001冊の本

世界の小説大百科 死ぬまでに読むべき1001冊の本

 

  

千羽鶴 (新潮文庫)

千羽鶴 (新潮文庫)

 

   

村上春樹と私

村上春樹と私

 

 

London's Underground Spaces: Representing the Victorian City, 1840-1915

London's Underground Spaces: Representing the Victorian City, 1840-1915

 

  

 

 

 

DVD化を望む映画リスト

DVD化して欲しい映画リスト。文藝物中心。

 

アービング・ラッパー監督

ガラスの動物園

『黒い牡牛』

『女性よ永遠に』

『初恋』

 

アニエスカ・ホランド監督

『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』

 

アベル・ガンス監督

鉄路の白薔薇

 

アモス・ギタイ監督

『キプールの記憶』

 

アラン・ドワン監督

『逮捕命令』

 

アルバート・ブルックス監督

『リアル・ライフ』

 

アルナルド・ジャボール監督

『禁断の裸体』三浦大輔で舞台化

 

アレクサンダー・マッケンドリック監督

『ウィスキー・ガロア!』

 

アンセルモ・ドゥアルテ監督

サンタ・バルバラの誓い

 

アンドレデルヴォー監督

『髪を短くした男』

 

アンドレ・マルロー監督

『希望~テルエルの山々~』

 

イェジー・スコリモフスキ監督

『勇将ジェラールの冒険』アーサー・コナン・ドイル原作

 

ウーリー・ロメル監督

『The Tenderness of Wolves』

 

ウィリアム・A・サイター監督

『極楽発展倶楽部』

 

ウィリアム・フリードキン監督

『恐怖の報酬』アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの同名作品のリメイク

『誕生パーティーハロルド・ピンター原作

ソニーとシェールの グッド・タイムス』ソニー・ボノ、シェール主演

 

ウィリアム・ワイラー監督

『L・B・ジョーンズの解放』

 

ヴィンセント・ミネリ監督

走り来る人々ジェームズ・ジョーンズ原作→走り来る人々 [DVD]

『ザ・スター』ライザ・ミネリ主演

『肉体の遺産』

 

ヴェルナー・ヘルツォーク監督

『闇と沈黙の国』ドキュメンタリー

『ガラスの心』

『緑のアリが夢見るところ』

 

ウディ・アレン監督

『ホワッツ・アップ・タイガー・リリー』

 

エイモス・ポー監督

『トリプル・ボギー』

 

エドワード・F・クライン監督

『ザ・バンク・ディック』

 

エリア・カザン監督

『ベビイドール』テネシー・ウィリアムズ原作→ベビイドール [DVD]

『群衆の中の一つの顔』

荒れ狂う河

アメリカ、アメリカ』自伝を自ら映画化

 

エリオ・ペトリ監督

労働者階級は天国に入る

 

エレイン・メイ監督

『ふたり自身』

 

オーソン・ウェルズ監督

『イッツ・オール・トゥルー』

 

オスカー・ミショー監督

『ウィズイン・アワ・ゲイツ

 

オリバー・ストーン監督

『ワイルド・パームス』製作総指揮

 

ガイ・マディン監督

ギムリ・ホスピタル』

 

カレル・カヒーニャ監督

『耳』

 

カレル・ライス監督

モーガン

『裸足のイサドラ』

『ナイト・マスト・フォール』

 

キラ・ムラートワ監督

『無気力症シンドローム

 

ケネス・ブラナー監督

『世にも憂鬱なハムレットたち』

 

ケン・ヒューズ監督

オスカー・ワイルドの試練』

『人間の絆』

『結婚狂奏曲セクステット

 

ケン・ラッセル監督

『恋人たちの曲/悲愴』チャイコフスキーが主人公

恋する女たち』D・H・ロレンス原作

『超能力者/ユリ・ゲラーユリ・ゲラーの自伝を映画化

肉体の悪魔オルダス・ハックスリー原作

『ボーイフレンド』 ツイッギー主演

『フレンチ・ドレッシング』

 

サイ・エンドフィールド監督

マルキ・ド・サド~愛欲と官能の果て』

 

ジェイムズ・アイヴォリー

『カルテット』ジーン・リース原作

 

ジェニー・リビングストン監督

『パリ、夜は眠らない』ゲイ・カルチャーについてのドキュメンタリー

 

ジェフリー・ライト監督

ハーケンクロイツ/ネオナチの刻印』

 

ジェローム・ボワヴァン監督

『バルジョーでいこう!』フィリップ・K・ディック原作

 

シドニー・ルメット監督

『夜への長い旅路』ユージン・オニール原作

『私はそんな女』

『グループ』メアリー・マッカーシー原作

 

シャーリー・クラーク監督

『クール・ワールド』

 

ジャック・スマイト監督

『走れ、ウサギ』ジョン・アップダイク原作 

 

ジャン=リュック・ゴダール監督

ゴダールリア王ノーマン・メイラー脚本

『映画というささやかな商売の栄華と衰退』

 

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督

『私の体に悪魔がいる』ピエール・ルイス原作

 

ジョエル・オリアンスキー監督

コンペティション

 

 ジョセフ・L・マンキーウィッツ

『探偵スルース』

 

