童貞と男の娘②

 動物園前駅から梅田駅に着くころには、ちょうどホテルのチェックインの時間が近づいていた。ホテルは阪急梅田から徒歩10分程度のビジネスホテルを予約していた。ここならエメラルドにも歩いていける。部屋は、ベッドがスペースの半分を占拠しているような狭さだったが、一泊するぶんには問題なさそうだった。俺はシャワーを浴び、汗臭くなった服を着替え、荷物はほとんど部屋に置いて、阪急三番街にある古書街に向かった。予約した八時までは、まだ一時間ほど時間があった。

 大坂に住んでいる友人は、「大阪は東京に比べると規模が小さい」と言っていて、東京のように都会が分散しておらず、栄えている場所はほとんどが梅田周辺ということらしい。本好きの立場からすると、大阪に神保町のような場所がないというのは割と驚きで、古書街と言えるのは阪急三番街にあるそれが唯一のものらしいが、実際行ってみると、全然たいしたことはなかった。

 古書街を適当にぶらついた後、地図アプリを見ながら、15分ぐらいかけて、エメラルドの前まで寄った。大きな道路に沿ってひたすら南下するだけの道のりだったが、夜の街の湿った風と光は、自我が消えゆくロウソクの炎の如くゆらめくような感覚をもたらし、心地よかった。

 アプリだと、目的地であるエメラルドに赤い印がついていて、自分のいる場所を示す青いアイコンが少しずつそこに向かって動いていく様子が、レーダー画面とそれに映るミサイルを想起させた。前日にグーグルマップでその付近の様子を調べていたから、到着しても驚きのようなものはなく、答え合わせをしているような感じになった。

 地図で見ると碁盤目状になっているこの地域は、飲み屋、風俗店、案内所、ラブホテル、駐車場などが地雷のように散らばり、猥雑とした雰囲気と油っぽい空気で満ち満ちていた。そうした小さい欲望の集合体といったところが、なんとなく池袋のロサ周辺を想起させた。しかし、金曜の夜というのに、人はまばらだった。「ただいまジョニーが見回りをしています。冗談です! こちら高橋です」というつまらない冗談が、路上に駐車してあった民間のパトロール・カーのスピーカーから流れてきて、自分はいま大阪にいるんだなぁ、と感じさせた。

 予約の時間にはまだ早すぎると思い、エメラルドの面している小汚い路地からから少し外れたところにあった寺の前で、周囲に明かりがほとんどない中、スマホをいじって時間を潰した。本当に風俗に行くのだという熱狂と背徳感、その両方の気持ちを抱きながら、Twitterのタイムラインを眺めていると、「この人たちは俺が今から風俗に行くこと知らないんだよなぁ」ということに気付いた。これまで自分は特に秘密にしておくような事柄をほとんど持っていなかったが、初めて共有をためらうような出来事が今ここで起こっていることに、変な感動を覚えた。

 8時10分前に、店の入っているビルのエレベーターに乗り、9階のボタンを押した。ビルは風俗店と案内所の間にあり、一階は激安のホテルで、全体的にみすぼらしく、大きな地震が起きれば一瞬で粉になりそうだった。エレベーターを降りると、すぐ右側に重厚な金属製のドアがあり、左側にはむき出しの非常階段があった。恐る恐るインターフォンを押すと、「いらっしゃいませ。予約しているお客さまですか?」と男の声で聞かれた。

「8時に予約した範多康成です」

 メールで予約した時に使った、親戚の苗字と川端康成の名前を組み合わせた偽名を名乗った。これなら忘れないと思ったからだ。

「少々お待ちください」

 コンクリートの古びた狭く寒々しいエレベーターホールには、洗濯物が入っていると思われる大きな青い袋が置いてあった。それから、壁には、監視カメラとセコムのステッカー。あまりの無機質さに、このドアの向こうで何人もの男たちが倒錯的なセックスをしているとは誰も想像できないだろう。

 気温と湿度が猛烈に高いせいで、立っているだけでも汗がじっとりとにじみ出た。店員は5分経っても出てくる気配がない。俺は段々、「一体どうなってるんだろう」と心配になってきた。谷崎潤一郎に「秦淮の夜」という、南京に旅行した時のことを描いた小説風の紀行文があって、谷崎は現地の案内人に頼んで妓館巡りをするのだが、人気のない見知らぬ土地を彷徨っているうちに、不安が増大し、女を買う気が失せていくという話で(最終的には素人を買うのだけれど)、今の俺もそんな気分になっていた。

 それから三分経って、ようやくホストみたいな恰好をした金髪の男が出て来た。

「お待たせしました。こちらにどうぞ」

 中に入ると、スリッパに履き替えるように言われた。1.5人分しか幅のない廊下には、どこかの個室に繋がるドアがいくつもあったが、誰とも出会わなかった。俺は一番奥の部屋に通された。そこには、茶色のシーツがかけられた薄い蒲団の他に、なぜか囲炉裏付きの小さなテーブルと座布団が置いてあって、灰の中には煙管が刺さっている。奥には「感謝」と書かれた安っぽい掛け軸がかかっているし、床も畳で、全体的に「床の間」風の造りとなっているようだ。

 なんだこの部屋はと訝しんでいたところ、そういえばホームページに「花魁コース」っていうのがあったなと不意に思い出した。普通のコースを頼んだはずなんだけど別料金かかったりしないよなぁ、念のため金は余分に持ってきてはいるけど、とか内心そわそわしていると、身体にバスタオルを巻いた娘が、出入口横のシャワールームに繋がっているドアからいきなり出てきた。

「あ、ごめんなさい!」

 どうやら、シャワールームが隣の部屋と共同らしく、出る部屋を間違えたようだ。俺は胡坐をかきながらテーブルにもたれ、煙管で灰を混ぜたりしながら、指名した娘を待った。そして、8時を少し過ぎた頃、ドアをノックする音が聞こえ、「どうぞ」と言うと、

「こんばんは」

 と言って、白い花柄のワンピースを着た、異国的な顔立ちの男の娘が入ってきた。花月だった。彼女はクロックスを履き、手には小さなバッグを持っていた。軽くパーマをかけた茶髪は、二の腕の辺りまで伸び、女らしさを演出していた。背が高くすらっとしているのも印象的だった。サイトの写真は修正されているから、顔の表面がのっぺりしていたのだが、実物は当然もう少し凹凸があって、その人間らしさが加工された写真よりもはるかに肉感的だった。それと、体つきが、男だからなのか痩せているからなのか、あまり丸みを帯びていず、全体的にゴツゴツと尖っているようだった。しかし、特に気になるというほどではなく、むしろ、俺の目には「女」にしか見えなかった。声も、わざとらしさを感じさせない、普通の「女らしい」発声で、そこが一番驚きだったかもしれない。正直、男にしか見えない「男の娘」が来たらどうしようと思っていたので、その点はまったくの杞憂だった。

