映画『ジュリア』とリリアン・ヘルマンの嘘

 ジェーン・フォンダが主演し、ヴァネッサ・レッドグレイヴがアカデミー助演女優賞を受賞した映画『ジュリア』は、原作がリリアン・ヘルマンの「自伝」であるため、「実話」ということになっているが、これは正しくない。正確に言うならば、他人の身に起こった出来事を、ヘルマンが勝手に横取りし、あたかも自分と関りがあったかのようにでっち上げた、ということになる。まず、映画の簡単なあらすじから見てみよう。

 

女流劇作家リリアン・ヘルマンの回顧録の映画化で、二人の女性の生涯にわたる友情と、作家ダシール・ハメットとのプライベートな生活を描いたサスペンス・ドラマ。ジュリアとリリアンは幼なじみであったが、第二次大戦前夜、ジュリアは反ナチ運動に加わっていた。そんなある日、劇作家として成功したリリアンのもとへ、ジュリアが人を介して反ナチの運動資金を届けてくれと依頼してくる……。彼女がジュリアのため、反ナチ運動の資金を運ぶくだりが、まことにスリリング。*1

 

 確かに、「ジュリア」に相当する人物は存在する。彼女の名は、ミュリエル・ガーディナー。ミュリエルは第二次世界大戦前のウィーンで、反ナチの地下組織に加わり、「メアリ」という偽名を使って、手紙の運搬などをしていた。戦争が勃発した後は、アメリカに戻った。ヘルマンは知り合いからその話を聞くと、まずは『ラインの監視』という戯曲のネタにし、それから自伝『ペンティメント』(邦訳題『ジュリア』)を書いた。ミュリエルをジュリアにし、存在しなかったはずの自分を付け加えて。

 ヘルマンの自伝『ペンティメント』はベストセラーになった。その後に書いた『眠れない時代』も売れた。ヘルマンは反ナチの闘士、赤狩りの抵抗者として、文壇を飛び越え、社会的英雄にまで昇りつめた。パートナーがダシール・ハメットであることも、プラスに作用した。

『眠れない時代』を書いたあたりから、ヘルマンに対し、抗議の声が上がり始める。自伝の内容に間違いがある、とアルフレッド・ケイジンやアーヴィング・ハウといった有名批評家が、書評で批判したのだ。しかし、これらの批判は、読む人間が限られていたせいか、あまり注目されなかった。

 そんな中、作家のメアリー・マッカーシーが、人気トーク番組「ディック・キャヴェット・ショー」で、「彼女(リリアン・ヘルマン)の書いていることばはすべて、『そして』や『その』でさえも嘘だ」ということを言った。1980年1月24日のことだ。

 マッカーシーとヘルマンは1930年代からの知り合いだが、数十年にわたって、対立し続けていた。二人には、自伝/私小説を書くという共通点があるが、内容は真逆。ヘルマンが自分を英雄的に装飾するのに対し、マッカーシーは事実を徹底的にドライに書く。

 マッカーシーのテレビでの発言を聞いたヘルマンは、彼女を名誉棄損で訴えた。しかし、これは悪手だった。なぜなら、裁判沙汰になったことで、世間の関心が一気に集まり、マッカーシー以外にも、彼女の嘘を暴こうとする人間が多数現れたからだ。そして、ヘルマンが嘘をついていたという証拠が、あちこちで提示された。ジュリアのモデルである、ミュリエル・ガーディナーは、83年に『暗号名はメアリ』を出版し、ヘルマンと自分が関係ないことを示した。ヘルマンはジュリアが実在すると主張したが、証拠を出すことはできなかった。逆に、雑誌『コメンタリー』では、サミュエル・マクラッケンの手によって、『ペンティメント』が徹底検証され、自伝が作り話に満ちていることが証明された。マクラッケンの記事が出て一か月後、ヘルマンは死んだ。しかし、映画や自伝は依然として、真実だと信じられ、名作とあがめられている。ポール・ジョンソンが『インテレクチュアルズ』の中で言うように、「リリアン・ヘルマンの神話産業は素知らぬ顔で進みつづける」のだろう。

 

  

  

ジュリア (ハヤカワ文庫NF)

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暗号名はメアリ―ナチス時代のウィーン

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眠れない時代 (ちくま文庫)

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グループ (ハヤカワ文庫 NV 5)

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インテレクチュアルズ

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