ジョセフ・ストリック監督

『北回帰線』ヘンリー・ミラー原作

ユリシーズジェイムズ・ジョイス原作

『若き詩人の肖像』ジェイムズ・ジョイス原作

『バルコニー』ジャン・ジュネ原作

『ロード・ムービー』

 

ジョゼフ・マグラス監督

マジック・クリスチャンテリー・サザーン原作

 

ジョセフ・ロージー監督

『人形の家』イプセン原作

 

ジョン・アーマン監督

『サンシャイン・ボーイズ/すてきな相棒』ニール・サイモン原作、ウディ・アレン出演

 

ジョン・クリシュ監督

『おとぼけハレハレ学園』イーヴリン・ウォー原作

 

ジョン・シュレンジャー監督

『ビリー・ライアー』キース・ウォーターハウス原作、アングリー・ヤング・メン・ムーブメントの代表作

 

ジョン・ジョスト監督

『ラスト・チャンツ・フォー・ア・スロー・ダンス』

 

ジョン・ヒューストン監督

フロイト

『火山のもとで』 マルカム・ラウリー原作

『ゴングなき戦い』

『賢い血』

『禁じられた情事の森』→禁じられた情事の森 [DVD]

 

ジョン・フランケンハイマー監督

フィクサー』バーナード・マラマッド原作

『氷人来る』ユージン・オニール原作

 

スーザン・ソンタグ監督

『プロミスト・ランド』イスラエルについてのドキュメンタリー

『デュエット・フォー・カニバルズ』

 

スラバ・ツッカーマン監督

『リキッドスカイ』

 

レイマン・シセ 監督

『ひかり』

 

センベーヌ・ウスマン監督

『チェド』

 

ソロルド・ディキンソン監督

『Hill 24 Doesn't Answer』

 

ダニエル・ペトリ監督

『アシスタント』バーナード・マラマッド原作

 

ダニエル・マン監督

『バラの刺青』テネシー・ウィリアムズ原作

 

ダミアン・ハリス監督

『レイチェル・ペーパー』マーティン・エイミス原作

 

ダリウシュ・メールジュイ監督

『牛』

 

チャールズ・バーネット監督

『キラー・オブ・シープ』

 

デヴィッド・リンチ監督

『オン・ジ・エアー』

 

デルバート・マン監督

『楡の木蔭の欲望』ユージン・オニール原作

 

デレク・ジャーマン監督

『セバスチャン』

 

ドゥシャン・マカヴェイエフ監督

『WR:オルガニズムの神秘』

『ゴリラは真昼、入浴す。』

『スウィート・ムービー』

 

トット・ヘインズ監督

『ケミカル・シンドローム

 

トニー・リチャードソン監督

『悪魔のような恋人』ナボコフ原作

『ネッド・ケリー』ミック・ジャガー主演

ジブラルタル追想マルグリット・デュラス原作

『ラヴド・ワン』イヴリン・ウォー原作、テリー・サザーン脚本

サンクチュアリ』フォークナー原作

『寄席芸人』ジョン・オズボーン原作、 ローレンス・オリヴィエ主演

『デリケート・バランス』エドワード・オールビー原作

ハムレット

 

トム・ディチーロ監督

『リビング・イン・オブリビオン 悪夢の撮影日誌』

 

ニール・ラビュート監督

『僕らのセックス、隣の愛人』

『彼氏がステキになったワケ』

『イン・ザ・カンパニー・オブ・メン』

 

ニコラス・ローグ監督

『真・地獄の黙示録

 

ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督

『乾いた人生』

 

ノーマン・Z・マクロード監督

『かぼちゃ大当り』

 

ハーバート・バイバーマン監督

『地の塩』

 

ヴァレリオ・ズルリーニ監督

タタール人の砂漠』ディーノ・ブッツァーティ原作

 

パオロ・カヴァラ監督

『野生の眼/世紀末猟奇地帯』

 

ハリー・クメール監督

『ドウターズ・オブ・ダークネス』

『マルペルチュイ』

 

ハル・ハートリー監督

ヘンリー・フール』→ヘンリー・フール・トリロジー

『トラスト・ミー』 

 

ハワード・モリス監督

『水は危険・ハイジャック珍道中』ウディ・アレン原作

 

ハンス・ペッテル・モーランド監督

『野良犬たち』

 

フィル・カールソン監督

『無警察地帯』

 

フィルダー・クック監督

『ミッドナイト・ニューヨーカー』ソール・ベロー原作

 

フランク・ピアソン監督

『プレジデント・トルーマン

『虚偽~シチズン・コーン~』

 

フランシス・フォード・コッポラ

『大人になれば…』

 

フランチシェク・ヴラーチル監督

マルケータ・ラザロヴァー』

 

フレッド・ハインズ監督

『ステッペンウルフ 荒野の狼』ヘルマン・ヘッセ原作

 

ヘンリー・コーネリアス監督

『おかしなおかしな自動車競争』

『嵐の中の青春』

 

ポール・クラスニー監督

『DEA~コロンビア麻薬戦争~』

 

ポール・シュレーダー監督

テロリズムの夜~パティ・ハースト誘拐事件』

 