 俺は何を喋ってよいのかわからず、黙って俯いていると、花月が「フフッ」と笑った。俺も「ハハッ」と笑い返した。まるで言葉の通じない外国人同士みたいだ。俺はどういう風に会話すればいいのか見当もつかなかった。まあ、そういうことに長けているのだったら、とっくに童貞は卒業しているはずだが。

「あの、先にお金もらうシステムなんで、いいですか?」

 俺はリュックから財布を取り出し、二万渡した。彼女はそれを受け取ると、また出て行き、五分ぐらいしてから、釣りの五千円を持って戻ってきた。特別料金が発生していないことに安心した。それから、クーポンをくれたが、「もう来ないんだけどな」と思いつつ、黙って受け取った。

「じゃあ、シャワー浴びる?」

 と言われ、「うん」と答えた俺は、ぎこちなく服を脱いだ。チラッと横を見ると、彼女もパンツを脱いでいるところだった。勿論、そこにはペニスがあった。

 心配だったのが、眼鏡を外さなければいけないことで、裸眼だと俺は視力が0.1以下だから、ほとんど何も見えなくなってしまうのだ。みうらじゅんも視力の弱い人間が裸眼でセックスをすることの困難さを度々語っていたが、そうすると童貞の俺はなおさら酷いことになりそうだった。

 シャワールームは満員電車かというぐらい狭かった。多分密着できるよう敢えてそういう風にしているのかもしれない。結構大きいとは思っていたが、こうやって並ぶと、彼女は174㎝の俺より若干大きかった。プロフィールでは、170㎝だったはずだが……。

花月はシャワーを手に取ると、お湯の温度を手で確かめてから、俺のペニスをやさしく洗い始めた。いや、正確には洗っているというよりかは、やさしく撫でているという感じで、俺は即勃起した。それから、やさしく背中を洗ってもらっていると、

「気になるところありますか?」

 と聞かれ、「あ、大丈夫です」と返した時、「なんか美容院にいる時みたいだな」と思った。会話がどうしても業務的になってしまうのだ。その責任のほとんどは、打ち解けられない俺にあるのだが。

 顔から下を洗い終わった後は、青い半透明のイソジンみたいな液体でうがいをし、先に蒲団で待った。彼女はやって来ると、

「部屋、暗くする?」

「じゃあ、お願い」

 部屋の中が薄暗くなり、ぼやけていた景色が、モノクロになった。

「じゃあ、どうします?」

「ああ、あの、じゃあ、キスから」

 蒲団に座ったままの状態からキスをし、ゆっくりと彼女を押し倒して抱き合ったままキスを続けた。ナメクジのように太く湿った舌を互いにくちゃくちゃ絡ませ合っていると、時折彼女が俺のそれを軽く吸い、スープを啜った時のような音が出た。俺も吸ってみようかと思ったが、いまいちタイミングがつかめず出来なかった。その代わりに、前にAVで見て以来、ずっとエロいなぁと思っていた、「キスの流れで相手の下唇を軽く噛む」というのをやってみた。彼女の唇は寒天のように弾力があって、噛み心地は最高だった。

 しばらくして、彼女が上になり俺が下になった。そして、俺の乳首を舐め始めた。電撃が頭に走った。かなり気持ちよかった。乳首が性感帯だというのはよく聞いていたが、これまで確かめようがなかったので、半信半疑だった。だから、自分がそれで感じるのだということを知ったのは、ある意味新大陸発見だった。前日に、乳首周辺の毛を剃っておいて良かった。

 彼女は段々下の方に降りていって、最後に俺のペニスを咥えた。勃起していた俺は、「ここで射精したらもったいない」と思って、にわかに下半身を緊張させた。ペニスは縮小こそしなかったものの、固さが失われた。そのうち彼女はまた戻って来て、俺に覆いかぶさった。見た目こそ、アバラがやや浮いているぐらい痩せているのに、こうして思いっ切り乗っかられると、結構な重みを感じた。身体が「男」だからこんなに重いのかなとも考えたが、女とセックスしたことのない俺には、比較する術がなかった。他のこと、例えば唇や肌の柔らかさにしてもそうだが。

 上下を交代する際、なるべく体重をかけないよう、両肘を蒲団につけてから、彼女の上になった。そして、閉じていた腋に、鍵をあける感覚で舌をスッと差し込んだ。女の身体の部位で、俺が一番好きなのは、「腋」だった(一番人気であろう「胸」にはほとんど関心がない)。やっかいなことに、「腋」というのは、見るだけでは欲望を充分に満足させることができない性的個所である。嗅覚・味覚・視覚・触覚といった、聴覚以外の四感をフル動員してこそ、その感動を真に味わうことができると言えよう。だから、それがようやく叶うと思うと嬉しかった。彼女の腋は、制汗剤がかかっていたのか、かなり苦く、山椒を噛んだ時の如く舌がピリッと痺れた。それでも、舐めようとすると、

「え、恥ずかしい」と言われ、しぶしぶ諦めた。次に、彼女の耳たぶでも噛むかと思って(これもAVで見た性戯だ)、そこに顔を近づけると、髪からほのかにタバコの匂いがした。そして、耳たぶを軽く噛むと、また「恥ずかしい」と言われたので、いたずらを見つけられた子供のように慌てて顔を離した。

 経験の少ない俺は彼女の真似をして、乳首を丹念に舐め、それから芋虫のようなペニスを咥えてみた。ペニスは無味無臭で、「こんなものか」という淡白な感想しか出てこなかった。俺は、歯を立てないようにフェラチオの真似事をしてみたが、彼女のペニスは、縮みこそしなかったが、大きくもならず、空気が抜けたようにぐんにゃりとしていた。彼女は、俺が愛撫している間、喘ぎ声を出していたが、それが盛り上げるための演技であることは、このペンニスが証明していた。

 フェラチオを止め、また乳首を舐めると、自分の唾の臭いがして、思わず顔をそむけそうになった。小説や映画で様々なセックス描写を見てきたが、こういうことを描いた物はほとんどなかった気がする。

