ラブホテルのスーパーヒロイン①
──ところがねえ! どうしてもあの人に言う度胸が出ない、おかしな願いがあるんだと言っても、あんた信じてくれるかしら? ──あたし、あの人が、医療器具入れをもって、上っぱりを着て、ちょっとぐらいその上に血がついたままで、会いに来てくれればいいなあと思ってるのよ!
1 せんずり編
俺は五歳の時から変態だった。性の目覚めのきっかけとなったのは、当時放映されていた、『忍者戦隊カクレンジャー』である。もちろん、最初は子供らしく漫然と観ていたのだが、冬の日に観たある奇抜なエピソードが、バラバラのパズルのように未完成だった性の回路を、ピタッと繋げてしまった。それがどういうストーリーだったかはもはや忘却の彼方だが、ずっと印象に残っている部分がある。それは、眼鏡をかけた子供がバスの中で漫画を読んでいて、そこにケチャップをこぼしたところ(紙の上に芋虫の如く盛り上がったケチャップとその鮮烈な赤い色は、今でも気持ち悪いほど鮮明に脳裏にこびりついている)、カクレンジャーらが強制的に敵のいる空間にワープさせられるという瞬間。そして、その空間では、全てが敵の思うままで、カクレンジャーらは苦戦を強いられるという展開。と、ここまで書いてみたら、詳細が気になりむずむずしてきたので、話の粗筋をネットで確認してみると、敵がカクレンジャーの敗北するシーンを漫画にし、それを友達のいない男の子に読ませたら具現化された、というやけに陰鬱な話で、そうした設定も俺の心の襞に触れた要因だったのかもしれない……
とにかく、それ以来、彼らが敗北する姿に暗く湿った魅力を感じるようになった俺は、就寝時になると、布団の中でカクレンジャーが敵にやられた時のことを思い出したり、新たに自分で妄想したりしては、密かに興奮の炎を燃やすのが日課となった。特に、相手の戦闘員に首を絞められ、苦しみもがく姿が、お気に入りのネタだった。無論、その時点では、「性」のことなど何もわかっておらず、なぜか心臓や股間に心地よいざわつきを覚えるからという理由でそんなことをしていた。
不思議なのは、言語能力が未発達な段階で、こういう特殊な認知を獲得していくことだが、三島や谷崎、ヴィクトル・ユゴーといった人々の小説・伝記を読むと、彼らも五歳ぐらいで変態的な性の目覚めを経験していることがわかって面白かった(「作家の性癖」参照)。
アンリ・トロワイヤの『ボードレール伝』にも、五歳で父を失ったボードレールが、「母に隠れてこっそりと、箪笥の奥にしまわれた下着や、母の匂いの染みついた毛皮に鼻を埋め」ていたと書かれていて、彼は後に『パリの憂鬱』と題した散文詩集の中で、コスプレをテーマにした詩を入れた。それが「マドモワゼル・ピストゥリ」で、ボードレールの詩にも思想にもライフスタイルにもあまり感心していなかった俺が、唯一これだけはよくわかった。
話を戻そう。
『カクレンジャー』の次に放映されたのが、『超力戦隊オーレンジャー』で、この時、母にわざわざヒロインである、オーピンクの人形を買ってもらったことを強く記憶している。子供というのは、幼稚園・保育園の段階でさっそく異性を意識するものらしく、自分も一人の女の子をめぐって、別の園児と喧嘩したこともあった。『オーレンジャー』の放映時には、小学校一年だったから、カクレンジャーの時以上に、ヒロインを「異性」として捉えていただろう。
しかし、男であれば幼いころから同性のヒーローに憧れ、彼に自分自身を重ねるべく、欲しいおもちゃもそれに準ずるものになるのが普通だが、そういう視点は端からなかった(同じ特撮ものでも、男しか出てこない仮面ライダーやウルトラマンには一切興味がなかった)。ヒーローではなくヒロインの玩具を選んだ息子に対し、母がどう思っていたかはわからないが、子供の気まぐれとして処理したのだろう。俺自身は、自分の妄想が異端的なことだとはっきり認識していたから、本当のことは何も言わなかった。
小学校三、四年になる頃には、周囲の同級生で戦隊ものを見ている人間はほとんどいなくなり、むしろ「子供っぽい」ものとしてはっきり馬鹿にされるようになった。よって、俺も戦隊ものを「卒業」したかのように振る舞い始めたのだけど、その結果、毎年新たに放映されるそれを、家族の前で観ることができなくなった。年齢が上がるにつれ、社会・家族における立場上、鋼のような自制心が必要とされるようになってきた。
だが、キリストとか仏陀のように欲望を完全に断ち切るのは凡人には不可能である。それで、自宅から徒歩五分のレンタルビデオ屋に行っては、パッケージの裏に載っているあらすじや画像を丹念に眺め記憶し、夜の妄想のエサとした。しかし、この頃から病的に自意識過剰だった俺は、十歳にもなる自分が、戦隊もののビデオを熱心に漁っているのはあまりにも不自然で、その真の目的を見透かされるのではないかと不安に思い、常に周囲に人がいないことを確認していた。
一度だけ、最早読むだけでは我慢できなくなって、何とかレンタル代分の金をかき集め、ずっと気になっていた『百獣戦隊ガオレンジャー』の「百獣戦隊、全滅」という、タイトルからして涎の出そうなエピソードが入ったビデオを、こそこそとカウンターに持って行ったことがあったが、店員からビデオを借りるためには専用のカードがないとだめだと教えられ、顔を真っ赤にしながらその場を後にし、暫くそのビデオ屋には足を向けなかった。
見たいのに見られないという悶々とした日々に少しばかりの光が差したのは、ビデオ録画を覚えてからだ。ただ、戦隊ものは日曜の早朝に放映されるので、それを録画した場合、家族の目を盗んで観られるのは、翌週の土曜か日曜の早朝ぐらいしかなかったのだが、三歳の時に両親が離婚し、爾来、母方の祖父母の家で暮らしていたため、老人らしく朝の早い彼らが目覚めるまでの短い間しか、貴重な鑑賞時間を確保できなかった。しかも、彼らを起こさないように、泥棒よろしく、静かに静かに行動する必要があった。当時家で使っていたブラウン管のテレビは、電源を入れると、まるで画面から「電気」そのものが毛羽だっていくような、「ジャワー」という耳障りな音を出し、ビデオを挿入すると、そこでまたガチャガチャと大げさな音を吐き出したので、気が気でなかった。無論、視聴時には、音が漏れないようヘッドホンをすることも忘れなかったし、祖父母がいつもより早く起きたことが気配でわかった時には、光の速さでビデオを止め、何を観ていたのか悟られないようにした。いや、確実に怪しまれてはいたのだろうが、早朝だからかあまり追求もされなかった。これが深夜とかなら、言い訳もはるかに難しくなっただろう。
こんな風に書くと、毎週熱心に録画して、視聴していたように思われるかもしれないが、根が無精なため、撮り忘れることはしょっちゅうだったし、毎回朝の五時半とかに目覚まし時計なしで起きるのも不可能だった。使用していたビデオも、母親のそれだったので、使いたい放題というわけにはいかない。それに、ヒーロー・ヒロインの敗北シーンを色々観ていると、自分の中でハードルが上がっていき、欲求を満たしてくれるものにぶつかることが段々と少なくなってきて、リスクを冒すことに対する情熱と蛮勇が少しずつ冷めていったのも厳然たる事実。
