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『憂国』という戦略

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 三島由紀夫が監督を務めた映画『憂国』は、一九六六年に日本ではATG系列で公開された(ちなみにブニュエルの『小間使の日記』との併映だった)。映画は自身が書いた小説「憂国」を原作にしており、物語の背景には二・二六事件が使用されている。簡単にストーリーを言うと、昭和維新の思想に共感しながらも、新婚間もなかったことから、決起に誘われなかった武山信二中尉が、逆賊となったかつての仲間たちの鎮圧に参加せざるを得ない状況へ追い込まれた結果、討伐を放棄し、妻と最後の情事を行ってから、共に自決を果たす、というものだ。三島自身は、映画について「日本人のエロースが死といかにして結びつくか、しかも一定の追ひ詰められた政治状況において、正義に、あるひはその政治的状況に殉じるために、エロースがいかに最高度の形をとるか、そこに主眼があつたのである」*1という風に説明している。

 映画『憂国』は約三十分という長さの中で台詞が一切ない。ワグナーの『トリスタンとイゾルデ』が流れ続ける中、三島演じる武山信二中尉の声は、鶴岡淑子演じる妻の麗子から艶めかしい愛撫を受けても、また腹を切ってさえも、我々観客の方へ伝えられることはない。顔の上半分も軍帽の影に隠れているため、時折アップにされる口許だけが、彼の唯一の感情表現とさえ言える。

 台詞がないことについて三島は、大宅壮一との対談で、「セリフをやったら笑われます。ぼくはプロじゃないから、芝居しないように、あぶないところは、みんなかばってあります」*2と冗談めかして語っている。映画『憂国』の六年前に、三島は増村保造の『からっ風野郎』に俳優として出演しているが、その時の感想は以下のようなものだった。 

 

 とにかく今度の映画出演で、ぼくはぼくのもっている性格とか気質の側面をはしたなくもさらけ出したことになった。これはふだん私小説を軽視しているぼくが、とんでもないところで私小説的なものを露呈した格好になったわけで、まずは苦笑いといったところだ。*3

 

  『からっ風野郎』の経験が、映画『憂国』の演出に影響したことは否めないだろう。俳優になりきれない三島は、演技と思っていたものが、いつしか自身の性格そのものの露出となることを恐れたのだった。『憂国』における三島の演技らしい演技と言えば、切腹シーンで苦痛を表現するため口許を歪めたところぐらいだ。三島とは反対に、妻役の鶴岡は、「涙」というわかりやすい仕草が用意されている。

 では、三島が理想としていたものはなんだったのか。一九六三年から六四年にかけて雑誌『芸術生活』で発表されたエッセイ「芸術断想」において、三島は「英雄の病理学」という題で、「アラビアのロレンス」として知られるT・E・ロレンスについて論じている。興味深いのは三島がそこで、映画にも描かれたトルコ兵によるロレンスへの拷問を論の中心に据えていることで、写真や映画でマゾヒスティックなイメージを世間にばら撒いてきた彼にとってはある意味当然とも言えるだろうか。

三島は、「汚い精神分析的解釈」という強い言葉を使って、ロレンスが著書『智慧の七柱』の中で、拷問と性的快楽を結びつける記述をしたことを批判する。ただ、三島は「拷問の中にひそむ受苦の快楽」自体を否定しているのではない。「万人共通」とさえ言ってのけている。三島にとって許せなかったのは、ロレンスがそうしたことを記述し、また分析したという行為そのものなのだ。そして、三島はロレンスと対極にあるものとして『葉隠』を挙げる*4。その理由を先のエッセイの中から引用してみよう。 

 

 私は「葉隠」を読むたびに、あの一見峻厳な封建倫理のかげに、ときどき、えもいわれぬ甘美な官能的なものを発見するが、「葉隠」の著者が、それについて、一切汚い言葉を使はず、一切を古来の既成的(既成的に傍点)表現で片付けたことを、一そう美しいと思ふ。*5(傍点は引用者)

  