ポール・ニューマン監督

ガラスの動物園テネシー・ウィリアムズ原作 

オレゴン大森林/わが緑の大地』ケン・キージー原作

『まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響』

 

ボブ・ラフェルソン監督

『マーロウ 最後の依頼』

 

マーサ・クーリッジ監督

『ヨンカーズ物語』ニール・サイモン原作

 

マーティン・リット監督

『悶え』ウィリアム・フォークナー原作

『長く熱い夜』ウィリアム・フォークナー原作

 

マイケル・カコヤニス監督

エレクトラ

『トロイヤの女』

『イフゲニア』

 

マイケル・トルキン監督

『ザ・ラプチャー

 

マイケル・パウエルエメリック・プレスバーガー監督

『うずまき』

 

マリサ・シルバー

『パーマネント・レコード』 

 

マルグリット・デュラス監督

『冬の旅・別れの詩』

『破壊しに、と彼女は言う』

 

マルセル・カルネ監督

『陽は昇る』

 

マルセル・パニョル監督

『パン屋の女房』

 

マルレーン・ゴリス監督

『ダロウェイ夫人』ヴァージニア・ウルフ原作

 

ミクロシュ・ヤンチョー監督

『ハンガリアン狂詩曲』

 

ミロシュ・フォアマン監督

ラグタイム』E・L・ドクトロウ原作

 

モーリス・ピアラ監督

『ルル』

 

ヤン・カダール&エルマール・クロス監督

『大通りの店』

 

ユーセフ・シャヒーン監督

アレキサンドリアWHY?』

『カイロ中央駅』

 

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督

『デスペア』ナボコフ原作

『第三世代』

『何故R氏は発作的に人を殺したか?』

『八時間は一日にあらず』

 

ラウル・ルイス監督

『三つの人生とたった一つの死』

 

ラオール・ウォルシュ監督

『裸者と死者』ノーマン・メイラー原作

『いちごブロンド』

 

ラリー・ピアース監督

『ベルーシ~ブルースの消えた夜~』

 

ラリーサ・シェピチコ監督

『処刑の丘』

 

リチャード・カーン監督

『ハードコア』

 

リチャード・リンクレイター監督

『スラッカー』

 

リチャード・レスター監督

『ローマで起った奇妙な出来事』

 

リトウィック・ガタク監督

『雲のかげ星宿る』

『黄金の河』

 

リノ・ブロッカ監督

『マニラ・光る爪』

 

リンゼイ・アンダーソン監督

『怒りを込めて振り返れ』ジョン・オズボーン原作

『オー!ラッキーマンマルコム・マクダウェル主演

『if もしも‥‥』カンヌ・グランプリ

 

レナート・カステラーニ監督

『2ペンスの希望』カンヌ・グランプリ

『街の中の地獄』

 

 レナード・シュレーダー監督

ネイキッド・タンゴ

 

ロバート・フランク監督

『コックサッカー・ブルース』ローリング・ストーンズのツアーを追ったドキュメンタリー

 

池田満寿夫監督

エーゲ海に捧ぐ

 

市川崑監督

鹿鳴館

 

木村恵吾監督

『一刀斎は背番号6』

 

神代辰巳監督

『櫛の火』古井由吉原作

 

蔵原惟義監督

『われらの時代』大江健三郎原作

 

小林正樹

『食卓のない家』円地文子原作

 

つかこうへい監督

『つか版・忠臣蔵

 

中原俊監督

『メイク・アップ』

 

中平康監督

『闇の中の魑魅魍魎』

 

伴睦人監督

『杳子』古井由吉原作、山口小夜子主演

 

深作欣二監督

『黒蜥蜴』

『黒薔薇の館』

 

前田陽一監督

『小春日和 インディアン・サマー金井美恵子原作

 

増村保造監督

『偽大学生』大江健三郎原作

『濡れた二人』

 

黛りんたろう監督

RAMPO

 

村上龍監督

ラッフルズホテル

限りなく透明に近いブルー

 

流山児祥監督

『血風ロック』

 

和田嘉訓監督

銭ゲバ唐十郎主演

 

参考文献

 

ウディ・アレンの変身願望とマゾヒズム

1 序論──僕をメンバーにするようなクラブには入りたくない

 

 一九七七年に公開された映画『アニー・ホール』の中で、ウディ・アレン演じるコメディアン、アルヴィ・シンガーが発した「僕をメンバーにするようなクラブには入りたくない」という自虐的ジョーク(元ネタはグルーチョ・マルクス)は、映画を飛び越え、アレン自身の性格を描写するものとして定着した。
 もちろん、「クラブ」というのは比喩であり、ここには様々な言葉が代入可能だ。アレンの映画では、ダイアン・キートン演じるアニー・ホールとの「恋愛」を指し示すものとして使われている。つまり、まともな女であれば、自分のような人間を恋人にはしないという意味だ。彼の予想通り、この恋は失敗に終わる。
 ここで注目したいのは、シンガーが、「クラブ」そのものを否定しているわけではないということである。彼が否定しているのは、クラブではなく、自分自身だ。だが、彼の否定はそこで終わらず、自分を受けいれてくれるものまで丸ごと否定してしまう。彼の思考は、極めて帰納的だ。シンガーにとって理想的な「クラブ」とは、自分のことを拒絶する「クラブ」である。彼は「クラブ」の一員になることを望みながら、絶対にそれは達成されない。シンガーの思考と行動は循環し続ける。
 このジョークの背後にあるのは、謙虚さではなく、卑屈な態度だ。場合によっては相手を不快にさせることだってあるだろう。例えば、芥川龍之介は、「自分のようなものから手紙を貰ふのは御迷惑かも知らないが」という内容の手紙を夏目漱石に出し、漱石久米正雄を通じて注意したことがある*1
 シンガー=アレンは、常に自分を卑下することで、壁を築き、他人からの攻撃や評価を避けようと努めている。リチャード・シッケルとのインタビューでアレン自身はこう述べている。