そんな中、俺が六年生の時に放映された『忍風戦隊ハリケンジャー』は、特徴のある強敵が多く(例えば、二人の女幹部、ウェンディーヌとフラビージョや、ダーク・ヒーロー的存在のゴウライジャーなど)、ヒーロー側が徹底的に負けるシーンが少なくなかったので、できる限り録画・視聴するように心がけていた。特に、ヒロインが女幹部らにいたぶられるエピソード、ハリケンジャーがゴウライジャーに完全敗北するシーン、それから、味方であったシュリケンジャーが死んだ時などは、股間の膨張が尋常ではなく、腐食した水道管のように、破裂するんじゃないかと怯えたぐらいで、次の日にもう一度──危険を承知で──居間で再見したほど。その時の言い訳は、「友達から勧められて」という苦しいものだったが、特に追求もされなかった。
恐らく前述の理由から、『ハリケンジャー』という作品自体、今でもヒロピン(ヒロイン・ピンチの略)好きの変態たちから突出して人気があるのだけれど、見逃してならないのが、ヒロイン、ハリケンブルーの衣装である。ハリケンジャーの衣装というのは、忍者がヴィジュアル・イメージとなっていて、ヒロインであるハリケンブルーの場合、スカートに鎖帷子(風メッシュ素材)を組み合わせるという折衷的な方法がとられており、特にブーツとスカートの間の、膝から腿の一部を覆う鎖帷子に、素肌では絶対に表現できない強烈なエロスが宿っていた。ヒロインのイメージ・カラーが、ピンクやイエローといったありがちなものではなく、ブルーだったのもフェチ度が高いといえる。
ちなみに、ウェンディーヌとフラビージョも、歴代の女幹部の中で、トップクラスに支持されているキャラクターだが、その魅力も簡単に説明しておこう。まず、成功の大きな理由としては、紅一点として登場することの多かった女幹部を、「二人組」に設定したこと。役割としては、露出の多い衣装を着たウェンディーヌが「姉」、無邪気さの塊といったフラビージョが「妹」という感じ。時にお互いをライバル視したり、漫才のような掛け合いが入ったりと、他の戦隊シリーズにはないコミック調な描き方と、その小児的かつ軽やかな「悪」の在り方は、多くのマゾヒストたちの琴線に触れたのであった。そして、俺もまたその一人であったことがわかるのは、もっと大人になってからで、当時はあまり意識していなかったと思う。
マット・コリショー 爛熟した美の世界
日本では90年代にサブカルチャーの領域で、死体、犯罪、ドラッグ、過激な性表現といったものを、倫理や罪悪感から切り離し、時には肯定的にも扱う、いわゆる「悪趣味」文化というものがあった。現在、その功罪についてよく語られるようになったが、同じ時期、イギリスでも現代美術の分野において似たような現象が起きていた。
1988年、当時ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジの学生だったダミアン・ハーストが中心となって、ロンドンで「フリーズ」という自主企画展が開催された。学生の企画ながら、ハーストの積極的な売り込みによって、美術界の一部から注目を集めることに成功し、若手アーティストらの躍進のきっかけとなった展覧会だ。
そして、92年にはサーチ・ギャラリーにて、ハーストも参加した「ヤング・ブリティッシュ・アーティストⅠ」展が開かれ、ハーストとその同世代のアーティストたちが「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」と呼称されるようになり、一つのムーブメントを形作っていくことになる。
名称的にかなり大雑把なカテゴライズにもかかわらず、彼らが一つのグループのように見えたのは、取り上げるテーマに共通点があったからで、それが前述の死体や犯罪ドラッグ、過激な性表現だったのだ。そういった、社会を挑発するような露悪的な作風が、「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」たちの持ち味でもあった(というか、そういう人がことさら目立った)。中でも悪名高いのが、「ホルマリン漬けのサメ」として知られるハーストの『生者の心における死の物理的不可能性』や、連続幼児殺人犯を描いたマーカス・ハーヴィーの『マイラ』、トレイシー・エミンの『1963から1995に私が寝た全ての人』などである。
アメリカでもジェフ・クーンズや「ヘルター・スケルター」展が注目を集めていたように、90年代というのは世界的に「悪趣味」が評価されるようになった時代にも見えるがどうだろうか。
と、ここまで前書きが長くなったが、本当にここで書きたいのは、イギリスのマット・コリショー(1966年生まれ)というアーティストである。
コリショーは、ハーストの「フリーズ」展にも参加した、ハーストと同じゴールドスミス・カレッジ出身のアーティストで、もちろん「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」にもカテゴライズされている(ちなみに、年はハーストが一つ上)。しかし、日本ではほぼ知名度がなく、ダミアン・ハーストを特集した『美術手帖』2012年7月号に、ハーストのおまけといった感じでささやかなインタビューが掲載されているのが、ほとんど唯一の紹介ではないか。以後、『美術手帖』のインタビューを参考にしつつ、コリショーの作品を観ていきたい。
コリショーが「フリーズ」展に出展した作品は、「弾痕」という作品で、頭部の銃創を拡大したもの。ぱっと見なんだからよくわからないが、マジマジと見つめると、放射状に広がっているものが髪で、中央にあるのが、銃創だと気づく。この作品が、「フリーズ」展では、もっとも注目されたものだと、『美術手帖』2012年7月号に書いてある。しかし、オリジナルは、展覧会終了後置き場に困って破棄したため、現在あるのはレプリカだとか。
Bullet Hole
「弾痕」の元になった写真は、オースティン・グレシャムの『法病理学カラーアトラス』というものからとってきたらしい。
事故、自殺、変死を問わず死体の写真が何百点と収録された医大生御用達のこの本が、マーカス・ハーヴィーらハーストの仲間内で回し読みされ、創作のインスピレーションになったのだと言う。ページをめくった瞬間に投げだしたくなるような本らしいが、「生と死を扱っているから抽象画よりははるかに面白くて、インパクトが強かった」と納得のコメント。
いかにも、「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」らしい作品でデビューしたコリショーだが、その後の作品もしばらくはショッキングな効果を狙った、露悪的なものが多い。例えば、シマウマと女の性行為を描いた、「昔ながらのやり方で」とか。
In the Old Fashioned Way
