『イアン・ブルマの日本探訪』と『病む女はなぜ村上春樹を読むか』

 イアン・ブルマの『イアン・ブルマの日本探訪』には、「村上春樹 日本人になるということ」という、村上へのインタビューをもとにして構成した記事がある(初出は『ニューヨーカー』1996年12月23日号)。個人的なこと、特に家族について詳しく語りたがらない村上だが、ここでは自分の父親について、かなり率直にブルマに話している。後になって「あのことは書きたてないでくれ」とブルマに電話してきたぐらいだ。そこで話されたことは、現在公表されている村上の伝記的情報の中でも、かなり重要度の高いものだろう。

 5月に発売された小谷野敦の『病む女はなぜ村上春樹を読むか』は、村上の文学史的立ち位置、小説や発言から読み取れる村上の内面、また村上の読者層について解説した本だが、ブルマの記事と呼応する箇所がいくつかあるので、両方引用しつつ紹介したい。 

 

 去年の十月(注:1995年)、日本で村上にあった時、彼は私に言った。「僕は戦争というものを真面目に考えている。戦争は個人と国家の緊張を極限までに追いつめるものだから」

 同じような緊張はそれ以前の村上の小説にもあった。しかし、それはこれほど政治的ではなく、より自分中心のものだった。『ねじまき鳥クロニクル』で描かれている戦時中の満州での暴力は一味違う。西洋ファッションや若者のライフスタイルを追っていた初期の村上とは別人のようだ。村上は、アメリカに住んだ経験がなかったらこの小説は書けなかったろうと言っている。(彼はこの作品を執筆中に、麻原彰晃という怪しげなグルの信奉者たちが大量殺戮事件を引き起こしたというニュースを耳にした。村上はこの犯罪を次の作品のテーマにするつもりで、これが村上としては、初のノンフィクション作品になる。)村上は日本に戻る道を見つけるために日本を去らなければならなかったかのようである。(ブルマ:pp.68-69)

 

 勿論、ノンフィクション作品とは『アンダーグラウンド』のことだ。 村上とアメリカ、またその他の国との関係性については次のように書かれている。

 

 村上は西洋に魅かれており、初期には、もっぱらアメリカの隠喩を使ったり、アメリカの例を引いた。彼は神戸に近いごく普通の新興住宅地で育った。父親は高校教師で、彼は一人っ子だった。少年時代には、伝統的なものと言えば、日本社会の画一性ぐらいのものだった。この画一性を彼は嫌悪していた。学校の制服、細かい規則、仲間意識。集団的・家族的な義務のために個人の欲望を抑制すること。彼は社会的な閉所恐怖症から逃れるためにアメリカを夢見た。彼の言葉を借りれば、「心の中に外国を作り上げようとした」。(ブルマ:pp.72-73)

 

 四五歳以上の多くの日本人は、村上の作品は浮薄で、社会的・政治的な内容に欠けていると見ている。若者たちには──日本ばかりでなく韓国・台湾・香港でも──村上の作品は愛されている。まさしく浮薄で社会的・政治的な内容が欠けているから愛されているのだ。(ブルマ:p.77)

 

 村上の作品が外国でも受け入れられている理由について、小谷野はこう書いている。

 

 世界中で村上春樹が読まれる時、おそらく人々は、「日本の女はエロティックだ」というイメージを引きずっている。川端や、ゲイシャ・ガールや、かつてのベストセラーであるジェイムズ・クラヴェルの『将軍』の、やたらとエロティックな女たちもそうだ。西村寿行原作で映画化された『君よ憤怒の河を渉れ』は、中華人民共和国で大ヒットし、七億人が観たと言われ、同国では主演の高倉健と中野良子は、役名で知られて人気がある。作中で、中野良子が演じる良家の娘が、殺人の罪をきせられて逃げてきた高倉健と、隠れている洞窟でセックスしてしまい、その後も高倉を助けるのだが、結局はそういったイメージである*1。世界中で、日本の女はこんな風に積極的にセックスを迫るものなのだと思って読んでいる読者は確実に少なからずいる。日本人が気づいていないだけだ。(小谷野:p.7)

 

 こうした幻想については、『日本探訪』の中の「宣教師と放蕩者」というエッセイで、ブルマ自身も西洋人の視点から書いている。

 

 禁欲主義も官能主義も、東西いずれにとって物珍しいものではなかった。ただ、ヨーロッパが東に見たのは、概して後者、つまり官能性であった。古代ギリシャ時代以来、東西の出会いには、イメージと現実の二つながら、官能的、特にエロティックな要素が介在していた。ヨーロッパの抱く東洋という観念には、インドや東南アジアを植民地にするはるか以前から、女性的でなまめかしく、退廃的で反道徳なもの──言い換えれば、危険なほど魅惑的なものがあった。(ブルマ:pp.9-10)

 

