読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ヒルダ・ドゥリトル 『フロイトにささぐ』

巻き上がれ、海よ──

お前のとがった松の木を巻き上げよ、

お前の巨大な松の木を、こちらの岩に

はねかけよ、

お前の緑をこちらに投げつけて、

お前の樅の水たまりで蔽いつくすがいい。

「山の精」 H.D. 川本皓嗣訳(『アメリカ名詞選』岩波文庫、1993に収録)

 

 H.D.というペンネームで活動した詩人のヒルダ・ドゥリトルは、イマジズムの代表者であり、エズラ・パウンドやD・H・ロレンス等と親しく交流したことでも知られているが、意外なことにこれまで彼女の詩集が邦訳されたことは一度もない。上でも引用したように、アメリカ詩のアンソロジーにはたいてい登場するのだが、単独での出版はなぜだか避けられている。日本での研究者が少ないのだろうか。

フロイトにささぐ』は、彼女が1933年から34年にかけてウィーンでフロイト精神分析を受けた時の体験をもとにして書かれた一種の自伝である(巻末にはフロイトからドゥリトルに宛てた手紙が収録されている)。ただ、一般的な自伝と違って、時系列は不規則で、文章は思いついたがまま断片的に並べられている。頭の中の混沌をそのまま投げ出したという感じがあり、ある意味精神分析の現場を再現しているとも言えるかもしれない。両親や戦死した兄について書かれた部分もあるが、全体的には理路整然とした雰囲気はなく、どちらかと言えば散文詩のような印象を受ける。また、本書のところどころに見られる、ギリシャ趣味を全開にしたペダンティックな語り口は、よほど彼女の思想に興味を持っていない限り、うんざりさせられるだろう。なぜ詩集ではなく、これが真っ先に翻訳されたのかわからない。訳者の鈴木重吉も、H.D.の専門家というわけではなく、アーウィン・ショーの小説などを翻訳してきた人だ。現在に至るまで、日本語で読める彼女単独の著作がこれしかないのは、日本におけるH.D.受容を不幸なものにしているだろう。

 

フロイトにささぐ

フロイトにささぐ