マッチングアプリの時代の愛①

 恋と天才──これこそ僕が心に直感し、かすかに垣間見た蒼穹だった。僕はこの輝く空の光に打たれ、狂おしいばかりの魅力をたたえた幻影をとらえたのだったが、その空も今は永久に閉ざされてしまった。僕のことなど構ってくれるひとはいないのだ。そうでなかったら、もうそのひとは現れていていいはずではないか──こんなにも僕は恋人を、天使を焦がれ求めているのだから。

                      

                フローベール「思い出・覚書・瞑想」(山田𣝣訳)

 


 興奮よりも憂鬱が勝った状態で、体臭のこもった穴倉に潜む野犬のように、俺はじっと女を待っていた。風俗店側から指定された、歌舞伎町の狭く黴臭いラブホテルの一室。苦痛に満ちた緊張で汗が滲み、性欲は一向に沸き上がらず、鈍い倦怠感だけが胃の中にたまっていく。無心になりたくてテレビをつけると、平成最後の日ということで、どのチャンネルでもその話題で持ちきりだった。どこかの局のアナウンサーが、街に出て通行人に感想を聞いている。まったく別世界の出来事にしか思えなかった。うんざりして、リモコンのチャンネルボタンを適当に押すと、NHKからプレイボーイ・チャンネルに切り替わった。無音の世界で裸の白人が海草の如くくねくねと揺れている。音量を上げても、何も聞こえてこない。もう一つ隣のチャンネルに回すと、海辺の岩陰で水色の水着を着たAV女優が、ぬちゃぬちゃという、わざと下品な音をたてながら、男に延々とフェラチオをしていた。何を見ても興奮するどころか、ひどい自己嫌悪に襲われたので、テレビを消した。一人でいるのに、なぜか気まずかった。飲みたくもないお茶を無理やり喉に流し込んだ。それからトイレに入り、ロールパンみたいにスカスカなペニスから小便をひねり出した。また何もすることがなくなった。
 本当なら、今日はマッチングアプリで会った女と新宿で買い物する予定だった。それが当日ドタキャンされた。ぽっかりと空いた予定と心を埋めるため、衝動的に風俗の予約をした。あと数分もすれば女が到着するはずだった。しかし、気分は晴れるどころか、どんどん鬱屈とするばかり。無音の室内に、心臓のざわつきが響く。乾いた空気が、喉をちくちくと刺激する。俺は固いソファーに座りながら、暇つぶしにツイッターのタイムラインを眺めた。

 

 マッチングアプリに興味を持ったのはそのツイッターがきっかけだった。俺がフォローしている人は、類は友を呼ぶというか、モテない人が多く、三十歳間近で童貞という人もいた。その童貞の人が、マッチングアプリで会った女にひどい目にあわされた、みたいなことを半分ネタ的にツイートしていたのだが、むしろ俺は、アプリを使えば童貞でも女とデートすることができる、という点に強い衝撃と勇気をもらったのだ。これまでの人生、モテない自分にとって、二人きりで「会う」ということすら、相当な困難かつ方法がなかったから、彼のツイートによって、霧の向こうに隠れた恋愛の入口がほのかに見えた気がした。とにかく何が何でも出会いたかった。それほど女に飢えていた。しかし、それまではマッチングアプリという存在が、自分の性格や生活とはまったく真逆のものと認識していたのだから、まさにコペルニクス的転回となる出来事だった。
 が、今すぐにアプリを始められない事情があった。当時、二十七歳で童貞だった俺は、限りなく無職に近いフリーという立場で仕事をしていて(書籍の編集者から依頼された雑用をこなしていた)、デートやアプリに捻出できる金がまったくなかった。それに、定職に就いていないというのも、女からすればマイナスすぎる。だから、「就職して、金銭に余裕が生まれたら絶対にマッチングアプリをするぞ!」と泣く泣く見送るしかなかった。
 アプリに手を出す前は、ツイッターで彼女を見つけようとしたこともあった。カルチャーに造詣が深いツイッタラーとして一部で人気者となり、カルチャー好きの女と交際しようなどと密かに目論んでいた。実際、そういう例がいくつもあった。実生活ではまったくうだつの上がらない俺も、それを隠せるツイッターなら、敗者復活戦よろしく、みんなから好かれるかもしれないと夢想した。結果的には、女が食いつくほどフォロワーが伸びず、ツイート内容もモテないことをネタにした自虐的なものばかりだったので、相互フォローが男ばかりになり、当初の目的とは大きく外れたアカウントとなってしまった。どうやら、ネットでも実生活でも、大勢の人間から好かれる能力、つまり愛嬌とか社交性のようなものが、俺には完全に欠如しているらしい。感情を表現するのが苦手で、喜怒哀楽に乏しいから、可愛げがなく見えるし、ガードが固いので人がまったく寄り付かない。盛り上がっているライブハウスの後ろで無表情のまま棒立ちしている人間がいたら、俺だと思ってくれていい。
 それでも何人か相互フォローになった女はいたので、DMでこっそりデートに誘ったことが二回ほどあった。しかし、普段まったく絡んでいないのに、いきなりそんなことをしたものだから、あっさり断られて終わった。そもそも、フォローし合っているだけの関係から、恋愛にまで発展させる器用な真似ができるなら、二十八まで童貞ということにもならなかったはずだ。ツイッターに限らず、職場とか、学校の同級生でもいいが、ちょっとずつ距離を詰めていくのが本当に苦手で、世間話する間柄になるだけでも相当な時間がかかる(それは相手が同性でも変わらない)。それで、今までとは違う恋愛の仕方を暗中模索していた時に、マッチングアプリが救世主の如く現れたのだ。

