Amazonに登録されていない角川文庫の海外文学

 角川文庫のイメージと言えば、やはり「読んでから見るか 見てから読むか」というキャッチコピーに代表されるように、『人間の証明』、『戦国自衛隊』などの、映画と連動した作品が最初に思い浮かぶ。今でもこの路線は続いていて、東野圭吾とかが森村誠一的な役割を果たしているようだ。

 俺は80年代以前の文学を読むことが多いから、古典の少ない角川文庫を手に取ることはほぼなかったのだが、何年か前にたまたま古い角川文庫の海外小説を借りた時、巻末に掲載されている「文庫目録」を見て、「角川文庫も昔は古典的な作品やややマイナーな海外文学を出版していたんだな」ということに今更気付いたのだった。

 角川文庫の第一回配本はドストエフスキーの『罪と罰』なのだし、そもそも歴史のある出版社なのだから、よくよく考えれば、古典や海外文学に力を入れていた時代があったとしても不思議ではないのだが、メディアミックス商法以降のエンタメや現代ミステリー重視の方向性が、俺の中における角川の全てで、古典と角川を結び付ける回路が一切なかったことから、前述したような思い込みが生じたのだった。

 今、手元にあるゴーリキイ『どん底』に付いている「角川文庫目録 海外文学(赤帯)1976年10月」を見ると、ドストエフスキーシェイクスピア、ジッド、ヘッセ、カフカ、サドといった古典がラインナップに入っていて、シェイクスピア河合祥一郎の新訳で今でも刊行されているが、ジッドとかヘッセ、ドストエフスキー新潮文庫が独占しているような状態である。

 目録をさらに見ていくと、モラヴィア、ハインリヒ・ベル、マラマッドといった、戦後の海外純文学も結構出ている。また、坪内祐三の『雑読系』によれば、「一九七〇年代前半の角川文庫のアメリカ文学のラインナップは凄かった」という(常盤新平がブレーンだったようだ)。しかし、これらの作品をAmazonで検索すると出てこないことが多い。無論、それは情報が登録されていないからで、登録されていないということは販売されたこともないのだろう(削除は考えにくい)。マーケットプレイスを利用する古書店はたくさんあるのに、なぜか一昔前の角川文庫の海外文学は、他のメジャーな文庫のそれに比べて、登録・販売されていないことが多い気がする(古書がほとんど残っていないのだろうか?)。

 Amazonというのは、今ではデータベース的に使われているところもあるので、「検索に出てこない」=「存在しない」という風になってしまうという危惧がある。取り敢えず、俺が気になったもので、登録されていない作品を挙げていこう。

 

ジョン・アップダイク 『同じ一つのドア』

ウラジーミル・アルセーニエフ 『デルス・ウザーラ

ナサニエル・ウェスト 『クール・ミリオン』

レオナード・ガードナー 『ふとった町』

サム・グリンリー 『反逆のブルース』

J・D・サリンジャー 『若者たち』『大工らよ、屋根の梁を高く上げよ』

ジョーン・ディディオン 『マライア』

レスリー・トーマス 『童貞部隊』

ロバート・ヘメンウェイ 『ビートルズと歌った女』

ラリイ・ウォイウッディ 『愛の化石』

ダン・ウェイクフィールド 『夏の夜明けを抱け』

ポール・ニザン 『陰謀』

ジュリアス・ファースト 『ビートルズ

ハインリヒ・ベル 『保護者なき家』

ソール・ベロー 『この日をつかめ』『宙ぶらりんの男』

メアリー・マッカーシー 『漂泊の魂』

バーナード・マラマッド 『魔法のたる』『アシスタント』

ヘンリー・ミラー 『完訳 南回帰線』

アルベルト・モラヴィア 『孤独な青年』『軽蔑』など

D・H・ロレンス 『恋愛について』

 

 

 他にも一杯あるんだろうけど、気が付いたのはこれだけ。余談だが、角川がモラヴィアを出さなくなったのは、共産党嫌いの角川春樹の意向らしい(大久保昭男 『故郷の空 イタリアの風』)。 

 

 

雑読系

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故郷の空 イタリアの風

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