J・D・サリンジャー 『ハプワース16、1924年』

 サリンジャーが雑誌などに発表した短編小説の中には、本人が後に単行本化するのを拒否したため、封印状態になったものがいくつかある。例えば、『ライ麦畑でつかまえて』の原型となった、「マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗」や「ぼくはちょっとおかしい」などがそうだ。そして、封印されたもののなかでも、一番物議をかもしたのが、1965年、ニューヨーカーに掲載された中編小説「ハプワース16、1924年」だろう。
「ハプワース」はサリンジャーにとって6年ぶりの新作で、掲載紙であるニューヨーカーも、サリンジャーの小説と広告以外は何も載せないという特別扱いをし、その重要性を強調した。しかし、その評判はどうかというと、酷評か黙殺だった。以後サリンジャーは、2010年に死亡するまで、二度と小説を発表しなかった。
 ただし、一度だけ、幻の作品となっていた「ハプワース」が単行本化されそうになったことがある。地方でオーキシズ・プレスという小さな出版社を経営していた、ロジャー・ラスベリーという大学教授が、1988年、サリンジャーに「ハプワース」を書籍化させてくれないかと直接手紙で頼んだのだ。サリンジャーはその手紙に対し「考えておくよ」と返事を出し、それから8年も経ってから、承諾した。ラスベリーはサリンジャーと何度も打ち合わせをしたが、結局、計画は頓挫した。この原因については、色々言われているが、デイヴィッド・シールズは『サリンジャー』(角川書店、2015年)の中で、次のようにまとめている。

 

 ラスベリーによれば、彼が意図せず信頼を裏切ってしまったためにサリンジャーとの連絡を絶たれたというが(筆者注:ラスベリーが「ハプワース」の出版計画をある小さな雑誌に漏らしてしまったこと)、それはサリンジャーがカクタニの批評に傷つけられた感情をごまかすための建前にすぎないと考えるのが妥当なのではないだろうか? もしかすると、サリンジャーはこの先あり得るグラス家の物語群の出版に向けて様子見をしていたのであり、「記録としての新聞(Newspaper of record)」が「反対」の立場に大きく傾いていたために撤退したのかもしれない。

 

 カクタニによる批評とは、「ハプワース」出版の噂が流れた1997年に、ニューヨーク・タイムズに載ったもので、カクタニは当時のニューヨーカーに掲載されたテクストを読んだのだが、その評価は酷評だった。もっともカクタニは辛口の批評家として有名であり、サリンジャーだけが特別批判されていたわけではないのだが、本人からしてみれば決定的なものだったのかもしれない。何しろ、30年以上の時を経てからの再批判であり、ニューヨーク・タイムズという影響力のある新聞に掲載されたのだから。
 さて、アメリカ本国では、複雑な経緯を辿った「ハプワース」だが、日本では1977年に、荒地出版社からサリンジャー選集の別巻として出版され、その後も、東京白川書院が翻訳を出した。また、「ハプワース」以外にも、単行本化されていない短編が、その二つの出版社からほとんど翻訳されており、一時期は日本人の方がサリンジャーの幻の著作を簡単に読めたのではないか。

 

 俺がサリンジャーに触れたのは、中学三年生の時で、読んだのは村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だった。母に勧められたからというのが、そのきっかけだったが、この小説の入門の仕方としてはあまりにダサすぎると自分でも思う。それはともかく、実際に読んでみると、そこで使われていた文体の新鮮さと、主人公の反抗的な態度に、学校や周囲の状況に不満を持っていた当時の俺は、簡単にはまってしまい、英語で自分の好きなものを発表するという授業で、野崎訳の『ライ麦畑でつかまえて』を紹介したりもした(野崎訳の方が、言葉遣いが古い分、逆に渋いと思っていた)。それから、『ナイン・ストーリーズ』と『フラニーとズーイ』を読んだが、こちらはあまりよくわからず、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』や「ハプワース」には手をつけないままサリンジャー熱は自然に収まった。しかし、サリンジャーがきっかけで、アメリカ文学に興味を持ち、大学に進学した際も、英米文学科を選択したのだから、人生の進路に大きな影響を与えられたわけだ。
 ただ、大学に進学して以降、サリンジャー的な思想とはどんどん遠ざかることになった。それまでの俺は、中高一貫の男子校という、教師から「ビニールハウス」と揶揄されるぐらい、温い環境で6年間過ごしてきたので、他人からの評価というものを避け続けることができたが、大学に入って「異性の目」に晒された時、自分がいかに女にもてない、魅力のない人間であるかということを骨の髄まで実感させられ、それが現在に至るまでの長い悩みになっている。むろん、サリンジャーの小説において、こんな形而下的な苦悩は描かれるはずもない。つまり、サリンジャーの世界に共感できるような立場ではなくなってしまったのだ。
 それでも、腐れ縁のような感じで、主要な作品には目を通しておこうと、未読だった『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』(新潮文庫)を数年前に読んでみたが、やはりサリンジャーと自分の間にある深い溝ばかりが意識させられただけだった。
 そして、去年、新潮社から「ハプワース」の新訳が出た。以前、荒地出版社版『ハプワース』を読もうとしたこともあったのだが、出だしから「四時間前」を「四年前」に誤訳(誤植?)していて、それ以上読み進める気にならず、今度の新訳は再チャレンジへのちょうど良い機会だと考え手に取った。
「ハプワース」は、サリンジャーのライフワークとなるはずだった、「グラス・サーガ」の一部で、主人公はグラス家の長男シーモアである。そのシーモアが7歳の時に、キャンプ場から送ってきた手紙が、「ハプワース」の中身なのだが、実際にそれを読んでみて、どうしてこの作品が様々な批判に晒されたのかよくわかった。
 身も蓋もないことを言えば、その手紙の内容がまったく7歳のそれに見えない。言葉の調子だけは、子供らしさを装っているが、中身は完全に大人である(特に、手紙の後半で、ジェイン・オースティンディケンズヒンドゥー教の指導者について語るところなど)。これを発表した時のサリンジャーは46歳になっていたが、中年の男が7歳児の仮面を被って、自分の思想を照れることなく開陳したのかと思うと、うすら寒くなる。
 また、この小説にはほとんど筋がない。サリンジャー本人が自分は短編作家だと自覚していたように、彼はそもそも複雑なプロットを組み立てるのが苦手である。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読めば、それがいくつかの短編小説の繋がりのように出来ていることがわかるはずだ。そして、彼の小説は段々と「物語」的なものから離れていった。無論、それが必ずしも悪いというわけではないが、サリンジャーの場合、素材をそのまま放り出しているという感じで、読ませるための加工・工夫がまったくなされていないのだ。その傾向は、「シーモア-序章」で著しくなり、「ハプワース」で頂点を極めた。「ハプワース」では、語り手であるシーモアが、ホールデンに負けず劣らず喋りまくる。それがあまりにも辛辣かつ一本調子なので、読者としては辟易せざるをえない。特にひどいのが、脚をけがしたシーモアが、ミス・カルゲリーという看護婦に治療をしてもらう場面。 

