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柳下毅一郎 『シー・ユー・ネクスト・サタデイ』

評論

 「映画館の暗闇は鬱屈を抱えてうずくまるものだった」と柳下毅一郎は言う。映画鑑賞とは、ひどく個人的な行為であり、決して明るいものではない。映画は誰かを救うことはできない。映画を見ることに根本的かつ前向きな意味を見いだせる者は、この世に存在しないだろう(もしはっきりと答えることができる奴がいたら、そいつは詐欺師だ)。しかし、それでも映画は必要だ。心に溜まったどす黒い「淀み」を、映画は一時的に慰撫してくれる。柳下は映画の無意味さを十分に理解した上で、映画と真摯に向き合うのだ。

 本書は、元々『ぴあ』に掲載されていた原稿をまとめたものだ。当時、首都圏で上映されていた映画の中から、柳下自身がピックアップし、その映画の内容と魅力をコラムとして仕立て上げている。読者がコラムを読んで映画館に足を運ぶことを目的としているので、彼が今まで発表してきた文章の中では、テンションが高い。冷静や理知ではなく、情熱が前面に押し出されている。それは、良い映画を皆に伝えたい、というまっとうな欲求からくるものだ。

 誌面の都合からか、一つ一つのコラムは短いのだが、その映画の本質・見どころはきちんと押さえてある。『緑色の部屋』ではトリュフォーは「死」に憑りつかれていたのだ、と書き、『都会のアリス』では、関係不全の病にかかっているヴェンダースが、意図せずしてロリコンとの親和性を高めている、と見抜く。対象の映画を未だ見ていない人に向けて書かれた本書だが、その映画を知っていても、新たな知見を獲得できるだろう。

 映画はどこかで必ず公開されているが、いつでもそれが見れるとは限らない。映画館自体も、どんどん潰れていっている。本書に掲載された映画も、今度はいつ見られるのか、誰にもわからない。だからこそ、映画館での記憶は、誰にも侵害できない尊いものとなるのだ(無論それは楽しい記憶とは限らないが)。DVDやビデオといったものを否定することはできないが、映画館には映画館でしか得られないものがある。「体験は映画館でしかできない」と本書で柳下は書く。本書に掲載された映画が、再びスクリーンにかかる日を待ち望もう。

 

シー・ユー・ネクスト・サタデイ―完全収録『激殺!映画ザンマイ』

シー・ユー・ネクスト・サタデイ―完全収録『激殺!映画ザンマイ』