西川正身 『アメリカ文学覚え書 増補版』

 本書は、アメリカ文学者で翻訳も多く手掛けた西川正身がこれまで戦前から戦後にかけて雑誌などに書いてきた、アメリカ文学に関する批評文を集めたものだ。メルヴィルやフランクリン、マークトゥインといった正統派アメリカ文学を取り上げているが、実はそういったものよりも、日本におけるアメリカ文学研究の実情について書いた「アメリカ文学研究室」、「高垣松雄教授」、「戦時下のある集まり」、「日本のアメリカ文学研究草創期」といった文章のほうに価値があると俺は思う。

「戦時下のある集まり」は、日本出版文化協会に勤めていた英文科出身の萩谷健彦から、「日に日にきびしくなっていく出版統制の実情を聞かせてもらう」ために、中野好夫が主唱者となって、1942年、学士会館に集まった時のことを書いた物だ。参加者は他に、福原麟太郎、間野英雄(中野が「文学界」に発表した鴎外論は、間野の言葉にヒントを得て書かれた物らしい)、織田正信、尾島庄太郎、大和資雄がいた。この会合は以後毎月一回行われるようになったらしい。翌年、その彼らが中心になって、「米英文化敵性批判研究会」主催という形で、石田憲次、大河内一男を呼び講演会を行った。だが、この講演会は東条英機の秘書の目にとまり、研究会は解散する破目になった。また、「英文出の某評論家」がこの講演会を新聞か何かで批判したらしいとも書かれている。そして、1944年には集まり自体が自然消滅。その後は、空襲が激しくなったため、近くに住むメンバーだけで読書会(場所は中野の家)を行うようになったという。

「日本のアメリカ文学研究草創期」では、齋藤光、亀井俊介、渡辺利雄を聞き手に、これまで自分がどうアメリカ文学研究に携わってきたかということを西川は喋っている。瀧口直太郎に誘われ英米の新進作家を取り上げるMELグループに参加したり、『新英米文學』の編集を手伝ったり、「英語英文學講座」を通じて高垣松雄と親しくなったことなどが、ここでは詳しく語られている。西川が若手の頃というのは、イギリス一辺倒だった日本の英語文学研究の世界に、徐々にアメリカの風が入り込み始めた時だった。そのため、試行錯誤の段階であって、今では古典となっているような小説が紹介から抜け落ちるというようなこともあったという。また、西川は文壇に吹き荒れたプロレタリア旋風の影響についても触れている。

 ちなみに、「翻訳談義」の中で、昭和6年に出版されたシンクレア・ルイスの『本町通り』の翻訳は、「一ページに二、三カ所づつ誤」りがあると西川は言っていて、訳者の名前は出していないが、これは前田河広一郎のことである。

 

アメリカ文学覚え書 (1977年)

アメリカ文学覚え書 (1977年)