バトル・オブ・マッチングアプリ

 マッチングアプリ、巷で流行っているらしいですね。わたしは二年ほど前からペアーズに登録し、今年で三年目という中堅プレイヤーですが、これまで出会った人数わずか二人。ペアーズにかけたお金は三万六千円也。つまり、一人あたり一万八千円。もちろん、ノーセックス。なんという非効率! なんという不条理か! Youtubeでペアーズの広告が流れてきた時は、「お、お、俺の三万六千円がこんなところに」なんて思ったりしてね。これがいわゆる資本主義というやつなんでしょうな。

 なにしろ手取りが15万しかないんで、ペアーズの利用料金払うだけでも、またたく間に財政が逼迫するのだから悲しくてやりきれない。あの、三万六千円で何が買えたのか。色が剥げてダルメシアンみたいになっている革靴を買い換えることだってできたはずだ。いいかい学生さん、マッチングアプリをな、マッチングアプリをいつでもできるくらいになりなよ。(以下略)。

 というわけで、本題なのですが、マッチングアプリで他人のプロフィールを舐めるように上から下まで精読していると、だいたいみんな同じ様なことを書いているのに気づきます。「休日はNetflixYoutubeを見ることが多く~」とか、「旅行が好きで~」とか、そんな感じです。まあ、その程度のことはどうでもよろしい。私も、「人間の皮でランプシェードを作るのが趣味です」と言われても困りますから。

 私が非常に気になってしまうのは、「友達に誘われて始めました」とか「ゆる~くやってます」とか「職場が同性ばかりで~」と書いている人です。なんというか、責任を他人や環境に押しつけて、プライドを守り抜こうとしている感じが、鼻についてしまうのですね。「本気でやってませんよ~」アピールというか。

 この手の言葉は、「マッチングアプリをやっている自分」を、完全に受け入れていないから出てくるのでしょう。「必死こいてる」と思われたくないのでしょう。主体性を放棄して、言い訳できる状況を作りたいのでしょう。

 私は言いたい。死ぬ気でやれよ、死なねぇから、と。積極的に生き恥をさらしていけよと。かっこ悪いことから逃げるなと。真っ正面からマッチングアプリに向き合えと。汗と涙と鼻水と小便と大便を垂れ流せと。そのアカウントを漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけと。それが、大事。

 マッチングアプリを舐めてテキトーにやっているみさなんは、今から「ペアーズ、ペアーズ、ペアーズ、ペアーズ、ペアーズ」とあの夕日に向かって三百回叫んでください。そして、気になるあいつに自分から渾身のいいね!を押してください。そしたら、世界、変わりますから。

 

 

 

 

 

PS ペアーズさん、アンバサダーに任命してください。お待ちしております。

 

 

  

宙船/do!do!do!

宙船/do!do!do!

  • アーティスト:TOKIO
  • 発売日: 2009/06/24
  • メディア: CD
 

 

 

不遇な芸術家伝説を目指して

 一年ほど前、『マッチングアプリの時代の愛』という小説を書いて、ブログで発表したことがある。恐らく、これを自発的に読んでくれた人は、5人もいないと思う。マッチングアプリというのが社会的にある程度ホットな話題で、ツイッターなんかではそれを扱った漫画なんかがバンバンリツイートされ議論の対象になったりしているのに、わが創作は港から出港する前にデータの海の中へ沈没してしまったのだ。「やっぱり、影響力のある人間に取り上げてもらわないと、ネットでバズるのは難しいんだ!」と悔し紛れにあの日の夕日に向かって叫んだりした。

 また、俺は8年ほどブログを続けているが、こちらも一度だってバズったことがない。おまけに、グーグル検索で全然ひっかからないから、誰も俺のブログの記事を発見できないという悪循環に陥っている(グーグルがアホやからブログがかけへん)。