 

 大学生の頃、異性との出会いを仲介するサイトは、「出会い系」と総称され、反社会的勢力が絡む、危険なものとして捉えられていた。登録している男女の大半が売買春目的で、下手したら美人局にあうとも言われていた。だから身の回りでそういうサイトに登録している人間は全然いなかったし俺も興味すら抱かなかったが、何年か前から、「出会い系」がいつしか「マッチングアプリ」と名前を変え、サイト側も真面目な出会いを喧伝し、会員を着実に増やしてきていた。
 やはり、「普通の女」が、ネットを経由した出会いを、受け入れ始めたのが大きいだろう。マッチングアプリにしても婚活サイトにしてもテニスサークルにしても乱交パーティーにしても、まず女がいないと男も集まらないから。女が一人いるだけで、何人もの男がそれにつられてやってくる。しかも、それが「サクラ」でもなく「プロ」でもないのだから、余計に貴重だ(もちろん、「サクラ」が完全にいないわけではないが、サクラに対する心配よりも、素人と会えることへの期待の方が大きいということ)。だから、マッチングアプリは基本女無料、男有料で、それでも採算が取れるほどに男女比が歪なのである。
 結局、俺がマッチングアプリをダウンロードしたのは、あのツイートを読んでから約一年後の、二〇一八年五月後半。二十八歳の誕生日まであと二か月という頃。ようやく内定が出て、七月入社と決まったので、就職前にあらかじめマッチングアプリの研究をしておこうと、少し早めにダウンロードしてみたのだ。
登録したのは、幾多あるマッチングアプリの中でも最も会員数が多いという「ダブルス」というアプリ。「マッチングアプリ初心者はまずこれから」とネットで見たので、それに倣った。よくわからないものに対しては、常に一番人気のものを選んでおくという習性が俺にはある。
 マッチングアプリの仕組みを簡単に説明する。ダブルスでは、男の場合、課金するとひと月に三十の「グッド!」をもらうことができる。このグッド!を、コミュニティや条件検索などで見つけた女に送り(ちなみに、プロフィールは異性のものしか見ることができない)、向こうからもグッド!が返ってくれば、マッチング成立となり、そこで初めてメッセージのやり取りをすることが可能となる。興味のない男をスルーでき、一方的にメッセージを送りつけられることのないこの仕組みが、女のマッチングアプリへの参加を促したともいえる。
 七月になるまでは様子見のつもりだったので、登録だけして課金せず、プロフィールも書かなかったのだが、課金しないと使える機能にいくつか制限がかかった。例えば、相手が一か月でどれくらいグッド!をもらったのかわからない、つまり男からどれくらい人気があるのか知ることができなかったり、マッチングしても相手からのメッセージが読めなかったり、こちらからは最初の一通しか送ることができなかったりした。サイト側は、一通目にラインのアカウントやメールアドレス、URLを載せることを禁止していて、これを破ると強制退会となる。だから、出会うためのやり取りをするには、課金が絶対不可欠なのだ。
 ちなみに、俺にとってダブスルの仕組みは精神的にめちゃくちゃ楽だった。これまで、恋愛において、自分が積極的になれない理由の一つとして、相手が自分のことをどう思っているかわからない、というのがあった。「もうデートに誘っていいぐらい仲良くなっただろうか?」とか、「俺のことなんて眼中に入ってないよな」とかそんなことを考えていると、下手に動いて関係性が壊れないか怖くなり、結局何もできなかった。あと、周囲の人間に、自分が誰に好意を抱いているかなんてことを知られたくない、というのもあった。その点マッチングアプリなら、興味がないなら無視されるだけで、実生活の人間関係には何の影響も及ぼさないし、マッチングしたなら、相手が俺に少しでも興味を持っているのだと自信を持つことができる。
 さらに言えば、最初から一対一で会えるというのも魅力の一つ。会社でも学校でもオフ会でも、あるグループ内で恋愛するには、その中で形成されるヒエラルキーにおいてある程度上位に居座らなければいけないが、俺みたいに集団となるとまったく意見の言えなくなる男にとっては、無理難題だった。会社で目標設定面談の時期になるといつも「もっと自分の意見を言え」と上司に注意される始末なのだから。自分がこうでありたいという意見はあるが、集団そのものが発展しようが衰退しようが、どうでもいいとしか思えず、まったくそこにコミットできないので、結果、存在感がエベレスト山頂の空気より薄くなる。なので、そういう社会における無能さを露出せずに済むというのはありがたかった。