 ここで重要なのは、「既成的」という言葉だ。ここでいう「既成的」とは紋切型というようなことではなく、寧ろ「滅びつつある」というのが一番近い意味だろう。なにしろ、三島がこのエッセイで「英雄的な言葉」として評価しているのが「忍苦」なのだから。第二次大戦後、「アプレ」や「太陽族」といった享楽的・退廃的な文化が流行していった中で、「忍苦」は圧倒的な古臭さしか感じさせない。しかし、戦争中遺書を書き、死に遅れたという自覚を持つ三島にとって、戦後という時代は単純に肯定できるものではなかった。三島は確信犯として、古臭さを引き受けている。ただ、その古臭さは三島が観念的に作り出したものでしかない。そもそも『葉隠』という書物自体、徳川時代には佐賀藩内のみで流通したのであって、流行し出したのは、近代に入ってからだった*6。三島が『葉隠』に古来の美を見出したといっても、それが徳川時代の平均的な感覚といえるかどうかは甚だ疑問なのである。小谷野敦は、「徳川期武士の中心道徳は、儒教である」とし、次のような指摘を行っている。 

 

 だが、『葉隠』の有名な「武士道とは死ぬことと見つけたり」だの「死狂い」だのといった思想は、儒教の重要な理念である「中庸」を隔たること甚だしいものがあって、『葉隠』が近世において読まれなかったのは当然である。(中略)元和偃武以後の幕府は、応仁の乱から続いた戦乱の世を鎮め、支配者階級である武士を、戦国の荒くれ武者から、文武両道を備えた為政者に作り替えるべく、殉死を禁じ、学問を奨励したのである。(中略)そして、戦乱の世に遅れたと感じた武士たちは、旗本奴として喧嘩沙汰を起こし、由比正雪のように乱を起こして生きてきたのである。それは見事に、大東亜戦争で死に損ねたと感じた三島に重なる*7

 

 三島が、そうしたことを知らなかったとは到底思えない。しかし、三島は、「古来の既成的表現」というような言い方で『葉隠』の思想・内容を説明し、あたかもそれが武士道の伝統に連なっているかのような誘導を試みている。そうした三島の策略は、『葉隠』『葉隠入門』の翻訳という形で、一九七〇年の自決以降、欧米各国を中心にし、大きな当たりをとった。切腹シーンを盛り込んだ映画『憂国』を、まずフランスで試写にかけ、ツール映画祭に出品してから、逆輸入するような形で日本へと持ち込んだことも、戦略の一環だろう*8福間良明によれば、『憂国』が公開された頃というのは、二・二六事件が、日本で「思想研究・歴史研究の対象として、内在的に向き合われるようになりつつあった」時期であり、また、それとは対照的に、大衆映画の世界で二・二六事件を扱ったものが、「「ゲテ物」「キワモノ」視されることも少なくなかった」時期でもあるという*9。三島が『憂国』の上映場所としてATG系列の映画館を選んだのも、「キワモノ」扱いされることを避けるためであったと福間は指摘している。

 

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 前章で、映画『憂国』が、まず海外受けを狙ったということを書いたが、「切腹」シーン以外にも、もう一つ気になる描写がある。それは、妻・麗子という存在である。小説の方の『憂国』を見ると、まず麗子の容貌は「やさしい眉の下のつぶらな目にも、ほっそりした形のよい鼻にも、ふくよかな唇にも、艶やかさと高貴さが相映じてゐる」であり、同時に「実に健康な若い肉体」も持ち合わせている(ちなみに、自決時の麗子の年齢は二十三歳とされている)。麗子は、性にも積極的な姿勢を見せるが、その性格は「一度だつて口ごたへはせず」という極めて従順なもので、ここまで来ると和風ポルノという印象すら与えないだろうか*10。『憂国』は一九六六年に英訳がニュー・ディレクションズ社から出版され、二〇一〇年にも同社から再販されているが、こうした描写が、日本幻想を強化するのに一役買った可能性はあるだろう。寧ろ、三島自身、日本幻想を意識して書いたのではないかとも疑わせるような誇張ぶりだ。