 これはまずいぞと思った俺は、ブログが伸びないのはテーマが定まっていないからだと考え、「文学」に話題を絞ったnoteのアカウントを作成し、これまでに7本ほど記事をあげてみた。すると、自分では会心の出来だとうぬぼれていたのが、結果を見ると、1日のアクセス数が3人以下という惨憺たるものだった。これだけ自分の編み出した戦略があたらないのだから、営業とかコンサルとか絶対に向いていないと思う。

 そこで、現世で評価されるのは潔く諦めて、「不遇な芸術家」として死後評価されることを目指そうとした。ゴッホとか、尾崎翠とか、みたいに。

 ところが、最近、菊池寛文学全集第六巻を読んでいたら、こんな随筆を見つけてしまった。タイトルはずばり「芸術家と後世」。この随筆は、中世のキリスト教徒がギリシア文化を蔑ろにしていたことや、シェイクスピアが17世紀から18世紀にかけて批判されていた事実などをもとに、世間の評価というものがいかに不安定・不公平であるかということを説き、そのため、生きているうちから「後世に残るか残らないか」ということを考えても仕方ないだろう、という趣旨のものだ。そこに、俺の目論見を粉々に打ち砕く次のような文章が載っていた。

 

 現在の作品に対して後世なるものが、一々批判のし直しをして呉れるものだろうか。自分は思う、後世と云うものは、我々の思うほど親切ではあるまいと。否可なり不親切な冷淡なものではあるまいかと。大正時代の不遇天才作家の作品が二十一世紀頃の帝国図書館の一隅に塵に埋もれて居ても、洟汁も引っかけまいと思う。やっぱり夏目漱石尾崎紅葉辺のように死んだ時に 立派な全集でも出版されて、それが全国に普及されて居ると、後世の目にも止まり易く、批判もされ易いのではないかと思う。 

 

 かつてのベストセラー作家で16巻に及ぶ全集が出ていながら忘れられた作家となっていた獅子文六が、最近ちくま文庫で続々復活しているのも上のケースに当たるだろう。 菊池寛本人も21世紀になって『真珠夫人』がドラマ化され再評価されるということがあったが、やはり元ベストセラー作家であったことは大きい。

 

 ある時代に於て、全然認められなかった作家が、後代に至って認められた例は皆無と云ってもよい。近代主義の先駆と云われるウィリアム・ブレークやスタンダルなどは、生きて居る時代には余り認められずして、後世に於てその価値を大に認められたが、然し生前その著作を出版し得る程度迄は認められたのである。生前少しも認められずして死後に於て発見せられたる例は殆ど皆無と云ってよい。

 

 居ても立っても居られなくなった俺は図書館にダッシュで駆け込み、ゴッホの伝記(嘉門安雄『ゴッホの生涯』)を借り出してきた。すると、ゴッホも生前から新聞や『メルキュール・ド・フランス』といった雑誌に取り上げられ、評価されていたことを知った。そもそもゴッホは画家を目指したのが遅く、活動期間も10年しかない。18歳から本格的に美術を学んだとして、28歳までに有名になる画家のほうが普通は珍しいだろう。また、ゴッホの活動時期は、印象派の評価がようやく確立し始めた頃で、彼らの絵もそれでさえなかなか売れなかったのだから、ゴッホの絵柄で当時売れなかったのは当然だとも言えるし、逆にゴッホがもう少し長生きしていれば、彼らと同じように売れていたはずだ。ゴッホを認めていたのは、彼の弟だけではなく、ゴーギャン、ベルナール、ロートレック、オーリエ(美術評論家)といった人々がいたのだから。

 尾崎翠にしても、『新潮』や『婦人公論』、『女人芸術』といった雑誌に作品を発表しており、『第七官界彷徨』は啓松堂から商業出版され、当時、花田清輝なんかが読んでいる。つまり、その程度には有名だったのである。「不遇」ということでいうなら、いくらでも下には下がいる。俺が知っている中で一番壮絶なのは、以前『芥川賞をとれなくて発狂した人』という記事で紹介した、来井麟児だ。どのように壮絶なのかは、記事を読んでほしいが、まさに「生前少しも認められずして死後に於て発見せられたる例は殆ど皆無」の代表例である。

