ソール・ベロー 『ラヴェルスタイン』

 ソール・ベローの小説は大学時代に『その日をつかめ』を読んで感動し、以来翻訳されたものは全て読んだが、『その日をつかめ』以外はどれも面白いとは思えなかった。ベローの小説のおおまかな特徴として、衒学的な比喩を駆使した文体、形而上学的考察、知的な会話などが挙げられるのだが、それらが全て俺には全然合わないのだ。『その日をつかめ』は短いから、物語がはっきりしているが、その他の長編小説は、印象的なシーンはあっても、冗長なところが多く、記憶に残りにくい。

 ベローには詩人のデルモア・シュワルツをモデルにした『フンボルトの贈り物』や、自伝的小説『ハーツォグ』などがあるのだが、自伝・モデル小説に特有の「俗っぽさ」が欠けていて、高尚的すぎるきらいがある。極論を言うと、これはベローが「モテ男」であることと関係がある気がする。ベローという人は、俗っぽい事柄を扱っても、最終的には抽象的な議論と絡めずにはいられないというか、格好悪いことを格好悪く書くことができないのだ。その点、知的な登場人物を無様に描くマラマッドとは対照的だ。

 今回、久しぶりにベローの小説を読んだが、『ラヴェルスタイン』もまた、上に挙げた特徴を満たす、俺には合わない小説だった。「ラヴェルスタイン」とは、登場人物の名前で、モデルはベローの友人だった、アラン・ブルームだ。ブルームはシカゴ大学に勤める政治哲学の研究者で、プラトンやルソーの英訳をした人だが、同僚だったベローに勧められ、1987年に『アメリカン・マインドの終焉』という、大学教育に相対主義が蔓延したことを批判する大著を書いたところ、『ニューヨーク・タイムズ』でクリストファー・リーマン=ハウプトが褒めたことで、一躍ベストセラーとなり、古典派の評論家としても知られるようになった(日本でもみすず書房から翻訳が出ていて、2年ぐらい前に新装版が出たようだが、あまり注目はされていないようだ)。ベローはその本のまえがきを書いている。

アメリカン・マインドの終焉』は、反動的な書物として受け止められ、保守派からは歓迎されたが、左翼サイドからは──まえがきを書いたベローも共に──激しい攻撃にさらされた。ブルームの友人であるベローは、若い頃マルクス主義にはまり、ニューヨークの左翼系知識人によって運営されていた雑誌『パーティザン・レヴュー』にも参加していたのだが(ただし、本人はニューヨーク知識人たちに対し、疎外感を持っていたと『ハーツォグ』で書いている)、堀邦雄『ニューヨーク知識人』によれば、1970年に発表した『サムラー氏の惑星』で、「60年代後半のアメリカ都市における人心の退廃を描き、新しい文化状況に対して厳しい批判の目を向けた」ことで、「保守的な作家」と見なされるようになったのだという。

『パーティザン・レヴュー』は、30年代にモダニズムを擁護する姿勢を見せた雑誌だったが、50年代以降、ビート・ジェネレーションからカウンター・カルチャーの時代に突入してからは、保守的な態度を見せるようになったと言われている(『ニューヨーク知識人』)。ニューヨーク知識人の一人、ライオネル・トリリングの妻、ダイアナ・トリリングの自伝『旅のはじめに』には、印象的なエピソードが書いてあって、それは1968年の大学紛争の直後、「コロンビア大学の若い英文科講師」が、「彼の学生たちは1900年以前に書かれたものは、もうなにも読もうとは」せず、唯一の例外がウィリアム・ブレイクだということを、その講師が得意げに語った、というものだ。ダイアナはその講師を批判し、モダニズムというのは、過去と現在の断裂を意味するものではなかったというようなことを書いている。ベローやブルームも、大学の講師・教育者として、ダイアナが経験したような状況に直接身を晒していたわけで、そのことが『アメリカン・マインドの終焉』へと繋がっていったのだろう。しかし、二人とも、ただの「保守」として見做されることに対しては反発を覚えていた。