 

 笑っちゃいそうなほど粗末だけど、清潔といえなくもない診療所で、ミス・カルゲリーが傷を消毒して包帯を巻いてくれた。ミス・カルゲリーは資格を持った若い看護師で、年齢はわからないけれど、魅力的でもないいし、かわいくもない。ただ、こざっぱりして、スタイルがいい。キャンプの指導員全員、あと上級クラスの何人かが、大学にもどるまえに肉体関係を持とうと頑張っている。よくある話だ。彼女はとても口数が少なく、健全な判断を自分で考えつく資質も能力もない。そしていろんな表情を浮かべてみせるけど、このキャンプ場では自分以外に男性の相手ができそうな美人はいないと勘違いをして興奮している。ミセス・ハッピーは数に入らないからね。診療所では落ち着いていて、控えめで、受け答えはてきぱきしているので、面倒な状況でもあわてないようにみえる。だけど、それは悲しいほどうわべだけで、実際にしゃべる内容は最低。たぶん、頭を置き忘れて生まれてきたんだと思う(金原瑞人訳)。

 

 サリンジャーは、シーモアを魅力的で天才的な思考を持つ人間に仕立て上げようとしているようなのだが、怪我の治療をしてくれた人に対し、必要以上に残酷な評価を下す7歳児に、我々はどんな反応をすればいいのだろうか? また、「バナナフィッシュにうってつけの日」では、シーモアの内面を謎に包むことでその作品の魅力を作り上げていたのに、それをこんな風に露出してしまうのは、蛇足でしかないだろう。
 つまるところ、「ハプワース」は、サリンジャーという作家の欠点が、もろに現れてしまっている作品なのだが、そのことが逆に、自分がなぜサリンジャーから離れて行ったのかということもよくわかった。
キャッチャー・イン・ザ・ライ』にせよ、「ハプワース」にせよ、そこにはある種の選民思想がある。ホールデンシーモアは、他人を徹底的に批評はするが、他人から彼らの実存を脅かすような批判を受けることはなく、申し訳程度の自虐があるだけ。しかも、彼らには、自分の存在を、無条件で受け入れてくれる「身内」が存在している。この他者性の不在が、サリンジャーの小説に、選民思想を浮かび上がらせてしまうのだ。
 中高時代の俺がなぜサリンジャーの小説に共感できたのかといえば、根拠のない自信と現実感のなさに由来する、「俺はあいつらと違うんだ」という選民思想を強く持っていたからだ。しかし、年をとってくるにつれ、自分の能力にもある程度見極めがつき、また、就活や仕事などで他人からの評価も避けられないとあれば、その種の選民思想は自然と消えていくというか、落ち着いていく。
選民思想の裏には「エゴ」の問題がある。「俺はあいつらと違う」と感じるのは、「あいつら」のエゴを感じ取っているからであり、そのことによって、自分自身の「エゴ」にも敏感になっている。だから、フラニーやホールデンは作中で苦しんでいるのだし、シーモアが「バナナフィッシュにうってつけの日」で突然の自殺をしたのも、「エゴ」が原因だと考えられる。小谷野敦は、「サリンジャーを正しく葬り去ること」(『聖母のいない国』所収)の中で、それらのことについて指摘しており、サリンジャーが結局は「エゴ」についての考察が不十分なまま沈黙してしまったと書いている。
 小説家サリンジャーにとって、隠遁生活は本当に正しかったのだろうか? むしろ、それは問題の本質から目をそらす結果になったのではないか? あまりにも自分の世界にこもりすぎたため、小説をコントロールする術を失ったように俺には見える。
サリンジャーの伝記などを読んでいて悲しくなるのは、彼がいつまでも10代や20代前半の女の子にしか興味を持てなかった点だ。ピーターパン症候群じゃないけれど、本当に成長を止めてしまったかのような感覚を覚えてしまう。サリンジャーの娘、マーガレット・A・サリンジャーの『我が父サリンジャー』には、49歳のサリンジャーが、当時文通していた10代のイギリス人少女に会いに、わざわざイギリスまで旅行した時のことが書かれているが、自身のこうした執着に向き合うことができていれば、「エゴ」に関しても、別の考察が出来たように思えるのだが、そうした「恥」を晒すような真似は決してできなかったのだろう。

 

サリンジャー (-)

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キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

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聖母のいない国―The North American Novel (河出文庫)

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我が父サリンジャー

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