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E・L・ドクトロウ 『ラグタイム』

海外文学

 歴史は語りなおされる。我々が普段何気なく認識しているそれは、不変のものであるとは限らない。歴史は大きな事実だけで語られ、細部は切り捨てられる。細部にこそ、真実が眠っている。ドクトロウは、物語によって細部を拾い上げ、大きな事実を元に、虚構と新たな歴史を形成する。

 本書は、20世紀の始まりから、アメリカの第一次大戦参加までを描いている。ドクトロウはそのわずか17年たらずの出来事を敷衍し、現代アメリカ社会のメタファーとしている。そこで特徴的なのは、登場人物の名前だ。アングロサクソン系の家族には、ファーザー(国旗や花火を製造している)、マザー、リトル・ボーイ、ユダヤ系の家族にはターテ(イディッシュ語でファーザーの意味)、マーメ(イディッシュ語でマザーの意味)、リトル・ガールといった極めて記号的な名前が与えられている。彼らは民族の代表者なのだ。そして、そこに実在した人物たち(フーディニ、ブッカー・T・ワシントン、ヘンリー・フォード)が絡んでいく。虚構と歴史のせめぎ合いだ。

 ラグタイムの時代、覇権は完全にファーザーたちWASPの手中にある。「愛国心というものは、1900年代の初期には、大いに頼りがいのある精神だった」と語られる中、ユダヤ系や黒人は差別され、まともな待遇を得ることができない。ターテは、社会主義者となり、改革を目指す。そこに富豪の妻イヴリン・ネズビットやアナーキストエマ・ゴールドマン(実在)らが絡んでくる。イヴリンの夫は、彼女の愛人を射殺したかどで刑務所に入っている。イヴリンは、性に奔放な女としてメディアに取り上げられてしまう。一面的なイメージだけが、大衆に伝わってしまうのだ。また、時同じくして、フォード社の流れ作業も完成し、大量生産が可能となる。人々が同じ物を共有し、時代は大衆という概念に向かい走っていくのだ。

 小説の後半は、コールハウス・ウォーカー・ジュニアの行動が軸となる。彼はラグタイムを演奏するピアニストで、学もあり、礼儀正しい。白人たちは、そんな彼が気に入らず嫌がらせをする。ある日、彼が車(T型フォード)で公道を走っていると、消防団に止められ、通行料を請求される。コールハウスが助けを求め車を離れると、それは消防団の連中によって滅茶苦茶に破壊されてしまう。打ちひしがれたコールハウスだが、更なる追い討ちがかかる。彼の恋人であるサラが、車の件で副大統領に直訴しようとするも、暗殺者と間違えられて殺されてしまうのだ。絶望の淵に落とされたコールハウスは、生きる意味を失い、サラとの間にできた子供をファーザーの一家に託し、テロリストと化す。消防署を爆破していく彼の望みは、壊された車を元通りにしてもらうことだ。彼に共鳴する仲間の内に、マザーの弟ヤンガー・ブラザーがいる。彼はファーザーの運営する工場から火薬を盗みだし、爆弾を作り上げる。愛国心の象徴であるファーザーの工場が、今やアメリカを最も脅かすテロリストに加担してしまうという皮肉。J・P・モーガンの私設図書館を占拠したコールハウスは、とうとう目的を達成する。しかし、殺人まで犯した彼に未来はない。彼の行為は自殺そのものなのだ。白人の代表者の一人であるファーザーも、乗船していたルシタニア号がドイツのUボートによって沈められ、死亡する。ユダヤ人を代表していたターテは、社会主義者であることをやめ、映画産業に関わり大儲けをする。しかも、彼はプロパガンダ映画まで作るのだ。ドクロトウは歴史の中に沈みゆく人間を描き、その流れに歯止めをかけるべく、リトル・ボーイ、リトル・ガール、そしてコールハウスとサラの子供に希望を託す。ドクトロウは虚構によって歴史を乗り越えようとする。ラグタイムは廃れても、その魂は受け継がれていくのだ。

 

ラグタイム (ハヤカワ文庫NV)

ラグタイム (ハヤカワ文庫NV)