バーバラ・コップル 『ワイルド・マン・ブルース』

 ウディ・アレンが率いるニューオーリンズ・ジャズ・バンドの、ヨーロッパ・ツアーを追った、1997年製作のドキュメンタリー。映画監督としてではなく、ジャズ・ミュージシャンとしてのアレンを追跡するというのが、いささか変則とした作りになっているが、なんてことはない。アレンは、ほとんど剥き出しのままそこにいる。

 アレンは、映画監督になる以前というか10代の頃、当時もう既に廃れ始めていたニューオーリンズ・ジャズにのめり込み、同時に楽器(ソプラノ・サックスからすぐにクラリネットに転向)も手に取った。そういった音楽は全てラジオから吸収したもので、後にアレンは、『ラジオ・デイズ』なる映画まで作ることになる。また、今でもアレンが自身の映画につける音楽は、青春時代に自分が聞いてきたものばかりだ。『ミッドナイト・イン・パリ』では、現代に生きる主人公(オーウェン・ウィルソン)が、コール・ポーターのファンである、という設定だった。それはまんまアレンの趣味だ!

 正直いってクラリネット奏者としてのアレンは、大したことがない。世界的映画監督の道楽と見られてもしかたがないことだろう。本人もそこらへんは、割り切っているかもしれない。このドキュメンタリーの見どころは、ツアーそのものではなく、楽屋裏でのアレンの言動にある。アレンは、本作で、自らのパブリック・イメージを覆そうと試みたのかもしれないが、カメラに収められた彼の姿は我々のよく知っているイメージ以上に凶悪だ。ツアー中、スキャンダルの元となったスン・イーと一緒にいるが、アレンは高級ホテルでくつろぐ彼女を見て、「韓国でゴミを漁っていた子もえらくなったもんだねえ」と評す。アレンが映画で表現しているユーモアよりも、遥かにどす黒い。映画の終盤には、彼の母親も出てくるが、二人の仲は気まずい。アレンは、母親に叩かれて育ったことを未だに根に持っているのだ。

 ドキュメンタリーは、アレンの陰鬱な感情を暴露することに成功していてる。アレンが90年代以降に作ったいくつかの中途半端な作品をよりか、よっぽどアレンの本質がここには滲み出ている。アレンの奇怪な存在感に、視聴者は飲み込まれることだろう。