 俺もこのままでは来井麟児の道を突っ走るばかりなので、大きな事件でも起こして目立つしかないと思ったが、加賀乙彦『宣告』のモデルである正田昭という人物は、殺人犯で死刑囚おまけにイケメンというそれなりにジャーナリズム受けしそうなプロフィールにも関わらず、群像に掲載された『サハラの水』という小説は単行本にすらなっておらず、世間からも完全に忘れ去られている。たとえ殺人を犯したとしても誰もが永山則夫になれるわけではないということを正田は教えてくれたのだった。 

 結局のところ、インターネット時代になって誰もが発信できるようになったが、最低でも商業誌への掲載や商業出版といったハードルを超え、誰かのお墨付きを得たものでないと、真剣に評価されないという状況はあまり変わらないと思う。

 

 

ゴッホの生涯 (人物文庫)

ゴッホの生涯 (人物文庫)

  • 作者:嘉門 安雄
  • 発売日: 1997/02/01
  • メディア: 文庫
 

  

尾崎翠全集 (1979年)

尾崎翠全集 (1979年)

 

 

宣告(上) (新潮文庫)

宣告(上) (新潮文庫)

  • 作者:加賀 乙彦
  • 発売日: 2003/03/24
  • メディア: 文庫
 

  

正田昭・黙想ノート

正田昭・黙想ノート

 

 

増補新版 永山則夫 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)

増補新版 永山則夫 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)

  • 発売日: 2013/08/26
  • メディア: ムック
 

 

マッチングアプリで絶対にもてるプロフィールはこれだ!

 こんにちは。マッチングアプリのことならなんでも知っている清水国明です。この前、スタンフォード大学で、マッチングアプリPh.D.を取得しました。日本に帰国してからは、東大でスタンフォードマッチングアプリの使い方について講義しています。

 今日は、「マッチングアプリに勇気を出して登録してはみたものの、まったくマッチングしねーよ! 金返せ!」と魂の雄叫びをあげている臭くてもてない君たちへ、AK-47に匹敵するとても強力な武器を配りたいと思います。

 マッチングアプリで重要なのは、一にプロフィール、ニにプロフィール、三、四がなくて五にプロフィールです。プロフィールが全てと言っても過言ではありません。プロフィールが糞だと、あなたは好かれるどころか嫌われます。唾をかけられます。足蹴にされます。通報されます。それを避けるためには、魅力的なプロフィールを書く能力が必要不可欠なのですが、もてないあなたたちにそれを望むのは酷でしょう。

 なので、今回わたくしがいくつかのパターンを用意しました。パターンといっても、全てわたくしが実戦で使用し、効果を確かめたものとなっています。これを自分用にアレンジすれば、あなたは確実にもてます。身長も伸びます。頭も良くなります。それぐらい効果があります。もし、だめだったらそれはあなたのせいなので、わたしを恨まないでください。

 

パターンA(求人型)

 

【急募!】年間休日300日以上(2019年実績)☆プライベートとの両立も可能です♪

私と恋人になるだけの簡単なお仕事です!

雇用形態  正社員
応募条件  未経験優遇(経験者でも可)
応募資格       40歳以下の方(長期キャリア形成を図るため)
勤務時間  シフト制
      月4回程度の勤務となります(要相談)
      ▼勤務時間例
      19:00-21:00(平日)
      17:00-24:00(土曜日)
給与    なし
待遇・手当 賞与あり(誕生日・クリスマス年2回)
      交通費支給なし
求人内容       恋人業務全般

 

パターンB(王者型)

 

Hello、子猫(プッシーキャット)ちゃん。
ようこそ、俺の城(プロフィール)へ。
この瞬間からすでに運命(ディスティニー)が動いていることに気づいているかい?

