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トム・ウルフ 『現代美術コテンパン』

 これは現代美術について解説した本ではない。現代美術を取り巻く「環境」について解説した本である。「コテンパン」という邦題(原題はThe Painted Word)が示すように、ウルフの筆致はいつも通り皮肉に満ちていて、現代美術に関わる様々な人間をおちょくっている。

 ウルフはまず、『ニューヨーク・タイムズ』日曜版に掲載された展覧会評から、話を始める。彼は記事から、「説得力ある理論の欠如は、何か決定的なものを欠くことになる」という言葉を引用し、現代美術の鑑賞とは「見る」ことではなく「読む」ことが主眼になっていると指摘する。ジョルジュ・ブラックから始まり、今では美術と理論は切り離せないものとなった。ウルフは美術史を遡りつつ、「理論」が絵画それ自体よりも優先されるようになった原因を究明していく。

 まず注目したいのは、美術家の役割・立場が時代によって変化したということだ。17世紀頃、オランダを除くヨーロッパの美術家は、王侯貴族のお抱えだった。18世紀(邦訳だと「19世紀」と誤記されているので注意。p24)になると、美術は貴族だけのものでなくなり、「金持ちのブルジョワジー」や「上流階級の風流人」も、「サロン」という場を作り、美術家・作家たちと接していくことになる。そして、フランス革命を経て、芸術家はサロンからセナクール(結社)に活動の場を移す。この頃に、「芸術家」=ボヘミアンというイメージが出来上がる。ブルジョワ的価値観に反抗してこそ「芸術家」というわけだ。恐らく、新聞などのメディアが発展したことも、「芸術家」=ボヘミアン(=奇人)というイメージに拍車をかけたと思われる。作品だけでなくライフスタイルをも情報として共有していく時代。20世紀の野心のある芸術家たちの中には(ウルフはピカソを例として挙げている)、注目されるために「芸術家」らしい振る舞いをした。そして、そんな「芸術家」を支持することが、ブルジョワジー、中産階級の人間にとって、クールな行為になった。両者はここでwin-winの関係になる。異質な者同士だからこその癒着。

 先にメディアという単語を出したが、彼らの役割は「告知」であるとウルフは言う。そして、大衆はメディアから告知を受け取るだけであって、美術界の動きには決して参入できない。美術界を動かしているのは、芸術家、コレクター、画商、文化人などで構成される美術社交界という小さな世界だ。この美術社交界には大企業も参加している。彼らは稼いだ金を文化事業に投資することで、社会的地位の上昇を目論んでいる。アメリカでは、こうした動きが1920年代初頭に始まった。しかし、社会主義の台頭もあり、1930年から1941年までモダニズムは一時的に動きを止めることになる。

 そして、第二次大戦後、ニューヨークに抽象表現主義の時代が訪れた。その中心にいたのは「ニューヨーク・スクール」と呼ばれたグループ。そして、彼らの理論を担ったのがクレメント・グリーンバーグとハロルド・ローゼンバーグという二人の批評家だ。ウルフはグリーンバーグのあるエッセイについて「じつにみごとに理性的内容を欠如したものになってしまったボヘミアの反ブルジョワジー合唱曲」を上手に歌ったものだと皮肉っている。グリーンバーグやローゼンバーグはインサイダーでありレポーターであり広報だった。そして、彼らに取り上げられた芸術家を本物の有名人にするのは、ペギー・グッゲンハイムのような大金持ちの仕事だった。The美術社交界。

 こうしてグリーンバーグが取り上げた芸術家(例えばジャクソン・ポロック)が有名になることで、理論家としてのグリーンバーグの発言力も同時に上がるという現象が発生する。そう、ここから「理論」というものが徐々に一人歩きしていくのだ。芸術家が理論を意識しながら作業することも今では珍しくない(コンセプチュアル・アート)。だが、そうなると古い「理論」を更新しようという動きが出てくるのも当然のことであった。そこで新たに持ち出されたのがポップアートだ。

 ポップアートは抽象表現主義にあった反ブルジョワ的心理とは無縁だった。ウルフの言葉を借りれば「なりふりかまわず、しっちゃかめっちゃかに消費することは、新しいボヘミアの一部分になっていた*1」ということになる。また、ポップアートはその俗悪的な側面をまったく隠そうとしなかった。ポップアートが引き起こす生理的嫌悪感。しかし、ポップアートが採用していた「嫌よ嫌よも好きのうち」理論によって、ポップアートは批判すらも己の内に取り込んだのだった。

 しかし、黙ってポップアートを受け入れるばかりが、美術界ではない。その反抗は、ミニマル・アートという形でやってきた。理論の指導者は再びクレメント・グリーンバーグ。彼はポップ・アートが台頭した頃、それを批判したことで、一時的に特権的な地位を失った。ポップ・アートは批判すらも芸術にしてしまうからだ。そこでグリーンバーグがとった戦略とは、「もっと新しいもの」を提示するということであった。それはポップ・アートが出て来た時とまったく同じやり方だった。理論は徐々に洗練されていき、芸術は難解になった。本書の原著が出版された1975年の時点で、最早、理論があれば絵はいらないという段階にまで達していた。

 新しさを決めるのは「理論」である。古い理論には新しい理論を。新しい理論は、「なぜこの絵が今重要なの?」という疑問を解決してくれる。これが現代に至るまで続いていることだ。今では、批評家よりも芸術家本人が語る理論が重んじられている感じではあるが。村上隆が「芸術家企業論」といっているのもその流れにあるのだろう。そして、その理論を真に受けた(ふりをした)金持ちによって、現代美術の価値が決まっていく。「好き」も「嫌い」も主観だが、「金」は絶対的な事実である。

 

現代美術コテンパン (晶文社セレクション)

現代美術コテンパン (晶文社セレクション)

 

 

*1:「新しいボヘミアの一部分」に傍点