本当は怖い文学史

 文学史関係の本を読んでいると、気がつくことが一つある。それは、文学史というのが、作品の良し悪しというよりも、いわゆる「ゴシップ」の集積で出来ているということだ。文学史につきものの「論争」に関しても、そこに行きつくまでに、複雑な人間関係を経ていることが多い。「ゴシップ」を知ることで、作品の理解が深まることもある。ということで、僕がこれまで読んだ「文学」と「ゴシップ」にまつわる本で、強烈だったものを紹介しようと思う。

 

怖いゴシップ篇

 

アンヌ・ボケル エティエンヌ・ケルン『罵倒文学史 19世紀フランス作家の噂の真相

 怖い本である。19世紀フランスといえば、ユゴーバルザック、ゾラ、フローベールスタンダールジョルジュ・サンド、デュマ、ランボーといった錚々たる顔ぶれがそろった文学の黄金時代といっても過言ではないが、それだけに作家間の争いも半端ではなかった。「やられたらやり返す」。この時代、憎悪によって生まれた作品は数多い。

 例えば、バルザックの『谷間の百合』。1834年、批評家サント=ブーヴが、ユゴーの妻アデルとの恋愛を描いた『愛欲』という小説を出版した。日頃からサント=ブーヴを嫌っていたバルザックはこれを読んだ後、「あいつに仕返ししてやるぞ、『愛欲』を書き直してやるんだ!」とジュール・サンドーに向かって叫び、「奴をおれのペンで串刺しにしてくれようぞ!」と言った。そして、『愛欲』のプロットをそのまま借りて、『谷間の百合』を書いたのだった。

 このように、『罵倒文学史』には、19世紀フランス文壇の血で血を洗う争いが網羅されており、ゴシップ好きにはたまらない本となっている。 バルザック、デュマ、ユゴーについては、鹿島茂の『パリの王様たち』も面白かった。

罵倒文学史―19世紀フランス作家の噂の真相

罵倒文学史―19世紀フランス作家の噂の真相

 

 

佐伯彰一『自伝の世紀』

『罵倒文学史』のような激しさはないが、比較文学研究者らしく、西洋から日本まで話題が幅広い。佐伯は、1950年頃、ウィスコンシン大学でニュー・クリティシズムを学んだが、後に自伝や伝記を重視するようになり、文学史をゴシップ的に捉えたエッセイを数多く書くようになった。僕はそうした著作がかなり好きで、色々読んだが、『自伝の世紀』以外では、『批評家の自伝』、『わが愛する伝記作家たち』、『回想 私の出会った作家たち』、『作家伝の魅力と落とし穴』などもおすすめである。 

自伝の世紀 (講談社文芸文庫)

自伝の世紀 (講談社文芸文庫)

 

 

栗原裕一郎『盗作の文学史

 明治から現代に至るまでの、文学における「盗作」騒動を網羅した本。著者がまえがきで「盗作事件とは本質的にメディアの問題」と書いているように、「盗作」がいかにして「大事件」にまで発展していくのかを、詳細に分析している。ネットにありがちな、「盗作」を糾弾するような本ではない。

 文学とマスコミ、文学と著作権について知りたい人は、必読。

 ちなみに、僕が一番笑ったのは、作品だけでなく受賞の言葉まで盗作だったという、有城達二の事件。

〈盗作〉の文学史

〈盗作〉の文学史

 

 

神話解体篇

 

鹿島茂『ドーダの人、小林秀雄

 小林秀雄といえば、かつては「批評の神様」のような存在で、今でも信奉者は少なからずいる。80年代には、彼の文章が入試でよく使われ、丸谷才一が批判するということがあった。