 69を試してみたいと思ったが、それをどういう風に伝えるか、悩んだ。というのも、性的な単語を口にするのが恥ずかしかったのだ。まるで良家育ちの処女みたいだが、自分の口からそういう生々しい言葉を発するのは、何かこう、持っている人格とかけ離れているような感じがした。それでも、欲望には抗えず、

「お互いに、ちんこを咥えてみない?」と提案した。ちなみに、「ちんこ」というか「ちんぽ」というか「ペニス」というかでも悩んだ。「69」とは言おうと思っても言えなかった。

「いいよ」

 俺が上になり彼女が下だった。しかし、どうやってもぴったしくる体勢にならず、ジグソーパズルで間違ったピース同士を無理やりはめ込もうとしているかのように、噛みあわなかった。俺は彼女のペニスを口に含めるのだが、彼女の方が俺のそれを中々口に入れられなかった。

「ちょっと、横にしよ」と彼女が言い、結局、サイズの異なる勾玉を強引に組み合わせたような形で、69をした。もうかれこれ三十分以上こんがらがった紐ののように絡み合っているが、俺のペニスは、あの射精を無理やり我慢した時をピークに、枯れていく一方だった。以前、多分中原昌也だったと思うけど、誰かとの対談でセックスの話になり、「セックスは相手の身体を使ったオナニーでしかない」みたいなことを言っていて、その時はそんなものなのかなと流したが、実際自分が初めてセックスをしてみると、相手に気を遣うので精一杯になり、自分勝手にできるオナニーとはまるで勝手が違うということがわかった。快楽の度合いで言えば、オナニーの方が高いように思えた。そもそも彼女と一緒に蒲団に入って以降、常に行為を俯瞰で見てしまっていて、没入感がまったくなかった。「キスをしている俺」、「乳首を舐めている俺」、「ペニスを咥えている俺」、「フェラチオされている俺」という風に、必ず脳内でそれらの行動が、別視点から浮かび上がり、天井裏から性行為を覗いているような、屋根裏の散歩者的気分だった。何年か前に読んだ、メアリー・マッカーシーの『グループ』という小説の中で、処女喪失を目前にした女が、「さまざまな薄気味の悪い的はずれの考え」、例えばヨーロッパの穀物乙女について考え始めるシーンがあったが、それに似た感覚を追体験しているように思えた。

 戦隊シリーズのコスプレが好きだったり、AVを鑑賞する時は女の方に感情を移入していたりするなどの特殊な性癖を持っているから存分に興奮できないのかとも思案したが、元々これまでの人生で我を忘れるという経験をしたことがほとんどなかったような気がする。それに、人見知りをする自分では、初めての相手だと、緊張を解くことができず、性的な方向へ気持ちが向かわないのかもしれない。あと、ペッティング一辺倒の単調なやり方も、ペニスを萎れさせた原因の一つとなり得ただろう。

 彼女の方も、萎えている俺のペニスに焦ったのか、自らイラマチオに近いフェラチオをした。俺も何とか射精しようと、「自分は女である」という妄想を膨らませてみたが、性的な感情からは乖離する一方だった。次に、彼女は俺の乳首を舐めながら手コキした。これは少し効果があった。ただ、力を入れないと俺が感じないと思ったのか、段々ペニスをぎゅっと握りつぶすような強さで擦り始めたので、亀頭の周りが痛くなった。そこで、俺が自分で自分のペニスをしごくことにした。その間、彼女は俺の身体を舐めたり、キスをしてきたりした。徐々に、これはセックスなんだろうかという疑問が頭に浮かび始めた。これじゃあオナニーと変わらないんじゃないかという思いにとりつかれた。さすがに、二十八歳にもなって、セックスに対し過度な期待は抱いていなかったが、想像以上に味気ない感じで、人生の欠落感を埋める行為にはなり得なかった。むしろ、欠落が広がったような気もするが、その方が諦めもつくのかもしれない。

「あ、そろそろ出るかもしれない」

 と俺は報告した。そして、射精した。たいして気持ちよくもなかった。中途半端な性欲によって、義務的にオナニーをすることが、男にはよくあるが、その時に味わう徒労感に近かった。彼女は枕元からティッシュを持ってきて、腹に出た精液を拭いた。暗かったからどの程度の量出たのか、よくわからなかった。

「ごめんね、うまくできなくて」

「いや、俺も緊張してたから」

 時間はまだ十分ぐらい残っていたので、どちらから言うのでもなく、極自然に横になって抱き合う流れになった。俺は初めて彼女を強く抱きしめた。彼女の体温が直に伝わって来て、リラックスできた。セックスは、快楽よりも、こういう「安心感」を求めてやるものではないかとふと思った。

「ここって、変わった部屋じゃない?」と入室した時から保持していた疑問をぶつけてみた。

「ああ、花魁コースの部屋なんだよね。他の部屋が全部埋まってて」

 会話の突破口が出来たので、

「俺、旅行で大阪に来てるんだよ」と言ってみた。

「へえ、そうなんだぁ。東京から?」

「うん。普段は、新宿で働いてる。新宿にも、この店あるんだよね?」

「うん。行ったことある?」

「いや、風俗自体今日が初めてだったから」

「へえ。あ、何か飲む?」

「何があるの?」

「お茶か、ジュースか」

「じゃあ、お茶で」

 彼女が飲み物を取りに行っている間に眼鏡をかけた。世界が輪郭を取り戻した。

 俺は小型の冷蔵庫に入っていた缶のお茶を渡され飲んだ。

「あたしも、前は大阪じゃなくて千葉に住んでた」

「あ、そうなんだ」

「たこ焼きとか食べた?」

「いや、まだ」

「じゃあ、食べてってよ」

「ん、そうする」

 シャワーを浴び、服を着ると、彼女が「誰もいないか確認してくるね」と言って、廊下に出た。客同士が鉢合わせするのを防ぐためのようだ。

「大丈夫だった」

 俺は彼女の後ろについて、廊下を進んだ。どこかの部屋から豚のような呻き声が聞こえてきて、尻を掘られている客がいるのかなと想像した。

 玄関には監視カメラのモニターが取り付けられていて、外の様子が窺えるようになっていた。これで見られてたのか、と俺は気付いた。今、外には誰もいなかった。俺は靴を履いて、「じゃあ、さよなら」と言い、あっさり彼女と別れた。

