ジョン・ファンテ 『塵に訊け!』

 世の中には、是が非でも作家になりたいという人種がいる。そして、そんな人種が書く小説となれば、作家志望の青年(つまり自分)が主人公となるのは当然だ。ジョン・ファンテの『塵に訊け!』もそういう小説である。

 主人公バンディーニは、ロサンゼルスの安ホテルに泊まり、「子犬が笑った」という短編が一度だけ雑誌に掲載されたことに異様な誇りを感じている(この辺りは嘉村礒多を想起させる)。そうでもしないと、自我が保てないからだ。バンディーニは、その短編が偉大な作品であることを確信しているが、実際に彼の周りにいる人々はそんなこと歯牙にもかけない。バンディーニだけが、自分のことを大物だと信じ込んでいる。彼が現実を知るのは、女との出会いによってである。20歳の彼は童貞で、非常に臆病だ。いつの日か偉大な作品をものにできると妄想する彼だが、女の前で妄想は通用しない。ほとんどストーカーと変わらない行動で、何とかカミラを手に入れても、セックスが上手くいかないのだ。カミラもそれを正面から指摘する。彼女はバーテンダーとも付き合っていて、バンディーニの自尊心は真っ二つに引き裂かれる。

 この小説はバンディーニの成長物語である。作家志望の青年にとって、唯一目視できるゴールが、小説の出版(後に、絶賛されること込で)であり、それができない限り彼は自分の存在を認められない。この世に生きている価値などない、とまで考え込むから。結果から言えば、バンディーニは成功する。しかし、当然のことながら、人生は本を出版しただけで終わるわけではない。成功を手にしても、それは一時的なものであり、生活を常に潤し続けてはくれないのだ。そのことを知ったバンディーニは、フィクションの世界だけではなく、現実においても成功(カミラを我が物とする)を掴もうとするが、時すでに遅し。彼はロサンザルスの砂漠に一人取り残される。だが、その苦い経験こそが、バンディーニを真に成長させるのだ。

 『塵に訊け!』には、ブコウスキーが序文を寄せている。なるほど、ブコウスキーも、是が非でも作家になりたいという人種の一人だ。ちなみに、ジョン・ファンテが、影響を受けた作家に、ノルウェー出身のクヌート・ハムスン(ノーベル賞受賞者であるが、対独協力のかどで戦後は不遇の人生を歩む)がいる。彼の代表作『飢え』もまた、作家志望の青年が主人公なのだが、結末は『塵に訊け』と真逆である。ハムスン、ファンテ、ブコウスキーという流れで小説を読むのもいいだろう。

 

 ちなみに、林芙美子の『放浪記』はハムスンの『飢え』にインスピレーションを受けて書かれたものだと、本人が明言している。作中にも次のような文章がある。

「夜更けて、ハムズンの「飢ゑ」を読む。まだまだこの飢ゑなんかは天国だ。考える事も自由に歩く事も出来る国の人の小説だ。進化(ルビ:エヴオリユウション)と、革命といふ言葉が出て来る。私にはそんな忍耐もいまはない。泥々で渇望の渦のなかに、何も考へないで生きてゐるだけだ」

 

 おまけ:日本と中国おけるハムスンの受容について、簡単にまとめている文章があった→小論文

塵に訊け!

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勝手に生きろ! (河出文庫)

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林芙美子全集〈第2巻〉放浪記 (1951年)

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