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南沢奈央と握手会

 握手会というのにこれまで人生で一回だけ行ったことがある。

 大学2年の時、たまたま深夜にテレビをつけたら『コレってアリですか?』という番組をやっていた。日常で遭遇するようなちょっとしたむかつく出来事を、芸人や俳優がコント形式で再現するバラエティーだ。その時は確か、合コンをテーマにしていたと思う。面白く見ていたのだが、特に気を惹かれたのは、出演者の1人、南沢奈央だった。いわゆる清純派タイプで、肩幅の広い健康的な感じが、すごい自分の好みにあった(それまでは吹石一恵が好きだった)。

 彼女のことはそれまで名前すら知らなかったので、番組が終わったらすぐに携帯で検索した。すると、自分と同い年で通っている大学まで同じだということがわかった。

 大学ではほとんど友人もおらず、学業にも身を入れていなかった自分が、唯一大学に通っていてよかったなと思った瞬間だった。これで学費のもとはとったかもしれない。

 ボクはあまり芸能人のファンになるということがないのだが、それからというもの、彼女の活動は逐一チェック……というほどではないが、書いたエッセイは全部本屋で立ち読みした。小説や落語が好きというところにも、好感を持った。古風なところが彼女の売りなのだ。

 テレビで初めて彼女を観た時から1年後、『いま。』というタイトルのDVDが発売された。ベトナムに旅行に行った時の様子を収めたもので、初めてアイドル・女優のそうしたイメージ・ビデオを見たのだが、まあ、彼女がベトナムを歩いているだけというか、ガチのファンならそれだけでも嬉しいのかもしれないが、一度見たら「もういいか」みたいな感じだった。「ホーチミンは東洋のパリと呼ばれています」というナレーションがやたら印象に残った。

 DVD発売を記念して、翌年の一月に握手会のイベントが、神保町の書泉ブックマートの隣にある神田近江屋ビルで開催された。これが今のところ、人生で唯一行ったことのある握手会である。

 昼過ぎからビルの近くで列になって並んでいたのだが、予想以上に「おじさん」しかいなかった。女優といっても、「アイドル」として消費されている感じだったので、ファン層も自ずとそうなってしまうのだろう。恐らく、21歳のボクが最年少だった(同い年で彼女のファンという人をまだ見たことがない)。まあ、メンタル的にはボクもおじさんだし、ここにいる時点で同じ穴のムジナですな。

 200人ぐらいいたような気がするが、女の人は2しかいなかったと思う。1人は男の付き添いみたいな雰囲気を出していて、なんかアダルト売り場をうろつくカップルみたいで、みんなの反感を買っていた。少なくとも、ボクは反感を持った。

 徐々に列が進み、会場である二階に向かう階段付近で並んでいると、上から握手を終えた人たちが次々と降りてきた。みな、シャブでも打たれたかのような多幸感を、顔面からびんびんに放出していた。「握手会はやばい」、そう思った。

 階段を上がると、消毒液が用意されていた。参加者は全身が雑菌で出来ているような人ばかりだったので、これは当然の処置だろう。南沢さんが握手会の後に、おかしな病気になられては大変だ。

 握手会に来ている人は、「認知」されたいがために、色々工夫しているようだ。プロレスのマスクを被っていた人が一番印象に残った。プレゼントとか渡している人はいたのだろうか。

 20分ぐらい並んで、とうとう自分の番が来た。こちらが片手を出すと、向こうはそれを両手できゅっと包んだ。なるほど、こうすれば頭のおかしな人に手を引っ張られるようなことは回避できるし、離すタイミングも自分で決められる。彼女の後ろには5、6人スタッフが立っていた。

 こういう場では、いったい何をみんな話しているのだろうか。しかも、時間はかなり限られている。ボクもやはり覚えてもらいたい。彼女の体温を手に感じつつ、おもむろに口を開いた。

「ボク、同じ立教大学なんですよ」

「えー、そうなんですか」

「あ、でも、キャンパスは違うんですけどね」

「あ、彼も立教らしいよ」

 最後の発言はマネージャーらしきおばさんのものである。なぜか、彼女はファンと南沢さんの間で行われる会話に、ちょっとした反応見せるのである。ボク以外の人の時もそうだった。何らかの意図があるのだろうか。

 そもそも女性に慣れていないということもあって、握手されている間に、すごい気恥ずかしくなった。「あ、もう離していいすよ」みたいな。

 マネージャーの相槌が打たれた後、何を言ったか覚えていないが、大したことは言わなかった。握手が終わると、彼女のサインが書かれたDVDのジャケットを貰い、外に出た。外は快晴だったが、気分は何となく不完全燃焼だった。

 

いま。/南沢奈央 [DVD]

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