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小谷野敦 『 江藤淳と大江健三郎: 戦後日本の政治と文学』

 

 江藤淳大江健三郎は、同時期に同世代として文壇に登場し、批評家と小説家、右翼と左翼という立場から、極めて対照的な存在として、比較され、批評されてきた。だが、本書は、そうした思想による対比だけではなく、二人の生い立ちから江藤の自殺を経て現在に至るまでを伝記的に追うことで、当初は友好関係にあった二人が対立するに至った背景や、作品の成り立ち、また、文壇・世間両面における二人の様々な行動の原動力となった深層心理を、より多角的に検証しようとしている。

小谷野はまず、序文において、大江が「近代日本最大の作家である可能性」について述べ、逆に江藤については、「江藤が不在であるという事実を前にして考え直していくと、(略)今では評価自体がかなり低くなっている」と書き、ライバルであった二人の評価を簡単に定め、以後の文章でそれを丹念に裏書きしていく。

 石原慎太郎芥川賞をとり、学生作家として注目され、それに続く形で、大江は華々しく文壇にデビューしたが、小谷野は、大江が、芥川賞受賞以前に書いた「見るまえに跳べ」の時点で「混迷の中にさまよい込んだ」と見ている。一方の江藤も、一九五六年(大江が芥川賞を受賞する二年前)、二十四歳の時、初の単著『夏目漱石』を出版し、かなり好評を得て、異例の速さで文芸評論家としての地位を築く。しかし、その内容に関しては、「衒奇に満ち、若書き」であると小谷野は評する。そして、自身の『夏目漱石』出版記念パーティーについて書いた江藤の文章が、「自慢臭ふんぷんたる」ものであることを指摘し、「最後の最後、遺書に至るまで、江藤はこういう大舞台で見得を切るような文章から手を切れなかった」と論じる。大江は、後に『個人的な体験』を書くことで、新たな道を見出していくわけだが、江藤の基本的な性質はこれ以降変わることがなかったわけだ。

 江藤は海軍一家であった江頭家を誇りに感じていた。だが、その父親は、一家の長男でありながら軍人にはならず、学業や職業(銀行員)の点においても自慢になるような足跡を残せなかった。そのことに不満を感じていた江藤は、自身のエッセイなどにおいて、父親については絶対に深く掘り下げようとしなかった。こういったことが、江藤に「理想化された父親像」を夢想させる契機となり、後年、「治者」や「朱子学的秩序」というテーマを評論のなかで展開させるようになった、と小谷野は推測する。だが、実際の江藤はというと、八十年代に入る頃から、論理よりも感情を優先させる人間へと変貌しつつあった。小林秀雄との対談では、三島の自決に否定的だったのに、どんどん、三島側へと近づいていくのである。『夏目漱石』の頃から、「江藤は若いころの苦労を誇張する傾向がある」とされていたが、八十年代以降の江藤は、敗戦国民としてアメリカから受けた「傷」に自らのアイデンティティを見出し、非論理的な反米主義者*1として振舞うことで、周囲の注目を集めようとし始め、歪んだロマン主義の泥の中へと埋没していくのであった。これには、七十六年に日本藝術院賞を受賞して以降、文学的名誉から遠ざかり始めたことが、関係しているのだろう。ノーベル賞の受賞が不可能になったことを自覚した三島が狂っていったように。それが、文藝評論家や学者として地道な活動をすることが出来なくなっていた江藤のとった道であり、江藤の「弱さ」だった、と小谷野は見ている。周囲の人間も江藤が才能を浪費していることに気付いていたが、何も言えなかった。そして、感情の赴くままに綴られた批評は、当然のごとく、江藤を孤立に追いやった。江藤は一匹狼タイプの人間ではなく、常に他人との交流──特に男同士におけるそれを希求していたが、本当に信頼できる人間と友情なり師弟関係なりを築くことは遂にできなかった。そして、小谷野は、江藤に子供がいなかったことも、江藤の孤独を深め、自殺に至らせた決定的な要因だと見ている。

 結局のところ、あとがきで小谷野が述べているように、江藤は「あまりに早く、かつ高く評価されすぎた」ことが、後半生における躓きの大きな原因となった。ここでキーワードとなるのが、「勉強」である。江藤が地道に知識を積み重ねることを放棄したのに対し、大江はエリオット、ブレイク、スピノザ、ダンテといった外国文学者たちの研究に勤しんでいた。大江もまた八十年代には、『キルプの軍団』を除き、作品の質が低下するのだが、伊丹十三の自殺を経て、二〇〇〇年の『取り替え子』で復活したのは、伊丹というモデルを──「ギー兄さん」としてではなく──より直接的に描けるようになったことだけではないということだ。江藤と大江の人生を並べることで見えてくるのは、後半生において成し遂げた仕事の質に極端な差が生まれたということであり、「継続は力なり」という教訓をそのまま裏付けるようでもある。

 

 本書には、大江作品における「核」や「終末」といったイメージが、大江のどのような心理からもたらされているのか、『沖縄ノート』を起点に考察されており、それを読むと、大江の政治的言説が小説作品の裏返しであることも理解できる。また、川端伝を書いた著者ならではのエピソードもそこには添えられており、隠された反社会的気質(といっても二人ともあまり隠しきれていないが)が、いかなる作品を生み出してきたのかということも興味深く考えさせられる。無論、才能があってこそ、反社会的気質も作品に昇華されるわけだが。

 

 

江藤淳と大江健三郎: 戦後日本の政治と文学 (単行本)

江藤淳と大江健三郎: 戦後日本の政治と文学 (単行本)

 

 

*1:柄谷行人中上健次との対談で次のように述べた。「江藤淳は、山田詠美の処女作を『飼育』より優れていると言っている。でもそれは違うよ。大江さんのは共同体批判だものね。ところが江藤淳は、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』をメチャクチャけなして、それで山田詠美を褒めた。村上のは、アメリカにやられまくっているという感じが出ているけど、山田詠美のは日本が優位だね。江藤淳は、それに共感しているのだろう」「批評的確認──昭和をこえて」『中上健次柄谷行人全体話』講談社文芸文庫、2011年 p.151