 説明が長くなったが、『ラヴェルスタイン』という小説は、そういったアメリカの文化状況について読者が十分把握している前提で書かれているので、『アメリカン・マインドの終焉』とその周辺について知らないと、かなり理解しにくいだろう。しかし、理解していても、面白いかといえば正直微妙で、「ラヴェルスタインのような人物を、そうやすやすと死に渡してたまるか!」というラストの文章が示しているように、この小説は、「保守主義者」のレッテルを貼られたブルームの名誉回復を狙って書かれたものだから、モデル小説でありながら、ゴシップ的な要素は少なく、プラトンソクラテスの言動を書き残したように、ラヴェルスタインから直々に自分の伝記を書くよう依頼されたチック(ベローがモデル)が、彼の日常生活から、その発言と性格、また教育者としての功績を伝えることに多くが割かれている。アメリカ文学つながりで言えば、『グレート・ギャツビー』の構造に近いが、ストーリーの流れが『ラヴェルスタイン』の方はすっきりしていない。サブ・プロットとして、チックの離婚と再婚が挿入されているが、それも上手くいっているようには思えない。前の方でも書いたが、結局のところ、ベローのいつもの知的エリート小説のようになっている。

 ベローの小説には否定的な俺だが、アメリカ文壇のドン・ファンとして名をはせた彼の人生についてはかなり興味があるので、今度はジェイムズ・アトラスによる伝記が翻訳されることを望む。

 

ラヴェルスタイン

ラヴェルスタイン

 

  

  

ニューヨーク知識人―ユダヤ的知性とアメリカ文化

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旅のはじめに―ニューヨーク知識人の肖像 (叢書・ウニベルシタス)

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彷徨える魂たちの行方: ソール・ベロー後期作品論集

彷徨える魂たちの行方: ソール・ベロー後期作品論集

 

 

Bellow: A Biography (Modern Library Paperbacks)

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ペアーズで最も女性人気のある作家は誰だ!

 先日、あまりにもモテないのでとうとうペアーズに登録してみた。実際に使うのはもう少し先にしようと思っているが(プロフィール使える他撮りと金がない……)、無料会員でもコミュニティは覗けるので、偵察がてら色々見てみた。ちなみに、ペアーズをやっていない人のために言うと、ペアーズで出てくるのは「異性」のアカウントだけで、同性については調べることができない。

 社会的なステータスでは、他の社会人に完敗しているので、ここは俺の得意な文学で勝負するしかないと、悲愴な覚悟で文学関係のコミュニティを巡り歩く。そうしているうちに、俺はあることに気付いた。女の割合が多いコミュニティに入れば、効率よく出会えるのではないかと。ということで、主な日本文学系コミュニティについて調べてみると、次のような表ができた。取り上げているのは全体数が50人以上のコミュニティで、複数コミュニティがある作家は最も人数の多いものだけを選んだ。全44人の作家の中で、ペアーズ女子に最も支持されているのはこいつだ!

 

  夏目漱石 南方熊楠 泉鏡花 志賀直哉 
女性 130 18 16 3
全体 1119 83 112 53
女性率 12% 22% 14% 6%

 

谷崎潤一郎 川端康成  芥川龍之介  江戸川乱歩 宮沢賢治
125 34 51 179 134
875 215 496 1023 923
14% 16% 10% 17% 15%

 

梶井基次郎 小林秀雄 山本周五郎 坂口安吾 太宰治
18 21 12 45 206
172 238 73 526 1414
10% 9% 16% 9% 15%

 

中島敦 松本清張 遠藤周作 司馬遼太郎 安部公房
8 28 69 194 64
80 179 524 2470 756
10% 16% 13% 8% 8%

 

三島由紀夫 星新一 開高健 筒井康隆 大江健三郎
165 323 7 49 5
1397 2226 82 562 115
12% 15% 9% 9% 4%

 

池澤夏樹 中上健次 宮本輝 赤川次郎 村上春樹
8 7 27 37 1061
69 95 284 160 9203
12% 7% 10% 23% 12%

 

村上龍 森博嗣 東野圭吾 山田詠美 小川洋子
70 358 2016 91 115
970 2801 11630 404 499
7% 13% 17% 23% 23%

 

町田康 重松清 よしもとばなな 江國香織 西村賢太
90 175 130 300 4
869 1338 702 1506 64
10% 13% 19% 20% 6%

 

阿部和重 伊坂幸太郎 川上未映子
4 2512 64
67 16817 439
6% 15% 15%

 

追加

萩原朔太郎 中原中也 谷川俊太郎 穂村弘 寺山修司
15 35 153 112 117
118 294 858 598 863
13% 12% 18% 19% 14%

 

 

女性率ベスト5    女性率ワースト5

赤川次郎      ①大江健三郎

小川洋子      ②志賀直哉

山田詠美      ③阿部和重

南方熊楠      ④西村賢太

江國香織      ⑤村上龍

 