この作品、後ろにモーターがついていて、多分シマウマと女が前後運動するようになっているのかもしれない。コリショーはこの写真を、昔のポルノ雑誌からとってきたという。92年発表。
コリショーが習作の段階を抜け、独自の表現を獲得したのは、90年代後半で、「タイガー・スキン・リリー」や「妖精をつかまえて」などの作品を発表し始めてからだ。この頃から、現実の中に空想を織り交ぜつつ、己のフェティシズムやオブセッションを表現することに成功し始めた。特に、花や蝶をモチーフにした作品は彼のイメージそのものとなっていく。
Tiger Skin Lily
コリショーは、「タイガー・スキン・リリー」において、ユリと毛皮を合成することで、架空の花を作り出した。コンピューターによる合成は、コリショー作品の根幹を成す技術だが、素材の選定から、見せ方にいたるまで、とにかく洗練されている。そこには、「爛熟した美の世界」と表現したくなるものがある。果物は腐りかけが一番うまい、とよく言うが、コリショーの作品はまさにそれだ。
Insecticide 24
生まれたばかりの息子が病院から家に帰ることになり、コリショーは部屋を消毒した。その際に死んだ虫からインスピレーションを受けて作った作品なので、「殺虫剤」というタイトルになっている。
Venal Muse, Viridor
ボードレールの『悪の華』からインスピレーションを受け、作った作品。
2000年代に入って、現代美術家と高級ブランドのコラボレーションが増えたが、コリショーも2016年に、「DIOR LADY ART」というプロジェクトに参加して、バッグを作った。ちなみに、コリショーの他に6人の芸術家がこのプロジェクトに参加している。
『美術手帖』のインタビューで、コリショーは最初からプロを目指したと言っている。
僕たちの世代に何か共通点があるとすれば、金持ちの親がいなかったってことかな。昔からアーティストは裕福な出が多かったけれど、僕たちは違う。だから、飯が食えるように売れる作品をつくる必要があったし、プロにならざるを得なかった。何かのときの保険がないから、創作をビジネスのように扱うしかなかった
これを読むと、デビュー作で非常にショッキングな作品を公開しておきながら、その後、そういった露悪趣味を封印していた理由がわかるような気がする。ちなみに、コリショーらが駆け出しの頃、仮想敵だったのは、ニュー・ブリティッシュ・スカルプチュアという一派らしい。
マット・コリショーの作品は、彼のホームページで全て見ることができる。
Color Atlas of Forensic Pathology
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藤森安和 『15才の異常者』
大江健三郎の「政治少年死す(「セヴンティーン」第二部)」は、1961年『文學界』2月号に掲載されたが、右翼の抗議にあい、出版社側が謝罪したため、2018年7月に『大江健三郎全小説3』に収録されるまで、長らく単行本未収録の封印作品となっていた。
実は、鹿砦社から出た『スキャンダル大戦争2』という本に、深沢七郎の「風流夢譚」と一緒に無断で収録されていて、俺もそれを持っていたのだが、雑誌からのコピーをそのまま掲載しているので文字がかすれていて読みにくいうえ、いつでも読めるからという安心感から、長らく放置していたのだが、フォロワーがリツイートした下の大塚英志のツイートがきっかけで、再度興味を持つことになった。
大江健三郎が「政治少年死す」で引用している藤森安和の詩集「15才の異常者」。持ってたはずが発掘できす古本屋から取り寄せた。坂本龍一がラジオで突然朗読したりしたんじゃなかったか? pic.twitter.com/WmFy0GkHzV
— 大塚八坂堂「感情天皇制」「大政翼賛会のメディアミックス」発売中みたい (@MiraiMangaLabo) February 4, 2019
俺が興味を持ったのは大江だけではなく、大塚のツイートで取り上げられている藤森安和という聞いたことのない詩人に対しても同じだった。特に「15才の異常者」という特異なタイトルと、坂本龍一までもが触れていたという事実から、余計に知りたくなったのである。
それで、図書館に『15才の異常者』がないか検索してみたら、都内では国会図書館しか所蔵していなかった。古本の方は、大江効果なのか、それなりの高値がついており、手元不如意だった俺は、しばし諦めることにし、寺山修司の『戦後詩 ユリシーズの不在』という詩論に藤森の詩が引用されているということを調査の途中で知ったので、まずはそちらで読むことにした(「政治少年死す」は『大江健三郎全小説3』で読もうと思って、図書館で借りようとしたら、予約が多く、こちらもしばらく保留することになった)。
寺山の『戦後詩』は、1965年に出版されたもの(俺は講談社文芸文庫版で読んだが)。「戦後詩における肉声の喪失、人間の疎外」をテーマにし、あとがきでは、次のような不満を述べている。
ここに引用した詩の数倍の「戦後詩」を読んで、私の感じたことは何よりもまず、詩人格の貧困ということであった。詩人たちはみな「偉大な小人物」として君臨しており、ユリシーズのような魂の探検家ではなかった。詩のなかに持ちこまれる状況はつねに「人間を歪めている外的世界」ではあっても、創造者の内なるものではないのだった。私がこのアドリブ的な詩論の副題に「ユリシーズの不在」とつけたのはそうした詩人格への不満に由来している。
そうした詩壇の状況に満足しない寺山が、藤森を取り上げているのは、彼の詩が、「人生の隣」にある「直接の詩」に近いからで、そこには「公衆便所の落書を思想にまで高めようとする悲しい企みが感ぜられる」という。そして、「15才の異常者」が数ページにわたって引用される。別のところでは、「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」も全篇引用されている。第五章の、「戦後詩人ベストセブン」の中にはいれていないし、紹介の言葉もさほど多くはないのだが、寺山が藤森を重要な詩人の一人だと考えていたのは間違いないだろう。
また、寺山の「消しゴム──自伝抄」(『悲しき口笛 自伝的エッセイ』所収)には、藤森と出会った時のことが書いてある。
『十五歳の異常者』という詩集を出したばかりの藤森安和が訪ねてきた。
彼は、静岡で畳屋をやりながら詩を書いていた。
「いい家ですね」と言いながら、応接間へあがりこんだ彼は、進歩的文学者に内在している小市民性についての悪口を言いながら、ポケットからチリ紙をとり出して、洟をかみ、それを絨毯の上へ捨てた。
彼の煙草の灰は、灰皿ではなくテーブルの上にじかにこぼれていた。そして、私はそれを、はらはらしながら見ていた。
彼が帰ったあと、応接間に散らばった吸殻、灰、洟紙を見ながら、私はふいに気づいた。
これはたぶん彼が意識的にしたことなのだ。かつてともに、あらゆる既存の価値に反抗し、「墓にツバをかけて」きた私が、いつのまにか家を構え、庭に花を植え、マイホームのなかへ退行しているという現実を、彼はことば以外のもので批評して帰ったのだろう。そう思うと、私はいたたまれない気分になった。