 

 ダブルスに登録して最初に行ったのがコミュニティの検索・加入だった。ダブルスのコミュニティはミクシィーと違い、直接交流するためのものではなく、プロフィール上で自分の性格や趣味を表現するためにある。ダブルスは会員数が日本一ということもあって、かなりマイナーなコミュニティも結構あった(内田百閒とか、ドゥルーズとか)。俺はとりあえず、自分の一番好きな、大江健三郎谷崎潤一郎川端康成アメリカ文学のコミュニティに加入した。
 しかし、これらのコミュニティはあまりにも参加している女の数が少なかった。具体的には、大江健三郎が115人中5人、谷崎潤一郎が875人中125人、川端康成が215人中34人、アメリカ文学が98人中2人(ただし、しばらくして、仕組みが変わったのか、コミュニティの参加人数が大幅に減少するという事態が起き、この時と今では人数に大きな違いがある)。谷崎には『痴人の愛』、『春琴抄』といった女性崇拝的な作品があるせいか、この中では女人気が一番高い。逆に、大江は全体の人気がそもそも低いし、女受けとなると最低レベルで、「大江、もうちょっと頑張ってくれや」と叱咤したくなった。ちなみに、村上春樹は9203人中1061人。俺は、『懐かしい年への手紙』と『ノルウェイの森』が同時期に発売された時、書店で『懐かしい年への手紙』が『ノルウェイの森』に圧倒されていた、という物悲しいエピソードを思い出した。
 意外だったのは川端で、文庫の読まれ具合からして、それなりに読者がいると思っていたのだが、谷崎の半分以下しかコミュニティに参加していない。ちなみに、他の純文学作家でいうと、夏目漱石が1019人中130人、芥川龍之介が496人中51人、太宰治が1414人中206人、三島由紀夫が1397人中165人だった。なぜ川端がこんなにも人気がないのかは謎である。
 さて、本当に好きなものだけにコミュニティを限定すると、共通点を持った女があまりにも少なくなってしまうので、以降は会話に出せるぐらいのものも追加することにした。文学だけでなく、映画(デヴィッド・リンチウディ・アレンルイス・ブニュエル)や音楽(銀杏BOYZリバティーンズ、フガジ、ニルヴァーナ)、アート関係(アンディ・ウォーホル)のコミュニティにも入った。自己満足として、誰も入る見込みのない、マイナーな作家のコミュニティも作った。結局、加入したコミュニティの数は六十にまでのぼった。これ以上入ると、人物像が散らかりすぎると考え、その辺で打ち止めにした。参加したコミュニティのほぼ全てが芸術にまつわるもので、客観的に見て変人臭がぷんぷんしたが、旅行にも温泉にもキャンプにも食べ物にも酒にも洋服にも興味がないから仕方ない。
 それ以外に、自分の性格や経歴を示すようなコミュニティにも入らなかった。どちらもネガティブなものにしかならないからだ。もし俺が正直に、「初めて会うときに緊張する」なんてコミュニティに入ったりしたら、普通に敬遠されるだけだろう。一番不思議だったのは、「恋愛経験少ない」というコミュニティに男が二万人以上も入っていたこと(女は一万人)。女なら、「自分は軽い人間ではない」というアピールにもなるが、男の場合、大学生か相当な高スペックの持ち主じゃない限り、「経験少ない人にしか見えませんよ」ということになる。だから、自らマイナス・イメージになるようなコミュニティに入る男というのが、俺にはよく理解できなかった。ものすごく自分に自信があって、ちょっとした「ギャップ」を狙っているということなのだろうか?
 コミュニティ探しがひと段落したので、課金した際、すぐにグッド!が送れるよう、自分の入っているコミュニティから気になる女をピックアップし、次から次へと「お気に入り」に突っ込んだ。その全員と付き合いたかったわけではなく、どのプロフィールを見ても、「帯に短し襷に長し」といった感じで、なかなかピンとくる人がいなかったので、後で慎重に吟味しようと、ひとまずお気に入りに入れておいたのだ。
この作業はかなり楽しかった。例えば、谷崎潤一郎のコミュニティに入っている女のプロフィールを見て、「こういう人が谷崎のファンなのか」というのがわかったりして、興味深かったから。また、同じコミュニティに入っている人でも、ふわっとした感覚で入っているのと、ガチで好きなんだろうなという人の二手に分かれていて、俺は後者の方に好感を持ったが、基本的にコアな感じの人は少数派だった。
 当初、俺は文学の研究をしている大学院生とか研究者とかも探してみたのだけれど、これが全然いないのである。特に、同世代となると壊滅的で、まだマッチングアプリに抵抗があるのか、もっと若者向けのマッチングアプリに手を出しているのか、それとも現実世界で恋人を見つけているのか。余談だが、「文系大学院を卒業しました!」というコミュニティのアイコンには、『文系 大学院生サバイバル』のカバーが使われていて、コミュニティを作った奴の叫び声が聞こえてきそうである。
 そうやって、女のポケモン図鑑を作っているうちに、一刻も早く課金して、女と会いたくなってきた。しかし、ネット上に無限に転がっているマッチングアプリ攻略サイトみたいなのを読むと、どのサイトでも、プロフィールの写真が「めちゃめちゃ大事」と書いてある。ダブルスでは、「メイン写真」と「サブ写真」の二か所に写真を投稿できて、メイン写真は一枚のみ、サブ写真は無制限に投稿できる。そして、サブ写真はそのアカウントのプロフィール・ページまで飛ばないと見ることができないが、メイン写真はアカウントのアイコンとなるから、当然一番良い写真を載せなければならない。攻略サイトによれば、メイン写真は、自撮りではなく、友人に撮ってもらったもの(同性が一緒に写っていればなお良し)が好ましいという。一番やってはいけないのは、自撮りしか載せないこと。確かに、自撮りしかあげていない人は、友達がいないのかなと勘ぐってしまうし、ナルシシストにも見える。特に男は女に比べて自撮りする習慣がないから、余計にまずい。
 だが、写真嫌いで、人間関係に難がある俺は、手元に使える写真が一枚もなかった。いや、就活の時に使った証明写真の残りがあったが、そんなものをアイコンに使ったら、友人がいない人格破綻者であることを宣伝しているに等しい。しかし、家族に頼めば理由を聞かれ面倒臭いし、唯一頼めそうな友人も、転勤で去年から大阪に行ってしまっている。なので、試しに自撮りを載せてみて、その反応を見てから、色々考えることにした。