みんなは「マッチングアプリを始めた」というけれど、俺の場合は逆。
マッチングアプリが俺を求めていた。
「しゃーねーな」なんつって、渋々引き受けたけど、今じゃそれなりに楽しんでる。
結局、人生楽しんだもん勝ちだろ? なぁ、兄弟(ブラザー)?

俺ぐらいマッチングアプリを極めると、逆にマッチングとかどうでもよくなる。
マッチングアプリだからマッチングしなきゃいけない、
そういう常識をぶっ壊したいんだよね。
だけど、Ladyたちからのいいね!はいつでも歓迎。
キリスト教ばりの人類愛ですべてを受け入れるよ。

俺にとってマッチングアプリとは「自己表現」の一つ。
最終的には「宇宙」とマッチングするつもり。
そしたら、地球にいるみんなに、太陽よりも熱い愛をプレゼントするぜ。

 

パターンC(中二病型)

 

初閲覧…ども…

俺みたいなアラサーで1年以上マッチングアプリしてる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは

今日の会社の会話
進捗どうなった とか 書類出せ とか
ま、それが普通ですわな

かたや俺は電子の砂漠で女のプロフィールを見て、呟くんすわ
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。

好きな音楽 バッハ
尊敬する人間 三島由紀夫切腹行為はNO)

なんつってる間に4時っすよ(笑) あ~あ、社会人の辛いとこね、これ

 

パターンD(逆説型)

 

こんにちは(おはようございます or こんばんは)
新宿にある会社で、事務員として働いています。

最近読んだ本は武者小路実篤さんの『お目出たき人』という小説で、「自分は女に飢えてゐる」という文章にとても共感しました!

知り合いからはよく「モテなさそう」と言われますが、実際モテません(笑)。
他に、「暗い」、「オタクっぽい」、「何を考えているかわからない」などと言われたこともあります!

職場には異性も多く出会いがないわけではありませんが、モテないので一切関係ありません。
そのため、ペアーズは、友達や同僚が勧めてくる前に、自ら主体的・能動的・積極的に始めました。
巷では不倫の話題で持ち切りですが、自分はモテないのでそういう心配が一切ありません。

良かったら、ボランティアだと思ってお話しませんか?
大学生なら、就活の時のアピール材料になると思います!
社会人なら、徳を積んだことになります。

まずは恋人から始められると嬉しいです。それから徐々に友達、他人になっていければいいなと思ってます!

最後に一つだけお願いがあります。
私のプロフィールの真ん中あたりに(スマホなら画面の下)「いいね!」と書かれたボタンがあるので、それを押してみてください。
もう必死です。崖っぷちです。
俺にはペアーズしかないんですよ。

 

パターンE(説教型)

 

みなさん、
本気でペアーズやってますか?
本気でペアーズと向き合ってますか?
本気でペアーズにぶつかってますか?
本気でペアーズと格闘してますか?
ゆる~くやってます、なんてつぶやいてませんか?
友だちに誘われて、なんて受け身になってませんか?
初心者です、なんてカマトトぶってませんか?


マッチングアプリ、なめないでください
登録したからにはガチでいきましょう、ガチで
だらだらやって後悔するのはあなたです
ペアーズに命燃やしましょう 燃え尽きましょう 真っ白になりましょう 灰になりましょう
そしたら、いつもとちがう景色見えますから
一緒に行きましょうよ、マッチングアプリの向こう側に

 

 

 どうでしょうか? 自分にあったプロフィールは見つかりましたか? みなさんのマッチングアプリライフが充実したものになることを祈っています。コンドームは忘れずに。チャオ! 