 鹿島茂丸谷才一と立場が近い人で、そんな彼が、小林秀雄の「ハッタリ」を東海林さだおの「ドーダ」という概念を用いて、批判的に解説したのが本書である。

 本書から小林のハッタリの例を一つ抜き出してみる。例えば、『文藝春秋』で連載された文芸時評「アシルと亀の子」。この「アシル」とは一体何なのか。実はこれ、ギリシャ神話の「アキレウス」をフランス語風に綴ったAchilleのことで、「アシルと亀の子」は、「アキレウスと亀」ということになる。「アキレウス」でよいところをわざわざ「アシル」と書く。これが小林のハッタリなのだ。 

ドーダの人、小林秀雄 わからなさの理由を求めて
 

 

呉智英吉本隆明という「共同幻想」』

 批評家で大きな影響力を持ったと言えば、吉本隆明もそうだろう。小林と同じく、ハッタリが多かったという点でも両者は似ている。

 鹿島のところで小林の外国語を用いたハッタリを取り上げたが、吉本隆明にもまったく同じハッタリがある(「永遠の吉本主義者」を名乗る鹿島茂も、そのことには気づいていると思うのだが)。「マチウ書試論」である。ここで吉本は、「マタイ伝」を「マチウ書」、「イエス」を「ジュジュ」という風に、フランス語風に置き換えているのだ(ただし、それを徹底しているわけではない)。「フランス語版聖書をテキストにしたから」というのがその理由らしいが、わざわざ分かりにくい表記を選ぶ神経が理解できない。

 吉本には造語癖のようなものがあり、それが彼の文章を著しく難解にしているのだが、呉智英はそのことについて、文庫版の「補論」でこう書いている。

吉本隆明のこうした造語癖は、小林秀雄のような衒学的な難解趣味とは、似ていながら違っている。本文で私は、吉本は『天然』だと書いた。つまり巧んでいない。しかし、『天然』は『病気』のすぐ手前である。病気は仮病でない限り、巧んでいない。吉本は天然どころか病気の領域に入っている可能性がある。そこが天然よりなお一層、信者を惹きつける」

 吉本の特殊な言語感覚は「病気」から来ているのではないかと推論した「補論」は、文庫版にしか収録されていないので、今から読むとしたら文庫がおすすめである。 

 

夏目伸六『父・夏目漱石

 タイトルの通り、夏目漱石次男である伸六が書いた、父・漱石とその周辺にまつわるエッセイ集。

 漱石が精神的に不安定な人であったということは、英国留学で「発狂した」というエピソードや、『行人』のなかの不安神経症を描いた部分からある程度推測できるが、実際はどうだったのかというと、やはりヤバイ人なのである。

 漱石は病的な癇癪持ちだった。それが原因で家族に対し暴力を振るうこともあった。伸六がまだ小学校に上がらない頃、兄と漱石と三人で散歩にでかけた。三人は見世物小屋に入り、兄と伸六は射的をやりたいとねだった。しかし、二人は急に恥ずかしくなって、父親の二重外套の袖に隠れようとした。子供らしい行動だ。だが、次の瞬間、漱石は「馬鹿っ」と大喝すると、伸六を打っ倒し、「下駄ばきのままで踏む、蹴る、頭といわず足といわず、手に持ったステッキを滅茶苦茶に振り回して、私の全身へ打ちおろ」したのだった。

 こういった漱石の負の側面についてはなかなか語られないので、伸六のエッセイは貴重である。 

父・夏目漱石 (文春文庫)

父・夏目漱石 (文春文庫)

 

 

才能の浪費篇

 

宮崎かすみオスカー・ワイルド

 オスカー・ワイルドといえば、「私は人生にこそ精魂をつぎ込んだが、作品には才能しか注がなかった」と嘯いただけあって、破天荒な人生を送ったことで有名である。そもそもこの人、デビューする前からデビューしてたというか、奇抜な服装とウィットに富んだ会話で、作品を書く前から社交界の有名人となっていたのであった。それだけに、創作意欲は他の文豪たちと比べればはるかに少なく、残した作品もあまり多くない。長い作品となると『ドリアン・グレイの肖像』を除けば、ほぼ皆無である。文才はあったが、それを活かす気力がなかった。