 現代女性作家が、ペアーズ女子に人気があるのは納得だが、赤川次郎南方熊楠が、登録人数こそ少ないが、女性率の高いのには驚いた。男性文学者だと、江戸川乱歩谷川俊太郎穂村弘が結構健闘している。意外と高くないのが村上春樹で、遠藤周作にも負けている。

 それより問題なのは、俺が日本の作家で最も好きな大江健三郎がワースト1位になってしまったことだ。それ以外にも、阿部、西村、村上龍と、そこそこ読んでいる作家が軒並みワーストに沈んだ。自分がモテないのも当たり前かもしれない……。

 ということで、これからは赤川次郎小川洋子とかを読んでいきます。というか、男で江國香織とか山田詠美のコミュニティに入っている奴は、マジで女と話合わせるためにやってるんじゃないか?

 ちなみに、コミュニティすらない有名作家も多く、森鷗外なんか教科書に載っているのに、誰もコミュニティを作っていなかった。南方熊楠の女子人気とは対照的に、柳田国男もコミュニティがない。登録数が50人以下の有名作家は、永井荷風(39人)、樋口一葉(2人)、田山花袋(7人)、菊池寛(4人)、井伏鱒二(28人)とか、まあここらへんはキリがない。

 そのうち海外編も作るかも。

 

ヴァージン・ロード〈上〉 (角川文庫)
 

  

ヴァージン・ロード〈下〉 (角川文庫)
 

 

Amazonに登録されていない角川文庫の海外文学

 角川文庫のイメージと言えば、やはり「読んでから見るか 見てから読むか」というキャッチコピーに代表されるように、『人間の証明』、『戦国自衛隊』などの、映画と連動した作品が最初に思い浮かぶ。今でもこの路線は続いていて、東野圭吾とかが森村誠一的な役割を果たしているようだ。

 俺は80年代以前の文学を読むことが多いから、古典の少ない角川文庫を手に取ることはほぼなかったのだが、何年か前にたまたま古い角川文庫の海外小説を借りた時、巻末に掲載されている「文庫目録」を見て、「角川文庫も昔は古典的な作品やややマイナーな海外文学を出版していたんだな」ということに今更気付いたのだった。

 角川文庫の第一回配本はドストエフスキーの『罪と罰』なのだし、そもそも歴史のある出版社なのだから、よくよく考えれば、古典や海外文学に力を入れていた時代があったとしても不思議ではないのだが、メディアミックス商法以降のエンタメや現代ミステリー重視の方向性が、俺の中における角川の全てで、古典と角川を結び付ける回路が一切なかったことから、前述したような思い込みが生じたのだった。

 今、手元にあるゴーリキイ『どん底』に付いている「角川文庫目録 海外文学(赤帯)1976年10月」を見ると、ドストエフスキーシェイクスピア、ジッド、ヘッセ、カフカ、サドといった古典がラインナップに入っていて、シェイクスピア河合祥一郎の新訳で今でも刊行されているが、ジッドとかヘッセ、ドストエフスキー新潮文庫が独占しているような状態である。

 目録をさらに見ていくと、モラヴィア、ハインリヒ・ベル、マラマッドといった、戦後の海外純文学も結構出ている。また、坪内祐三の『雑読系』によれば、「一九七〇年代前半の角川文庫のアメリカ文学のラインナップは凄かった」という(常盤新平がブレーンだったようだ)。しかし、これらの作品をAmazonで検索すると出てこないことが多い。無論、それは情報が登録されていないからで、登録されていないということは販売されたこともないのだろう(削除は考えにくい)。マーケットプレイスを利用する古書店はたくさんあるのに、なぜか一昔前の角川文庫の海外文学は、他のメジャーな文庫のそれに比べて、登録・販売されていないことが多い気がする(古書がほとんど残っていないのだろうか?)。

 Amazonというのは、今ではデータベース的に使われているところもあるので、「検索に出てこない」=「存在しない」という風になってしまうという危惧がある。取り敢えず、俺が気になったもので、登録されていない作品を挙げていこう。

 