 

 

文壇ゴシップニュース 第7号 アルベルト・モラヴィアの逆ポルノ小説『わたしとあいつ』

今週の文壇ゴシップニュースを更新しました。

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図書館に本を寄贈してみた

 6月25日にボーナスが入った。その少し前から使いみちを考えていたのだが、コロナの影響もあり、生まれて初めて、「社会に役立つことがしたいなぁ」と思い、いくらか寄付することに決めた。そして、ボーナスの額をきちんと確認してから、寄付に使う金額をきっちり決め、ネットで色々検索してみた。その間、「あぁ、俺は今社会に役立とうとしている!」とドーパミンが奔流のごとくドバドバと放出され、普段から寄付とかボランティアをしている人間の気持ちが分かった。

 さて、寄付をするといっても、面倒くさいことが大嫌いな自分は、何かしらの手続きが間に入ってこないようなものを探した。すると、今はAmazonの欲しいものリストを使って、寄付を募っているところがあったりして、や、これは便利だと思ったが、「ここだ!」というところがなかなか見つからなかった。

 そのうち、「そういえば、図書館って本の寄贈を受け付けていたよな」ということを思い出した。もちろん、どんな本でも受け入れているはずがなく、以前練馬区の図書館を訪れた際、リサイクルコーナーに寄贈されたらしき自費出版本や古い文庫本が山積みになっているのを目撃したことがある。自分が唯一発見した寄贈本は、同じ練馬区の図書館にあった『昭和文学作家史 二葉亭四迷から五木寛之まで (別冊一億人の昭和史)』で、結構ボロボロだったのだが、新刊本として出たときに寄贈されたのだろうか。

 とにかく、普段から図書館を利用しまくっている自分としては、そこに貢献できると想像するだけでも、非常に気分が良かった。「文化事業」に自分が参入しているような気持ちになれた。一人メセナだ。

 寄贈先の候補となる図書館は三つほどあった。まず、俺の地元である埼玉県和光市図書館。和光市図書館の蔵書は貧弱で、俺の家からも遠いことから、全然利用していなかったのだが、和光市からある支援を受けたことがあったので、それに対する恩返しのつもりで、第一候補にしたのだった。

 和光市図書館のホームページに飛び、寄贈について書かれたページを見ると、「現在ベストセラーなど、図書館で予約の多い本」、「新刊図書(最近1年以内に出版されたもの)」などのルールが決められていた。次に、板橋区図書館を見ると、「比較的最近に出版されたもので、汚破損、書き込みのない図書資料」と、和光市に比べやや条件が緩和されている。最後に練馬区図書館を確認すると、「比較的最近に出版されたもので、図書館資料として一定の利用が予測されるもの」、「類書が無く図書館資料として貴重なもの」などと書いてあった。ルールを比較した結果、板橋区図書館を寄贈先に選んだ。

 実は、寄贈をすると決めた時、自分もその本を利用してやろうと考えていた。俺の部屋の本棚は少し前からキャパシティを完全にオーバーし、新たに買った本はすべて床に積まなければならない状態で、家族からは「床が抜けるからやめろ」と責められ続け、肩身の狭い思いをしていた。そこで、図書館を俺の本棚にしてしまおうと目論んだのだ。だから、寄贈する本は、「図書館が所有していないもの」と「自分が読みたいもの」という二つの条件を満たすものでなければならなかった。そのため、ベストセラー本は最初から論外だった。結局、自分が選んだのは、

 

田中雄二『AKB48とニッポンのロック ~秋元康アイドルビジネス論』2019年

サイモン・シネック『WHYから始めよ! インスパイア型リーダーはここが違う』2012年

 

 初めての寄贈なので、どのような本なら確実に架蔵されるのか確かめるつもりもあって、この二冊にした。田中の方は去年出版と「比較的最近に出版されたもの」という条件に当てはまり、「AKB48」というメジャーなテーマが、公立図書館好みと考えた。シネックのものは、出版時期はやや古いものの、TEDから生まれた人気のビジネス書(Amazonで星が95もついている)で、板橋区の図書館が架蔵していないのが不思議なくらいだった(練馬は1冊持っている)。そして、田中・シネック共に、別の著書は板橋区図書館に架蔵されているため、突飛な選択ではないと判断した。

