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金井美恵子 『軽いめまい』

日本文学

 金井美恵子は、「愛の生活」という短編で1967年に文壇デビューしたが、60年代に燃え上がった学生運動にはコミットせず、現在に至るまで、社会的・政治的な運動とは距離を置き続け、1997年に刊行された『軽いめまい』のあとがきにおいても、「私はつくづく自分が、いわゆる「ドラマチック」な出来事に興味を持てない作家なのだという気がします」と自身のスタンスを明確にまとめている。
『軽いめまい』がテーマとしているのは、夏実という一人の主婦を取り巻く「平凡な生活」である。彼女は、千歳舟橋を最寄り駅としたマンションに、夫と息子二人(小学生と幼稚園児)の四人家族で住んでいる。彼女は婦人雑誌のグラビアページを参考にし、対面式キッチンカウンターが流行しているという理由で、その部屋を選んだ。夏実には、「個性」といった考え方がなく、また、その事について、特に悩んだりもしない。彼女が思考を巡らすのは、もっぱら家庭内のことに限られる。金井は、洗濯、食事、買い物といった日常の光景を丹念に描くことで、彼女の変化に乏しい生活を浮き彫りにする。年月をかけて作り上げた不動の生活サイクルは、上昇志向のない彼女に見事フィットしたようだ。
 しかし、自分の能力を客観視し現実をほとんどありのままに受け止めた彼女の凡庸かつ堅固な世界観は、家族、親戚、同じマンションに住む主婦、女子高時代の友人、電車内に響き渡る見知らぬ他人の話し声によって、少しずつ破壊されていく。日常を脅かすのは──特殊な事件ではなく(阪神・淡路大震災は会話のタネとして一瞬の内に消費される)──別の日常なのだ。マンションに住む主婦らは、刺激のない日常にうんざりしているのか、不倫や売春といった裏の世界に軽蔑を示しつつも、異常な興味を持っている。そして、ゴシップを中心としたコミュニケーションにより、グループを作り、夏実を巻きこむ。女子高時代の友人の一人であるせっちゃんは、設計事務所に勤めていて、仕事を辞め主婦となった彼女をいくらか見下している。目白に住む彼女の母は、幼い孫に多大な期待を寄せ、彼女をあきれさせる。愚鈍な周囲が、彼女の日常を蝕んでいく。そして、軽いめまいに襲われる。
 夏実は、「その場その場の、とりあえず「自分のやりたいこと」をやって生きてきた」という感覚を持っている。作中に描かれる彼女は、決して馬鹿ではない。彼女は、周囲の人間と違い、観念的な批評精神とは無縁なのだ。作中には、金井本人の書いた、荒木経惟桑原甲子雄の二人展「ラブ・ユー・トーキョー」評が引用され、自身の欲望に忠実だった桑原と観念塗れの荒木といった対比から、共に東京の「生活」を切り取ったはずの写真がいかに異なったものとなるか説明することで、金井の「生活」を描きたいというデビューから30年にもわたって持続してきた欲望も、同時に浮かび上がるという仕掛けになっている。金井は、桑原的に、夏実を描こうとしたのだ。事件なき彼女の世界を支配する円環的な時間は、軽いめまいによって揺さぶられ、傷の入った日常の積み重ねが行きつく先は、「死」しかないわけだが、桑原の写真が個人的な欲望の発露によって、「失われた時代」というノスタルジーと切り離されたように、彼女の「生活」は金井の欲望として生き残っていくはずだ。

 

 

軽いめまい (講談社文庫)

軽いめまい (講談社文庫)