ヒップかスクウェアか メイラーのリスト
このブログのアクセス解析を見たら、ノーマン・メイラー関連で訪問する人が多いので、参考までに『ぼく自身の広告』に所収されている「リスト」というのをここに引用してみたいと思う。これは何がHipで何がSquareかということを、メイラー自身が分類したものだ。下に載せた例は、左がHipで右がSquare。
ニヒリスティック─権威主義的
問い─答え
自我─社会
聖人─牧師
セックス─宗教
セロニアス・モンク─デーブ・ブルーベック
トロツキー─レーニン
D・H・ロレンス─オルダス・ハックスリー
ニクソン─ダレス
ヒップスター─ビートニク
子供─裁判官
私生─堕胎
殺人─自殺
「リスト」ノーマン・メイラー 山西英一訳
『ぼく自身のための広告』の原著は1959年に出版されたのだが、この分類のいくつかは、今でも同じように考えてる人はいるだろう。哲学者としてのサルトルが既に批判の対象(もっと簡単に言えばださいもの)になっている。ちなみに大江健三郎がサルトルを卒論の対象にして、東京大学を卒業したのが1959年だ。
メイラーはこの時点においては、宗教をSquareなものと見ているが、後にキリストを主人公にした小説(『奇跡』)を書くことになる。メイラーが嫌いなのは「均一の集団」であって、「宗教指導者」のような狂的なリーダーシップを発揮する人間のことは昔から興味の対象としていたから、「転向」という感じはしない。
Hipとされているドストエフスキーの後期の小説も宗教的要素が色濃いが、例えば『白痴』の主人公はキリストをモチーフにしており、そこにメイラーが関心を持ったとしてもおかしくはない。あとは単純に『罪と罰』があり、メイラーの『アメリカの夢』に直接影響している。その一方で、Squareに置かれている「自殺」をテーマの一つとした『悪霊』のような小説もドストエフスキーにはあるが。
トルストイをSquareとしたのは、彼の「懺悔」や「家出」が、生温く感じられたからだろう。「家出」については日本でも当時論争が起きた。結婚問題や姦通といったテーマも、メイラーには我慢ならなかったのかもしれない。
トロツキーについては、1951年に出版された『バーバリの岸辺』の中に、重要な登場人物としてトロツキー主義者を出していることからも、まあ納得できる。社会学者としてのマルクスも否定されている。
モンクとブルーベックは、「ジャズにおける黒人vs白人」という図式を作るために持ち出された感じがある。「白い黒人」の作者なら、当然の視点というべきか。
まあ、こうしてメイラー自身の思想を理解する上でも重要なリストだが、当時の知識人が物事に対しどのような見方をしていたかの参考にもなる。