 西洋人が「東洋の性的なもの」に引かれていった背景には、もちろん複雑なものがあった。それは単に、キリスト教的な罪の重荷にあえいでいた男や女が、「やましさのない自由な」エロスに引かれていった、という単純な説明ですむものではない。そこには「力と支配」が大きく関わっている。従順でかわいくて、床上手な芸者のイメージだ。それは、西欧人男性の精力的な征服の対象にされた、女性的で、受け身で、古い東洋のイメージそのものである。(中略)

 絶妙な官能美をたたえたミストレスとしての芸者こそ、西洋よりはるかに洗練され、エレガントな東洋というテーマの絵画にピッタリなのだ。「ラフィネ(洗練された)」という概念にはデカダンに近いものがある。粗野であるとは、力強く男っぽいことである。ただ、東洋については、もう一つ別な見方がある。今では古い考えだが、「自然児」という考え方だ。やましさのないエロティシズムとは、モラルや知性にかき乱されない心をもった、美しく、純真な高貴なる野蛮人のものである。ある種のサークルで、日本人を「純真無垢(ルビ:イノセント)」と表現するのを、今でも耳にする。むろん、これはキリスト教の概念で「罪のない」ということだ。この点については、宣教師と放蕩者は賛同するだろう。違うのは、宣教師が嘆くものを、放蕩者はこれをあがめるという点だ。(ブルマ:pp.13-14)

 

 ブルマもまた、幻想から日本に興味を持った一人だった。彼はオリエンタリズムを利用した寺山の戯曲『アヘン戦争』に魅かれ、トリュフォーの映画『家庭』に出演している日本人(松本弘子)に恋をし、遂には留学生として日本にやってきた。しかし、そうなると幻想はいつまでも続かない。必ずどこかでそれを打ち砕く現実に直面する(まあ、なかにはラフカディオ・ハーンのように幻想を生き続けた人もいるが)。そうやって傷ついた西洋人は、「愛と憎しみの両極を行き来しながら、一種の精神的な船酔いに陥る」。そうなったら帰国した方が良いとブルマは言っている。

 ブルマは、村上にもそれと若干似たような体験があったと見ているようだ。

 

 村上はプリンストンで日本を再発見した。日本文学を教えているうちに、生まれて初めて、日本の小説と歴史に本格的な関心を持ったのだ。(中略)

 村上が新たな分野を開拓するに至ったのは学問的な興味だけからではない。彼個人の生活にもかかわっている。彼がアメリカに対して抱いていた幻想と現実のアメリカが入れ代わった時、彼自身と彼が夢見たこの国とのギャップが拡大していくのを感じた。「日本では僕は干渉されないで生きていきたいと思っていた。僕は自由になりたかった。アメリカでは自由になれたと感じた。しかし、アメリカ人にとって自由と独立は当たり前のことだ。だから、次がどこへ行こうかと考えるようになってしまった。当惑してしまった」。

 彼のアメリカ憧憬は、もはや逃避家の幻想ではなく、陳腐な現実になった。アメリカのショッピングモールで買い物をし、ペーパーバックやロックンロールでしか知らなかった町にも行ってみた。思い描いていたものは、その魅力を失ってしまったことに気づいた。「ジム・モリソンはアメリカで聞くのと日本で聞くのとでは大違いだ」と彼は言う。西洋の隠喩は神秘性を失ってうんざりするものになってしまった。「僕はもう支えとするものをいらない」(ブルマ:pp.89-90)

 

 ここから、村上のトラウマにまつわる文章を引用していく。

 

 村上のクールでドライな小説世界は、こうした日本的なもの(注:ブルマは唐十郎状況劇場を例に挙げている)とは真っ向から対立する。彼は土着性を嫌悪しているのだ。上京するとたちまち田舎の訛りを捨ててしまった。彼が日本の歌謡曲を聞いて涙を流すとか、酒瓶で相手を殴るなど想像もできない。彼は私に、自分の出自を書くことはできない、と言った。何の変哲もない郊外の都市で育ったから、というのだ。

 彼は言った。「僕は自分の物語を見つけ、自分の中に入って行かなければならない。自分のルーツは表現できない。家族のことも書きたくない。そもそも、家族というものが好きではない。多分僕が子供を作らなかったのはそのせいだろう。ルーツは持っていない。しかし、みんなそうだと思うが、僕にも心の傷(ルビ:トラウマ)はある。その傷がどういうものかは説明出来ないが、だからこそ小説を書くのだ」(ブルマ:p.79)

 

 村上は七〇年代初めに集団行動には愛想をつかした。当時彼は早稲田大学で脚本とギリシャ劇を学んでいた。早稲田は例えば、UCバークレー校やコロンビア大学と同様、ラディカルで有名だった。しかし、村上が在学中にラディカリズムは頽廃した。毛沢東派とレーニン派が革命教義の解釈という神学論争の末に、血で血を洗う抗争展開していた。相手党派のメンバーを待ち伏せして、鉄パイプで殴り殺すことまでしていた。

 対極にはウッドストック世代の生き残りがいた。愛と平和を夢想し、数珠を繰り、香を焚き、カリフォルニアから輸入した禅の公案を唱えるのだった。そして、(日本には麻薬はほとんどないのに)ラリっているふりをし、一生安楽な企業に就職する前にとりあえず落ちこぼれのふりをしてみた。