まるで三島由紀夫の短編小説「荒野より」みたいなエピソードだと思った。
4月分の給与が入った俺は、ついに『15才の異常者』を4000円で購入した。届いた本を見ると、帯には「セックスと暴力の世界を謳ってセンセーションを巻き起こした“15歳の異常者”」という惹句が。その裏には、評論家・関根弘による「詩の世界にも、カミナリ族が殴り込みをかけてきている」という勇ましい言葉。逆に、著者略歴は、「1940年沼津市に生る。現在畳職」と非常にそっけない*1。
「セックス」、「暴力」、「カミナリ族」といったフレーズから、詩壇における石原慎太郎的存在として期待されていたように見えるのだが、実際に詩集を読んでみると、「見るまえに飛べ」を書いた頃の大江に──使っている語彙を含め──近い感じだった。例えば、次のような性をグロテスクなものとして描いた詩。
「あじけない接吻の秋」
汗臭い脂肪が沸騰したバーの
麦酒の腐った臭いが脳心頭に突き上げ
姦婦をだいた異人の口腔は
ねばねばした粘液で粘つき
ぶよぶよ太った性器のような指が
スカートの下をあいぶした。
黒人の粘液と姦婦の粘液が熔けあい
男の眼前に
タイトスカートからぬけ出た
姦婦の股が炎えた。
また、「セックス」や「暴力」よりも、むしろオナニズムといった方がよいような詩も多い。それこそ寺山が引用していた「十五才の異常者」では、「院長さんの話だと/僕は精神異常だそうだ。/精神がどんな異常だと聞くと/性欲があまりに強すぎるのに/相手がいないからだそうだ。」と書いているのだ。
それに、「グロテスクな空想家」では、「私は教室のピエロである。/なぜグロテスクなことを言って/人を笑わせようとするのだろうか。/それは悲しみであり/孤独であり/絶望である。」とも言っている。こういう自意識のあり方は、「カミナリ族」のそれと180度異なる物で、どうも出版社の売り出し方と本人の書いている詩に齟齬があるような気がしてならない。藤森の詩は、実感的というよりかは、空想的な要素の方が強く、時にその観念の強さが空回りしていることもあり、アマチュア臭さが残っているが、当時20歳という年齢から、むしろ強みと見なされてもいたようだ。
藤森に影響を与えたと思われる大江だが、「政治少年死す」で引用していたのは、寺山も取り上げていた「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」だ。委員長を刺殺した「おれ」が、天皇を讃える和歌を作っていたのに対し、同世代の藤森の「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」が反天皇的かつ変態的であると、「某主婦」によって批判されるという形で使われている。ただし、「政治少年死す」のこの部分は、実在の人物による浅沼事件に対する反応を書き写したところだから、「某主婦」の発言というのも何かからの引用かもしれないが、今のところよくわからない。「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」は次のような詩だ。
「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」
真夜中のことだった。
おらよ。凍った路へしょうべんたらしたよ。
ゆげが、ほかほか、
上に横にさわやかな夜風になびいたよ。
いけないことだよ。おまえ ポリさまに怒られるよ。
いけないよ。いけないよ。たんといけないよ。
なんだい、天皇陛下が御馬車で御通りになったからってよ、
天皇陛下だってしるんだよ あれをさ。バアチャン、バアチャン、アレダヨ。
天皇さまだって人間だものアレしるさ。
アレってなんだい。バアチャン。
アレだよ。
だからアレってなんだい。
だからアレだよ。
あれあれファンキージャンプ。
多分、「ファンキー・ジャンプ」 というフレーズは、石原慎太郎の同名の短編ジャズ小説からとっているのだろう。
ちなみに、山口二矢は「某主婦」が言うように、和歌を作っていたと伝えられ、「政治少年死す」でもそのことを踏襲しているが、沢木耕太郎の『テロルの決算』によれば、山口の辞世として有名になった「大君ニ仕エマツレル若人ハ今モ昔モ心変ラジ」と「国ノ為神州男子晴レヤカニホホエミ行カン死出ノ旅路ニ」の二首は、「二矢自身の手になるものでは」なく、「人から与えられたものだった」という。そもそも山口は、和歌を作るための「充分な素養を持っていなかった」のだ。事件後、それらの歌が山口のものだとされた事情を沢木は次のように書いている。
事件の数カ月前のことだった。二矢は吉村法俊に共に起ってくれと迫ったことがある。吉村は拒絶したが、その折に自作の歌のいくつかを二矢に贈った。共に起たぬことへの弁明でもあり、ひとり起とうとはやっている少年へのはなむけでもあった。二矢はその歌が気に入り、ノートに筆写した。
しかし、取調べに際しては、そのような事情を語るわけにはいかなかった。もしこの歌が吉村の作であることがわかれば、事件に関しても二矢の背後で何らかの指示を与えていたと疑われかねない。それは吉村に迷惑が及ぶという懸念ばかりでなく、二矢自身の自尊心が許さなかった。二矢はその歌を自作のものであるという嘘をつき通した。後にこの二首が二矢の辞世として流布されるようになるのは、そのためである。
今でも、それらの首を山口のものだと勘違いしている右翼団体が、ネット上にいくつかあった。
しかし、山口の作だとされていた和歌がそうではなかったことで、大江が「政治少年死す」で試みた、「おれ」と藤森の対比が成り立たなくなってしまったということは、今後「政治少年死す」を読むうえで意識すべき事柄だろう。
藤森は『15才の異常者』を出して以降、完全に沈黙している。国立国会図書館サーチで藤森の名を検索すると、少なくとも1962年までは雑誌などに寄稿していたようだが、そこから先はわからない。生死も不明だが、生きていたら79歳だ。1971年出版の『戦後詩体系Ⅳ』には、自作の収録を許可しているのだから、この辺りまでは連絡がとれたのだろう。『15歳の異常者』が古本市場でプレミア価格となっているのに、依然として復刊の噂がないのは、誰も本人の連絡先を知らないからか。自分から詩作を放棄したのなら、ランボーみたいだが、寺山が書いていたように、意識して傍若無人に振る舞うところなんかもランボーっぽい。
もし、藤森の詩が気になるという人がいれば、前述した『戦後詩体系Ⅳ』に、『15才の異常者』から三分の一ぐらい収録されているので、それで確認して欲しい(「才」の表記が「歳」になっているが)。多分、こっちは都内の図書館に結構所蔵されていると思う。
最後に、もう一つ気になったことを書き記しておくと、『15歳の異常者』に収録された鮎川信夫の解説に、「「ユリイカ」新人賞間宮舜二郎」というのが出てくるのだが、これはリクルート事件にかかわった間宮舜二郎と同一人物なのだろうか?
