マット・コリショー 爛熟した美の世界

 日本では90年代にサブカルチャーの領域で、死体、犯罪、ドラッグ、過激な性表現といったものを、倫理や罪悪感から切り離し、時には肯定的にも扱う、いわゆる「悪趣味」文化というものがあった。現在、その功罪についてよく語られるようになったが、同じ時期、イギリスでも現代美術の分野において似たような現象が起きていた。

 1988年、当時ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジの学生だったダミアン・ハーストが中心となって、ロンドンで「フリーズ」という自主企画展が開催された。学生の企画ながら、ハーストの積極的な売り込みによって、美術界の一部から注目を集めることに成功し、若手アーティストらの躍進のきっかけとなった展覧会だ。

 そして、92年にはサーチ・ギャラリーにて、ハーストも参加した「ヤング・ブリティッシュ・アーティストⅠ」展が開かれ、ハーストとその同世代のアーティストたちが「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」と呼称されるようになり、一つのムーブメントを形作っていくことになる。

 名称的にかなり大雑把なカテゴライズにもかかわらず、彼らが一つのグループのように見えたのは、取り上げるテーマに共通点があったからで、それが前述の死体や犯罪ドラッグ、過激な性表現だったのだ。そういった、社会を挑発するような露悪的な作風が、「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」たちの持ち味でもあった(というか、そういう人がことさら目立った)。中でも悪名高いのが、「ホルマリン漬けのサメ」として知られるハーストの『生者の心における死の物理的不可能性』や、連続幼児殺人犯を描いたマーカス・ハーヴィーの『マイラ』、トレイシー・エミンの『1963から1995に私が寝た全ての人』などである。

 アメリカでもジェフ・クーンズや「ヘルター・スケルター」展が注目を集めていたように、90年代というのは世界的に「悪趣味」が評価されるようになった時代にも見えるがどうだろうか。

 と、ここまで前書きが長くなったが、本当にここで書きたいのは、イギリスのマット・コリショー(1966年生まれ)というアーティストである。

 コリショーは、ハーストの「フリーズ」展にも参加した、ハーストと同じゴールドスミス・カレッジ出身のアーティストで、もちろん「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」にもカテゴライズされている(ちなみに、年はハーストが一つ上)。しかし、日本ではほぼ知名度がなく、ダミアン・ハーストを特集した『美術手帖』2012年7月号に、ハーストのおまけといった感じでささやかなインタビューが掲載されているのが、ほとんど唯一の紹介ではないか。以後、『美術手帖』のインタビューを参考にしつつ、コリショーの作品を観ていきたい。

 コリショーが「フリーズ」展に出展した作品は、「弾痕」という作品で、頭部の銃創を拡大したもの。ぱっと見なんだからよくわからないが、マジマジと見つめると、放射状に広がっているものが髪で、中央にあるのが、銃創だと気づく。この作品が、「フリーズ」展では、もっとも注目されたものだと、『美術手帖』2012年7月号に書いてある。しかし、オリジナルは、展覧会終了後置き場に困って破棄したため、現在あるのはレプリカだとか。

 

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Bullet Hole

 

「弾痕」の元になった写真は、オースティン・グレシャムの『法病理学カラーアトラス』というものからとってきたらしい。

 

事故、自殺、変死を問わず死体の写真が何百点と収録された医大生御用達のこの本が、マーカス・ハーヴィーらハーストの仲間内で回し読みされ、創作のインスピレーションになったのだと言う。ページをめくった瞬間に投げだしたくなるような本らしいが、「生と死を扱っているから抽象画よりははるかに面白くて、インパクトが強かった」と納得のコメント。

 

 いかにも、「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」らしい作品でデビューしたコリショーだが、その後の作品もしばらくはショッキングな効果を狙った、露悪的なものが多い。例えば、シマウマと女の性行為を描いた、「昔ながらのやり方で」とか。

 

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In the Old Fashioned Way

 

 この作品、後ろにモーターがついていて、多分シマウマと女が前後運動するようになっているのかもしれない。コリショーはこの写真を、昔のポルノ雑誌からとってきたという。92年発表。

 

 コリショーが習作の段階を抜け、独自の表現を獲得したのは、90年代後半で、「タイガー・スキン・リリー」や「妖精をつかまえて」などの作品を発表し始めてからだ。この頃から、現実の中に空想を織り交ぜつつ、己のフェティシズムオブセッションを表現することに成功し始めた。特に、花や蝶をモチーフにした作品は彼のイメージそのものとなっていく。

 

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Tiger Skin Lily

 

 コリショーは、「タイガー・スキン・リリー」において、ユリと毛皮を合成することで、架空の花を作り出した。コンピューターによる合成は、コリショー作品の根幹を成す技術だが、素材の選定から、見せ方にいたるまで、とにかく洗練されている。そこには、「爛熟した美の世界」と表現したくなるものがある。果物は腐りかけが一番うまい、とよく言うが、コリショーの作品はまさにそれだ。

 

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Insecticide 24

 

 生まれたばかりの息子が病院から家に帰ることになり、コリショーは部屋を消毒した。その際に死んだ虫からインスピレーションを受けて作った作品なので、「殺虫剤」というタイトルになっている。

 

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Venal Muse, Viridor

 

 ボードレールの『悪の華』からインスピレーションを受け、作った作品。

 

 2000年代に入って、現代美術家と高級ブランドのコラボレーションが増えたが、コリショーも2016年に、「DIOR LADY ART」というプロジェクトに参加して、バッグを作った。ちなみに、コリショーの他に6人の芸術家がこのプロジェクトに参加している。

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www.wwdjapan.com

 

美術手帖』のインタビューで、コリショーは最初からプロを目指したと言っている。

 

僕たちの世代に何か共通点があるとすれば、金持ちの親がいなかったってことかな。昔からアーティストは裕福な出が多かったけれど、僕たちは違う。だから、飯が食えるように売れる作品をつくる必要があったし、プロにならざるを得なかった。何かのときの保険がないから、創作をビジネスのように扱うしかなかった

 

 これを読むと、デビュー作で非常にショッキングな作品を公開しておきながら、その後、そういった露悪趣味を封印していた理由がわかるような気がする。ちなみに、コリショーらが駆け出しの頃、仮想敵だったのは、ニュー・ブリティッシュ・スカルプチュアという一派らしい。

 

 マット・コリショーの作品は、彼のホームページで全て見ることができる。

matcollishaw.com

 

 

 

Color Atlas of Forensic Pathology

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美術手帖 2012年 07月号 [雑誌]

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Mat Collishaw

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