 

(……)ぼく自身は自分の映画に対して批判的だとだけ言っておきたい。ほとんど、毎回、作品が完成する度にすぐ自分では失敗作だったと思う。成功したと思える作品はとても少ないし、どの作品に対しても胸を張って語ったりはしない。(……)このインタビューを目にして、僕の作品を見たことがない人が「へえ、この映画は面白そうだし、深いテーマがありそうだ。見る価値があるんじゃないか」と思うかもしれない。そして映画を見て、「何のことだか、さっぱりわからない」と思うかもしれない。だから予防線を張っておきたいのさ。*2

 

 これがアレン流の防衛術だ。自ら先回りし作品を否定することで、他人からの批判を無効化する。そうすることで、アレンは「言われなくても知っている」と開き直ることができる。彼がここで獲得したのは、「被害者」というポジションだ。彼のこうした気質は、作品の中でもよく表現されている。
 アレンは、ヨーロッパ映画を観る前は、劇作家になりたかったと公言している*3。それだけに、これまで発表してきた戯曲の数も少なくない。だが、これまで彼の戯曲について詳細に検討した評論はあまり多くない。それだけに、彼の内面性を、映画だけでなく、戯曲の方向から見ていくのも重要な作業だ。次の章から、より具体的に、アレンの作品に隠されている、彼の特殊な性質を探求していく。

 

2 変身願望

 