 友人に用事が終わったとラインし、JR梅田駅に向かい、どこかのバスターミナル周辺で待ち合せした。そういえば、大阪に来るまで、梅田駅と大阪駅が近いことも知らなかった。今も、自分がどこにいるのかよくわからなかったので、視界に入るものを伝えると、十分もしないうちに友人が現れた。普段からよく梅田周辺を開拓しているので、迷うことはほとんどないという。

 友人の選んだ飲み屋の向かっている途中、「用事」のことを聞かれたらどうしようかと懸念したが、特に何も言われなかった。最も、一番気になったのは、自分の息からほんのりイソジンの匂いがすることで、これによって風俗に行っていたことが見透かされているのではないかと心配になったが、気付いているのか気付いていないのかわからないまま店に行き、二時間近く飲んで、解散した。

 

 ホテルに戻ったのは、十二時前で、テレビで野球のニュースを見てからベッドに入った。疲れていたせいかすぐに眠れたが、悪夢を見て跳ね起きた。それは、小学校時代の同級生に風俗に行ったことを糾弾される夢だった。俺は教室の真ん中に置かれた机に座っていて、その周囲を彼らがぐるっと囲み、俺のことをきつく詰っていた。

 時計を確認すると朝の七時で、待ち合せの時間まで未だ二時間以上あったから、もう一度寝たら、また同じ状況の夢を見た。今度はなぜか、彼らの目の前で裸の女のプラモデルを組み立てさせられていた。「これで女を勉強しろ」と誰かに囃し立てられたところで、目が覚めた。

 なぜ、十年以上も会っていない小学校の同級生が夢に出てくるのか。これまでも、中・高・大が舞台の夢はほとんど見たことがなかった気がする。恐らく、嫌な記憶が一番多いのが、小学校時代で、それが夢にも影響しているのだろう。

 しかし、風俗に行った次の日の朝にそんな夢を見るなんて、俺の罪悪感はどれほど強いのか、と我ながら呆れた。根本的に風俗と合わない人間なんだとベッドに寝っ転がりながら考えた。

 

童貞と男の娘③

童貞と男の娘①

まったく奇妙な夜だった。一日かそこらすれば、疼き出すのではないか。さまざまな心配。急いで馳けつけるアメリカン・ホスピタル。黒い葉巻をくわえたエールリッヒ博士の幻が、幾重にもダブって見えてくる。異常はないのだろうか。取り越し苦労なのだろうか。

 

         ヘンリー・ミラー「マドモアゼル・クロード」吉行淳之介

 

 

 八月十一日から十五日まで、会社がお盆休みに入るということで、高校時代の友人のいる大阪へ、一泊二日の旅行をすることに決めた。友人との久しぶりの再会以外に、マッチング・アプリ、ペアーズで使う写真を撮ってもらうのも大坂へ行く理由の一つだった。普段、写真を撮ることも撮られることも皆無なので、掲載できるまともな写真が一枚もなかったからだ。

 最初は12日の土曜日に日帰りで行こうと計画していたのだが、10日ぐらい前に新幹線の空き状況を確認したら、既に朝から夕方にかけてグリーン車まで埋まっていたので、金曜昼大坂着の切符を取り、土曜の最終電車で帰ることにした。

 土曜は友人らと遊ぶことにして、金曜は自分一人で行動しようと考えた。ネットで観光名所を色々調べてみたが、元々旅行や食に興味のない無味乾燥な散文的人間なので、どこにも食指が伸びない。しかし、二三週間前にTwitter川端康成文学館が難しいクロスワードパズルを作ったというツイートを見かけたのを思い出し、まずはそこに行くことに決め、ついでに古本屋にも寄ることにした。

 さて夜はどうしようかとマリアナ海溝ばりに深く思案していたところ、「旅の恥は搔き捨て」ということわざを思い出し、そこから「風俗に行ってみるか」という考えが天啓のごとく降ってきた。そもそも俺は風俗に対しかなりの忌避感があって、大学に入り恋愛を夢見るようになって以降、初めての相手が風俗というのはちょっとな、とか、そんなとこ行ってたら女に嫌がられるだろう、とか、はまったらやばいな、とか行かない理由を色々作っているうちに、肝心の恋愛がまったくできないまま「28歳童貞」という腐乱死体と化してしまったので、さすがにもう解禁だ、俺は悪くない社会が悪い、という半ばやけくそな気持ちで風俗関係のサイトを熱心に渉猟した。

 しかし、どうせ行くにしても普通の風俗じゃありきたりでつまらないというか、新たな刺激を求めて、去年ぐらいから気になっていた、「男の娘」のいる風俗に挑戦することにした(女との初めてのセックスは、風俗嬢ではなくまだ見ぬ恋人にとっておきたいというのもあった)。元々、「男」のような雰囲気が微妙に漂う「女」、というのが好きで、偶然、ネットで「男の娘」のAVを見かけた時に、そこに出ている女優(男優?)が、俺の理想とする容姿に近く、それ以来そっち方面も時折オナニーの対象にしていたのだ。ただし、「男の娘」といっても、「女よりも女らしい」というタイプと、「男の要素がほのかに残っている」というタイプの二種類に分類できるのだが、俺の好みは後者に限られていた。

 一時間以上にわたる熟慮の結果、梅田にあるニューハーフ・女装専門店エメラルドに在籍する、花月という二十歳の「男の娘」を指名した。サイトに掲載されている写真を見てピンときたのだが、大幅に修正されているのではないかという疑念があったのと、指名料のランクが三段階で一番低いランクに設定されていたことから、一応指名前に5chとバクサイで彼女の情報を収取してみたところ、タレントのIVANに似ているという書き込みがあって、グーグルでその人を検索してみると、全然いけるじゃないか、と思いすぐにメールで予約を入れた。夜八時からの一時間コースだ。

 メールでは、あらかじめプレイの内容を指定できた。病気が怖かったので、挿入するのもされるのも初めから想定せず、「キスを多めに」、「フェラでいきたい」、「会話よりプレイ中心」というのを選んだ(選択肢は30個ぐらいあって、そこから最大5個まで選べる仕組みだった)。俺はAVを見ていても、挿入よりキスに興奮する性質だったので、性行為ができるならキスをたっぷりしたいなあ、と常日頃思っていたのだ。