 ワイルドがその人生において最も危機的状況に陥ったのは、例の同性愛裁判であるが、実はワイルドにはフランスに逃げるという手段が残されていた。しかし、彼はなぜか逃げなかった。そして、裁判が始まり、監獄入りということになるのだが、ワイルドはあえて破滅の道を選んだのではないかと、本書を読んで僕は思った。消極的な自殺だ。出獄後のワイルドはほとんど抜け殻のようになり、貧困のまま世を去るのだが、訴えられた時点で、自分の行く末を悟ってしまったのではないだろうか。ワイルドを殺したのはワイルド自身だ。「あらゆる男は愛する者を殺す」とワイルドは『レディング牢獄のバラッド』で書いたが、これはダグラスとの関係だけでなく、自分自身のことを指しているようにも見える。 宮崎は、ワイルドは監獄に入って初めて「大きな主題」を手に入れたと書いている。

 

小谷野敦久米正雄伝』

 久米正雄というともはや文学史の中の遺物という感じがする。名前だけは知っているが作品についてはまったく知らない。本書を読んで、久米の人生や作品を知ったわけだが、「もったない人だな」と思った。

 久米が忘れられたのは、戦争への協力と通俗小説の濫作にあるのだが、才能がなかったわけではない。一高時代から文才を発揮し、若い頃は、芥川や菊地と切磋琢磨していたのだ。それが徐々に堕落し始め、つまらない小説しか書けなくなっていく。

 本書の後半では、久米がいかに駄目になっていったかということが、綿々と綴られている。ワイルドと同じく、「才能を生かすにも才能が必要」ということを実感させられる。 「つまり、藝術家肌、天才肌、文士気質といったものを悉く欠落させて、ただ文章の才能だけがあると、こういうものが出来上がるという見本のような、自分で言う通り間違って作家になった人だったのである」というのが全てだろう。

久米正雄伝―微苦笑の人

久米正雄伝―微苦笑の人

 

 

ジョン・ネイスン『三島由紀夫 ある評伝』

 三島もまたその才能の使い方において、おかしな方向へ向かった人だ。戯曲や通俗小説で発揮した絢爛さは、純文学の世界では人工的すぎた。また、作家としての度胸にも欠けていたように思われる。三島は装飾を凝らした壺のようなもので、中身は空っぽだった。空っぽだからこそ、見える部分にこだわったのだ。

 三島が自決した時、母倭文重は、「公威がいつもしたかったことをしましたのは、これが初めてなんでございますよ。喜んであげて下さいませな」と弔問客に言ったという。

 また、三島の弟は、三島について「いつも存在しようとしながら存在できなかった」と言ったらしいが、本書を読むと、それらの意味がよくわかる。かなり物悲しい伝記である。 

三島由紀夫―ある評伝

三島由紀夫―ある評伝

 

 

壮絶篇

 

A・E・ホッチナー『パパ・ヘミングウェイ

 ホッチナーは『コスモポリタン』の記者を務めていたことがあり、その縁で、ヘミングェイと親しく付き合うようになった。そんな彼が、ヘミングェイとの出会いから自死、そして、その後に起きたトラブルまでを書いたのが本書である。

 何と言っても凄まじいのは、ヘミングェイの精神病が悪化していく様子だろう。とにかく猜疑心が強くなり、誰も信用しなくなっていく。盗聴や追跡されているという妄想がひどくなり、精神病院に入院し、電気ショックを受けるが、効果はない。最後の方は、自殺未遂のオンパレードで、ショットガンで頭を吹き飛ばそうとしたり、飛行機から飛び降りようとしたり、回っているプロペラに突っ込もうとしたり、と気が滅入ってくる描写が次々と出てくる。ただ、晩年のヘミングェイを知る上では貴重な資料だろう。ヘミングェイの息子が書いた『パパ―父ヘミングウエイの肖像』も必読。 

