中上健次が選ぶ150冊
中上健次の没後出版された『現代小説の方法』という本は、彼の講演をまとめたものだが、最後におまけのような形で、「中上健次氏の本棚──物語/反物語をめぐる150冊」という章があって、中上が選んだ150冊の本のリストが載っている。元々は、1984年に、「東京堂書店神田本店でのブックフェア用に配布されたパンフレット」に載っていたもののようだ。以下、そのリスト。
『太平記一・二』(角川文庫)
近松門左衛門「心中天網島」(『日本古典文学大系53』岩波書店)
曲亭馬琴「椿説弓張月」(『日本古典文学大系60~61』岩波書店)
佐藤春夫「佐藤春夫集」(『現代日本文学大系 第二十七巻』筑摩書房)
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(中公文庫)
坂口安吾『白痴』(角川文庫)
川端康成『禽獣』(角川文庫)
森敦『月山』(河出書房新社)
壇一雄『火宅の人』(新潮社)
遠藤周作『沈黙』(新潮社)
大江健三郎『個人的な体験』(新潮社)
石原慎太郎『化石の森』上・下(新潮社)
安岡章太郎『流離譚』上・下(新潮社)
古井由吉『円陣を組む女たち』(中公文庫)
小林美代子『髪の花』(講談社)
島尾敏雄『死の棘』(新潮社)
吉行淳之介『すれすれ』(角川文庫)
村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』上・下(講談社)
ジャン・ジュネ「薔薇の奇跡」(『ジャン・ジュネ全集 第三巻』新潮社)
ジェイムズ・ジョイス『ダブリン市民』(新潮文庫)
ジェイムズ・ジョイス「若い芸術家の肖像」(『世界文学全集71』講談社)
ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ」Ⅰ・Ⅱ(『河出世界文学大系73~74』河出書房新社)
ジェイムズ・ジョイス「フィネガンズ・ウエイク」(『世界の文学1』集英社、抄録)
ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム』(集英社文庫)
ウィリアム・フォークナー『フォークナー短編集』(新潮文庫)
ノーマン・メイラー『裸者と死者』上・中・下(新潮社)
ミシェル・ビュトール『時間割』(中公文庫)
エルンスト・ブロッホ『未知への痕跡』(イザラ書房)
ロベルト・ムジール「特性のない男」(『世界文学全集 第二集 第二十三巻』河出書房新社)
ジャック・ケルアック『路上』(河出文庫)
ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』(『世界の文学21』集英社)
アレクサンドル・ソルジェニーツィン『収容所群島』全六巻(新潮社)
トニ・モリスン『青い眼がほしい』(朝日新聞社)
リチャード・ライト「ブラックボーイ」(『世界文学全集92』講談社)
トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮文庫)
フラナリー・オコナー『オコナー短編集』(新潮社)
ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』上・下(中公文庫)
ルイ=フェルディナン・セリーヌ「なしくずしの死」(『セリーヌの作品 第二巻~第三巻』国書刊行会)
ルイ=フェルディナン・セリーヌ「北」(『セリーヌの作品 第八巻~第九巻』国書刊行会)
尹興吉『長雨』(東京新聞出版局)
中上健次+尹興吉『東洋に位置する』(作品社)
「春香伝」(『韓国古典文学選集 第三巻』高麗書林)
『現代韓国文学選集』全五巻(冬樹社)
『未堂・徐廷柱詩選──朝鮮タンポポの歌』(冬樹社)
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『不死の人』(白水社)
フリオ・コルターサル「石蹴り遊び」(『世界の文学29』集英社)
マリオ・バルガス=ジョサ「ラ・カテドラルでの対話」(『世界の文学30』集英社)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(新潮社)
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」(『世界の文学31』集英社)
カール・マルクス+フリードリヒ・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』(岩波文庫)
折口信夫『古代研究』(中公文庫)
柳田国男『山の人生』(角川文庫)
小林秀雄『ドスエフスキイの生活』(新潮社)
川村二郎『語り物の宇宙』(講談社)
秋山駿『定本 内部の人間』(小沢書店)
柄谷行人『畏怖する人間』(冬樹社)
三浦雅士『私という現象』(冬樹社)
ジョン・ケージ+ダニエル・シャルル『ジョン・ケージ 小鳥たちのために』(青土社)
ミルチャ・エリアーデ『シャーマニズム』(冬樹社)
ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』(二見書房)
ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分』(二見書房)
ジャック・デリダ『エクリチュールと差異』上・下(法政大学出版局)
モーリス・ブランショ『ロートレアモンとサド』(国文社)
ジョリス=カルル・ユイスマン「さかしま」(『澁澤龍彦集成 第六巻』桃源社)
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ「リゾーム」(「エスピテーメー」一九七七年十月号臨時増刊号、朝日出版社)
エリック・ホッファー『現代という時代の気質』(晶文社)
『音楽の手帖 ジャズ』(青土社)
ノーマン・メイラーとフィリップ・ロスを選んでいたのには驚いた。言及しているのを見たことがなかったから。メイラーは村上龍の世代ぐらいまでは、影響力があったが、その後は急速に沈んだ。そう言えば、映画評論家の滝本誠も、高校時代メイラーにはまっていたと『映画の乳首、絵画の腓』に書いてあった。
村上春樹が一冊も入っていないとか、蓮實重彦が柄谷に比べて少ないとか、色々言おうと思えば言えるが、円地文子が2冊入っているのは、谷崎潤一郎賞を欲しがっていた中上の戦略的選択のように邪推してしまう。なぜなら、かつて金井美恵子に対しこんなことを言っていたから(よく見ると、金井美恵子もリストに入っていない)。
円地文子は、戦後の女流文学界に君臨する、といったふうの有名作家であり、たとえば丸谷才一のせいで谷崎潤一郎賞をもらいそこねた中上健次は、どうしても谷崎賞が欲しいので、まずババアにお世辞を使って攻略するのだと(私に)言い、選考委員であった円地文子と文芸雑誌の『海燕』で対談をしたものだったが、フン、そこまでババアを甘く見てはいけない、もちろん、もらえはしなかったのであった。(「様々なる意匠、あるいは女であること 1」『目白雑録5 小さいもの、大きいこと』所収)
『海燕』というのは、恐らく金井の記憶違いで、中央公論社から出ていた『海』1979年10月号に、「物語りについて」という題で二人の対談が掲載されている(単行本では円地文子『有縁の人々と』に収録)。中上が初めて谷崎潤一郎賞にノミネートされたのは1977年で、対象作は『枯木灘』だった(受賞は島尾敏雄の『日の移ろい』)。ちなみに、円地文子は、自分で自分に谷崎賞を与えた人である。さらに余談だが、佐藤春夫も選考委員を務めていた読売文学賞で、自分の作品(『晶子曼荼羅』)に賞を与えたことがある。
『海』で行った対談では、主に上田秋成ついて話し合っていて、谷崎、永井荷風、三島由紀夫の話題も出ている。当時、中上は、學燈社が出していた『國文學』で、「物語の系譜・八人の作家」という連載を持っており、谷崎を取り上げた際には、「断っておくが、ここでは谷崎に何人もの批評家や作家らが左から右からささげているオマージュに、またぞろこの私も唱和してみようと思うのではない。谷崎はここでは敵だという認識を持っている」と書いたが、さすがに円地との対談では、和やかに谷崎について話し合っている。中上には、意識するがゆえに、喧嘩腰になるという癖があり、谷崎だけでなく大江健三郎に対してもそうだった。「物語の系譜」でも大江に噛みついている個所がある*1。
中上は対談の中で、「物語の系譜」では円地のことも取り上げる予定だと語っていたが、渡米のため、1979年10月号の「折口信夫」でいったん連載が中断し、円地について書き始めたのは、約5年後の1984年4月号からとなった。しかも、それも未完で終わった。「物語の系譜」はそうした長い中断があったために、1983年に冬樹社から出た『風景の向こうへ』というエッセイ集には、途中までしか収められていない。集英社の『中上健次全集15』や『風景の向こうへ/物語の系譜』(講談社文芸文庫)には、(未完だが)全て収録されている。ちなみに、当初は8人の作家を取り上げる予定だったが、5人で終わっているので、残りが誰なのかはわかっていない。井口時男は講談社文芸文庫版の解説で、三島由紀夫・保田與重郎・泉鏡花・深沢七郎などを推測している。
「物語の系譜」で、中上は円地について、「短編小説の名手である」とか、「物語の系現在を考えれば、円地文子は、まことの稀有な存在としか言葉がない」といって褒めているが、84年の谷崎賞では、『日輪の翼』がノミネートされながら、落選。翌年には、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が受賞するという、中上にとっては屈辱的な出来事が起きた。
谷崎賞の選考委員には、江藤淳が「文壇の人事担当常務」と呼んだ吉行淳之介が入っていたが、中上と吉行はわりと良好な関係で、このリストにも、吉行の『すれすれ』が入っている。しかし、代表作とは言えないようなものを選ばれて、吉行はどう感じていたのか。
風景の向こうへ・物語の系譜 現代日本のエッセイ (講談社文芸文庫)
- 作者: 中上健次,井口時男
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/12/11
- メディア: 文庫
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