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ソール・ベロー 『この日をつかめ』

海外文学

 ソール・ベローの作品で何か一つ薦めるとしたら、ボクは迷わず本書を選ぶだろう。ボクは邦訳されているベローの作品は全て読んだが、彼の長編小説は基本的に冗長でペダンティックだ。筋に直接関係の無い形而上学的センテンスが多く、だらだらとしていて話が頭に入り込みにくい。そのため、読み終わった後には何も覚えていないということがしばしば起こる。だが、『この日をつかめ』(1956年)では、そうした無駄が完全に省かれていて、非常に読みやすい。分量も文庫で200頁弱だ。無駄な装飾をはぎ取ったことで、物語の力強さが浮き出た作品となっている。

 主人公は、トミー・ウィルヘルム、44歳。若い頃は俳優を目指し、カリフォルニアで活動したが挫折。現在は妻子とも別居し、何か月も無職のまま、父親と同じホテルで暮らしている。「一人前になるのがおそく、人生の戦いに敗れ去って、精力をもてあまし」ている状態だ。医者であった父はそんな彼の存在を恥ずかしく思い、知人には「息子は営業担当重役」だと嘘をついている。ウィルヘルムは父に援助を頼むがすげなく断られ、困った彼は心理学者であるタムキン博士に薦められるがまま全財産をラードの投資につぎ込む。実はこのタムキンという人物は詐欺師であり、ウィルヘルムは完全にカモにされてしまうのだった。『この日をつかめ』の面白さは、詐欺師が作中の人物の中で最も「哲学的」であるということだ。彼は次のように言う。

 

「ぼくは金をとらないときがいちばんいい仕事ができる。ただ愛情からやるとき、金銭の報酬を受けないときがね。そういうとき、ぼくは世俗的な力の影響からぬけ出ている。とりわけ金の影響から。精神的な報酬こそぼくの求めるものなんだ。人々を〈いま・ここ〉という時へ導き入れることができればいい。本当の世界、つまり現在という瞬間へ。過去はもう役にはたたない。未来は不安でいっぱいだ。ただ、現在だけが、〈いま・ここ〉だけが実在のものなんだよ。この時を──この日をつかめ」(『この日をつかめ』新潮文庫、大浦暁生訳、p.106)

 

「この日をつかめ」というのは元々古代ローマの詩人ホラティウスの『抒情詩集』に出てくる言葉で(ラテン語では「Carpe diem」)、タムキンはそれを引用して喋っている。もちろん、ここで言っている言葉は全てウィルヘルムを騙すための方便だ。未来に不安を抱えているウィルヘルムは、彼を信頼してしまう(父親はタムキンを胡散くさい人物だと見抜いているが)。ベローは「哲学」を利用する人間の怪しさを見事に描ききっている。

 こうしてタムキンに全財産をむしりとられるウィルヘルムだが、最後には一応ちょっとした救いの場面が用意されている。騙されたことに気づいたウィルヘルムは街中で見かけたタムキンを追いかけていく内に、他人の告別式に紛れ込む。そこで柩の中の死体を見た彼は突然泣き始める。「はじめは感傷的な気持ちからそっと忍び泣いていたが」、そのうちに彼は「奥深い感動」に襲われるのだった。まあ、この部分は安易だな、とボクは思った。とってつけたようなエンディングだ。やっぱり「哲学」を世俗的に使うタムキンと世俗的なものに苦しめられるウィルヘルムの対比を描いた部分が一番面白い。とにかく、読むのにさほど時間がかからない小説なので、おススメです。

 

この日をつかめ (新潮文庫)

この日をつかめ (新潮文庫)