不遇な芸術家伝説を目指して

 一年ほど前、『マッチングアプリの時代の愛』という小説を書いて、ブログで発表したことがある。恐らく、これを自発的に読んでくれた人は、5人もいないと思う。マッチングアプリというのが社会的にある程度ホットな話題で、ツイッターなんかではそれを扱った漫画なんかがバンバンリツイートされ議論の対象になったりしているのに、わが創作は港から出港する前にデータの海の中へ沈没してしまったのだ。「やっぱり、影響力のある人間に取り上げてもらわないと、ネットでバズるのは難しいんだ!」と悔し紛れにあの日の夕日に向かって叫んだりした。

 また、俺は8年ほどブログを続けているが、こちらも一度だってバズったことがない。おまけに、グーグル検索で全然ひっかからないから、誰も俺のブログの記事を発見できないという悪循環に陥っている(グーグルがアホやからブログがかけへん)。

 これはまずいぞと思った俺は、ブログが伸びないのはテーマが定まっていないからだと考え、「文学」に話題を絞ったnoteのアカウントを作成し、これまでに7本ほど記事をあげてみた。すると、自分では会心の出来だとうぬぼれていたのが、結果を見ると、1日のアクセス数が3人以下という惨憺たるものだった。これだけ自分の編み出した戦略があたらないのだから、営業とかコンサルとか絶対に向いていないと思う。

 そこで、現世で評価されるのは潔く諦めて、「不遇な芸術家」として死後評価されることを目指そうとした。ゴッホとか、尾崎翠とか、みたいに。

 ところが、最近、菊池寛文学全集第六巻を読んでいたら、こんな随筆を見つけてしまった。タイトルはずばり「芸術家と後世」。この随筆は、中世のキリスト教徒がギリシア文化を蔑ろにしていたことや、シェイクスピアが17世紀から18世紀にかけて批判されていた事実などをもとに、世間の評価というものがいかに不安定・不公平であるかということを説き、そのため、生きているうちから「後世に残るか残らないか」ということを考えても仕方ないだろう、という趣旨のものだ。そこに、俺の目論見を粉々に打ち砕く次のような文章が載っていた。

 

 現在の作品に対して後世なるものが、一々批判のし直しをして呉れるものだろうか。自分は思う、後世と云うものは、我々の思うほど親切ではあるまいと。否可なり不親切な冷淡なものではあるまいかと。大正時代の不遇天才作家の作品が二十一世紀頃の帝国図書館の一隅に塵に埋もれて居ても、洟汁も引っかけまいと思う。やっぱり夏目漱石尾崎紅葉辺のように死んだ時に 立派な全集でも出版されて、それが全国に普及されて居ると、後世の目にも止まり易く、批判もされ易いのではないかと思う。 

 

 かつてのベストセラー作家で16巻に及ぶ全集が出ていながら忘れられた作家となっていた獅子文六が、最近ちくま文庫で続々復活しているのも上のケースに当たるだろう。 菊池寛本人も21世紀になって『真珠夫人』がドラマ化され再評価されるということがあったが、やはり元ベストセラー作家であったことは大きい。

 

 ある時代に於て、全然認められなかった作家が、後代に至って認められた例は皆無と云ってもよい。近代主義の先駆と云われるウィリアム・ブレークやスタンダルなどは、生きて居る時代には余り認められずして、後世に於てその価値を大に認められたが、然し生前その著作を出版し得る程度迄は認められたのである。生前少しも認められずして死後に於て発見せられたる例は殆ど皆無と云ってよい。

 

 居ても立っても居られなくなった俺は図書館にダッシュで駆け込み、ゴッホの伝記(嘉門安雄『ゴッホの生涯』)を借り出してきた。すると、ゴッホも生前から新聞や『メルキュール・ド・フランス』といった雑誌に取り上げられ、評価されていたことを知った。そもそもゴッホは画家を目指したのが遅く、活動期間も10年しかない。18歳から本格的に美術を学んだとして、28歳までに有名になる画家のほうが普通は珍しいだろう。また、ゴッホの活動時期は、印象派の評価がようやく確立し始めた頃で、彼らの絵もそれでさえなかなか売れなかったのだから、ゴッホの絵柄で当時売れなかったのは当然だとも言えるし、逆にゴッホがもう少し長生きしていれば、彼らと同じように売れていたはずだ。ゴッホを認めていたのは、彼の弟だけではなく、ゴーギャン、ベルナール、ロートレック、オーリエ(美術評論家)といった人々がいたのだから。

 尾崎翠にしても、『新潮』や『婦人公論』、『女人芸術』といった雑誌に作品を発表しており、『第七官界彷徨』は啓松堂から商業出版され、当時、花田清輝なんかが読んでいる。つまり、その程度には有名だったのである。「不遇」ということでいうなら、いくらでも下には下がいる。俺が知っている中で一番壮絶なのは、以前『芥川賞をとれなくて発狂した人』という記事で紹介した、来井麟児だ。どのように壮絶なのかは、記事を読んでほしいが、まさに「生前少しも認められずして死後に於て発見せられたる例は殆ど皆無」の代表例である。

 俺もこのままでは来井麟児の道を突っ走るばかりなので、大きな事件でも起こして目立つしかないと思ったが、加賀乙彦『宣告』のモデルである正田昭という人物は、殺人犯で死刑囚おまけにイケメンというそれなりにジャーナリズム受けしそうなプロフィールにも関わらず、群像に掲載された『サハラの水』という小説は単行本にすらなっておらず、世間からも完全に忘れ去られている。たとえ殺人を犯したとしても誰もが永山則夫になれるわけではないということを正田は教えてくれたのだった。 

 結局のところ、インターネット時代になって誰もが発信できるようになったが、最低でも商業誌への掲載や商業出版といったハードルを超え、誰かのお墨付きを得たものでないと、真剣に評価されないという状況はあまり変わらないと思う。

 

 

ゴッホの生涯 (人物文庫)

ゴッホの生涯 (人物文庫)

  • 作者:嘉門 安雄
  • 発売日: 1997/02/01
  • メディア: 文庫
 

  

尾崎翠全集 (1979年)

尾崎翠全集 (1979年)

 

 

宣告(上) (新潮文庫)

宣告(上) (新潮文庫)

  • 作者:加賀 乙彦
  • 発売日: 2003/03/24
  • メディア: 文庫
 

  

正田昭・黙想ノート

正田昭・黙想ノート

 

 

増補新版 永山則夫 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)

増補新版 永山則夫 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)

  • 発売日: 2013/08/26
  • メディア: ムック