ネルソン・オルグレンと寺山修司の出会い

 ジル・クレメンツが作家たちを撮ってまとめた、『ライターズ・イメージ』という写真集を見ていたら(ちなみに、クレメンツの夫はカート・ヴォネガットで、この写真集の序文もヴォネガットが書いている)、ネルソン・オルグレンのところで、気になるものがあった。

 

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 後ろの壁に、日本で行われたボクシングの試合のポスターが飾ってあるのだ。俺は直感的に、「寺山修司に案内してもらったのかな」と思った。寺山は日本で最もオルグレンに傾倒していた作家で、最近映画化された『あゝ荒野』は、オルグレンのボクシング小説『朝はもう来ない』に強く影響されているし、多分「荒野」という言葉も、オルグレンの短編集『ネオンの荒野』から取っているのだろう(ただ、ユージン・オニールの戯曲で、ずばり『あゝ荒野』というタイトルのものがあるが)。余談だが、オルグレンの小説『荒野を歩け』は映画化されていて、日本では長く未ソフト化状態だったが、今月、復刻シネマライブラリーからDVDが発売される予定である。

 それで、寺山がオルグレンについて書いたものはないかなと探したら、『寺山修司青春作品集 3 ひとりぼっちのあなたに』の中に、「ネルソン・オルグレン・ノート」というのが収録されていたので読んでみた(この「ノート」の使い方はノーマン・メイラーの真似だろう)。

 オルグレンが来日したのは、1968年の冬。知っている日本人が、文通をしていた寺山だけだったことから、彼を頼ったようだ。二人は、山谷や吉原、新宿の元赤線地帯に行ったり、ニコリノ・ローチェ対藤猛の世界タイトルマッチを観戦したりした。寺山によると、ボクシング観戦後、「ジムを出る時のネルソンは上機嫌で、壁に貼ってあったポスターを二枚も三枚も引きはがしてふところにしまいこんだ」というから、例のポスターはその時のものだろう。

 オルグレンの来日から二年後、今度は寺山がシカゴに住むオルグレンを訪問した。この面会から11年後に、オルグレンは死ぬのだが、当時60歳だったオルグレンは既に「死」に囚われ始めていたようで、寺山に向かって、自分が死ぬ夢をよく見ると語っている。寺山はオルグレンの暮らしぶりについて、「老作家が、朝からマティーニに酔い、家族もなく、たった一人でアパート暮らしているのを見るのは、私にとってはなぜか心の痛む光景である」と告白している。

 アパートの壁には、あのポスターだけでなく、写真や新聞の切り抜き、旅行先での思い出の品などがべたべたと貼られているらしく、中には愛人だったボーボワールと一緒に撮った写真もあった。寺山はそれを見て、こう記している。

 

写真の中の二人は、今の私よりもずっと若く見える。私は、「時」こそ悪であると、思わないわけにはいかない。すべてのロマンスは主人公の死とともに終り、風景だけが取り残されるのである。たぶん、ネルソンともう一度会えるかどうか、私にはわからない。

 

 クレメンツの写真は、寺山が来訪してから一年後に撮られたもののようだが、寺山のエッセイを読んでから見ると、ひどく寂しいものに感じられる。

 

オルグレンと寺山が観戦した試合。二階席にいたので、姿を確認することはできない。

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The Writer's Image: Literary Portraits

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朝はもう来ない

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荒野を歩け [DVD]

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