 予約が決まってから、友人から「金曜の夜飲まない?」というラインが入った。俺は風俗で金曜の予定を終えるつもりでいたので、困ったな、と思ったが、断るのもあれだったので、「用事があるから、九時以降でいいなら」と返した。すると、「それでいい」とのことだったので、風俗の後、飲むことが決まった。

 

 旅行当日、興奮でそれどころじゃなくなるのではないかと懸念していたが、意外と冷静だった。昼の1時半ぐらいに新大阪に着き、そこからJR京都線で茨木に向かう。今はスマホで地図アプリと乗り換えアプリが常時確認できるから、土地勘がなく旅行慣れしていなくても、だいたいどうにかなる。茨木駅に着いてから、スマホの地図を見ながら歩いたのだが、案外遠かった。確かに公式サイトには駅から徒歩20分と書いてあって、歩くのが早い俺ならもっと短い時間で行けるだろうと軽く見越していたのだが、やっぱり初めての土地だとそうもいかず、しかも滅茶苦茶暑いから体力をわりと消耗した。ただ、「川端通り」という標識を見つけた時は、テンションが上がった。

 川端康成文学館は想像よりはるかに小さく、隣接する市立青少年センターの建物の一部という感じで、10分もかければ全ての展示を回れる規模だった。かつて「文壇の総理大臣」と呼ばれ、ノーベル賞までとった人間を記念する施設としては寂しい気がしたが、まあ、そんなものなのだろう。

 とりあえず、入口付近に置いてあった例のクロスワードパズルをとり、問題を確認すると、確かに難しい。が、展示を観ればある程度答えがそこに書いてあるし、全てのマスを埋めなくても、指定された部分をいくつか埋めることができれば、最後の答えを予想することは可能なので、実際解けたのは4分の3ぐらいだったが、指定された7文字のうち4文字を埋めた時点で解答できた。それで、パズルを学芸員に渡すと、「これ結構難しいのによくできましたね」と言われ、報酬のクリアファイルを貰った。クリアファイルはいくつか種類があったが、俺は、西澤静男による『雪国』の駒子を描いた銅版画がプリントされたものを選んだ。展示物で最も印象に残ったのは、中学時代の川端が「おれは今でもノベル賞を思はぬでもない」と書いた野心的な日記とノーベル賞のメダルだった。

 川端康成文学館を出た後は、飛田新地を観察しに行った。もちろん、夜にそっちの予定が入っているので、上がる気はないのだが、一度見ておきたかったのだ。新大阪周辺では、吉本芸人が喋るようなこてこての関西弁というのはまったく耳に入ってこなかったのだが、ここで初めて「今、西成の〇〇にいる、ゆうとんじゃろが、われ!」という強烈な恫喝的関西弁が鼓膜に刺さった。見ると小汚いおばさんが携帯で怒鳴っていたのだが、ものすごく声が高くて、山田花子みたいだった。それでも、関西弁だと異様な迫力が出るものだ。

 駅と新地の間にある商店街は、異常にカラオケ付きの飲み屋が多く、ところどころ小便臭かった。そこにある全てが、生まれた時から既に、時代から取り残されているような雰囲気だった。いや、時代にそぐわないものをそこに押しやったというか。恐らく、これから先もただ人間だけが入れ替わっていき、街は何も変わることなく、永遠に時代から取り残され続けていくのだろう。

 新地に一歩足を踏み入れると、店の前を通るたびに、「兄ちゃん、ちょっと女の子見てってやぁ」とやり手ババァたちから盛んに粘っこい勧誘を受け、単なる冷やかしであることがだんだん心苦しくなり、「私はただの通行人です」という体を装いつつ、横に視線を向けないようにして、すぐにその場を離れた。意外だったのは、やり手ババァらが、水商売関係者に見えない、スーパーでレジ打ちでもしてそうな、普通のおばさんばかりだったということだ。飛田で長く遊郭を経営するためには、まず質の高いやり手ババァを確保しなければならない、ということを前に元遊郭経営者の本で読んだことがあった。だから、今声を張り上げて客を呼んでいるおばさんらは、見た目によらず、人間の動かし方をよく心得ているのだろう。

 夕方だからか客は全然いなかったが、一軒、水着を着た女の子が座っている店で男が直接交渉していた。普通は隠されているものがこうやって日常として成立しているのは奇妙だった。キム・ギドクの映画で観た韓国の風俗街も、風俗嬢が店頭で顔出しするスタイルだったな、ということを急に思い出したりもした。

 

童貞と男の娘②

ネルソン・オルグレンと寺山修司の出会い

 ジル・クレメンツが作家たちを撮ってまとめた、『ライターズ・イメージ』という写真集を見ていたら(ちなみに、クレメンツの夫はカート・ヴォネガットで、この写真集の序文もヴォネガットが書いている)、ネルソン・オルグレンのところで、気になるものがあった。

 

f:id:hayasiya7:20180915213253j:plain

 

 後ろの壁に、日本で行われたボクシングの試合のポスターが飾ってあるのだ。俺は直感的に、「寺山修司に案内してもらったのかな」と思った。寺山は日本で最もオルグレンに傾倒していた作家で、最近映画化された『あゝ荒野』は、オルグレンのボクシング小説『朝はもう来ない』に強く影響されているし、多分「荒野」という言葉も、オルグレンの短編集『ネオンの荒野』から取っているのだろう(ただ、ユージン・オニールの戯曲で、ずばり『あゝ荒野』というタイトルのものがあるが)。余談だが、オルグレンの小説『荒野を歩け』は映画化されていて、日本では長く未ソフト化状態だったが、今月、復刻シネマライブラリーからDVDが発売される予定である。

 それで、寺山がオルグレンについて書いたものはないかなと探したら、『寺山修司青春作品集 3 ひとりぼっちのあなたに』の中に、「ネルソン・オルグレン・ノート」というのが収録されていたので読んでみた(この「ノート」の使い方はノーマン・メイラーの真似だろう)。

 オルグレンが来日したのは、1968年の冬。知っている日本人が、文通をしていた寺山だけだったことから、彼を頼ったようだ。二人は、山谷や吉原、新宿の元赤線地帯に行ったり、ニコリノ・ローチェ対藤猛の世界タイトルマッチを観戦したりした。寺山によると、ボクシング観戦後、「ジムを出る時のネルソンは上機嫌で、壁に貼ってあったポスターを二枚も三枚も引きはがしてふところにしまいこんだ」というから、例のポスターはその時のものだろう。