おまけ
ラジオで藤森の「15歳の異常者」を朗読する坂本龍一(4分26秒ごろから)
中上健次が選ぶ150冊
中上健次の没後出版された『現代小説の方法』という本は、彼の講演をまとめたものだが、最後におまけのような形で、「中上健次氏の本棚──物語/反物語をめぐる150冊」という章があって、中上が選んだ150冊の本のリストが載っている。元々は、1984年に、「東京堂書店神田本店でのブックフェア用に配布されたパンフレット」に載っていたもののようだ。以下、そのリスト。
『太平記一・二』(角川文庫)
近松門左衛門「心中天網島」(『日本古典文学大系53』岩波書店)
曲亭馬琴「椿説弓張月」(『日本古典文学大系60~61』岩波書店)
佐藤春夫「佐藤春夫集」(『現代日本文学大系 第二十七巻』筑摩書房)
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(中公文庫)
坂口安吾『白痴』(角川文庫)
川端康成『禽獣』(角川文庫)
森敦『月山』(河出書房新社)
壇一雄『火宅の人』(新潮社)
遠藤周作『沈黙』(新潮社)
大江健三郎『個人的な体験』(新潮社)
石原慎太郎『化石の森』上・下(新潮社)
安岡章太郎『流離譚』上・下(新潮社)
古井由吉『円陣を組む女たち』(中公文庫)
小林美代子『髪の花』(講談社)
島尾敏雄『死の棘』(新潮社)
吉行淳之介『すれすれ』(角川文庫)
村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』上・下(講談社)
ジャン・ジュネ「薔薇の奇跡」(『ジャン・ジュネ全集 第三巻』新潮社)
ジェイムズ・ジョイス『ダブリン市民』(新潮文庫)
ジェイムズ・ジョイス「若い芸術家の肖像」(『世界文学全集71』講談社)
ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ」Ⅰ・Ⅱ(『河出世界文学大系73~74』河出書房新社)
ジェイムズ・ジョイス「フィネガンズ・ウエイク」(『世界の文学1』集英社、抄録)
ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム』(集英社文庫)
ウィリアム・フォークナー『フォークナー短編集』(新潮文庫)
ノーマン・メイラー『裸者と死者』上・中・下(新潮社)
ミシェル・ビュトール『時間割』(中公文庫)
エルンスト・ブロッホ『未知への痕跡』(イザラ書房)
ロベルト・ムジール「特性のない男」(『世界文学全集 第二集 第二十三巻』河出書房新社)
ジャック・ケルアック『路上』(河出文庫)
ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』(『世界の文学21』集英社)
アレクサンドル・ソルジェニーツィン『収容所群島』全六巻(新潮社)
トニ・モリスン『青い眼がほしい』(朝日新聞社)
リチャード・ライト「ブラックボーイ」(『世界文学全集92』講談社)
トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮文庫)
フラナリー・オコナー『オコナー短編集』(新潮社)
ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』上・下(中公文庫)
ルイ=フェルディナン・セリーヌ「なしくずしの死」(『セリーヌの作品 第二巻~第三巻』国書刊行会)
ルイ=フェルディナン・セリーヌ「北」(『セリーヌの作品 第八巻~第九巻』国書刊行会)
尹興吉『長雨』(東京新聞出版局)
中上健次+尹興吉『東洋に位置する』(作品社)
「春香伝」(『韓国古典文学選集 第三巻』高麗書林)
『現代韓国文学選集』全五巻(冬樹社)
『未堂・徐廷柱詩選──朝鮮タンポポの歌』(冬樹社)
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『不死の人』(白水社)
フリオ・コルターサル「石蹴り遊び」(『世界の文学29』集英社)
マリオ・バルガス=ジョサ「ラ・カテドラルでの対話」(『世界の文学30』集英社)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(新潮社)
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」(『世界の文学31』集英社)
カール・マルクス+フリードリヒ・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』(岩波文庫)
折口信夫『古代研究』(中公文庫)
柳田国男『山の人生』(角川文庫)
小林秀雄『ドスエフスキイの生活』(新潮社)
川村二郎『語り物の宇宙』(講談社)
秋山駿『定本 内部の人間』(小沢書店)
柄谷行人『畏怖する人間』(冬樹社)
三浦雅士『私という現象』(冬樹社)
ジョン・ケージ+ダニエル・シャルル『ジョン・ケージ 小鳥たちのために』(青土社)
ミルチャ・エリアーデ『シャーマニズム』(冬樹社)
ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』(二見書房)
ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分』(二見書房)
ジャック・デリダ『エクリチュールと差異』上・下(法政大学出版局)
モーリス・ブランショ『ロートレアモンとサド』(国文社)
ジョリス=カルル・ユイスマン「さかしま」(『澁澤龍彦集成 第六巻』桃源社)
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ「リゾーム」(「エスピテーメー」一九七七年十月号臨時増刊号、朝日出版社)
エリック・ホッファー『現代という時代の気質』(晶文社)
『音楽の手帖 ジャズ』(青土社)
ノーマン・メイラーとフィリップ・ロスを選んでいたのには驚いた。言及しているのを見たことがなかったから。メイラーは村上龍の世代ぐらいまでは、影響力があったが、その後は急速に沈んだ。そう言えば、映画評論家の滝本誠も、高校時代メイラーにはまっていたと『映画の乳首、絵画の腓』に書いてあった。
村上春樹が一冊も入っていないとか、蓮實重彦が柄谷に比べて少ないとか、色々言おうと思えば言えるが、円地文子が2冊入っているのは、谷崎潤一郎賞を欲しがっていた中上の戦略的選択のように邪推してしまう。なぜなら、かつて金井美恵子に対しこんなことを言っていたから(よく見ると、金井美恵子もリストに入っていない)。
円地文子は、戦後の女流文学界に君臨する、といったふうの有名作家であり、たとえば丸谷才一のせいで谷崎潤一郎賞をもらいそこねた中上健次は、どうしても谷崎賞が欲しいので、まずババアにお世辞を使って攻略するのだと(私に)言い、選考委員であった円地文子と文芸雑誌の『海燕』で対談をしたものだったが、フン、そこまでババアを甘く見てはいけない、もちろん、もらえはしなかったのであった。(「様々なる意匠、あるいは女であること 1」『目白雑録5 小さいもの、大きいこと』所収)
『海燕』というのは、恐らく金井の記憶違いで、中央公論社から出ていた『海』1979年10月号に、「物語りについて」という題で二人の対談が掲載されている(単行本では円地文子『有縁の人々と』に収録)。中上が初めて谷崎潤一郎賞にノミネートされたのは1977年で、対象作は『枯木灘』だった(受賞は島尾敏雄の『日の移ろい』)。ちなみに、円地文子は、自分で自分に谷崎賞を与えた人である。さらに余談だが、佐藤春夫も選考委員を務めていた読売文学賞で、自分の作品(『晶子曼荼羅』)に賞を与えたことがある。