 アレンの作品を解釈する上で重要な概念となるのが、「変身願望」である。前章で引用した彼の言葉から、彼の低い自己評価を読み取ることができるが、そうした性格こそ、「変身願望」へと繋がっていく。自己評価が低いからこそ、他人になりたいと望むのだ。彼のインタビューを読むと、尊敬する芸術家の名前が頻出するが、それもまた「変身願望」の変形である。
 この「変身願望」を最もよく表現した戯曲が、一九六九年にブロードウェイで上演された『ボギー! 俺も男だ』(以下『ボギー!』)である。アレン、ダイアン・キートン、トニー・ロバーツが出演したこの舞台は評判を呼び、一九七二年には同じ面子で映画化された(監督はハーバート・ロス)。
『ボギー!』のストーリーを確認しよう。主人公のアラン・フィリックスは、映画に造詣の深いオタク的なライターで、二週間前に妻と離婚し、今はアパートで独り暮らしをしている。アレンはこの男を「繊細で恥ずかしがり屋で、どこか不安定な男で、もう長い間、精神療法を受けていた」と描写している*4。アレンの映画によく出てくるようなタイプだ。また、アランには妄想癖があり、彼の敬愛する俳優ハンフリー・ボガートが、「幻想」として何度も出現する。妄想に出てくるボガートは、『カサブランカ』に出演した時のイメージで、舞台上では、アランに背後からアドバイスを送る役目を務める。また、彼の元妻ナンシーも、同じように幻想として出現し、彼を苦しめることになる。
 アランにはディックとその妻リンダという友人がいる。ディックは「美男子で行動派タイプ」であり、アランとは真逆の存在だ。二人は、気落ちしているアランに、次なる相手を探すことを勧める。アランはあまり乗り気ではないが、二人に押し切られるように、恋人を探し始める。そして、その過程で、アランとリンダの仲が急速に深まっていく。リンダは仕事人間のディックに不満を持っていたのだ。
 ある日、リンダがアランのアパートに遊びにやってくる。アランは葛藤し、幻想のボガートがアランをけしかける。リンダは「ひどく劣等感を持って」いて、ボガートはそこに付け込むよう巧みに指導する。アランはボガートに従い、「ぼくは、いろんな子と恋をしたけど、君は特別だ」とリンダに思いを告げる。そして、アランの罪悪感を象徴する、ナンシーが幻想として出現し、あわや失敗かと思いきや、最終的にリンダはアランを受け入れる。
 翌日、二人はベッドで寝ている。アランは元妻ナンシーの幻想を打ち破る。だが、親友の妻を寝取ったことで、アランは罪の意識を覚える。また、ディックは妻をないがしろにしていたことを後悔し、よりを戻そうとする。アランはリンダとディックの間で、苦しむが、リンダがディックのもとへ戻ることを決意したため、この問題は簡単に解決する。全てが元鞘に収まったところで、この戯曲は終わる。
『ボギー!』は、ハードボイルド映画のパロディでありながら、主人公が「ハードボイルド」的生き方に憧れているという二重の構造を持っている。アランは映画評論家という立場なのだが、『マルタの鷹』を「二週間に十二回」観たと言われるほどに、偏った好みをしている。引用される映画も全てボガートが出演しているものだ。こうなると、批評家というよりかは、狂信者といった方が正しいかもしれない。アランはハンフリー・ボガートになりたいのだ。アランがなぜここまで自己評価が低いのかといえば、それは自己イメージが高すぎるからだ。彼にとっての理想の生き方とは、ハンフリー・ボガートが映画で見せる生き方そのものである。戯曲の中で、ボガートがアランに、女性の扱い方を指導する時、アランは必ず「君だからできるんだよ。だけどぼくは君じゃない。ボガートじゃないんだ」と反論する。そして、その度にボガートは「誰でもできるんだよ。確かだ。君ができないとは思わない」と発破をかける。アランはボガートに依存しきっており、ボガートの言葉がなければ何もできない(現実のウディ・アレンも、セラピー中毒だった)。しかし、ボガートの言葉通り動いたからといって、ボガートになれるわけではない。そこがこの戯曲における、隠されたテーマだ。
 アレンの作る物語には一つのパターンがあって、それは幻想の中で生きている人間が、最後に「現実」とぶつかり、元の冴えない生活に引き戻されるという風になっている。『ボギー!』もまた、それと同じパターンだ。アレンが映画脚本を量産できるのも、一つは、このパターンに従って書いているからというのもあるだろう。なので、それを意識してアレンの作品を見ると、結末の付け方に安易なものを感じることがある。『ボギー!』においては、展開によっては泥沼に入り込みそうな不倫問題が、リンダの急な転向により、一瞬にして解決してしまう。アランもまた、彼女に対し執着するところは一つもない。執着心を見せるのはリンダの夫ディックと、アランの元妻ナンシーだけである。つまり、物語の中心から外れた人物だけが、こうした格好の悪い役割を担わされているわけだ。アランがリンダと別れるシーンは、『カサブランカ』のラストをイメージしたもので、「背景に、ピアノ音楽が流れる」という指定まである。最終的にこの戯曲は、パロディを主としていながら、非常にロマンティックな形で終わるのだ。そもそも「パロディ」という表現形式が、「ロマンティック」の裏返しであるとも言えるかもしれない。なぜ、そんな風に見えるのかといえば、「パロディ」対象への憧れが、随所に散りばめられているからだ。自分は「ボガート」になりたいが(変身願望)、彼のように生きることは決してできない、という諦念が、「パロディ」への原動力となっている。パロディと、諦念、羞恥心といった感情は、密接に関係している。
 パロディをパロディたらしめるのは、カタルシスを回避するようなストーリー展開である。『ボギー!』では、「世界で一番美しいこと」と表現されるリンダとアランの不倫が、一瞬にして終わってしまう部分がそれに該当する。ここにカタルシス的要素を付け加えるとしたら、「駆け落ち」ということになるが、それだと『卒業』になってしまう。パロディ、ひいてはアレンの作品において重要なのは、目的が「成就しない」ということであり、それは彼のペシミスティックな性格に由来しているのだろう。パロディやユーモアの名手に、悲観的な性格の人間が多いということはよく言われていて、例えば夏目漱石やマーク=トウェインがそうだ。彼らは病的なほど、外部の刺激に対して反応してしまう。そして、それを隠すために、ユーモアを用いる。「僕をメンバーにするようなクラブには入りたくない」というジョークも、そうした過敏さから生まれたものだ。だからこそ、「鈍感さ」を持った人間に、アレンは反発もし、憧れもする。

 

3 マゾヒズム

 