 オルグレンの来日から二年後、今度は寺山がシカゴに住むオルグレンを訪問した。この面会から11年後に、オルグレンは死ぬのだが、当時60歳だったオルグレンは既に「死」に囚われ始めていたようで、寺山に向かって、自分が死ぬ夢をよく見ると語っている。寺山はオルグレンの暮らしぶりについて、「老作家が、朝からマティーニに酔い、家族もなく、たった一人でアパート暮らしているのを見るのは、私にとってはなぜか心の痛む光景である」と告白している。

 アパートの壁には、あのポスターだけでなく、写真や新聞の切り抜き、旅行先での思い出の品などがべたべたと貼られているらしく、中には愛人だったボーボワールと一緒に撮った写真もあった。寺山はそれを見て、こう記している。

 

写真の中の二人は、今の私よりもずっと若く見える。私は、「時」こそ悪であると、思わないわけにはいかない。すべてのロマンスは主人公の死とともに終り、風景だけが取り残されるのである。たぶん、ネルソンともう一度会えるかどうか、私にはわからない。

 

 クレメンツの写真は、寺山が来訪してから一年後に撮られたもののようだが、寺山のエッセイを読んでから見ると、ひどく寂しいものに感じられる。

 

オルグレンと寺山が観戦した試合。二階席にいたので、姿を確認することはできない。

www.youtube.com

 

  

The Writer's Image: Literary Portraits

The Writer's Image: Literary Portraits

 

 

  

朝はもう来ない

朝はもう来ない

 

  

荒野を歩け [DVD]

荒野を歩け [DVD]

 

 

東京電力の社員を名乗る泥棒

 家に泥棒が入った。泥棒を入れたのは家族だった。
 水曜日の午前11時頃、俺が会社に行っている間、家に「東京電力の検査員」を名乗る小太りの中年男がアポなしでやってきたらしい。男は作業着姿で、社員証らしきものを首から下げ、腕に腕章を巻いていた。
 

 家には祖母と母がいて、男の対応には祖母があたった。祖母は数十分前に、男が同じ階の別の部屋を訪れていたのを目撃していた。母は吠える犬(他人を噛む癖がある)を抱いて自分の部屋にいた。男はアンケートみたいなものを持っていて、「事前にこのアンケートを入れてたんですが」と言った。祖母はそれに心当たりがあったような気がしたので、男を家に入れ、言われるがままに家中のコンセントを点検させた。何度か、「ブレーカーの方を見てきてほしい」と頼まれ、男を一人にした。男は話しが上手く、快活に色々調子よく喋って、警戒を解いたらしい。
 

 夜、俺が家に帰ってくると、祖母から「あんたの部屋、ホコリがたまってて危ないらしいよ。ブラシを外した掃除機でコンセントの中のホコリ吸い取れって。火事になるから」とその男からの忠告を俺に伝えた。
「でも、一番危ないのはあたしの部屋なんだって。全然使ってないコンセントが一つあって、そこにすごいホコリたまってたから気をつけろって」と祖母は言った。
 

 次の日、祖母の部屋の机から金が抜き取られていたことが発覚した。男は我が家に来る数日前に、他の部屋に入り、「明日部品を持ってきます」と言い残し退散したが、いくら待っても訪れず、怪しんだ住人が管理人に確認して、男が偽の検査員だということが判明した。その注意書きが、俺の家に泥棒が入った次の日に、一階の掲示板に貼られ、それを見てようやくそいつが泥棒だったことに気が付いたわけだ。
 

 金曜日に警察に来てもらい現場検証をしたが、このタイプの泥棒は関西には多いらしいが、埼玉では始めてだという。部屋から指紋をとったが、泥棒は当然しっかりと黒い手袋を嵌めていたし(「検査するのに危ないからはめてなきゃいけないんですよ」とまで言っていたとか)、マンションの監視カメラの場所もきちんと把握してから来ただろうし、祖母は男の顔をほとんど覚えていなかったから、手がかりはほとんどなく、捕まえるのは難しそうだった。

 

 そもそもアポなしで来た男を何の確認もせず家に入れた時点で、相当な間抜けである。このまま、埼玉で誰も被害に合わなければ、うちは埼玉で一番間抜けな家族となってしまう。なので、誰か被害にあってほしい、というのは冗談だが、こういう泥棒もいるということを書いておく。

 

 

職業「泥棒」年収3000万円(決してマネをしないでください)

職業「泥棒」年収3000万円(決してマネをしないでください)

 

 

ジュリアン・テンプル 『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』

 ジョン・ライドンが、アメリカ・ツアー中だったセックス・ピストルズのサンフランシスコ公演で、「騙された気分はどうだい?」と観客に吐き捨て、ツアー日程が残っていたにもかかわらず、そのまま脱退したのは有名な話だ。ピストルズのライブでは、興奮した客とバンドが唾の掛け合いをするという状況が度々あったが、「唾をかけてほしい」というファンが現れた時、ライドンはピストルズの終りを感じ取ったらしい。つまり、ピストルズは、パンク・バンドからカルト宗教になりつつあったわけで、ライドンは教祖の立場になることを拒否したのだった。ライドンのその後の活動を見ても、その姿勢は一貫している。

 ピストルズ解散から2年後に公開された映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』は、そんな「唾をかけてほしい」ファンのためにある映画なのかもしれない。タイトルに「スウィンドル」(詐欺)とついている本作は、ピストルズがでっち上げられたバンドであることを、ピストルズのマネージャーであるマルコム・マクラーレン自ら、露悪的に暴露しているのだから(監督・脚本はジュリアン・テンプルだが、制作の中心となっているのはマクラーレンだ)。

 映画の中で、マルコム・マクラーレンは「カオスが金を生む」と嘯き、ピストルズにまつわる全てをコントロールしているかのように振舞う。マクラーレンの主義・主張というのは、「人を怒らせたい」、「騒ぎを起こしたい」ということ以外何もなく、アナーキズムや反王室もその道具でしかなかった。それらをまともに受け止めた人たちが、ピストルズに怒り狂ったわけだが、マクラーレンからしたら、「してやったり」だった。

 しかし、この映画が公開された頃には、最早ピストルズを本気にする人はほとんどいなかっただろう。強盗犯ロナルド・ビッグズを出して、世間を怒らせようとしたみたいだが、茶番の領域を出ておらず、結局は、最後まで残った、「唾をかけてほしい」というファンのための、パンク風アイドル映画となってしまった(90年代サブカル風に言えば、「悪趣味」か)。マクラーレンも、ピストルズの影響力が既に薄れていて、ファンにしかその神通力が通じないとわかっていて、「詐欺」という言葉を先回り的にタイトルに入れたのかもしれない。