 こうして、俺はその二冊を新品で書い、板橋区の某図書館に持ち込んだ。6月の末日だ。本を寄贈したいと伝えると、図書館員から「本の扱いはこちらで決めるが大丈夫か?」と確認された。OKすると、寄贈申込書を書かされ、それが済むと、寄贈について感謝の言葉が印刷された薄い小さな紙をもらった。俺は「いいことすると、気分がいいなぁ」と鼻歌を歌いつつスキップで図書館を出た。

 それから毎日板橋区図書館のOPACを検索して、寄贈した本が架蔵されていないかチェックした。架蔵された瞬間、まず自分が借りるつもりだった。俺の善行の証をこの目で見たかった。俺は待ちに待ち続けた……

 そして、1ヶ月経過した。ここまで来たら答えは一つしかなかった。あの二冊はあっさり処分されたのだと。せめてリサイクルコーナーに置かれて、興味を持った誰かに拾われてればいいな、と思った。さようなら、私の本よ! 俺は中古で寄贈したものと同じ本を買った。

 

秋草俊一郎 『「世界文学」はつくられる 1827-2020』

 ある小説が優れていることについて、「これは世界文学だ!」と表現する人がいて、自分はそれを見るたびに苛立っていた。まず、「世界文学」という言葉は昨今あまりにも乱用されており、それ自体既にクリシェと化しているのにも関わらず、そこに気づかない非文学的な鈍感さに対して。それから、「『世界文学』って言っておけば今どきかつ安全なんだろ?」という、空気を読むことだけに徹した軽薄さに対して。

 なぜこのような事態が起こっているかと言うと、それは「世界文学」という言葉がこれまで厳密に定義されたことがなく、みんなが好き勝手に使っているからだ。なにしろ、「世界文学」という言葉が広まるきっかけを作ったゲーテ自身、それをきちんと定義しなかったがために、その意味するところを解明しようと、研究者たちが膨大な量の論文を書いているという。それ以来、世界中で「わたしのかんがえるせかいぶんがく」が量産されていることになる。秋草俊一郎の『「世界文学」はつくられる 1827-2020』は、そのゲーテから始まり、世界文学全集や世界文学アンソロジーの成立過程や状況を分析することで、いかに「世界文学」という言葉・概念が、恣意的に使用されてきたかということを解き明かしている。

 これまで「世界文学全集」について焦点を当てた書物といえば、矢口進也の『世界文学全集』があった。日本における世界文学全集の始まりからその終焉までを描き(池澤夏樹のものは時期的に含まれず)、戦後の世界文学全集については掲載作品まで転記していることから、データ的にも役に立つのだが、分析よりかは紹介に重点が置かれていた。秋草著の場合、精密な分析はもとより、意識して日・米・ソという視点を導入しているので、矢口のものより遥かに広い視野で「世界文学」というものについて見通すことができるようになっている。

 日本の世界文学全集が誰をターゲットにしていたのかという話や、ソ連で刊行された『世界文学叢書』に、『失われた時を求めて』、『ユリシーズ』、『変身』が政治的理由から収録されなかった話など、本書には「世界文学」にまつわる面白いエピソードが色々あるのだが、中でも興味深かったのが、アメリカの大学で教科書として使われている三種類の「世界文学アンソロジー」全てに樋口一葉が収録されている理由だ。

 

 「世界文学アンソロジー」に、一葉が繰り返し採択される理由はいくつか考えられる。第一に、一葉が女性作家であること。「世界文学アンソロジー」が、しだいに女性作家にも門戸を開くようになったことはすでに説明したが、一葉は近代日本(そしておそらく東アジアでも)における最初期の職業的女性作家であり、話題にとりあげやすい。第二に、作品がどれも短いこと。紙面がかぎられたアンソロジーに代表作を収録しやすいのは大きなメリットだろう。