 

 夏が濃厚になり始めた六月のある日、同居している家族(母と祖母)が出かけた隙に、女受けがよいという理由からスーツ(就活時に青山で購入)に着替え、さっそく格安スマホのしょぼいインカメラで自撮りしてみた。すると、無表情で、アンパンのように膨らんだ顔をした、不気味さばかりが際立つ通報必至の不審な男がそこにいた。不意に、小学校の頃、いじめっ子の女子から「氷川は将来人を殺すと思う」と予言されたことを思い出した。
 とにかく、あまりの醜さに耐えられなくなり、数秒でそれを削除。腕を目一杯伸ばしたり、表情を頑張って作ってみたりと、俺なりに色々努力してみたが、全然上手くいかないので、ネットで自撮りのテクニックについて調べてみると、「鏡に映った姿を撮影すると、写りの良い写真が撮れる」と書いてあるのを発見。確かに、公衆トイレの鏡を利用した自撮りをツイッターとかで結構見たことがある。そこで、洗面所の前に行き、歯磨き粉の飛び散った三面鏡を丁寧に拭いてから、トイレのドアをバックに写真を撮った。が、あまりにも生活感が溢れすぎていて、恐ろしく貧乏臭かったので、没にせざるを得なかった。
 次に、デジカメのタイマー機能を使って、あたかも他人に撮ってもらったかのような写真を捏造しようとした。三脚という文明の利器を持っていなかったので、椅子に大量の本を積んで、高さを調節し、何度も試し撮りをして、立ち位置を決めた。途中、本が崩れそうになって慌てた。撮影場所は、インテリに見えるように、本棚の前にした。そこは、パソコンが置いてある家族共用の部屋で、六畳程度の広さだったが、ほとんど俺しか使っておらず、半ば俺が占拠するような形となっていた。ちなみに、自分の部屋は荷物が多すぎて、十年以上寝ること以外使用していない。
 その部屋は、マンションの構造のせいなのか、他の部屋に比べて異様に蒸し暑かった。にもかかわらずクーラーが設置されていないので、そこにいるだけで汗が泉の如く湧き出、額に玉を作った。我慢できなくなり、ジャケットを脱ぐ。タイマーをセットして、ラーメン屋の店長みたいに腕を組んでポーズをとっていると、飼い犬のスッペ(トイプードルとシーズーの雑種で牝。母親がラーメン屋からもらってきた)が退屈したのか部屋に闖入し、俺が自撮りしているところを観察し始めた。この犬は、俺がオナニーしている時もたまに入って来くる空気が読めない犬なのだ。邪魔なので、犬用のたまごボーロを口止め料代わりにやって部屋から追い出した。
 出来上がった写真は、インテリどころか「表情筋が死んだのび太」という風で魅力的どころか怖かった。しかも、汗で髪はつぶれ、顔は光り輝き、眼鏡はずれている。そもそも冷静に考えれば、ワイシャツにスラックスという格好をした男が、自宅の小汚い本棚の前で誰かに写真を撮られているというシチュエーションが謎だ。だが、自撮りに疲れたのと、これ以上やっても良くなることはないと半ば諦めて、ここらで打ち切ることにした。それに、さっさと次の段階に進みたかった。俺は出来上がった写真を若干補正してから、ダブルスに投稿した。写真には審査があり、運営が判断するまで五分ぐらい時間がかかる。規約では、はっきり本人だとわからないものはダメらしく、例えば女装写真もアウトという(女として登録しているならOK。実際、トランスジェンダーを数人見た)。
 五分後、審査に通ったという通知が来た。なので、今度はプロフィールをどんどん埋めていくことにした。自己紹介文は時間がかかりそうなので、簡単に埋められる身長とか血液型から手をつけた。ダブルスは身体的特徴だけでなく、恋愛観・結婚観から、性格・趣味まで情報を入れられるようになっている。婚活目的でやっている人もいるから、それだけの細かさが求められているのだろう。