 映画の後半では、あのサンフランシスコ公演の映像、「ノー・ファン」を歌い終え、虚ろな目をしたジョン・ライドンが、「騙された気分はどうだい?」と言う場面が出てくるのだけれど、映画を見終わった後は、ライドンと同じ目になるだろう。まあ、「これは詐欺だ」と主張している物をわざわざ見ている時点で、普通は、倒錯的・虚無的な感想しか出てくるはずもなく、また、それを覆すパワーもこの映画にはない。

 そもそも、マクラーレンは、事務能力・継続力に難があるから、きちんとした骨格を持ったものを作れず、はったりに頼る傾向にあるのだが、特に本人が前に出れば出るほど、それは著しくなる。マクラーレンの才能は、ライドンやトレヴァー・ホーンといった人たちと組むことでしか、発揮されないのだ。ジュリアン・テンプルでは、力不足だ。

 ライドンは、この映画に対しかなり怒っていたようだが、それは、ピストルズマクラーレンの力だけで動いていたかのように描かれているからだろう。特に、冒頭の「誰でもセックス・ピストルズになれる」というシーンでは、バンドの演奏に合わせ、素人が交代交代で歌うという演出が施されていて、ライドンの存在を否定したような形になっているのだ。2000年には、マクラーレン史観を否定するためか、同じジュリアン・テンプルによって、『NO FUTURE A SEX PISTOLS FILM』が作られた。

 

ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル [DVD]

ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル [DVD]

 

  

NO FUTURE : A SEX PISTOLS FILM (スタンダード・エディション) [DVD]
 

 

ウンコをもらしかけた

 先週の金曜日、ウンコをもらしかけた。

 家を出る直前、腹に少し違和感があって、「あ、トイレ行っとけばよかったかな」と思ったのだが、まあ大丈夫だろうと家を出、電車に乗った。最寄りが始発駅だから、乗換駅に着くまでいつも寝ているのだが、腹の中で渦潮が巻き起こっているような強烈な感覚に襲われ、3駅ぐらい手前で目が覚めた。この時点ではまだ我慢しようと思えばできるぐらいのレベルだったのだが、乗換駅に到着した頃には、頭の中で警報がガンガン鳴り響いていた。

 数秒単位で、便意が上昇していく。少しでも刺激が加わると大事故に繋がる。まるでニトログリセリンを運搬しているかのようだ。

 7月入社で、水曜から新しい会社に出社していた俺は、この日が三回目の出勤だった。だから、乗換駅の構造にまだ慣れておらず、おまけに脳がウンコのことしか考えられなくなっていたから、間違えて反対の電車に乗ってしまった。すぐに間違えに気付き、次の駅で降りたが、この頃には便意が完全に危険水域に達し、常に全力で肛門の筋肉を締めていないと即決壊するという状況だった。あまりにも内側に向かって力をこめているものだから、肉体が反転しそうだった。

 会社の最寄り駅に到着するまでの10分間、俺は車内で選択を迫られていた。一つは、会社まで我慢して、会社のトイレでウンコをするか、もう一つは、最寄り駅のトイレに行くか、という選択。会社のトイレに行く場合、駅の中を10分近く歩いてほぼ直結しているオフィスビルに入り、さらに自分の部署の入っている30階まで我慢しなければならない(セキュリティ上、自分の会社の入っている階にしか入れないのだ)。もう一つの選択肢である駅のトイレは、朝の通勤時間帯だと、満員長蛇の列という可能性がある。会社のトイレなら待つ必要はないが、そこに行きつくまでに力尽きるかもしれない。会社か駅か、それが問題だ。

 円谷幸吉の遺書が脳内をよぎった頃、電車が最寄り駅に着いた。エスカレーターに乗っている間、「これはもう無理だ」と直感した。これ以上歩いたら、尻から茶色いジェットを噴射するだろう。それで、一か八か、俺は駅のトイレを選択した。そうしたら、奇跡的に個室が空いていたのだ。俺は慎重にズボンを下ろし、着席するまで、肛門を締め続けた。ここでミスったら、最悪である。しかし、無事、便を排出することに成功。漏らさずに済んだのである。

 もし、会社まで我慢していたら、ダムが崩壊していた蓋然性は高い。しかも、漏らした場所が社内だったら、俺は入社一週目で、退職しなければならなかった。この日は、研修だったのだが、ウンコを漏らした際の対処方法も研修で教えてほしいと思った。

 あと、これは特に秘すべきことなのだが、会社で二回目のウンコをしたら、あまりに水っぽすぎて、ケツを上げた瞬間、汚水が床にこぼれた。勿論、ふき取ったが、暫くあのトイレは使わないことにする。

 

【第2類医薬品】ストッパ下痢止めEX 12錠

【第2類医薬品】ストッパ下痢止めEX 12錠

 

  

トイレット博士 第1巻 黄色い天使の巻

トイレット博士 第1巻 黄色い天使の巻

 

  

スカトロジア―糞尿譚 (福武文庫)

スカトロジア―糞尿譚 (福武文庫)

 

  

糞尿譚・河童曼陀羅(抄) (講談社文芸文庫)

糞尿譚・河童曼陀羅(抄) (講談社文芸文庫)

 

 

遠藤周作 vs 三島由紀夫──サドを巡って──

 縄張り争いというのは、あらゆる生物に共通する、最もポピュラーな戦いの一つだ。また、縄張りは、物理的な物に限らず、例えば同じ分野の研究者同士が途轍もなく仲が悪かったりする。作家にしても、関心領域が近いと、争いに発展しやすい。
 ただし、作家同士の争いというのは、直接的な批判よりも、「俺の方がもっと上手く書ける」というような、同じテーマを扱った作品のぶつかり合いという、やや間接的な形で表面化するケースが多い(三島由紀夫太宰治に酒席で直接文句を言ったという「伝説」的な争いもあるが)。
 例えば、江戸川乱歩は、谷崎を尊敬していたが、「金色の死」と同じモチーフを使った作品『パノラマ島奇談』を書き、谷崎から距離を置かれた(小谷野敦谷崎潤一郎伝』)。また、サント=ブーヴと敵対していたバルザックは、サント=ブーヴの小説『愛欲』を書き直すつもりで、『谷間の百合』を執筆した(アンヌ・ボケル、エティエンヌ・ケルン『罵倒文学史』)。これらはわかりやすいケースだが、発表時期のズレや、黙殺、関係の意外性などから、見過ごされている場合も少なからずある。
 