『海』で行った対談では、主に上田秋成ついて話し合っていて、谷崎、永井荷風、三島由紀夫の話題も出ている。当時、中上は、學燈社が出していた『國文學』で、「物語の系譜・八人の作家」という連載を持っており、谷崎を取り上げた際には、「断っておくが、ここでは谷崎に何人もの批評家や作家らが左から右からささげているオマージュに、またぞろこの私も唱和してみようと思うのではない。谷崎はここでは敵だという認識を持っている」と書いたが、さすがに円地との対談では、和やかに谷崎について話し合っている。中上には、意識するがゆえに、喧嘩腰になるという癖があり、谷崎だけでなく大江健三郎に対してもそうだった。「物語の系譜」でも大江に噛みついている個所がある*1。
中上は対談の中で、「物語の系譜」では円地のことも取り上げる予定だと語っていたが、渡米のため、1979年10月号の「折口信夫」でいったん連載が中断し、円地について書き始めたのは、約5年後の1984年4月号からとなった。しかも、それも未完で終わった。「物語の系譜」はそうした長い中断があったために、1983年に冬樹社から出た『風景の向こうへ』というエッセイ集には、途中までしか収められていない。集英社の『中上健次全集15』や『風景の向こうへ/物語の系譜』(講談社文芸文庫)には、(未完だが)全て収録されている。ちなみに、当初は8人の作家を取り上げる予定だったが、5人で終わっているので、残りが誰なのかはわかっていない。井口時男は講談社文芸文庫版の解説で、三島由紀夫・保田與重郎・泉鏡花・深沢七郎などを推測している。
「物語の系譜」で、中上は円地について、「短編小説の名手である」とか、「物語の系現在を考えれば、円地文子は、まことの稀有な存在としか言葉がない」といって褒めているが、84年の谷崎賞では、『日輪の翼』がノミネートされながら、落選。翌年には、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が受賞するという、中上にとっては屈辱的な出来事が起きた。
谷崎賞の選考委員には、江藤淳が「文壇の人事担当常務」と呼んだ吉行淳之介が入っていたが、中上と吉行はわりと良好な関係で、このリストにも、吉行の『すれすれ』が入っている。しかし、代表作とは言えないようなものを選ばれて、吉行はどう感じていたのか。
風景の向こうへ・物語の系譜 現代日本のエッセイ (講談社文芸文庫)
- 作者: 中上健次,井口時男
- 出版社/メーカー: 講談社
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Apple Musicのひどい不具合
Apple Musicの会員になってから半年ぐらい経つが、不満なことが一杯ある。アレがあるのにコレがないみたいな、曲数についての不満も当然あったりするが、一番イライラするのは、技術的な問題だ。ちなみに、使っているiTunesのバージョンは、12.9.3.3である。
1 アルバムが勝手に分裂する①
日本版Apple Musicでは、洋楽でもアーティストの表記が勝手にカタカナにされている。俺はLast.fmとiTunesを連携させて再生数をカウントしているので、アルバムをライブラリに追加した後(ダウンロードではない)、わざわざ自分で元の表記に打ち直しているのだが、これをすると知らないうちに、なぜか最初の1曲目とそれ以外という、2枚のアルバムに分割されてしまうことがよくある。片方は打ち直したアーティスト名なのだが、もう片方はアーティスト名が、「不明」か元通りになってしまっているのだ。仕方なく後者の方を打ち直すと、再び統合されるが、面倒くさくて仕方がない。
2 アルバムが勝手に分裂する②
あるベスト・アルバムをライブラリに追加し、しばらくしてまた聴こうと思ったら、なぜか、そのベスト・アルバムから数曲だけ消えているという妙な状況が起きた。よく見ると、ベスト・アルバムの隣に、自分が絶対に追加していないアルバムがあって、そこに消えた曲があった。つまり、ベスト・アルバムに入っていた「A」という曲を勝手にライブラリから消し、同じ「A」が入っている別のアルバムを追加していたわけだ。なぜ、こんなことが発生するのかわけがわからない。ベスト・アルバムをライブラリに入れると、これが良く起きる。
3 登録されているアーティストが、別人の名前になっている
ある日、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのギタリスト、トム・モレロのソロでも聴いてみようかな、と思って「The Nightwatchman」(トム・モレロのソロ名義)と検索すると、まず「トム・モレロ」のページが出てきた。そこに飛んで、「同じタイプのアーティスト」の欄を確認すると、「The Nightwatchman」はなく、「Brendan James」というアーティストが、最初に表示されていた。そして、それをクリックすると、一応The Nightwatchmanのページに飛んだが、アーティスト名の表記はなぜか「Brendan James」となっていた。Brendan Jamesというのは実在するミュージシャンらしいが、なぜトム・モレロのアルバムがBrendan Jamesという名義にされたまま放置されているのだろう。誰も気づいていないのか? それとも俺だけこんな表示になるのか? もう一つ指摘しておくと、臼井OZMA孝文のページには、アメリカのバンドのOZMAが混ざっている。
(2019年3月6日現在)
4 ライブラリにアルバムを追加できない(解決)
現在新たに以下の状況が起きている。
PCでApple Musicを使っていたら、突然曲をライブラリに追加できなくなった。調べたら、同じような症状に見舞われている人が何人いた。曲を追加しようとするとキャンセルされて、別ウィンドウが開くのだが、いつまでたっても読み込み中で、そのウィンドウが何のために出たのかまったくわからない。
— ジャンボ尾崎手配犯 (@hayasiya7) May 22, 2019
Appleのサポートに連絡したが、あちらから指示された対処法が全て効果なかったので、この記事を参考にして直した。俺自身はApple製品を持っていなかったので、母親のiPadを借りたが、iPadやiPhoneを所持していないで、同じトラブルに見舞われた人はどうすればいいんだろうか? それをどうにかしてほしくてサポートに連絡したのだが、一週間近く経っても解決できなかった。
サイモン・ブラウンド編 『幻に終わった傑作映画たち』
キューブリックの『ナポレオン』、オーソン・ウェルズの『ドン・キホーテ』、 アレハンドロ・ホドロフスキーの『デューン/砂の惑星』、デヴィッド・リンチの『ロニー・ロケット』……。完成することなく幻に終わった映画は、「幻」であるがゆえに、魅力的である。なぜなら、そこには、それが一体どんな映画になるはずだったのか、妄想する余地が無限にあるからだ。そして、完成させることのできなかった監督本人こそ、一番の夢想者として、生きることとなる。
『幻に終わった傑作映画たち』は、様々な理由で未完成に終わったりお蔵入りした映画たちの顛末を描いたノンフィクションである。取り扱う範囲は、1920年代から2000年代までで、他に例を挙げると、エイゼンシュタイン『メキシコ万歳』(ちなみに、現在流通しているのは、グレゴリー・アレクサンドロフによる再編集版)、スピルバーグ『ナイトスカイズ』。エルロイ原作の『ホワイト・ジャズ』、コーエン兄弟の『白の海へ』、ジェリー・ルイスの『道化師が泣いた日』などなど……。なかでもオーソン・ウェルズがとりわけ多く、『ドン・キホーテ』、『風の向こうへ』、『ゆりかごは揺れる』、『ヴェニスの商人』と4作も紹介されていて、ウェルズの映画人生の多難さがうかがえる(ちなみに、『風の向こうへ』は、撮影から40年以上経過した、2018年11月2日にNetflixで配信された)。