 村上はこういったものすべてを嫌悪していた。過激派の暴力にも、愛と平和の歌にも唾棄するような嫌悪を感じた。裏切られた気持ちだった。みんなと同じ道から外れてはいけないと強制する日本の社会に裏切られた。理想主義をもてあそんだ末に、結局は唯々諾々と世間に合わせていく学生に裏切られた。

 村上は団塊の世代である。この世代の心の傷は何と言っても、高校で叩き込まれた民主主義の理想に裏切られたことだろう。その理想を叩き込んだのは村上の父親世代の教師たちだった。その教師たちは、かつて命をかけて守れと言われた帝国主義の理想に裏切られていた。(ブルマ:pp.79-80)

  

 (前略)村上は自分の父親について話しはじめた。父親とは今では疎遠になっており、滅多に会うこともないということだった。父親は戦前は将来を期待された京都大学の学生だった。在学中に徴兵で陸軍に入り、中国へ渡った。村上は子供の頃に一度、父親がドキっとするような中国での経験を語ってくれたのを覚えている。その話がどういうものだったかは記憶にない。目撃談だったかも知れない。あるいは、自らが手を下したことかも知れない。ともかくひどく悲しかったのを覚えている。彼は、内証話を打ち明けるといった調子でなく、さり気なく伝えるように抑揚のない声で言った。「ひょっとすると、それが原因でいまだに中華料理が食べられないのかも知れない」

 父親に中国のことをもっと聞かないのか、と私は尋ねた。「聞きたくなかった」と彼は言った。「父にとっても心の傷であるに違いない。だから僕にとっても心の傷なのだ。父とはうまくいっていない。子供を作らないのはそのせいかも知れない」。

 私は黙っていた。彼はなおも続けた。「僕の血の中には彼の経験が入り込んでいると思う。そういう遺伝があり得ると僕は信じている」。(後略)(ブルマ:pp.92-93)

 

 村上はこの話をブルマにした次の日、電話をかけてきて「あのことは書きたてないでくれ」と言った。村上の妻、陽子によれば、「春樹は父親のことを絶対に人にしゃべらないのよ」ということらしい。恐怖体験が遺伝するという考え方と、村上が心理学者の河合隼雄と何度も対談していることは、いくらか関係性がある気がする。

 小谷野は、『ノルウェイの森』の中から、春樹のトラウマについて探っている。

 

『多崎つくる』は、『ノルウェイの森』に構図が似ている、と言われる。例の、精神を病んだ女が鍵になるところが特にそうだが、沙羅はミドリに当たる。それにシロはピアノをやっていて藝術大学に進んでいるが、『ノルウェイの森』ではピアノを弾くレイコさんが登場し、その生徒に、薄気味悪いレズビアンの少女がいたということになっている。この少女の描写がレズビアン差別だと、詩人の渡辺みえこが批判している。(『語り得ぬもの──村上春樹の女性(レズビアン)表象』御茶の水書房)

 つまり春樹自身が、おそらく高校で「直子」の原型となった女とつきあっていて、彼女が精神を病んで自殺したという事実があり、それがほぼそのまま『ノルウェイの森』になり、同時並行的に知り合った、健全な女性がいて、それが夫人の陽子さんということになるのだろう。(後略)(小谷野:pp.66-67)

 

(前略)おそらく、『ノルウェイの森』を読んで、陽子夫人は、まだ昔の女のことを、と思ったに違いないのだ。そして夫婦の危機が生まれ、春樹は『ねじまき鳥クロニクル』を書いたのである。あの小説が支離滅裂なのは、そのせいだろう。(小谷野:pp.67-68) 

 

 ここまでの話を整理すると、村上春樹のトラウマとはだいたい次のようなことになる。

・父親との不仲

・精神を病み自殺した女性(「直子」のモデル)

・大学で遭遇した、政治的グループらによる集団暴行

 村上はこれらの事柄を、形を変え、小説に直した。彼はブルマに次のように語っている。

 

「僕は事実を知りたくない。想像力の中に閉じ込められた記憶がどんな結果を生み出すのか、それだけにしか興味がない」。(ブルマ:p.93)

 

 村上の小説は過去というかさぶたを引き剥がして作られている。あたかも、傷がなくなることを恐れてすらいるかのように。これはある意味で自傷行為に近い。だが、それは彼にとって癒しでもあるのだろう*2。恐らく、村上の小説に共感する人々の中には、村上と同じトラウマを抱えているという人が少なくない。 

イアン・ブルマの日本探訪―村上春樹からヒロシマまで

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*1:イアン・ブルマは、文化大革命が行われていた時の中国について、「エキゾチックではなかった」と言っている。「画一主義、権威主義、厳正主義の行きすぎた国家」が道徳的に解放されるためには、現実ではなく幻想が必要だった。『君よ憤怒の河を渉れ』がヒットしたのも、毛沢東主義への反動があるのだろう。「不自由」というのは、幻想に浸るための必要条件だ。

*2:小谷野は「物語による自己治療」と呼んでいる