マーティン・エイミス 『ナボコフ夫人を訪ねて』

 イギリス人は、皮肉の達人と言われている。だけど、それはどこで確認できる? ビートルズを聞けばいいのか、それともモンティ・パイソンを見ればいいのか? いやいや、マーティン・エイミスを読めばいいのだ!

 『ナボコフ夫人を訪ねて』は、雑誌に寄稿した文章を寄せ集めたエッセイ集となっている。分野は、政治からポップ・カルチャーまで幅広い。表題作の「ナボコフ夫人を訪ねて」は、ナボコフ死後、彼の妻であったヴェラに、スイスのモントルーにまで会いに行った時の話だ。ナボコフは、エイミスが最も尊敬する作家の一人である。道中、安ホテルに泊まったエイミスは、『透明な対象』のことを思い出す。不意に立ち昇る記憶。実にナボコフ的なテーマだ。エイミスは、ヴェラと彼女の息子であるドミトリから、様々な昔話を聞き出す。ナボコフエドマンド・ウィルソンの決別から、ヴェラとナボコフの出会いまで。インタビューを通じ、エイミスは、ヴェラの中にナボコフが生きているように思う。ナボコフが死んでも、ナボコフ的なものは、様々な場所に姿を見せるのだ。

 本書の中で、エイミスの嫌味が全開に発揮されるのが、「アールズコートのローリンズ・ストーンズ」だろう(エイミスはデビュー当時、甘いマスクと物怖じしない言動で、イギリス文学界ミック・ジャガーと呼ばれたこともある)。のっけけから、彼はこんな風に書く。「コンサート自体はつまらなかったが、五体満足で生還したという些末ながらも長く記憶に留められるべき出来事に対して、簡潔ではあるが謝辞を表したい」と。コンサートではかつてのヒット曲に熱狂が集中し、新曲はほとんど無視される。ストーンズは、ステージ上で、延々と自己模倣を繰り広げるばかり。エイミスは途中で退出し、外に出でぶらぶらと歩いているときに、「自分が目を離した隙に世界が狂ってしまっていないことを発見し」安堵し、「一時間につき一ポンドで実りのない不快感を買うには年を取りすぎている」のだと結論付ける。ちなみに、このエッセイが発表されたのは1976年だ。

 本書では、同時代作家のことについても多く取り上げられている。時代のイタズラで祭り上げられた凡庸なジョン・ブレイン、現代の黙示者でありながら平凡な生活を営むJ・G・バラード、超エネルギッシュなアントニー・バージェスなど。エイミスはそれらの作家に的確な批評や賛辞を書き表す。中でも、ソール・ベロー(ナボコフと並び、彼が最大限にリスペクトする作家)の小説を論じた章は秀逸だ。英国の知性と毒を知りたい人には、是非読んでほしい一冊である。

 

ナボコフ夫人を訪ねて―現代英米文化の旅

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