 変身願望とセットになるのは「マゾヒズム」である。実は、この二つ、切っても切れない関係性にある。変身願望とは、何かに「変身」することができない人間が抱く欲望だが、そうした願望を抱く人間の多くが、「自分は決して何物にもなれない」ということ意識している。それでも、変身願望を捨てることはできない。彼らは常に、英雄的な人物に憧れ、打ちのめされ続けるだけだ。
 ここで言う「マゾヒズム」とは、マゾッホ谷崎潤一郎村上龍が描くものとは異なっている。彼らのマゾヒズムはもっと即物的で、肉体的だ。だが、変身願望と対になるマゾヒズムは、非常に抽象的で、彼らが傷をつけるのは身体ではなく心である(最も、それが実際の病と結びつき、自傷行動に走ることもあるだろうが)。
 精神的マゾヒズムは、状況によって様々な出現の仕方があるが、一つには「期待を裏切る」というのがある。例えば、相手から高い期待をかけられた時、それをぶち壊すような行動を起こし、「私はあなたが思っているほどの人間ではありません」ということを示す。精神的マゾヒストは、自己評価がかなり低いので、相手が自分のことを評価してくれることが、ストレスになるのだ。
 一九八一年に発表された自伝的な戯曲『漂う電球』では、そうした精神的マゾヒズムが大いに発揮されている。ちなみに、ケラリーノ・サンドロヴィッチは、二〇〇六年にこの戯曲を演出した際、「アレン版ガラスの動物園」と評した*5。『漂う電球』と『ガラスの動物園』の共通性は、「内気な主人公が家族の期待に応えられない」というところにある。簡単に『漂う電球』の内容を確認しよう。
『漂う電球』の主人公ポールは十六歳ぐらいで、「痛々しいほど内気で、常にうちむき加減で、常にどもり、常に自分の部屋にとじこもってマジックの練習をして」いる*6。『ボギー!』のアランと非常に似通った設定だ。さらにもう一つ、『ボギー!』との共通点をあげれば、それは「女」から抑圧されているということだ。『ボギー!』では元妻のナンシーがそれにあたり、『漂う電球』ではポールの母親イーニッドである(『ガラスの動物園』も、母親が子供を抑圧しているという設定だった)。
 ポールの家庭は非常に貧しく、両親は喧嘩ばかりしている。父親のマックスは仕事にあまり打ち込まず、ナンバー賭博にのめり込み、おまけに愛人まで作っている。そのため、イーニッドはかつてIQテストで好結果を残したポールに大きな期待をかけている。そして、ポールの手品の腕を活かすべく、彼女は芸能マネージャーのジェリーを家に招き、テストをしてもらおうとする。実は、イーニッド自身も元々芸能人志望だったのだが、それを諦めた過去を持っている。つまり、自分の叶わなかった夢を、息子に投影しているというわけだ。「自分の理想を押し付ける母親」といのも、『漂う電球』と『ガラス動物園』の共通点である。しかし、ポールはジェリーに会う前から完全に怯えてしまう。そんなポールを見て、イーニッドは叱りつける。

 

イーニッド いい、ポール、あなたが一番得意のマジックを四つか五つ選んで、名前は「グレート・ポール・ポーラック」にすれば、もうそれが演し物ってわけよ。
ポール いや、だ、駄目だ……で、できないよ。
イーニッド できないって、どういうこと?
ポール ぼ、ぼ、ぼ、僕は準備ができて……
イーニッド 準備は、ばっちりできてるわ。
ポール いや。
イーニッド できる。もう、いつも言いわけばかりでうんざりだわ。チャンスが巡ってきて、それを断るほどの理由なんて、うちにはないのよ。
(中略)
イーニッド マジシャンになるって話はいったい、何だったのよ?
ポール 先の話だ! いつか! じゅ、準備ができたらだ!

 

 母と息子の会話はどこまでいってもかみ合わない。イーニッドはポールを置き去りにしてどこまでも突っ走り、ポールはポールで煮え切らない。『ボギー!』では、ボガートのアドバイスがある程度アランに成功をもたらしたが、ここではそういうことは一切起こらない。ジェニーがポーラック家を訪れた日、ポールは彼の前で手品を披露しようとするが、極度の緊張のため普段のように上手くいかない。そして、結局は大失敗する。自棄になったポールは母親の静止を振り切り、「ぼ、僕をほっといて! じ、地獄に落ちろ!」という激しい捨て台詞を吐いて、自室に閉じこもってしまう。この失敗を描くために、アレンはこの戯曲を書いたような感じすら受ける。そして、その裏には母親に対する恨みが垣間見える。「あんたの言う通りやったけれど、やっぱり失敗したじゃないか」という態度だ。
 戯曲の鍵となる部分を「変身願望」と「マゾヒズム」理論で一度整理しよう。さて、ポールはマジシャンに「変身」したい欲望を持っている。しかし、彼の低すぎる自己評価はそれを許さない。一方、母親であるイーニッドは彼を既に(デビュー前の)マジシャンという風に捉えている。ポールからすればそれは許しがたい思い込みだ。だから、彼は「失敗」することで母親に対抗する。目の前で母親が恥をかく姿を見て、内心嬉しく思う。アレンは、「マゾヒスト」の攻撃性について、ここで描いているのだ。ただ、この戯曲が自伝的な要素を含んでいることから鑑みると、いくぶん露悪的ではあるが。ファローはアレンについて、「ウディの心の奥深くには、人生におけるよいもの、明るいものすべてを破壊しようとする何か」

 

4 アレンとユダヤ

 

『漂う電球』が自伝的といわれるのは、家庭環境がアレンのそれと似通っているからだ。アレンは子供時代をブルックリンの貧しい地域で過ごしたが、戯曲もまたブルックリンの貧困地帯を舞台に設定している。アレンの父親も、『漂う電球』のマックスと同じように、定職につけず苦労した経験を持っている。イーニッドの性格は、アレンの母ネッティを誇張したような感じ。そして、ポールが手品にのめり込んでいるというのも、アレン本人のエピソードとぴったり重なっている。ポールの性格も、当然アレンのそれを、反映させたものだ。
 また、ポーラックという苗字はポーランドユダヤ人の子孫であることを想起させるが、アレンの祖父らも、東欧やロシアからの移民で、迫害から逃れてきた人々だ。ちなみに、東欧から移民してきたユダヤ人たちが主に使用していた言語は、イディッシュ語ヘブライ語にドイツ語、フランス語などを取り入れてできた言語)で、いわゆるユダヤジョーク的なものはこの言語に多くを負っているが、アレンもまた創作にその要素を活用している。
 自伝的ということに話を戻すと、『漂う電球』で問題となるのは両親の扱い方だろう。とりわけ、母親に対しては手厳しい。実際、アレンと母親の間には確執があったと言われている。アレンの音楽活動に焦点をあてたドキュメンタリー映画『ワイルドマン・ブルース』で、彼は両親と不仲であったことを隠そうとせず、それどころか、彼らを非難さえしている。長年のパートナーであったミア・ファローも、「ウディの自分の両親にたいする態度は信じられないほどひどいものだった」と自伝の中で証言している*7。アレン本人は、「子供の頃、毎日おふくろに殴られたんだ」と言う。ファローの自伝の中で、アレンの母は次のように述べている。