 先に、「ポルノ」という単語を出したが、麗子の人物造形の他に、もう一つそう感じさせる要素がある。それは、「社会」との接点が非常に薄いということだ。鍵となるのは、登場人物二人の設定にある。まず、二人は結婚していたということ。これが恋人同士という形であったら、心中・自決という行為に対し、どうしても向う見ずな印象や、家父長制の慣習を破るアウトサイダー的な色合いが加わってしまう。小説の中に教育勅語の「夫婦相和シ」という言葉が引かれていることからも分かる通り、二人は道徳的に結ばれている必要があった。それは、自分たちの社会的立場に対しては何一つ不満はないということを意味し、自決の純粋性を高める効果をもたらしている。そして、ポイントの二つ目は、二人が結婚して間もないということ。小説では、自決した時点での二人の婚姻期間は「華燭の典を挙げしより半歳に充たざりき」とされている。結婚生活が長くなればなるほど、普通、当初の情熱は失われ、相手を異性としてみる意識も薄くなっていく。そうすると、『憂国』の純粋さは消えてしまう。三島は、この二つの設定によって、小説から「俗事」を排除することに成功した。

 映画『憂国』は、その小説をさらに純粋化させたような代物だ。そこにあるのは自決という「絶頂」だけであり、「外部」が一切存在しない世界なのだ。そして、その極端な純粋さこそ、海外で強いインパクトを与えることになった。ある種の欧米人らが根強く持っている前近代への幻想を三島は巧みに利用し、自らも反近代への一歩を踏み出した。三島にとって『憂国』とは、自決へ向けての助走であり、サムライ・ハラキリのイメージを世界へと浸透させる手段でもあった。

 

 

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*1:三島由紀夫「製作意図及び経過」『決定版 三島由紀夫全集 三十四巻』(新潮社、二〇〇三年)三八頁。初出は三島『憂国 映画版』(新潮社、一九六六年)。

*2:三島由紀夫大宅壮一「ぼくが作った“憂国”映画の内幕」山内由紀人編『三島由紀夫映画論集成』平岡威一郎・藤井浩明監修(ワイズ出版 一九九九年)五六〇頁。初出は『週刊文春』一九六六年五月九日号。

*3:三島「映画俳優オブジェ論」山内編前掲書、二九九頁。初出は『京都新聞』一九六〇年三月二十八日。

*4:『決定版 三島由紀夫全集 三十二巻』(新潮社、二〇〇三年)五四八―五四九頁。

*5:同上、五五〇頁。

*6:小谷野敦「忌まわしい古典『葉隠』」(『なぜ悪人を殺してはいけないのか 反時代的考察』新曜社、二〇〇六年)一七〇―一七一頁。小谷野は『葉隠』が爆発的に広まった時期を「昭和十二年、二・二六事件の翌年、支那事変勃発の年」と規定し、背後に「軍部の暴走と軍国主義尊王思想の強化」があったとしている。

*7:同上、一七二―一七三頁。

*8:三島は「製作意図及び経過」において、日本での公開を遅らせた理由をこう説明している。「私はどうしても外国の評判を先に知りたかった。なぜならば、前にもジャーナリズム評判怖れたとほりに、この作品に限って、作家の道楽とか、片手間仕事として、ふざけ半分に評価されることを好まなかった。(中略)そこへいくと、外国人は私について何らの先入主ももたずに見てくれるから、さういふ人の客観的な批判を第一に聞きたいと思ってゐた」(『決定版 三島由紀夫全集 三十四巻』、五六頁)。三島が外国人に何の先入主も持たないで見て欲しいと本当に考えていたかどうかは疑問で、「ハラキリ・サムライ」的オリエンタリズムを、期待していたと考える方が自然だろう。

*9:福間良明二・二六事件の幻影 戦後大衆文化とファシズムへの欲望』(筑摩書房、二〇一三年)一〇六―一〇九頁。当時「キワモノ」視されたと考えられる二・二六映画としては、小林恒夫監督『二・二六事件 脱出』(一九六二年)、『銃殺』(一九六四年)などが挙げられている。

*10:三島「憂国」(『決定版 三島由紀夫全集 二十四巻』新潮社、二〇〇二年)一四―一五頁。「憂国」の初出は、『小説中央公論』一九六一年一月冬季号。