本書によって知ったのだが、「Development Hell」(開発地獄)という、映画やゲーム産業周辺で使われる用語があって、文字通り、いくら努力しても開発の進捗が進まない状況を指す言葉なのだが、作品自体の完成・未完成関係なく、使えるらしい(『Tales from Development Hell』という本書でもよく参照されている本があるが、残念ながら未邦訳)。未完成に終わった映画の多くがこの「開発地獄」に陥っているのだけれど、監督の肥大したエゴがその原因になったりもする。例えば、キューブリックの『ナポレオン』は、あまりにも「完璧さ」を求めすぎたために、調査ばかりに時間をかけすぎたせいで、本格的な撮影に入る前に制作がとん挫してしまった。
それが本当に自分のやりたいことであればあるほど、きちんとした形にするのが難しくなるというのは、この本を読んでいて特に感じることだ。無論、それは映画製作の構造の問題でもある。巨匠たちは未だ誰も成し遂げたことがないような壮大な映画を夢見るが、映画は、小説や音楽と違って、関わる人間とかかるお金が段違いである。大ヒット映画を世に放った制作会社が、次にとんでもない大コケ映画を作ってしまい倒産するなんてのはありふれた話だ。だから、規模が大きくなればなるほど、相当な計画性が求められるわけだが、エゴの肥大しきった監督にそんなことできるはずもない。また、巨匠であるがゆえに、他人がコントロールするのも難しい。
監督たちには、「こんな画を撮りたい」という一つ一つのイメージはあるものの、それらを繋げる「糸」を用意していないことがある。セルジオ・レオーネが『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の後に企画した『レニングラードの900日』(仮題)は、レニングラード包囲戦を描く偉大な戦争叙事詩となるはずだったが、オープニングしか構想がなく、計画はすぐに破綻した。これも巨匠だからこそ、その無計画な妄想に周囲が付き合った例だろう。
しかし、失敗してもタダでは転ばないのが、芸術家である。キューブリックは『ナポレオン』で得た知識と技術をもとにして、『バリー・リンドン』を撮ったし、テリー・ギリアムは、何度も制作が中止となった『不完全な探偵』のアイデアとヴィジュアルを『Dr.パルナサスの鏡』に転用した。ただし、未完成に終わった『カレイドスコープ』を、『フレンジー』という失敗作に変えてしまったヒッチコックの例もある。
この本で紹介されている幻の映画の中でも、特に魅力的に感じるのは、『ナポレオン』や『地獄』(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー)のように、それが実現不可能なほど「空想的」「偏執的」であり、しかし、偉大な作品をモノにしてきた彼らなら、それをどうにかすることができたのではないかという希望をこちらに抱かせてくれるものだろう。巨匠と妄想のコラボレーションを本書では堪能することができる。
「開発地獄」以外にも、キャストが死んだり、制作した本人が秘蔵してしまったために幻となった映画もいっぱいここでは紹介されていて、そちらも興味深い。執筆を一人ではなく、大勢で分担したのも、調査がより行き届く結果になったと思う。シナリオをもとにしたあらすじや当時のヴィジュアルもきちんと掲載されている。面白いのは、架空のポスターが、それぞれの映画ごとに作られていて、そのセンスの良さに、一瞬本物かと思ってしまうほどだ。これもぜひ確認して欲しい。
幻に終わった傑作映画たち 映画史を変えたかもしれない作品は、何故完成しなかったのか?
- 作者: サイモン・ブラウンド,有澤真庭
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Tales From Development Hell: New Updated Edition (English Edition)
- 作者: David Hughes
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J・D・サリンジャー 『ハプワース16、1924年』
サリンジャーが雑誌などに発表した短編小説の中には、本人が後に単行本化するのを拒否したため、封印状態になったものがいくつかある。例えば、『ライ麦畑でつかまえて』の原型となった、「マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗」や「ぼくはちょっとおかしい」などがそうだ。そして、封印されたもののなかでも、一番物議をかもしたのが、1965年、ニューヨーカーに掲載された中編小説「ハプワース16、1924年」だろう。
「ハプワース」はサリンジャーにとって6年ぶりの新作で、掲載紙であるニューヨーカーも、サリンジャーの小説と広告以外は何も載せないという特別扱いをし、その重要性を強調した。しかし、その評判はどうかというと、酷評か黙殺だった。以後サリンジャーは、2010年に死亡するまで、二度と小説を発表しなかった。
ただし、一度だけ、幻の作品となっていた「ハプワース」が単行本化されそうになったことがある。地方でオーキシズ・プレスという小さな出版社を経営していた、ロジャー・ラスベリーという大学教授が、1988年、サリンジャーに「ハプワース」を書籍化させてくれないかと直接手紙で頼んだのだ。サリンジャーはその手紙に対し「考えておくよ」と返事を出し、それから8年も経ってから、承諾した。ラスベリーはサリンジャーと何度も打ち合わせをしたが、結局、計画は頓挫した。この原因については、色々言われているが、デイヴィッド・シールズは『サリンジャー』(角川書店、2015年)の中で、次のようにまとめている。
ラスベリーによれば、彼が意図せず信頼を裏切ってしまったためにサリンジャーとの連絡を絶たれたというが(筆者注:ラスベリーが「ハプワース」の出版計画をある小さな雑誌に漏らしてしまったこと)、それはサリンジャーがカクタニの批評に傷つけられた感情をごまかすための建前にすぎないと考えるのが妥当なのではないだろうか? もしかすると、サリンジャーはこの先あり得るグラス家の物語群の出版に向けて様子見をしていたのであり、「記録としての新聞(Newspaper of record)」が「反対」の立場に大きく傾いていたために撤退したのかもしれない。
カクタニによる批評とは、「ハプワース」出版の噂が流れた1997年に、ニューヨーク・タイムズに載ったもので、カクタニは当時のニューヨーカーに掲載されたテクストを読んだのだが、その評価は酷評だった。もっともカクタニは辛口の批評家として有名であり、サリンジャーだけが特別批判されていたわけではないのだが、本人からしてみれば決定的なものだったのかもしれない。何しろ、30年以上の時を経てからの再批判であり、ニューヨーク・タイムズという影響力のある新聞に掲載されたのだから。
さて、アメリカ本国では、複雑な経緯を辿った「ハプワース」だが、日本では1977年に、荒地出版社からサリンジャー選集の別巻として出版され、その後も、東京白川書院が翻訳を出した。また、「ハプワース」以外にも、単行本化されていない短編が、その二つの出版社からほとんど翻訳されており、一時期は日本人の方がサリンジャーの幻の著作を簡単に読めたのではないか。
俺がサリンジャーに触れたのは、中学三年生の時で、読んだのは村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だった。母に勧められたからというのが、そのきっかけだったが、この小説の入門の仕方としてはあまりにダサすぎると自分でも思う。それはともかく、実際に読んでみると、そこで使われていた文体の新鮮さと、主人公の反抗的な態度に、学校や周囲の状況に不満を持っていた当時の俺は、簡単にはまってしまい、英語で自分の好きなものを発表するという授業で、野崎訳の『ライ麦畑でつかまえて』を紹介したりもした(野崎訳の方が、言葉遣いが古い分、逆に渋いと思っていた)。それから、『ナイン・ストーリーズ』と『フラニーとズーイ』を読んだが、こちらはあまりよくわからず、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』や「ハプワース」には手をつけないままサリンジャー熱は自然に収まった。しかし、サリンジャーがきっかけで、アメリカ文学に興味を持ち、大学に進学した際も、英米文学科を選択したのだから、人生の進路に大きな影響を与えられたわけだ。
