なぜ村松剛は三島由紀夫の同性愛を否定したのか?

三島由紀夫=ゲイ」という等式を疑う人は、今ではほとんどいないと思われる。俺も三島由紀夫の文章や、彼について書かれた物を読む時は、そのこと意識している。というか、半ば常識として捉えているといったほうが正しいか。

 だから、週刊誌『平凡パンチ』の編集者で、三島由紀夫を担当していた椎根和が書いた『完全版 平凡パンチ三島由紀夫』で、次のような文章を読んだ時は少し驚いたのだった。

 

 三島の剣道の弟子として、稽古をつけてもらった約一年強の間に、約50回ほど、一緒に風呂に入り、先輩に対する礼儀として背中を流した。しかし一度も、触られたり、なぜられたりすることはなかった。三島がホモだという噂は知っていたが、あれは小説『仮面の告白』を書くための取材のひとつだった、と思いこんでいた。

 

 まあ、ただの編集者に対し、警戒心の強い三島がそんなあからさまなことはしないだろうと思うのだが、「三島の同性愛はポーズではないのか?」という感覚があったことは事実だ(同じことはルー・リードについても言われていた)。鉢の木会で三島と交友のあった大岡昇平にしても、「彼の男色が本物か文学的擬態か」ということを「わが師わが友」の中で書いている。三島が「ブランスウィック」というゲイバーに通っていたのは有名だが、それも作品の取材と称し、敢えて他人と一緒に訪れるという、アリバイ作りにも似たことをしていた。

 が、三島の文壇デビューのきっかけとなった文芸誌『人間』の編集長であった木村徳三に対しては、前の二人よりも心を許していたのか、同性愛者であることを匂わせる手紙ややりとりをしていて、『仮面の告白』を準備していた三島からその「倒錯性向」を聞かされても、「格別の愕きもなかった」という(『文芸編集者の戦中戦後』)。

 三島が男色について取り組んだ小説は、『仮面の告白』と『禁色』だけだが、前者は華麗な文体と観念的な内容から私小説に見せかけたフィクションとして受け止められ(それに若いころの同性愛というのは決して珍しいことではない)、後者は同性愛が単なる意匠でしかなかった。『新恋愛講座』というエッセイには、「同性愛」という項目があるが、これも完全に他人事として書かれている。それに結婚もしたから、同時代の人間には「三島の男色は見せかけではないか?」と見えても不思議ではない。三島本人が、あえて人を惑わすような言動をしていたので、余計混乱が巻き起こった。人を煙に巻くのが、三島のある種の処世術であった。そのせいで、ボディビルや楯の会も半分冗談として受け止められたのだが。

 みなが決定的な判断を下しかねている中、三島の死から四年後に出版されたジョン・ネイスンの『三島由紀夫──ある評伝──』がはっきりと三島の同性愛について記述した。そこには、三島が朝日新聞特別通信員として海外旅行した際、訪問先のブラジルで「十七歳前後の少年」をホテルに連れ込んでいたと書かれている。あと、1988年に出た、ジェラルド・クラークの『カポーティ』にも、1957年、三島がアメリカを訪れた際、カポーティに男の斡旋を頼んだということが暴露されていた。

 しかし、1990年、三島の同性愛を猛烈に否定する書物が現れた。それが三島の友人であった村松剛の『三島由紀夫の世界』である。そもそも村松の母と三島の母は友人同士だったらしいが、村松と三島の仲が深まったのは、佐伯彰一によると、プラトンの翻訳者として知られる田中美知太郎が理事長をつとめた保守グループ「日本文化会議」への参加がきっかけらしい(『回想 私の出会った作家たち』)。学生運動が激しくなるのに比例して、両者とも政治的な傾向を強め、民族派雑誌『論争ジャーナル』を三島が支援した際、村松もそれに加わった。

 そういうわけで、二人のつながりは文学よりも政治の方にあった。そもそも、村松が規範としていた文学者の一人はド・ゴール内閣で情報大臣を務めたアンドレ・マルローであり、『評伝アンドレ・マルロオ』では、「マルロオの作品の最大の魅力は、その男らしさにある。『征服者』『王道』『人間の条件』を通じて主人公の共通点は、彼らがいずれも荒々しい力への欲望に憑かれていることだろう。そのためには、彼らはすべてを犠牲にする」 と述べている。だが、三島はマルローのような外国を舞台とした冒険小説を書いていないし、そういう体験もない。村松自身は言行を一致させるためか、ベトナム戦争の視察に赴いたこともある。石原慎太郎開高健といった小説家が前線に行くことはあったが、文芸評論家でそういうことした人は珍しいのではないか。

 もっとも、三島とマルローの間に共通点がないこともない。二人とも「死」をテーマにした文学を書き、切腹に魅了されていた。『アンドレ・マルロオとその時代』からの孫引きになるが、マルローは戦前来日した際、「ハラキリにおいて、《死》は消滅する。死という人間的諸条件を、或る人間の意志が、自由に否定する行為であるからだ。ハラキリにおいては、より高き倫理価値が、自己にたいする超越のかたちによって、死にたいする克服のかたちによって肯定されているからである」と言ったと小松清が書いているらしい。

