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周防正行 『舞妓はレディ』

 周防正行監督作『舞妓はレディ』の公式サイトを見ると、「監督コメント」の項で、周防自身が、本作品の骨格について、「ファンタジー」、「エンタテイメント」という言葉を使い、簡単に説明している。ここでいう「エンタテイメント」とは、「建て直し」のことである。映画では、冒頭から、登場人物に、「ブログ」、「アイドル」、「外国人観光客」、「アルバイト」といった「伝統」と対立する現代的なキーワードを喋らせることによって、「伝統」が今では非日常的であり、花街がかつてのように花街それ自体として自立することの困難さを浮き彫りにする。そのような苦しい状況の下に、現れるのが、上白石萌音演じる、舞妓志望の主人公、西郷春子である。強い訛りを持っていた彼女は、長谷川博己演じる言語学者を中心とした他の登場人物らの手によって、京ことばを話すための正しい発音を徹底的に仕込まれるが、ストレスによって失語症に陥ってしまう。こうした「伝統」と「個人」の対立を解消するために、導入されるのが、ミュージカルなのだ。花街という非日常的世界に、ミュージカルという別の非日常的世界を並立させることで、「伝統」によって抑圧された内面が、ミュージカルによって再生するという仕組み(ファンタジー)が生まれ、結果、失語症を乗り越え成長した春子は、「伝統」を表現するに相応しい心の強さを持ちつつ個人として自立し、花街に新たな活気をもたらし、「建て直し」が終了する。

 周防は、本作品において、パロディをパロディと意識させない職人的力量を見せたが、物語の運び方として保守的すぎるのでは?と思えるところもあった。それは、映画が始まってわりとすぐに明らかにされる、「春子が実は舞妓の娘である」という設定で、その時点から、観客は、言わば「覚醒待ち」の状態におかれ、ほとんど不安になることがない。この不動の安定性を、評価するか否かで、『舞子はレディ』の受け止め方は変わってくるだろう。