ただ、大学に進学して以降、サリンジャー的な思想とはどんどん遠ざかることになった。それまでの俺は、中高一貫の男子校という、教師から「ビニールハウス」と揶揄されるぐらい、温い環境で6年間過ごしてきたので、他人からの評価というものを避け続けることができたが、大学に入って「異性の目」に晒された時、自分がいかに女にもてない、魅力のない人間であるかということを骨の髄まで実感させられ、それが現在に至るまでの長い悩みになっている。むろん、サリンジャーの小説において、こんな形而下的な苦悩は描かれるはずもない。つまり、サリンジャーの世界に共感できるような立場ではなくなってしまったのだ。
それでも、腐れ縁のような感じで、主要な作品には目を通しておこうと、未読だった『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』(新潮文庫)を数年前に読んでみたが、やはりサリンジャーと自分の間にある深い溝ばかりが意識させられただけだった。
そして、去年、新潮社から「ハプワース」の新訳が出た。以前、荒地出版社版『ハプワース』を読もうとしたこともあったのだが、出だしから「四時間前」を「四年前」に誤訳(誤植?)していて、それ以上読み進める気にならず、今度の新訳は再チャレンジへのちょうど良い機会だと考え手に取った。
「ハプワース」は、サリンジャーのライフワークとなるはずだった、「グラス・サーガ」の一部で、主人公はグラス家の長男シーモアである。そのシーモアが7歳の時に、キャンプ場から送ってきた手紙が、「ハプワース」の中身なのだが、実際にそれを読んでみて、どうしてこの作品が様々な批判に晒されたのかよくわかった。
身も蓋もないことを言えば、その手紙の内容がまったく7歳のそれに見えない。言葉の調子だけは、子供らしさを装っているが、中身は完全に大人である(特に、手紙の後半で、ジェイン・オースティンやディケンズ、ヒンドゥー教の指導者について語るところなど)。これを発表した時のサリンジャーは46歳になっていたが、中年の男が7歳児の仮面を被って、自分の思想を照れることなく開陳したのかと思うと、うすら寒くなる。
また、この小説にはほとんど筋がない。サリンジャー本人が自分は短編作家だと自覚していたように、彼はそもそも複雑なプロットを組み立てるのが苦手である。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読めば、それがいくつかの短編小説の繋がりのように出来ていることがわかるはずだ。そして、彼の小説は段々と「物語」的なものから離れていった。無論、それが必ずしも悪いというわけではないが、サリンジャーの場合、素材をそのまま放り出しているという感じで、読ませるための加工・工夫がまったくなされていないのだ。その傾向は、「シーモア-序章」で著しくなり、「ハプワース」で頂点を極めた。「ハプワース」では、語り手であるシーモアが、ホールデンに負けず劣らず喋りまくる。それがあまりにも辛辣かつ一本調子なので、読者としては辟易せざるをえない。特にひどいのが、脚をけがしたシーモアが、ミス・カルゲリーという看護婦に治療をしてもらう場面。
笑っちゃいそうなほど粗末だけど、清潔といえなくもない診療所で、ミス・カルゲリーが傷を消毒して包帯を巻いてくれた。ミス・カルゲリーは資格を持った若い看護師で、年齢はわからないけれど、魅力的でもないいし、かわいくもない。ただ、こざっぱりして、スタイルがいい。キャンプの指導員全員、あと上級クラスの何人かが、大学にもどるまえに肉体関係を持とうと頑張っている。よくある話だ。彼女はとても口数が少なく、健全な判断を自分で考えつく資質も能力もない。そしていろんな表情を浮かべてみせるけど、このキャンプ場では自分以外に男性の相手ができそうな美人はいないと勘違いをして興奮している。ミセス・ハッピーは数に入らないからね。診療所では落ち着いていて、控えめで、受け答えはてきぱきしているので、面倒な状況でもあわてないようにみえる。だけど、それは悲しいほどうわべだけで、実際にしゃべる内容は最低。たぶん、頭を置き忘れて生まれてきたんだと思う(金原瑞人訳)。
サリンジャーは、シーモアを魅力的で天才的な思考を持つ人間に仕立て上げようとしているようなのだが、怪我の治療をしてくれた人に対し、必要以上に残酷な評価を下す7歳児に、我々はどんな反応をすればいいのだろうか? また、「バナナフィッシュにうってつけの日」では、シーモアの内面を謎に包むことでその作品の魅力を作り上げていたのに、それをこんな風に露出してしまうのは、蛇足でしかないだろう。
つまるところ、「ハプワース」は、サリンジャーという作家の欠点が、もろに現れてしまっている作品なのだが、そのことが逆に、自分がなぜサリンジャーから離れて行ったのかということもよくわかった。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』にせよ、「ハプワース」にせよ、そこにはある種の選民思想がある。ホールデンやシーモアは、他人を徹底的に批評はするが、他人から彼らの実存を脅かすような批判を受けることはなく、申し訳程度の自虐があるだけ。しかも、彼らには、自分の存在を、無条件で受け入れてくれる「身内」が存在している。この他者性の不在が、サリンジャーの小説に、選民思想を浮かび上がらせてしまうのだ。
中高時代の俺がなぜサリンジャーの小説に共感できたのかといえば、根拠のない自信と現実感のなさに由来する、「俺はあいつらと違うんだ」という選民思想を強く持っていたからだ。しかし、年をとってくるにつれ、自分の能力にもある程度見極めがつき、また、就活や仕事などで他人からの評価も避けられないとあれば、その種の選民思想は自然と消えていくというか、落ち着いていく。
選民思想の裏には「エゴ」の問題がある。「俺はあいつらと違う」と感じるのは、「あいつら」のエゴを感じ取っているからであり、そのことによって、自分自身の「エゴ」にも敏感になっている。だから、フラニーやホールデンは作中で苦しんでいるのだし、シーモアが「バナナフィッシュにうってつけの日」で突然の自殺をしたのも、「エゴ」が原因だと考えられる。小谷野敦は、「サリンジャーを正しく葬り去ること」(『聖母のいない国』所収)の中で、それらのことについて指摘しており、サリンジャーが結局は「エゴ」についての考察が不十分なまま沈黙してしまったと書いている。
小説家サリンジャーにとって、隠遁生活は本当に正しかったのだろうか? むしろ、それは問題の本質から目をそらす結果になったのではないか? あまりにも自分の世界にこもりすぎたため、小説をコントロールする術を失ったように俺には見える。
サリンジャーの伝記などを読んでいて悲しくなるのは、彼がいつまでも10代や20代前半の女の子にしか興味を持てなかった点だ。ピーターパン症候群じゃないけれど、本当に成長を止めてしまったかのような感覚を覚えてしまう。サリンジャーの娘、マーガレット・A・サリンジャーの『我が父サリンジャー』には、49歳のサリンジャーが、当時文通していた10代のイギリス人少女に会いに、わざわざイギリスまで旅行した時のことが書かれているが、自身のこうした執着に向き合うことができていれば、「エゴ」に関しても、別の考察が出来たように思えるのだが、そうした「恥」を晒すような真似は決してできなかったのだろう。
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