ハート・クレインと谷崎潤一郎のチャップリン
若くして自殺した詩人ハート・クレインに「チャップリン風に」という詩がある。
ぼくらはおずおずと順応を試みる──
たとえば風が、ぶかぶかの
おんぼろポケットに入れていってくれるような、
成り行きまかせの慰めなんかに満足して。
(以下略)
「チャップリン風に」ハート・クレイン 川本 皓嗣訳(『アメリカ名詞選』 岩波文庫)
これを収録した『アメリカ名詞選』の解説によれば、「この詩は、冷酷無慈悲な現実世界を必死に生き延びて、その向こうに救いの光を見出そうとする詩人の心情を、喜劇俳優チャップリンの演じる気のいい浮浪者の姿に託したもの」とのこと。「チャップリン風に」は1926年に出版されたWhite Buildingsに収録されたものだが、クレインは1921年に公開された『キッド』にインスピレーションを受けたようだ。
私はあまりチャップリンが好きではない。『独裁者』や『モダン・タイムス』といった作品はいかにも風刺してやろうという姿勢があざとすぎるように感じる(関係ないが、『モダン・タイムス』をDVDで観ている時、年金の督促電話がかかってきて肝をつぶしたことがある)。彼がそつなく浮浪者や独裁者を演じるのを見ると、寧ろ人間味がないように思えてしまう。彼全体が感情を完璧にコントロールするマシーンのようだ。
谷崎潤一郎は「藝談」で、チャップリンについて「あのように才が見え過ぎては、哲学も涙も理知で考え出したもののように思えて、彼の人間性の深い所からにじみ出たものとは受け取れない」(引用は中公文庫『青春物語』に収録されたものから)と評した。私もチャップリン評価については、クレインよりも谷崎よりだ。