プロフィール入力で、最初に悩んだのが、居住地だった。住所的には埼玉だが、実際には板橋区まで徒歩五分という境目に住んでいて、最寄り駅も板橋区なので、むしろ埼玉の方が遠いぐらいなのだ。だから、東京にしたかったのだが、そこは自己紹介文で説明することにして、正直に埼玉と書いた。
 次に困ったのが年収。手取りだと二百万を切るので、額面で考えることにしたが、それでも二百五十にすらいかない。泣く泣く真実を入力しようとしたら、ダブルス側の用意した選択肢というのが、「二百万未満」、「二百万以上~四百万未満」、「四百万以上~六百万未満」と、低収入者に優しいつくりになっていて、四百万未満の方に誤解してくれることを願って、「二百万以上~四百万未満」を選んだ。実際、二十八歳・大卒・会社員というプロフィールを見たら、そいつの年収が二百万程度しかないとはあまり思わないだろう。多分、ダブルス側もそういうことまで念頭に置き、この選択肢を作成したと思われる。
 やや風変わりな項目としては、「初回デート費用」というものがあった。「男性が全て払う」という選択肢はあるのに、「女性が全て払う」はなかった。どうも、女の方でも同じ選択肢が出ているらしく、「男性が全て払う」を選んでいる人はいたが、「女性が全て払う」はまだ見たことがない。しかし、「男性が全て払う」を選んでいる女の自信と正直さには、呆れると同時に感心した。仮に「女性が全て払う」という選択肢があって、俺がそれを選んでいたら、「お前のどこにそんな魅力あんねん」と似非関西弁でツッコミが入るだろうから。
 映画のチケットや夕食程度なら奢ることに吝かではないが、最初から奢られることを目的として会いに来る奴には奢りたくない、と俺は思うのだが、そういう女でもグッド!がそれなりについているのを見ると、何が何でも奢りたい(そしてセックスしたい)という男は少なからずいるらしい。というか、「男性が全て払う」という選択肢は、まともな男を遠ざけ、そういうヤリモクを引き寄せてしまう効果がある気がするのだが……。俺自身は、実際にデートすることになったら自分が全て払うけれども、会う前から期待してほしくないということで、「相手と相談して決める」というのを選択した。
 最後に、「性格・趣味・生活」欄に移る。性格・タイプという項目をクリックすると、「聞き上手」とか「天然」とか「熱血」などいった選択肢が五十個近く現れた。当然、ネガティブなものは最初から排除されているのだが、そのおかげで選べるものがほとんどなかった。そもそも、自分から「知的」とか「謙虚」なんてことを主張するのは、恥ずかしくできない(第一、自分で「謙虚」なんて言ってるやつは謙虚じゃないのでは)。それで、「インドア」にだけチェックを入れた。そして、性格・タイプの下にあった社交性を「ひとりが好き」、お酒を「飲まない」、趣味を「読書」にしたら、何のためにマッチングアプリをやっているのかわからない超陰気な人間が完成してしまった。しかし、嘘をついたところで器用じゃない自分はすぐに馬脚を露してしまうだろうから、結局、性格・タイプのところに、「穏やか」というのを追加し、社交性を「少人数が好き」とだけ変更し、それ以上はいじらなかった。
 年収以外で、明らかにネックだなと思ったのが、同居人の項目で「実家住まい」を選んだこと。女からすれば二十八にもなって親元に寄生している男なんぞ、露出した地雷にしか見えないだろう。事実、甘えているのには違いないのだから弁解のしようもないのだが、引っ越す金もないので、それを気にしない女を探すしかなかった。
 最終的に出来たプロフィールというのが、

