古田が監督に向いていないと考えるいくつかの理由

 名捕手=名監督という図式がプロ野球界には根強く残っている。野村克也森祇晶、そして最近では伊東勤もその仲間に入りそうである。そのため、ヤクルトでは結果を残せなかった古田が、再度監督に挑戦することを期待している人は多い。だが、僕は古田という人はあまり監督に向いていないのではないかと思う。より正確に言えば、大人数を統率するタイプではないという感じだ。その理由をいくつかあげていこう。

 

 まず、現役時代の古田はケチで知られていた。球界では年上の選手が若手に飯をご馳走することは珍しくないが、古田は奢るのが嫌でそうしたことをほとんどしなかったという。また、珍しく誘ったかと思えば、「牛丼食ってから来いよ」と水を差すようなことを言ってみたり。そういうわけで若手受けはすこぶる悪かったわけだ。性格的には、親分肌ではなく、限られた友人との交際を好むタイプのように見える。監督になったら、コーチとばかりコミュニケーションを取って、選手がほったらかしになるのではないか。

 性格の話で言えば、古田は意外に感情のアップダウンの差が激しい。現役時代は冷静沈着に見えた彼だが、解説の仕事では視聴者に違和感を感じさせるほど、露骨に感情を出すことも珍しくない。星野仙一のように、軍人的カリスマ性があれば、それでも通用するかもしれないが、古田の場合、単に雰囲気が悪くなるだけだ。

 これは穿った見方かもしれないが、古田はあまり人を信じていないのではないか、とも僕は思う。これは大学生の時にドラフトで煮え湯を飲まされたことに起因する。トヨタに入社し、後にヤクルトのスカウトが挨拶に来た時、古田は「本当に指名してくれるんでしょうね」と何度も確認したそうだ。そういった事から、古田は仕事を人任せにはできないタイプとなった。隅々まで自分の眼が行き届いていなければ気が済まないコントロールフリークなのだ。そうした人は失敗やハプニングを人一倍嫌う(だから、解説の時に、選手のミスを見て、怖いぐらいにイライラしているのかもしれない)。恩師である野村はおだて上手で、江本孟紀江夏豊山崎武司といった問題児・異物を積極的に取り込んでいったが、古田にそのような芸当ができるのかといえば疑問である。

 さらに、ヤクルト監督時代、古田は運営や選手獲得を巡り、フロント(多菊善和球団社長)と対立したことがあった。これに対しては、勿論、古田側、球団側、二通りの見方ができる。しかし、ここであえてフロント側に沿った発言をするとこうなる。「その意見が正しいとか正しくないとかはどうでもいい。『意見をする』という行為自体が間違っているのだ」。フロントが監督を選ぶ際、まず重視するのは、従順であるか否かということだ。金村義明によれば、現役時代の梨田は、フロントに取り入るのが上手かったという。落合博満も、オーナーと懇意である。もし、監督を目指すのなら、こうした関係性を築くのが急務になるだろう。時には妥協しなければならない状況も出てくる。古田はどこまで自分を殺すことができるだろうか。

 

 今の古田の職業は解説者・タレントだが、そういった個人の力を存分に発揮できる仕事の方が古田には向いているような気がする。フロントと選手の調整役となるには、自我が強すぎるのかもしれない。

 あと、古田について気の毒に思うのは、野村がいつまでも生きているということ。野村が生きている限り、古田は永遠に「野村の弟子」というポジションのままだ。

 

参考文献 

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