ジョン・アップダイク 『同じ一つのドア』

ウラジーミル・アルセーニエフ 『デルス・ウザーラ

ナサニエル・ウェスト 『クール・ミリオン』

レオナード・ガードナー 『ふとった町』

サム・グリンリー 『反逆のブルース』

J・D・サリンジャー 『若者たち』『大工らよ、屋根の梁を高く上げよ』

ジョーン・ディディオン 『マライア』

レスリー・トーマス 『童貞部隊』

ロバート・ヘメンウェイ 『ビートルズと歌った女』

ラリイ・ウォイウッディ 『愛の化石』

ダン・ウェイクフィールド 『夏の夜明けを抱け』

ポール・ニザン 『陰謀』

ジュリアス・ファースト 『ビートルズ

ハインリヒ・ベル 『保護者なき家』

ソール・ベロー 『この日をつかめ』『宙ぶらりんの男』

メアリー・マッカーシー 『漂泊の魂』

バーナード・マラマッド 『魔法のたる』『アシスタント』

ヘンリー・ミラー 『完訳 南回帰線』

アルベルト・モラヴィア 『孤独な青年』『軽蔑』など

D・H・ロレンス 『恋愛について』

 

 

 他にも一杯あるんだろうけど、気が付いたのはこれだけ。余談だが、角川がモラヴィアを出さなくなったのは、共産党嫌いの角川春樹の意向らしい(大久保昭男 『故郷の空 イタリアの風』)。 

 

 

雑読系

雑読系

 

 

故郷の空 イタリアの風

故郷の空 イタリアの風

 

 

高崎俊夫 『祝祭の日々』

 インターネットで蓮實重彦とかやや古めの映画・小説について調べている時に、よく出てくるページがあって、それが高崎俊夫「映画アットランダム」だった。多分、最初に目にしたのは、「スーザン・ソンタグ蓮實重彦の微妙な対話」で、恐らく「映画アットランダム」に掲載された文章の中でも、最も読まれた物の一つではないか。ここでは、文芸誌『海』上で行われた、ソンタグと蓮實の緊張感に溢れた対談について語られており、もし高崎が取り上げていなかったら、この単行本未収録の対談を俺が知ることはなかっただろう(金井美恵子の『小春日和』が映像化されているのを知ったのも、「映画アットランダム」においてだった)。

 それから、サイトに載っている他の文章をいくつか読んだが、その博覧強記ぶりには舌を巻いた。連載自体は、2014年に終わっていて、パソコン上で文字を読むのが苦手な俺は、本にならないかなと思っていたのだが、連載終了から4年経った2018年、遂に国書刊行会から連載の大部分をまとめたものが、『祝祭の日々』というタイトルで出版された。「スーザン・ソンタグ」もきちんと収録されていた。

 今回、まとめて高崎の文章を読んだわけだが、圧倒的な知識量から広がっていく連想や、下手すれば感傷的になりがちな個人的な思い出が、禁欲的な文体によって、上手く統合されており、「知る」ことの快感というものを存分に味わわせられた。

 B級映画や探偵小説というサブカルチャーよりの分野にはマニアックな人間が多いのだが、純文学と映画を自由に横断できる人間というのは意外に少なくて、高崎はそれができる貴重な人材だと思う。例えば、「ルー・リードの師デルモア・シュワルツをめぐる断章」では、映画『イントゥ・ザ・ワイルド』にシュワルツの「夢の中で責任が始まる」が引用されていることを指摘していたり、パヴェーゼエリア・カザンに共通の愛人がいたことを紹介したりするなど、一つの話題から別の分野に無理なく飛んでいく手つきが非常に鮮やかだ。

 俺は一気に読んでしまったが、この中で紹介されている映画や本が気になって、読み終わるのがもったいなく感じた。いつでもメモできる環境下で読むことを勧める。

 

祝祭の日々: 私の映画アトランダム

祝祭の日々: 私の映画アトランダム

 

 

作家の写真を読む

 俺はミーハーな文学好きなので、小説だけでなく、それを書いた作家の風貌にも興味がある。しかし、出回っている写真の多くは、晩年に撮られたものだったり、パブリック・イメージを意識したものだったりで、飽き足りないものがある。例えば、岩波書店から出ている、濱谷浩の『学芸諸家』なんかは、「上品」すぎて退屈だ。

 そこで、もっと自然体な感じのもの、もしくは出回ることの少ない若い頃の写真が載った写真集を、中の写真を引用しながら、ここで紹介してみようと思う。

 

樋口進『輝ける文士たち』

 

 樋口は1953年に文芸春秋新社に入社、写真部を設立しすると、1982年に退社するまで、会社員の立場で作家たちを撮り続けてきた。また、裏方として、文士劇や出版会のパーティ、冠婚葬祭を手伝ったりもしている、縁の下の力持ち的存在でもあった。

 掲載されている写真は、雑誌の企画や、忘年会、講演旅行、取材、草野球、将棋大会と、様々なシチュエーションのものが集まっており、バラエティーに富んでいる。気取っていない、オフの表情が見られるのが魅力的。