 

身長:174㎝ 

体型:普通 

血液型:AB型 

居住地:埼玉 

出身地:埼玉 

職種:会社員 

学歴:大学卒 

年収:二百万以上~四百万未満 

タバコ:吸わない 

ニックネーム:R・H(本名の氷川陸人をアルファベットにしただけ)

年齢:27歳(一か月後には28に) 

国籍:日本 結婚歴:独身(未婚) 

子どもの有無:なし 

結婚に対する意思:良い人がいればしたい 

子どもが欲しいか:わからない 

家事・育児:積極的に参加したい 

出会うまでの希望:気が合えば会いたい 

初回デート費用:相手と相談して決める 

性格・タイプ:穏やか、インドア 

同居人:実家暮らし 

休日:土日 

お酒:飲まない 

好きなこと:読書、映画鑑賞、音楽

 

 基本的なプロフィールが全て埋まったので、自己紹介文を書くことにした。しかし、これが結構難しい。今の時代、『シラノ・ド・ベルジュラック』みたいに、文章だけで女が惚れるということはないが、ある程度の社会性・人間性を示すツールにはなる。女のプロフィールを見ても、短すぎる人は知性ややる気を感じにくいし、長すぎる人はこだわりの強い神経質そうな人に見えてしまう。ダブルスでは、自己紹介用の例文を用意しているのだが、それを見ると、結構な数の女が例文をそのまま流用しているのがわかって、おかしかった。一応、俺は文章に関してはそれなりの矜持があるので、一から自分で書くことにしたが、自慢できるような経歴がなくて煩悶した。とにかく、経歴の上澄みだけを掬ってなんとか書き上げたのが、

埼玉と板橋の狭間に住み、普段は新宿で働いています。
以前、出版の仕事に携わっていましたが、今は就活関係の会社で事務員をしています。
アメリカや日本の小説、パンク、映画が好きです。芸術家の伝記もよく読みます。
あと、ブログを書いていて、文学についての本を出すのが目標。
趣味があったら、お話しましょう。
よろしくお願いします!