パパ・ヘミングウェイ〈上〉 (ハヤカワ文庫NF)

パパ・ヘミングウェイ〈上〉 (ハヤカワ文庫NF)

 

 

谷沢永一『回想 開高健

 開高の友人であった著者が、若き日の開高との思い出を綴った一冊。「彼の一生は、脱出をモチーフとする疾走だったと思われる」という文が示すように、後に若者の兄貴分として人気者になった彼の、鬱屈とした裏側を的確に描写している。

 同人誌時代、牧羊子との結婚、寿屋、芥川賞……。華やかに出世していく中でつきまとう暗い影。開高は「忖度してあつかわれることを欲した」人だった。自分からは何も言わず、限界がくるとどこかへ去ってしまう。あの旅行癖は、厭人癖に基づくものだった。谷沢も途中から開高とは疎遠になる。

 開高は1989年に死ぬのだが、その前後のことを描写する谷沢の筆致は異常である。文章が細切れで、必死に絞りだして書いたかのようだ。虚無感と悲哀が一緒くたに表現されている。そして、谷沢は最後にこう書いた。「その、開高健が、逝った。以後の、私は、余生、である」 

回想 開高健

回想 開高健

 

 

吉村昭『私の文学漂流』

 歴史小説家として知られる吉村昭の自伝。吉村は元々純文学志望で、芥川賞に4回もノミネートされたが、結局取ることができず、作品の売り上げも悪く、作家としては完全に伸び悩んでいた。妻の津村節子芥川賞を受賞した時は、ある人から「あなたは事業家の才能があるのだから、お兄さんの会社の重役でいいじゃないの。小説は、奥さんにまかしといてさ」とも言われた。「賞と縁がなかった人が、いつの間にか消えてしまった前例をいくつも知ってい」るだけに、絶望も深い。

 最も残酷だったのが、第46回芥川賞候補になった時で、日本文学振興会の人間から受賞を告げられ会場に向かったら、間違いだったことが判明した時だ。二作受賞で議論が進んでいたのが、最後の最後で宇能鴻一郎一人に決まってしまったのだった。

 執筆活動が停滞した時期もあったが、吉村は書き続け、40手前で、『戦艦大和』と太宰治賞に応募した『星への旅』で再浮上する。吉村は念願かなって、筆一本で食べられるようになった。新宿の鮨屋で吉村が「なんとか作家としてやってゆけるんでしょうかね」と編集者に訊ね、「なんとかなったかもしれないな」と編集者が答えるところで本書は終わっている。 

私の文学漂流 (ちくま文庫)

私の文学漂流 (ちくま文庫)

 

 

西舘好子『修羅の棲む家』

 井上ひさしといえば、日本を代表する劇作家で、知識人としての活動も旺盛に行った人だが、彼が強烈なDV人間だったことはあまり語られない。西舘は井上の最初の妻であり、初期の井上の活動を献身的に支え、マネージャーのような役割を担っていた。

 直木賞を受賞して流行作家になった井上のもとには執筆依頼が殺到した。しかし、井上は自ら「遅筆堂」を名乗るほど書くのが遅く、舞台が公演中止になったこともあった。

 そんな井上には、机に向かうための「儀式」があった。それは妻好子を殴ること。編集者たちはそれを知っていて、好子に向かい「奥さん、申し訳ありません。もうリミットぎりぎり、(原稿を)今夜までにいただかないとアウトなんですよ。お願いですから、二、三発殴られてもらえませんか」と頼むのだった。

 井上は幼いころ孤児院に預けられていたことがあり、そこでつらい思いをしたことが人格の形成に影響を与えたようだが、それにしても井上の根性の曲がり方はひどすぎる、というのが本書を読んだときの感想である。 

修羅の棲む家―作家は直木賞を受賞してからさらに酷く妻を殴りだした

修羅の棲む家―作家は直木賞を受賞してからさらに酷く妻を殴りだした