 そして第三に、一葉が同時代人にくらべても西洋文学の影響をほとんど受けなかったこと(引用者注:「受けなかった」に傍点)。予想に反して、その地域主義ことが、一葉文学の強みになっている。『ベッドフォード版世界文学アンソロジー』は、「イチヨー・ヒグチ」を十九世紀末の最高のリアリストのひとりと位置づけているが、それはそのリアリズムが、西洋の「物まね」ではなく、日本(アジア)に由来するものだからだ。

 

 俺はこのくだりを読んで、ただちに村上隆を思い出した。現代アートの世界は、作品そのものより、それが成立するまでの「コンセプト」を重視するところだが、そこで「日本人」として成功した村上は、「欧米の芸術の世界は、確固たる不文律が存在しており、ガチガチに整備されております。そのルールに沿わない作品は『評価の対象外』となり、芸術とは受け止められません」と『芸術起業論』の中で書き、西洋が考える「日本像」を強く意識してアートを作った。

 それと同じことが文学の世界でも起きているわけで、例えば日本の文学史では伊藤整ジョイスモダニズムに影響されて小説を書いたということが特筆されたりするが、「世界文学アンソロジー」の編者からすれば、まったく興味の持てない事柄だろう。我々が西洋文学から影響を受けて創作しても、向こうからすれば、それはは単なる「猿真似」でしかない。明治から現在にいたるまで問われてきた、「日本文学は世界文学を規範としなけれなばらない」という問題意識が、国内限定でしか通用しないという皮肉な状況がここにはある。

 秋草はそこからさらに突っ込んで、次のようなことを書いている。

 

「世界文学アンソロジー」をながめていて気づかされるのは、アジアやアフリカはマイノリティや女性、植民地といった役割を押しつけられすぎているのではないかということだ。どんなに先鋭的な「世界文学アンソロジー」を編んだところで、シェイクスピアやダンテといった西洋文学のカノンの中核をになう男性作家を締めだすことはできない。全体の頁数を増やさずに、多様性や平等を実現しようとすれば、どこかで調整が必要になってくる(引用者注:「平等」に傍点)。そのためのしわ寄せが、北米の読者からはあまり知られていない地域にきてしまっているのではないか。エドガー・アラン・ポーハーマン・メルヴィルははずせなくても、極東の文豪をマイノリティ女性作家にいれかえることは心理的にたやすい。同種の現象がほかのよりマイナーな地域の文学でおこっていても不思議ではない。

 

「世界文学」を「世界中の文学」という意味で使う人間はいない。「世界文学」はある一定のルールに基づいて選別されている(ソ連の『世界文学叢書』からプルーストが排除されたように)。今度、そのルールが変更され、シェイクスピアや『ドン・キホーテ』がアンソロジーから取り除かれていくことだってありえない話ではない。むしろ、異なるルールで編まれたアンソロジーが複数存在しない限り、「多様性」を確保するのは難しいだろう。

 本書では、今後「世界文学」を研究するにあたって目指すべき方向性も書かれている。文学そのものだけでなく、文学の受容のされかたにも興味があるなら、必読だろう。

 

 

「世界文学」はつくられる: 1827-2020

「世界文学」はつくられる: 1827-2020

 

   

世界文学全集

世界文学全集

 

 

芸術起業論 (幻冬舎文庫)

芸術起業論 (幻冬舎文庫)

  • 作者:村上 隆
  • 発売日: 2018/12/06
  • メディア: 文庫
 

 

文壇ゴシップニュース 第6号 シンクレア・ルイスの顔面を侮辱したヘミングウェイ──私小説としての『河を渡って木立の中へ』──

 今週の文壇ゴシップニュースを更新しました。

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