 本を出すのが目標とか書いたが、そんな予定や出版社とのコネもないどころか、まず本になるような原稿がなかった。けれど、ただの低年収事務員だと、まるで向上心のない薄っぺらで怠惰な男にしか見えないので、「自分、夢あります」という姿勢を少しでもアピールするしかなかった。やや心苦しかったが、背に腹は代えられない。 
 さて、一体これでどれくらいのグッド!がくるのか。一応、第一候補、第二候補と気になる女の子は何人か絞り込んでいたのだが、この変な写真のままこちらからグッド!を送って無視されたら悔やんでも悔やみきれないので、とりあえず今は女からどれくらい人気が出るのかだけ確認しようと、ログインだけして、しばらく放置した。
 久しぶりの満員電車、初めての会社員。仕事そのものは難しくないし(つまり、誰にでもできる)、基本定時で上がれるが、精神の疲弊はどうしようもなかった。しかも、文筆で食えるようになったらすぐにでも辞めようと思っているから、余計に「無駄なことをしている感」が強まる。それにプラスして、「会社員をしている俺は俺じゃない」というつまらないプライドも、疲れを増加させるばかりだった。
 就職してからの生活サイクルは、七時起床、十九時半に帰宅・夕食。二十時から二十一時まで仮眠をとってから、風呂に入り、二時半まで読書というものになった(最初の二週間は三時まで起きていたが、エスカレーターで眠って落ちかけたので止めた)。足りない睡眠時間は、電車の中と昼休みに寝ることで補った。ダブルスは、読書している合間にちらちらと確認した。俺はスマホフリック入力が好きではないので、ネットもラインも基本的にPCでしかしない。ラインの場合、とりあえず文章は読むが、緊急性がない限り、家に帰ってPCから返信している。ダブルスも、スマホからだと操作を誤りそうなので、極力PCからログインするようにしていた。
 ダブルスで同世代の女のプロフィールを見て回っていると、十人並みの容姿なら、だいたい五十ぐらいグッド!を貰っている人が多かった(便宜上、「十人並み」という表現を使ったが、俺からすれば十分かわいい)。また、百越えも全然珍しくなく、美人にもなるとあまりにもグッド!を貰いすぎて、「五百以上」という表記になり、具体的な数字が出なくなる。どうも、ある地点を超えると、行列がさらなる行列を作るように、加速度的にグッド!が増えていくようだ。大学生のように若い人が有利なのは当然だが、意外に四十代後半でも五十前後のグッド!を獲得している。ただ、長くやっていれば、自然にグッド!の数は下がるが、それでも、ログインさえし続けていれば、大幅に下がるということはあまりない(最初から大量のグッド!をもらっていた人は別だが)。
 野球の野村監督が、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という格言をよく使うが、ダブルスでもそんなに美人ではないのにかなりの数のグッド!を貰っている人がいる。ダブルスには「足あと」という機能があり、これをONの状態にして相手のプロフィールにアクセスすると、自分のアカウントが向こうに表示されるのだが、恐らく、そういう人は足あとをつけまくっているのだろう。俺のところにも、共通点が全然ないのに、足あとをつけていく女が何人もいて、その人たちはおしなべてグッド!が「五百以上」だった。女のプロフィールを眺めるのが趣味の俺は、もちろん足あと機能をOFFにしていた。