 俺が驚いたのは、三島由紀夫遠藤周作のライバル関係(遠藤の方が二歳上)。それを指摘したのが、佐伯彰一だ。佐伯は、二人の作風が「ドラマチック」であるという点で似通っていると言い、さらなる共通項として、二人とも「サド侯爵」に興味を持っていたことをあげている(『回想 私の出会った作家たち』)。
 遠藤がサドに触れたのは、フランス留学の頃(五〇年)で、帰国後、サドへの関心を綴った日記を、五三年から『近代文学』に連載している。そして、五十四年には、『現代評論』でサドの伝記を書き始めた。『現代評論』の終刊で伝記の連載は中断したが、芥川賞受賞から四年後の五十九年に、『群像』(九月号~十月号)上で、再び『サド伝』を連載した(山根道公「評論家遠藤周作」)。
 日本におけるサドの権威、澁澤龍彦が初めてサドの翻訳を出したのは、五十五年(短編集『恋の駆引』)で、翌年には、彰考書院から澁澤訳による『マルキ・ド・サド選集』が出版された。この選集の序文を三島由紀夫にもらったことから、二人の交友が始まっていく。五十九年六月には、『悪徳の栄え』の翻訳を出すが、この出版に影響されて、遠藤が再度『サド伝』に着手したのではないかと山根は書いている。遠藤は、自身の『サド伝』に澁澤のサド論「暴力と表現 あるいは自由の塔」を加えた共著の出版を、三島由紀夫経由で持ちかけたようだが、そのサド論を収録した単行本が九月に出る予定だったので、計画は頓挫したようだ。その後、遠藤の『サド伝』は全集に収録されるまで、封印された。ちなみに、遠藤は、「サド裁判」の時に、特別弁護人を務めてもいる。
 三島は四九年に出版した『仮面の告白』の中で、「ド・サァドの作品については未だ知らなかった私」と書いていることから、この時点では名前を知っていたことになる。ただ、サドへの関心を強めたのは、恐らく澁澤龍彦の翻訳が出てからで、澁澤の手による伝記(六四年)をもとにして、その翌年には『サド侯爵夫人』を発表した。
 三島は、遠藤の『サド伝』を間違いなく知っていたが、あえて無視した。推測だが、ライバルとなる作家から影響を受けること(または、受けたと思われること)を忌避したのだろう。ちなみに、遠藤、澁澤、両氏ともジルベール・レリーの研究に多くを寄って伝記を書いている。ただ、澁澤は、「サド夫人の夫に対する献身と共犯とを、少なくともレリーより強調して書いた」と主張しており、三島もそこに反応したのだろうと「『サド侯爵夫人』の思い出」の中で書いている。
 遠藤には澁澤にサドを独占されるという予感があり、それで慌てて共著の出版を持ちかけたのだろう。それが失敗した後、出来に不満だった『サド伝』の資料を集めるべく、妻を連れて再度渡仏。しかし、体調を崩し、帰国直後に結核が再発し、入院することになった。そうやって、『サド伝』の加筆が停滞しているうちに、澁澤の手による伝記が出て、しかも、その翌年には『サド侯爵夫人』の発表。日本におけるサド産業は、完全に澁澤と三島の独占状態となり、遠藤が『サド伝』を書いていたことなど忘れられてしまった(しかし、三島は『奔馬』で澁澤をパロディ化したキャラクターを描いており、澁澤に対し思うところはあったようだ)。佐伯は遠藤と三島の関係について次のように書いている。

 


 今からふり返ってみると、三島による『サド侯爵夫人』のいち早い仕上げ、また上演は、遠藤にとって相当なショック、いわゆるトラウマにも近いものではなかったろうか。その上、サドに関しては、自分こそ明らかに「先駆者」の筈なのに、広い評判をよんだのは、まず澁澤龍彦の翻訳また伝記であり、友人仲間の三島まで、澁澤伝記への依拠を認めながら、遠藤については名前さえあげていなかった。「先駆者」として面白かろう筈はなく、今からふり返ってみれば、当時彼の味わわされた「苦さ」は、相当のものだったに違いないと、改めて気づかされるのだ。(後略)


 その分野において先駆的な役割を果たしたと自任している人間が、後から来た人間にそれを乗っ取られた挙句、先行研究を無視までされたのであれば、かなり腹も立つだろう(しかし、こういうトラブルは結構よくある)。三島に意図的に無視されたと感じた遠藤は、そのことを直接告げたわけではないようだが、鬱屈した感情を持ち続けたようで、同人誌『批評』の仲間が三島追悼のために集まった時、泥酔状態で乱入し、同人仲間に罵言を浴びせまくったなんてこともあったらしい。その日は、遠藤の戯曲『黄金の国』の千秋楽で、批評家、村松剛の解釈によれば、そんな大事な日に「同人仲間が誰一人やって来ないばかりか、三島のためにわざわざ集まりまでやっていた」ことに、「作家としての『やっかみ』、嫉妬心」が爆発したとのことだ。ちなみに、遠藤は、ジャン・ルイ・バロォ劇団によるフランス語版『サド侯爵夫人』を見た際、佐伯に対し、「佐伯くん、三島さんのこの芝居、フランス語の方が、えぇのと違うか」と「軽く言い捨てて、さっと姿を消してしまった」という。ただ、第二回谷崎潤一郎賞では、遠藤の『沈黙』と三島の『サド侯爵夫人』が候補となり、遠藤が受賞している。しかし、三島は谷崎潤一郎賞の選考委員だったため、自ら辞退したので、あまり勝った気分にはならなかったかもしれない。
 遠藤は一般的に、ユーモアな人柄の人物として知られていたが、それは強烈な嫉妬心(有馬稲子を巡り、大江に嫉妬したように)を隠すための仮面だったように思える。五九年に書いた『サド伝』が、七五年に出版された新潮社の『遠藤周作文学全集』に入るまで、単行本未収録だったのは、間違いなく一つの挫折だった。

 

回想(メモワール)―私の出会った作家たち

回想(メモワール)―私の出会った作家たち

 

  

堀辰雄覚書 サド伝 (講談社文芸文庫)
 

  

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)

 

  

サド侯爵の生涯 (中公文庫)

サド侯爵の生涯 (中公文庫)