 

安部公房伊藤整(『文学界』の企画にて)

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今東光瀬戸内晴美

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獅子文六

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三島由紀夫

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三島由紀夫と猫

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毎日新聞社編『別冊一億人の昭和史 昭和文学作家史』

 

「別冊一億人の昭和史」というシリーズの一つで、「二葉亭四迷から五木寛之まで」というサブタイトルがついている。資料としてかなり充実しており、写真につけられたキャプションも優れている。作家の若い頃の写真も豊富に掲載されており、どんな風に成長していったのか確認できるのは嬉しい。巻頭には、川端康成の小説の全表紙、巻末には「芥川賞直木賞 受賞作家全名鑑」が載っている。

 

森鴎外(留学生として渡欧した頃・右端)

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谷崎潤一郎(昭和2年頃)

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芥川龍之介(府立第3中学校在籍時)

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江戸川乱歩(明治45年)

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金井美恵子

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林芙美子宇野千代吉屋信子佐多稲子

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深沢七郎フランス座のストリッパー

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石原慎太郎

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野坂昭如新潟高校入学時)

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野坂昭如

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林忠彦『文士の時代』

 

「作家と写真」と言えば、まずこの人だろう。ゴミに囲まれながら執筆する坂口安吾、バー・ルパンの椅子でポーズをとる太宰治ロダンの作品を見つめる川端康成といった、作家のイメージを決定づけるような、印象的な写真を数々撮影してきた。まさに、文学史を写真で表現したと言える。古典として読むべき一冊。

 

大江健三郎

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内田百閒(名誉駅長を務めた時)

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東販「新刊ニュース」編『写真集 作家の肖像』

 東販が発行している月刊誌「新刊ニュース」に登場した作家92人とその自筆原稿を写した写真集(撮影は佐川二亮)。上で紹介した物に比べると幾分落ちるが、大江健三郎以降に現れた作家たちの、82年~87年頃の姿を見られるのは貴重か。

 

古井由吉

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島田雅彦

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北方謙三

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佐伯剛正『1972年 作家の肖像』

 

 日本において詩人というのは、谷川俊太郎を除きほとんどがマイナーな存在のため、ネットでも写真があまり出回らない。特に昔の物は。

『日本で最も美しい村』などの著作で知られる佐伯剛正のこの写真集は、72年に焦点を絞り、当時の様々な作家・評論家・詩人の写真が載っていて、特に「作家」を中心とした写真集ではこぼれがちな、評論家や詩人にページを割いているのが特筆すべき点か。例えば、秋山駿、磯田光一、岡庭昇、天沢退二郎吉増剛造といったあたりが掲載されている。

 

天沢退二郎

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チュリ・クプフェルバーグ シルビア・トップ『小さな巨人の肖像』

 

 なぜか本には著者の情報が載っていないのだが、チュリ・クプフェルバーグというのは、詩人でファッグスのメンバーだったトゥリ・カッファーバーグで、シルビア・トップはその妻。

 この本は、作家だけではなく、あらゆる分野の偉人・有名人の幼少期の写真を集めたもので、「これが後にああなるのか」と考えながら読むと面白い。続編として、『 小さな巨人の肖像 続』も出版されている。

 

アントン・チェーホフ(14歳)

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T・S・エリオット(3歳)

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シグムンド・フロイト(父親と・8歳)

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アドルフ・ヒトラー

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フランツ・カフカ(5歳)

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ヘンリー・ミラー(3歳半)

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フリードリヒ・ニーチェ(16歳)

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オノ・ヨーコ

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マルセル・プルースト(12歳)

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マーク=トウェイン(15歳)

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オスカー・ワイルド

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 写真集以外で、作家のレアな写真が見たければ、伝記やノンフィクションから探すのが一番手っ取り早い。例えば、八橋一郎の『評伝 筒井康隆』には筒井家がテレビに出演した時や結婚式の時の写真が載っている。水声社から出ているトロワイヤの手による文学者の伝記も写真が豊富。ハンフリー・カーペンターの『失われた世代、パリの日々』は、ヘミングウェイエズラ・パウンドなどの、当時の写真が色々掲載されていて、雰囲気がこちらに伝わってくる出来となっていた。

 

輝ける文士たち―文藝春秋写真館

輝ける文士たち―文藝春秋写真館

 

  

  

文士の時代 (中公文庫)

文士の時代 (中公文庫)

 