 村松、三島、マルローの間ではっきりと一致するのは、全員が家庭的な思考を嫌悪していること。マルローは妻クララと共にカンボジアまで美術品の採集(実質窃盗)に行き、その経験をもとに『王道』を書いたが、そこでは妻の存在が消され、男同士の冒険譚になっている。村松は「再説 女性的時代を排す」の中で、「しかしぼくはやはり、家庭という穴をこえたもの、自分を捧げるもの、男性的なもの、一口にいって哲学を、求める人間の心と、その能力とを信じたい」と書き、三島もそれに同感した旨を葉書で知らせた。余談だが、深沢七郎は、三島の死後、「だけどもし、オレにカミサンがいて……女の子が生まれ、三島由紀夫みたいな人のとこへ嫁にやって、あんな死にかたしたら、オレはおこるね。自分のオカミサンをないがしろにして……失礼でしょう」と書いた。

「男性的なもの」を好んだ村松だが、それが「同性愛」となると、途端に否定的になるのはどういうことだろうか。『三島由紀夫の世界』には次のような言葉が並ぶ(太字はすべて引用者による)。

 

 三島の母堂の倭文重さんは彼の初恋について質問を受けると、

 ──『假面の告白』に書いてあるとおりです

 つねに、そういっておられた。回想録である『わが思春期』よりも記述はむしろ『假面の告白』の方が全体としてくわしく、ぼく自身がもつ若干の知識に照らしても、まさに経緯はそこに書かれているとおりだったと思われる。ただ一点、主人公の同性愛に仕立ててあるということを除いては。

 

『假面の告白』が「能ふかぎり正確さを期した性的自伝である」ということばは、それ自体がフィクションであることはいうまでもない。だが、性的倒錯にかかわる部分を除けば、この小説は昭和二十三年ころまでの彼の生涯を、きわめて忠実に再現している。

 

 また、三島が木村徳三に宛てて出した「ブランスウイックのボオイの姿が忘れられず、溜息ばかり出て、思春期が再發したみたい。戀心っていぢらしいものですな、ヤレヤレ」という手紙を引用した後で、

 

 ブランスウイックのボーイへの「戀」なるものが、本当だったか否かはかなり疑わしい。文章の調子から見ても、はなしを面白く仕立てて悪戯をたのしんでいるという気配が感じられる。このころ三島と頻繁に会っていた桂芳久は、ブランスウイックにも新橋の十仁病院のそばにあったアメリカ兵が大勢あつまる男色酒場にも彼といくどか同行していたけれど、三島がこういう場処で男色のつきあいに加わったことはなかったと断言している。(三島が一時的にせよ同性愛にとらわれていたこと自体を、桂氏は信じていない。)

 

 当然ながら、村松のこうした文章には、疑問・反論が寄せられた。映画『憂国』の演出を担当した、堂本正樹は、『回想 回転扉の三島由紀夫』で、村松は三島の同性愛を知っていたと告発している。

 

 さて私がNLTの劇団に入ったのは良いが、いずくも同じ内部の人間感情の軋轢で劇団は分裂し、三島と我々は新しく「浪曼劇場」というのを作った。マスコミの披露パーティーには思ったほど記者があつまらず、三島はいらいらした。そうなると関係者も誰も近寄らず、三島はポツンとしていた。その時村松剛が私に、「ホラ、三島さんを一人にしちゃいけない。君がそばについていなくては」というので、「それなら親友の貴方でしょう」と答えると、「いやこういう時はおなじシンユーでもウ冠に限る」と私を押した。「ウ冠」とは何のことなのか、私にはわからなかった。後に三島に尋ねると、「ウ冠」とは「寝友」ということで、村松の秘語だと教えてくれた。……こういう事を言いながら、後で村松が『三島由紀夫の世界』を書いて、三島の同性愛を否定したのは、文芸評論家として自殺行為だろう。

 

 なぜ村松がここまで三島の同性愛を否定しようとしたのか。その理由について佐伯彰一は、「三島さんの政治的パトスに村松が強く共感、また肩入れしすぎた結果、これを出来るだけ純粋無垢なかたちで護りぬきたい、一切の異質的な要素は、忌むべきケガレとして斥けたいという衝動にかられたのではなかったか」と言い、同じく『批評』の同人だった大久保典夫は、村松保田與重郎や蓮田善明について無知だったとし、「おそらく剛さんには日本浪曼派的なものへの強い異和感があって、知識も付焼刃の域を出なかったのだろう。それらが『三島由紀夫の世界』という彼の渾身の力作を歪なものにした」と書いている(『昭和文学への証言──私の敗戦後文壇史』)。

 二人とも村松にそのことを直接たずねたわけではないので、「かもしれない」という仮説に留めている(というか、聞ける雰囲気ではなかったようだ)。村松には『ユダヤ人』や『教養としてのキリスト教』という著作があり、もしかしたら、レヴィ記における同性愛否定に影響を受けていたのだろうか。

 三島の同性愛については、愛人だった福島次郎が『三島由紀夫──剣と寒梅』を1998年に出して以降、決定的な事実となった。 

 

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