ジュリアン・テンプル 『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』

 ジョン・ライドンが、アメリカ・ツアー中だったセックス・ピストルズのサンフランシスコ公演で、「騙された気分はどうだい?」と観客に吐き捨て、ツアー日程が残っていたにもかかわらず、そのまま脱退したのは有名な話だ。ピストルズのライブでは、興奮した客とバンドが唾の掛け合いをするという状況が度々あったが、「唾をかけてほしい」というファンが現れた時、ライドンはピストルズの終りを感じ取ったらしい。つまり、ピストルズは、パンク・バンドからカルト宗教になりつつあったわけで、ライドンは教祖の立場になることを拒否したのだった。ライドンのその後の活動を見ても、その姿勢は一貫している。

 ピストルズ解散から2年後に公開された映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』は、そんな「唾をかけてほしい」ファンのためにある映画なのかもしれない。タイトルに「スウィンドル」(詐欺)とついている本作は、ピストルズがでっち上げられたバンドであることを、ピストルズのマネージャーであるマルコム・マクラーレン自ら、露悪的に暴露しているのだから(監督・脚本はジュリアン・テンプルだが、制作の中心となっているのはマクラーレンだ)。

 映画の中で、マルコム・マクラーレンは「カオスが金を生む」と嘯き、ピストルズにまつわる全てをコントロールしているかのように振舞う。マクラーレンの主義・主張というのは、「人を怒らせたい」、「騒ぎを起こしたい」ということ以外何もなく、アナーキズムや反王室もその道具でしかなかった。それらをまともに受け止めた人たちが、ピストルズに怒り狂ったわけだが、マクラーレンからしたら、「してやったり」だった。

 しかし、この映画が公開された頃には、最早ピストルズを本気にする人はほとんどいなかっただろう。強盗犯ロナルド・ビッグズを出して、世間を怒らせようとしたみたいだが、茶番の領域を出ておらず、結局は、最後まで残った、「唾をかけてほしい」というファンのための、パンク風アイドル映画となってしまった(90年代サブカル風に言えば、「悪趣味」か)。マクラーレンも、ピストルズの影響力が既に薄れていて、ファンにしかその神通力が通じないとわかっていて、「詐欺」という言葉を先回り的にタイトルに入れたのかもしれない。

 映画の後半では、あのサンフランシスコ公演の映像、「ノー・ファン」を歌い終え、虚ろな目をしたジョン・ライドンが、「騙された気分はどうだい?」と言う場面が出てくるのだけれど、映画を見終わった後は、ライドンと同じ目になるだろう。まあ、「これは詐欺だ」と主張している物をわざわざ見ている時点で、普通は、倒錯的・虚無的な感想しか出てくるはずもなく、また、それを覆すパワーもこの映画にはない。

 そもそも、マクラーレンは、事務能力・継続力に難があるから、きちんとした骨格を持ったものを作れず、はったりに頼る傾向にあるのだが、特に本人が前に出れば出るほど、それは著しくなる。マクラーレンの才能は、ライドンやトレヴァー・ホーンといった人たちと組むことでしか、発揮されないのだ。ジュリアン・テンプルでは、力不足だ。

 ライドンは、この映画に対しかなり怒っていたようだが、それは、ピストルズマクラーレンの力だけで動いていたかのように描かれているからだろう。特に、冒頭の「誰でもセックス・ピストルズになれる」というシーンでは、バンドの演奏に合わせ、素人が交代交代で歌うという演出が施されていて、ライドンの存在を否定したような形になっているのだ。2000年には、マクラーレン史観を否定するためか、同じジュリアン・テンプルによって、『NO FUTURE A SEX PISTOLS FILM』が作られた。

 

ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル [DVD]

ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル [DVD]

 

  

NO FUTURE : A SEX PISTOLS FILM (スタンダード・エディション) [DVD]