ナサニエル・ウェスト 『クール・ミリオン』

 まだ、全体の4分の1程度(3月25日時点)読んだところだが、ちょっと、ウェストのこの作品はひどすぎる。

 分類するなら、ブラック・コメディということになるのだろうが、ヒロインの設定や地の文があまりにも低劣すぎるのだ。

 なにしろ、ヒロインは冒頭数十ページで、レイプ(しかも二度 〈注:その後、もう一度された〉)されたことがほのめかされ、しかも、その書きぶりが「作者が、ヒロインのベティ・ブレイルを裸のまま茂みの影に置き去りにしたのは、数章前の話であった」とかいうもので、とても真面目にやっているとは思えない。

 もっと強烈なのは、このヒロインが中国人の経営する売春宿に売られた直後の地の文だ。

 

 ウ・フォング(注:売春宿の経営者)は自分が払った六百ドルを、利息がついてすぐもどってくる金だと確信していた。それというもの、彼の店の常連たちの多くが非白人諸国からの客だったから、生粋のアメリカ娘のもてなしをうれしがると思ったのだ。ついでながら、劣等人種が彼らよりすぐれた民族の女をひどくほしがるのは、悲しむべき事実と言わざるをえまい。このことからアメリカ南部諸州においてニグロがおびただしい白人の女を暴行する理由も説明できるというものである(佐藤健一訳)

 

 この小説が出版されたのは、プロレタリア文学が盛り上がりを見せていた、1934年で、そうした時代背景と照らし合わせると、ウェストの思考・記述はあまりにお粗末すぎないか。もっと客観的に書くこともできただろうに、上記したようなレイプ云々の設定などからしても、普通の感性なら慎重ならざるをえない、というかなるべきところを、ウェストはまったく手を抜いているとしか考えられないのだ(注:その後、訳者の解説を読み、ウェストが裕福な家の生まれだと知った。そのことも、この小説の出来の悪さに関係しているかもしれない)。

 

 上の文を書いた二日後に、この小説を読了したが、最初に抱いた「ひどい」という感想にまったく変わりはなかった。訳者の佐藤は、この作品がホレイショ・アルジャーの書いたアメリカ式成長物語のパロディであることを指摘し、文体も通俗小説のそれになっていると言うのだが、この小説は通俗小説に必要不可欠な「伏線」がまったく機能しておらず、前述したグロテスクな語りと出来後ばかりが悪目立ちして、とても評価できる作品とは言えない。なにしろ、小説の最初で行方不明になった主人公の母親は、物語に一切からむことなく、最後にようやく申し訳程度に出現する有様だし、三度も意味なくレイプされたヒロインも、物語の後半で誘拐された後、これまた最後まで出てくることがない。ヒロインの扱いでさえこの体たらくなのだから、他も推して知るべしというところで、とにかく全てが記号以上のものを持たない。「国際ユダヤ財閥」とか「共産党」とかいった団体も、まったくその意味について掘り下げられることはなく、最終的には、主人公の死を利用したファシストが、政権を奪取し、ユダヤ財閥と共産党を駆逐するのだが、物語が完全に行き当たりばったりの進行のために、読了した読者には、作者の意図などまったく受け入れられず、単に不快の念が残されるばかりなのである。

 

 ちなみに、ナサニエル・ウェストの生涯について簡単に知りたい人は、坪内祐三の『変死するアメリカ作家たち』がお勧めです。


 

A Cool Million

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いなごの日/クール・ミリオン: ナサニエル・ウエスト傑作選 (新潮文庫)
 

  

変死するアメリカ作家たち

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