 

あの子はきかん坊だったのよ。そこらじゅうを駆けまわって、いつも服をどこかに脱いできてしまう。じっとしてたことなんか一秒もなかったわ。どうやって扱ったらいいのか見当もつかなかった。あんまりワンパクなんだもの、きちんとしつけなきゃと思ったの。でもあんなに厳しくしていなかったら、今頃もう少し違った人間になっていたかもしれない。もっと優しくて温かい人間に*8

 

 こうした二人の関係は『漂う電球』だけでなく、三話構成のオムニバス映画『ニューヨーク・ストーリーズ』の中の一編、「オイディプス・レックス」においても表現されている。主人公は中年の弁護士だが(映画ではアレン本人が演じている)、今でも抑圧的な母親に苦しめられている。そして、ある手品師のショーに母親が参加したところ、彼女は行方不明になる。母親を探す主人公だが、彼女が消えたことで楽になっている自分に気付く。しかし、消えたはずの母親が、突然空に現れ、再び彼を苦しめ始める。タイトルからも示唆されている通り、これは極めてフロイト的な話だ。「精神分析」はアレンの作品の主要なモチーフであり、『アニー・ホール』や『私の中のもうひとりの私』にも使われている。
 口うるさく、抑圧的なユダヤ人の母親、というのは、「ジューイッシュ・マザー」と呼ばれるぐらい、ステレオタイプなイメージである。一九六九年に発表されたフィリップ・ロスのベストセラー小説『ポートノイの不満』(以下『ポートノイ』)は、このイメージを使って創作されている。『ポートノイ』は次のような出だしで始まる。

 

母という女性は、ぼくの意識の中にとても深く根をおろしていた。それで学校へあがった最初の一年間というもの、学校の先生はどの先生も、ぼくの母が変装しているのだと思いこんでしまったらしい*9

 

 この小説の主人公ポートノイも、母親という存在に苦悩し、彼女の呪縛から逃れられず、延々と悩み続ける。彼は精神科医に向かって、「両親健在のユダヤ人の男は、半分は何もできない赤ン坊なんです。ぼくを助けてください──いますぐに!」と訴えるが、どうにもならない。彼は「ユダヤ性」から逃走しようと、非ユダヤ教徒の女と付き合ってみるが上手くいかず、最後には救いを求めるかのようにイスラエルへと旅立つが、発狂してしまう。彼の行動は全て裏目に出るが、これはいわば、精神的な自傷だ。「ユダヤ性」からの逃走は、「変身願望」を意味し、「発狂」は「マゾヒズム」の最終形態である。そのため、小説は、犠牲者による告発の書、というイメージを帯びてくる。ちなみに、アレンは「ボヴァリー夫人の恋人」(『ぼくの副作用』所収)という、『ポートノイ』をパロディにした短編小説を書いたことがある。アレンもロスもユダヤ系移民三世で、「アメリカ人」にも「ユダヤ人」にもなれない自分を描いているという点で一致している。
 ディアスポラによりイスラエル建設以前には祖国を持つことができなかったユダヤ人たちは、異国の地で生き延びるために「郷に入っては郷に従え」式の生活を営んできた。彼らにとって、「耐え忍ぶ」ということは美徳であり、ある種の強迫観念ともなった。一九六〇年に公開された映画『栄光への脱出』は、そうした「耐え忍ぶ」型のユダヤ人像を破壊し、ユダヤ人を英雄として描いたことから、話題になった。原作者のレオン・ユリスは、ロスのことを仄めかすような形で批判したことがあり、ロスもそれに対し「ユダヤ人の新しいステレオタイプ」(『素晴らしいアメリカ作家』に所収)というエッセイで反論している。
 アレンの創作に出てくるユダヤ人に英雄は一人もいない。ある環境に対し、不適合を示すような人間ばかりである。彼らは、社会に馴染もうと努力するのだが、その試みはいつも破綻する。一九八三年に公開された映画『カメレオンマン』で、アレンはモキュメンタリーという形式を使い、「何にでもなれるが、何者でもない」という男を描いた。主人公のゼリグは、傍に黒人がいれば黒人、白人がいれば白人に、東洋人がいれば東洋人に変身する。こうしたユダヤ人と変身というテーマは、それなりに伝統がある。例えば、小説ではカフカの『変身』があり、映画ではトーキーの先駆けとなった『ジャズ・シンガー』がある。『ジャズ・シンガー』ではユダヤ系の青年が、黒人に扮装して歌うのだが、このような「民族的アイデンティティのかく乱」は、ユダヤ系アーティストがよく扱うジャンルとなった。ルー・リードが一九七八年に発表したアルバム『ストリート・ハッスル』には、「アイ・ワナ・ビー・ブラック」(黒人になりたい)という曲が収録されている。黒人とユダヤ人は、アメリカにおいて共にマイノリティであり、特に音楽業界において、彼らの文化は融合・発展している。ただ、アレンの作品には、ブラック・カルチャーの影響はほとんど見られない。

