Spotifyで聴いた音楽が記憶に残らないわけ

 CDを買うのを止めて、SpotifyやAppleMusicなどの音楽配信サービスを使うようになってから、曲名やアルバム名どころかアーティスト名すら覚えられなくなった。二十年前に購入したCDは覚えているのに、数日前にダウンロードしたアルバムはその存在すら忘却の彼方だ。

 こんなことを言うと、「お前がおっさんになったからだろ? 加齢臭がするんだよ!」と配信ネイティブな若者から野次られそうだが、配信サービスの「手軽さ」が記憶力を落としているのは確かだと思う。以下、池谷裕二『記憶力を強くする』をもとに、記憶について記述していく。

 人間の記憶は、長期記憶と短期記憶に分類される。長期記憶はさらに「エピソード記憶」、「意味記憶」、「手続き記憶」、「プライミング記憶」に分類される。これは心理学者ラリー・スクワイアが提唱したことから、「スクワイアの記憶分類」と呼ばれている。池谷裕二『記憶力を強くする』では、エピソード記憶に「個人の思い出」、意味記憶に「知識」、手続き記憶に「体で覚えるものごとの手順(How to)」、プライミング記憶に「勘違いのもと? サブリミナル記憶」という補足がされている。

 さらに、短期記憶と四種類の長期記憶は、五つの階層に分かれている。これはタルビングが提唱した「記憶システム相関」で、手続き記憶→プライミング記憶→意味記憶→短期記憶→エピソード記憶の順で、階層が上がっていく。池谷によれば、「下の階層であるほど、原始的な、つまり、生命の維持にとってより重要な記憶であり、上の階層に行くほど高度な内容を持った記憶」になる。

 この階層は人間の成長にも連動していて、子供の記憶は下の階層にあるものから順に発達していく。鉄道や車、恐竜の名前を大量に暗記している子供がいるが、あれは意味記憶の発達によるものだ。しかし、10歳をすぎると、意味記憶よりもエピソード記憶が優勢になっていくため、単純な暗記ができなくなる。九九の学習が低学年のうちに行われるのは、意味記憶が優勢な時期を狙っているからだ。

 エピソード記憶が発達すると、「丸暗記よりも、むしろ論理だった記憶能力がよく発達」する。「ものごとをよく理解して、その理屈を覚えるという能力」だ。中学校から始まる英語教育はまず文法から教えられるが、これもエピソード記憶が優勢となっていることを考えているのだろう。

 記憶術の本では、この「エピソード記憶」を意識することが説かれる。ただの暗記ではなく、知識をエピソード化して記憶することが重要なのだ。なぜなら、意味記憶は忘れやすいが、エピソード記憶には「忘れにくい」・「思い出しやすい」という利点があるから。池谷の本では、「覚えた知識(意味記憶)を、友達なり家族なりに説明してみる」、「明智光秀に奇襲されて無念そうな織田信長の様子を実際に頭に思い浮かべ、さらに彼の死を、自分の身内が死んだかのように悲しく思う」といった方法が紹介されている。

 つまるところ、音楽配信サービスで聴いた音楽が覚えられないのは、それがエピソード記憶になっていないからだ。CD時代の記憶が鮮明なのは、本や雑誌のわずかな紹介から音への想像を膨らませ、なんとか貯めた小遣いを握りしめて、渋谷のタワレコにまで探しに行ったというエピソードが付随しているからだ。今は、気になった音楽はすぐにSpotifyYou Tubeで聴くことができる。これではよほど琴線に触れない限り記憶することは難しい。

 情熱と刺激は記憶に対して大きな影響を与える。最近では「エモい」という言葉がバカの一つ覚えのように使われているが、そういう体験は確実にエピソード記憶になっている(覚えてもらえる=売れる)。Spotifyで音楽を聴くという体験は、手軽すぎて刺激的ではない。しかも、膨大な量のカタログが、薄く広くという聴き方を助長し、関心・情熱を分散させる。年をとると、あらゆることに慣れてしまい、感動が薄れてしまうが、Spotifyだけを使っていると音楽体験が受動的になり、新しい音楽が記憶できなくなるのではないか。

 では、デジタルネイティブな若者がなぜ新たな音楽を記憶できるのかいうと、一つはライブの影響が大きい。配信サービスはあくまで音楽の入口であり、ライブへの参加が感情を揺り動かし、脳への記憶を助けている。だから、ミュージシャン側も、会場で音を聴かせるだけでなく、限定グッズを販売したり演出にこだわったりして、それが特別なものであることを意識させようとしている。

 また、TikTokで流行っている音楽の多くがダンスミュージックであり、自らも踊りをアップロードすることで、音楽が「体験」として消費されている。

 つまるところ、音楽の評価は耳によってだけ行われているわけではないのだ。

 新しい音楽を記憶したければ、積極的にエモくなれ!