ビートたけし『みんなゴミだった』

 突然ですが、ここでセックスの話をしたいと思います。セックスって知ってますか? 異性ないし同性同士が主に裸で行うアレね。自分の場合、主に風俗という桃色のフィルターを通して行うことが多いんだけど、人生で一度も没入感を得たことがない。一番興奮するのが、ホテルで相手を待っているとき。そこがピーク。実際にやりましょうとなったら、最初の5分ぐらいでもう飽きてる。「早く終わらねーかな」としか思っていない。それでも、金がもったいないし相手のこともあるから、残りの50分は熱中しているふりをしているんだけど、気持ちが完全に降りちゃってるから(©ミームを考える)、性行為をしている自分を俯瞰してみちゃってるんだ。そうすると、セックスという行為が冗談にしか思えなくて、ますます気持ちが離れていく。だから、一度風俗に行くとしばらくはそのことが頭をよぎって、セックス自体がどうでもよくなり、もっぱらオナニーで満足するんだけど、やっぱり半年ぐらいすると喉元過ぎれば熱さを忘れるで、風俗の予約をして、また最初に戻るんだよね。

 結構前にビートたけしの『みんなゴミだった』っていう本を読んだんだけど、たけしもそんな感じらしいよ。やっぱ、俺とたけしは発想が近いわ。

 

 ところが、コーマンっていうやつは男と女がいきなりハダカになってやらなくちゃならないもんだし、そのやってる最中の格好とか、口走ってることとかって、すごい滑稽なんだ。

 だからセックスっていうのは、ギャグの宝庫になってる。ネタは無限に埋蔵されてる。(ビートたけし『みんなゴミだった』)

 

 たけしが書いた本って、(本人が書いてない物も含めると)相当出てるけど、彼の思考が一番露骨に表出しているのが、この『みんなゴミだった』じゃないかな。とにかくニヒリズムというか諦念というか、常に一歩引いたところから世界を眺めていて、読み終わるとちょっとした虚無感に襲われる代物なんだ。

 たけしという人は非常に屈折していて、ロマンティスト的なところもあるんだけど、表層的にはシャイだから、そういうところを「ボケ」や「露悪」で隠そうとするんだよね。特にこの本の場合、露悪の方向性がかなり強くて、そこがうんざりする人もいるだろうな。

TAKESHIS'』っていう映画では、売れない俳優「北野武」と大物芸能人「ビートたけし」を並置する手法をとっていたけど、『みんなゴミだった』を読むと、売れてなお、何者でもなかった新宿時代を引きずっているがよくわかるね。一歩間違えれば自分も「ゴミ」になっていたんじゃないかっていう不安と、自分はそういう連中とは違ったから成功したというプライド、この両方に足を突っ込んでいるのが、たけしという人間の矛盾であり魅力になっているんだよ。本では新宿時代の「文科系コンプレックス」を告白しているけど、成功したからこそ言える言葉なんだろうね。

 で、話をセックスとギャグに戻すんだけど、実は俺も風俗のネタを書いたことがあるんだよな。「丁寧すぎる風俗客」っていうネタなんだけど、いつか映像化したいなって思ってる。多分Youtubeには載せられないから、どっかのスペース借りて、上映会方式でやりたいね、っていう宣伝でした。

 

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