 

5 ウディ・アレンという男

 

 映画や戯曲に出てくるアレンの分身は、果たしてアレンそのものなのだろうか? アレンの作品は自伝的と指摘されることがあるものの、どこか防衛的なところがある。恐らく、随所に差し込まれるユーモアや、露悪的な台詞などが、そうした感想を抱かせるのだろう。アレンの作品は全てが数珠つなぎになっており、それだけを鑑賞していては内部に入り込むことができない。現在に至るまで、ウディ・アレンウディ・アレンを演じ続けている。最後に、ミア・ファローが、俳優としてのウディ・アレンと、現実のウディ・アレンについて述べた部分を並べてみよう。

 

俳優としてウディが、映画の中の自分のキャラクターを創りあげたのはかなり早い時期からだったらしい。偉大な哲学的命題から倫理的諸問題など、ああだこうだと案じながら、絶え間なくぶつくさこぼしている中年男。ときには知ったかぶりをしながらも、口を開けばキルケゴールだのカントだのの引用がポンポン出てくる。情にもろい正直者で、なんとも憎めない意気地なし。洞察力は鋭いけれど、相手を怖じ気づかせるようなところはまったくない、愛すべきインテリ*10

 

精神分析心理療法は、ウディ・アレンの生活において、むしろ他の人々から彼を心理的に隔離し、いわば異なる現実、彼だけの現実に置いてしまったように思える。それは、ウディ自身が生身の人間として見聞きし感じる現実ではなく、セラピストに意見を求め、太鼓判を押されてはじめて存在しうる現実なのだ。ウディは、彼自身が創生主であり支配者である世界に浮遊して暮らしていた。セラピストという存在は、社会的文脈からまったく隔離された彼だけのその世界の正当性を保証する手段だった。他の人々は彼にとって、彼の世界の周辺を彩る添えものにすぎない。他人の価値は、彼らがウディにとってどれだけ役に立つかでのみ決まる。ゆえに彼は、他人の身になって感じることも出来ないし、誰にたいしても何にたいしても道徳的責任を感じることもない*11

 

 我々はウディ・アレンの作品から何を読み取るべきなのか。ファローの文章はヒントを与えてくれている。アレンの映画や戯曲について、見直すべき時が来ているはずだ。

 

ウディ・アレン映画の中の人生

ウディ・アレン映画の中の人生

 

  

ボギー!俺も男だ

ボギー!俺も男だ

 

  

ウディ・アレンの漂う電球

ウディ・アレンの漂う電球

 

  

ミア・ファロー自伝―去りゆくものたち

ミア・ファロー自伝―去りゆくものたち

 

 

*1:小谷野敦久米正雄伝』一六二頁(中央公論新社 二〇一一)

*2:リチャード・シッケル(都築はじめ訳)『ウディ・アレン 映画の中の人生』一九六頁(原書二〇〇四 エスクァイア マガジン ジャパン 二〇〇七)

*3:同上、一一二頁

*4:文中の引用は、ウディ・アレン(岸田理生訳)『ボギー! 俺も男だ』(新書館 一九八二)より

*5:引用はe+ Theatrix!のホームページ(http://etheatrix01.eplus2.jp/article/42561896.html)より

*6:文中の引用は、ウディ・アレン(鈴木小百合訳)『ウディ・アレンの漂う電球』(白水社 二〇〇六)より

*7:ミア・ファロー(渡辺葉訳)『ミア・ファロー自伝 去りゆくものたち』二五三頁(集英社 一九九八)

*8:同上、二七〇頁

*9:フィリップ・ロス(宮本陽吉訳)『ポートノイの不満』七頁(集英社文庫 一九七八年)

*10:(7)二四九頁

*11:(7)三一九頁

ブルース・ポリング 『だからスキャンダルは面白い』

 タイトルを見て気になり、図書館になかったのでAmazonで買ったのだが、正直、期待外れの一冊だった。

 文庫本で460ページほどの厚い本で、目次を見ると、「バイロン卿の危険な情事」、「H・G・ウェルズの悪い癖」、「グレアム・グリーンの筆禍騒ぎ」など、魅力的な項目がずらずらと並んでいるのだが、肝心の中身が薄い。基本的に1ページ程度で事件の概要を説明し、次に事件に関わる文章を原典から引用するという形になっているのだが、それがウィキペディア・レベルの情報密度なのだ。「こういう事件があったのか」というカタログ程度には使えるだろうが、詳しい事を知りたい場合にはあまり使えないだろう。あと、西洋の政治家や皇族のスキャンダルが多く、そういった方面にはあまり興味がないので、評価を下げた。

 

だからスキャンダルは面白い (文春文庫)

だからスキャンダルは面白い (文春文庫)