高崎俊夫 『祝祭の日々』

 インターネットで蓮實重彦とかやや古めの映画・小説について調べている時に、よく出てくるページがあって、それが高崎俊夫「映画アットランダム」だった。多分、最初に目にしたのは、「スーザン・ソンタグ蓮實重彦の微妙な対話」で、恐らく「映画アットランダム」に掲載された文章の中でも、最も読まれた物の一つではないか。ここでは、文芸誌『海』上で行われた、ソンタグと蓮實の緊張感に溢れた対談について語られており、もし高崎が取り上げていなかったら、この単行本未収録の対談を俺が知ることはなかっただろう(金井美恵子の『小春日和』が映像化されているのを知ったのも、「映画アットランダム」においてだった)。

 それから、サイトに載っている他の文章をいくつか読んだが、その博覧強記ぶりには舌を巻いた。連載自体は、2014年に終わっていて、パソコン上で文字を読むのが苦手な俺は、本にならないかなと思っていたのだが、連載終了から4年経った2018年、遂に国書刊行会から連載の大部分をまとめたものが、『祝祭の日々』というタイトルで出版された。「スーザン・ソンタグ」もきちんと収録されていた。

 今回、まとめて高崎の文章を読んだわけだが、圧倒的な知識量から広がっていく連想や、下手すれば感傷的になりがちな個人的な思い出が、禁欲的な文体によって、上手く統合されており、「知る」ことの快感というものを存分に味わわせられた。

 B級映画や探偵小説というサブカルチャーよりの分野にはマニアックな人間が多いのだが、純文学と映画を自由に横断できる人間というのは意外に少なくて、高崎はそれができる貴重な人材だと思う。例えば、「ルー・リードの師デルモア・シュワルツをめぐる断章」では、映画『イントゥ・ザ・ワイルド』にシュワルツの「夢の中で責任が始まる」が引用されていることを指摘していたり、パヴェーゼエリア・カザンに共通の愛人がいたことを紹介したりするなど、一つの話題から別の分野に無理なく飛んでいく手つきが非常に鮮やかだ。

 俺は一気に読んでしまったが、この中で紹介されている映画や本が気になって、読み終わるのがもったいなく感じた。いつでもメモできる環境下で読むことを勧める。

 

祝祭の日々: 私の映画アトランダム

祝祭の日々: 私の映画アトランダム