小林秀雄の暴力性

 昭和の文壇で作家に最も恐れられた批評家といえば、小林秀雄だろう。とは言っても、彼について書かれた様々なエピソードを読む限り、その恐ろしさは、あの論理の飛躍した文体の持つカリスマ性だけでなく、もっと直接的な「暴力」によっても支えられていたのではないかと思える。
 例えば、言葉による「暴力」。石原慎太郎の『わが人生の時の人々』には、文士劇の後の打ち上げで、作家の水上勉が、小林から延々と「しごかれた」というエピソードが書かれている。水上は小林から評価された作家であったのだが、その関係性が、小林の「しごき」を誘発したのだろう。次に引用するのが、その「しごき」の様子である。

 

 いつの文士劇の後だったか、築地の料亭「新喜楽」の大広間で恒例の打ち上げがあり、会も大方終わってみんなが三々五々引き揚げだした頃、私の隣にいた水上勉氏を離れた席から小林さんが呼びつけ、水上さんもすぐに飛んでいった。
 なにしろ小林さんは水上さんのいわば発見者、というか水上文学への御墨付きを与えた人で、水上の作品には「花」があるといった小林さんの一言を他の作家たちは随分うらやんだものだ。
 ところが前に正座してかしこまっている水上さんに小林さんは、まあ楽にしろともいわず、
「お前この頃書いているものは、ありゃなんだい」
 何やら作品の名を挙げて、
「うちの女房もひでえといってたぞ」
 ということで延々こき下ろし。
(略)
 最後はとうとう向こうの六人と私だけになってしまって、文春の社員も気をきかして立ち去り次の間で息を殺して聞き耳をたてている体たらくだ。見れば小林さんを中心にした鎌倉文士の間で一人正座したままの水上さんが、飛んでくる言葉の激しさに、ついに涙を流して何やら詫びている。 (石原慎太郎『わが人生の時の人々』文春文庫)

 
 この後、見かねた石原が二人の間に介入することになるのだが、酒席での小林は度を越して乱暴になるようだ。被害者は他にもいて、小林の従弟にあたる英文学者の西村考次は(小林より五歳年下)、酒で乱れた小林から激しく殴られている。西村の『わが従兄・小林秀雄』によると、小林には酔うと人を殴る癖があって、志賀直哉に師事していた作家・橋本基も殴られたことがあるらしい。林房雄邸でも暴れて、翌日川端康成と一緒に謝りにいったとか。
 西村が殴られたのは、漫画家・清水崑の新居開きの席でのこと。西村が両隣にいた誰かと会話している時、段々と興奮してきたのを、斜め右前にいた小林が聞きとがめ、「やい、なにを生意気な!」と言って、いきなり徳利で彼の唇のあたりをぶん殴ったのだ。西村は、上唇六針、下唇四針を縫う怪我をした。
 とにかく、こんな調子で、小林秀雄には酒乱エピソードが数々ある。しかも、その中には被害者がトラウマになるようなレベルで酷い物も少なくない。小林が文壇で恐れられていたのは、酒席で度々引き起こされた暴力沙汰(罵倒も含む)によるものがかなり影響しているのではないか。 

 

わが人生の時の人々 (文春文庫)

わが人生の時の人々 (文春文庫)

 

  

わが従兄・小林秀雄

わが従兄・小林秀雄