 それら女のもらっているグッド!の数から、俺も十ぐらいはグッド!をもらえるんじゃないの、と軽く見積もっていたら、一か月近く経っても一切グッド!が来なかった。ダブルスでは、「0グッド!」という表記はなく、「5グッド!未満」(直近三十日間)という表し方になるのだが、自分のプロフィールの左上にでかでかとそう表示されているのを見ると、悲しくなると同時に途方に暮れた。選ばれないことの絶望と不安。恋愛市場における自分の商品価値の無さを骨の髄まで思い知らされた。しかし、ここで諦めるのも絶望するのも早すぎる。まだこっちからグッド!を送ってはいないのだから……。受身のままでモテることはないとわかったが、自分から動けばまだチャンスはあるかもしれない……。と思いたい……。そんなことを四六時中自分に言い聞かせ、蛮勇を振るう気分を高めようとした。
 まずは、写真を他人に撮ってもらったものに変えようと決意し、大阪に住んでいる高校時代の友人・西川にラインで依頼した。
「最近、マッチングアプリ始めたんだけど、使える写真がないから撮ってくれないか?」
「いいけど。どこで?」
「八月十一日から十五日まで会社が夏休みに入るから、そのどこかで大阪に旅行に行くわ」
「OK」のスタンプ。「氷川もマッチングアプリ始めたのか」
「まあな」
「俺もやってるよ! 車で山口まで会いにいった」
「大阪から?」
「うん」
「やべえな」
「かなり大変だったわ。もうやらないけど(笑)」
「会えるんだな、やっぱ」
「なかなかうまくいかない」
「そうなん? でも、西川の仕事ならモテるだろ」
 西川は就活生に人気のある、有名な証券会社に勤めていたから、その経歴だけでモテてもおかしくなかった。
「いや、向こうからグッド!してくる人は、変なのが多い。すごいオバサンとか」
「そうなんだ。じゃあ、自分から?」
スマホからログインすると『今日のおすすめ』ってのが出て、無料でグッド!押せるじゃん。あれで、手当たり次第にグッド!つけてる」
 ダブルスはひと月に三十グッド!配布され、それを使い切ったらストアから新たに買うという仕組みだが、それとは別に、ログインした際、「今日のおすすめ」として、居住地の近い異性が四人程度ランダムで表示され、その人たちには所持しているグッド!を消費せずにグッド!を送ることができるのだ。趣味の合う女にしか興味のなかった俺は、誰がこの機能を使っているんだろうと思っていたのだが、身近にいた。
「じゃあ、数撃ちゃ当たる戦法なのか」
「やっぱりね、そうしないとなかなかマッチングしないよ」
「もし、複数の女とマッチングしたらどうすんの?」
「その時はその時かなあ」
 マッチングアプリで、同時に何人もの相手とやり取りすることを単純に「並行」と呼ぶが、俺としてはそのやり方が好きではなかった。やり取りするなら、一人ずつがよかった。自閉的な性格のせいでコミュニケーション自体苦手というのもあるし、並行だと相手への想いが軽くなるような気がしたから。しかし、マッチングすること自体の難しさを考えると、西川のやり方が正しいのかもしれない。ダブルス側だって、ひと月に三十もグッド!を配るというのは、それだけマッチングしないということの証明ではないか? 三十人にグッド!をばらまいて、誰ともマッチングしなかったら、どうすればいい? その時はさすがに心が折れるかもしれない。

 

マッチングアプリの時代の愛②