フィリップ・ロス 『ダイング・アニマル』

 フィリップ・ロスは老いてなお盛ん、いや盛んであろうとしている。ロスの描く主人公たち(限りなくロスの分身)は、作品毎に彼と同様年を重ねていくが、「老い」を素直に受け入れることができない。なぜなら、女がいるからだ。しかも、自分より二回りも若い! 

 『ダイング・アニマル』で、主人公デヴィッド・ケペシュの相手をするのは、大学生のコンスエラ・カスティリョだ。ロスの小説において、ユダヤ人の男が恋をするのは決まってシクセ(ユダヤ人から見た異教徒の女)なのだが、ここでは何とキューバ人である。豊満な肉体と素晴らしい知能を持つカスティリョに、大学教授であるケペシュは身を焦がす。成熟した大人であり、大学教授という知的職業についていながら、彼は自分の欲望を抑える術を知らない。女との性交のみが、やがて崩れゆくであろう身体を知性を支えるのだ。こうして、彼は死を意識しながら、自らの獣性に苦しみ、しかしそこから抜け出すことはできないという袋小路に追い込まれていく。

 ケペシュは自分のことを不運な人間だと感じている。カスティリョのような性に明け透けな若い女を引き留めておくには年を取りすぎていて、しかも大学には「セクハラ」を厳しく取り締まる風潮が根付き始めていたから。快楽は答えにならない。ケペシュは、あまりに多くのルールに雁字搦めになり、「男」として破綻しかかっている。カスティリョの行動に逐一敏感になり、被害妄想に囚われてしまう。彼の息子が、自身の不倫について相談を持ちかけてきても、彼は応じてやることができない。「私は、彼が決して克服できない父親なのだ」(P74)であり、「男」としての理想像を提示できないから。

 コンスエラは、一度はケペシュと別れるものの、再度彼の家を訪ねる。彼女は乳癌におかされていた。乳房は「女」の象徴であり、ケペシュの欲望を引き起こす対象(ケペシュは何と言っても乳房それ自体に変身したことがあるほどだ)でもある。性と欲望を失いつつある二人の先に何があるのか? ケペシュの最後の悪あがきは、悲しく、空しい。

 

「欲情に病む情念、死を背負う獣性に金縛りになった情念は、身のほどをわきまえぬ」(鈴木弘訳 『イェイツ全詩集』より)

 

 ちなみに映画だと、カスティリョをペネロペ・クルスが演じていて、彼女の美乳を堪能できます。また、小説ではやや影が薄いケペシュの友人ジョージを、デニス・ホッパーが演じていて、なかなかの迫力がありました。病気で呆けてしまい、女と勘違いしてケペシュに抱きつくシーンとか。

 

ダイング・アニマル

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