  

作家の肖像―写真集

作家の肖像―写真集

 

  

一九七二年 作家の肖像

一九七二年 作家の肖像

 

 

小さな巨人の肖像 (1978年)

小さな巨人の肖像 (1978年)

 

  

評伝 筒井康隆

評伝 筒井康隆

 

  

ボードレール伝

ボードレール伝

 

  

失われた世代、パリの日々―一九二〇年代の芸術家たち (20世紀メモリアル)

失われた世代、パリの日々―一九二〇年代の芸術家たち (20世紀メモリアル)

 

 

『直木賞のすべて』と選ぶ「文学賞受賞作あれこれ」選手権

 サイト「直木賞のすべて」や『直木賞物語』で知られるP.L.B.こと川口則弘さんが審査員を務めた、「文学賞の受賞作をレビューする」というテーマのエッセイコンテストで落選しましたが、「選外になったものの記憶に残ったもの」という欄で川口さんからコメントをもらいました。エッセイも読めます。タイトルは「文学賞とは政治である──ビョルンスチェルネ・ビョルンソンの場合──」。かつてノーベル文学賞は「愛国者」に与えられていたという話です。

 

shimirubon.jp

 

直木賞物語 (文春文庫)

直木賞物語 (文春文庫)

 

 

芥川賞物語 (文春文庫)

芥川賞物語 (文春文庫)

 

  

芸能人と文学賞 〈文豪アイドル〉芥川から〈文藝芸人〉又吉へ
 

 

 

図書館通い

 図書館をよく使う。金がないからだ。大学時代は中身を見ずに本を買うこともあったが、最近は図書館で一度借りて、内容を確認してから買うことにしている。それでも中々買えないから、多分本好きの大学生よりも、本を持っていない。余談だが、このブログは全然人がこないのだけれど、それでも俺の紹介した本(俺が所持しているとは限らない)をアフィリエイト経由で買ってくれる人がいて、それは構わないのだが(むしろ、ありがたい)、俺がいつか買おうと思っていた絶版本を買われると、Amazonの中古価格が跳ね上がってしまうということがたまにあって、紹介した俺自身が買えなくなるという現象が起き、それを回避するために知識の出し惜しみするということもあり、最近では自分が現物を確保してから紹介することもあるという……まあ、それはいいや。

 図書館のカードは合計5枚持っている。文京区、豊島区、板橋区練馬区和光市だ。俺は文学・映画・音楽関係の本しか基本借りないのだが、それを基準にして、使える図書館を並べ直すとこうなる。

 

文京区>>>>>>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>>>>>>>練馬区>>>板橋区>>>>>>>>豊島区>>>>>>>>(東京の壁)>>>>>>>>>>>>>和光市

 

 文京区が圧倒的に使える。文京区の図書館、特に小石川図書館はマイナーなCDが揃っているということで、音楽好きには有名だ。文京区の図書館さえ常時使えれば、他の図書館に行くこともないのだが、住んでいる場所的にそれができないのでもどかしい。しかも、文京区外の人間は、区内の人間に比べ、利用が大幅に制限される。特に貸し出し件数と予約件数は、区内の人間の半分ほどになってしまう。昔はそんなことなかったのだが、最近はあちこちの図書館でこのルールを導入するようになったらしく、豊島区や北区でも、区外の人間に制限を課している。練馬と板橋はない。

 文京区以外では、練馬がやや板橋より便利か。俺は両方使うことで補いあっている。豊島区は池袋という都会を有しているくせに、大したことない。和光市は論外。ただ、映画のDVDがそこそこあるので、ツタヤ代わりに使うことはある。あと、都内の図書館だと予約が一杯入っている本も、和光市だと意外に早く回ってくることも。まあ、俺は人気のある本を借りないからほとんど関係ないのだが。

 ここで単純な蔵書数を調べると、蔵書数が一番多いのは杉並区で、次に世田谷区、大田区練馬区、八王子らしい(平成29年度)。杉並に文筆家がたくさん住んでいるのもそれが理由なんだろうか。意外だったのは、文京区が板橋区よりも蔵書数が少ないこと。俺が重要だと思っている本は、文京区の方が多いのだが……。豊島区が29位なのは納得だけど、新宿区、渋谷区も低い。まあ、引っ越すとしたら、文京区か杉並区と世田谷区の間だなぁ。

 ついでに書くと、図書館の廃棄本は、たまにいいのが出てたりする。俺は『批評の解剖』やイーグルトンの著作をそこで拾った。

 

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