『文學界』1967年8月号では、「作家が選んだ戦後文芸評論ベスト20」という特集を組んでいる。初めに、磯田光一司会で、野間宏、中村真一郎、小島信夫、大江健三郎らによる座談会(「作家にとって批評とは何か」)があり、その結びとして、読者に勧める文芸評論を選んでいるという形だ。選考の仕方が面白かったので、その様子を引用しよう。
「人から入った方が選考しやすいのではないか」(中村氏)ということで、まず名前がリスト・アップされる。
荒正人、平野謙、花田清輝、本多秋五、埴谷雄高、佐々木基一、小田切秀雄、寺田透、山室静。
中村光夫、伊藤整、福田恆存、高橋義考、山本健吉、亀井勝一郎、吉田健一、唐木順三。
渡辺一夫、桑原武夫、林達夫、竹内好、武田泰淳、瀬沼茂樹、河盛好蔵。
服部達、遠藤周作、村松剛、佐伯彰一、篠田一士、進藤純考、日沼倫太郎、江藤淳、奥野健男、吉本隆明、橋川文三。
学者及び小説家は省いたらどうかという声が出る。一同賛成だが、伊藤整を落とすわけにはいかない。
それとは別に「橋川さんは確かに学者だが、その関心がいかにも文学者的ですから是非入れておきたいですね」(大江氏)という発言もあって橋川文三は残る。
小林秀雄、河上徹太郎両氏は別格として敬遠。磯田光一も含めて、森川達也、秋山駿、松原新一などといった若手評論家たちや新日本文学系の批評家たちは今後の仕事にまち、他日また論じていただくとして一応除外する。
この種の話合いがあって、ひとまず選び出されたのは、荒、平野、花田、本多、佐々木、小田切、寺田、中村(光)、伊藤、福田、山本、亀井、吉田、唐木、加藤、服部、江藤、橋川、吉本、奥野、篠田、佐伯の諸氏。計二十二名となる。
「そんなら篠田君と佐伯君を落としたらどうですか。そうすればちょうど二十になるんでしょう」(中村氏)。「奥野さんや江藤さんが同時代の仕事をすべて代表するわけですか」(大江氏)。「いやそういうことではなくて、未来に期待するという意味で。それに他の人たちはいくつも作品があって、ベスト20ということになれば、なにを選ぶか考えなければいけないが、篠田君は『伝統と文学』、佐伯君は『日本を考える』と一つしか候補作がないということですよ」(中村氏)
服部達も「われらにとって美は存在するか」一本しかないが、「あの中には、いまの若い人がやっていることのヒントのようなものがずいぶんあるような感じがします。服部が生きていたらというようなことを言う人がずいぶん多いし……」(小島氏)、という次第で服部達は生きて二十の顔ぶれがきまった。
平野謙は「芸術と実生活」及び「島崎藤村」。幅の広さということから「芸術と実生活」に決定。花田清輝は「復興期の精神」及び「アヴァンギャルド芸術」のうち「アヴァンギャルド芸術」。ほとんどがスムーズに選び出された中で、多少手間取ったのが本多秋五、中村光夫、福田恆存、吉本隆明。
本多秋五は「戦争と平和論」、「『白樺』派の文学」、「物語戦後文学史」等が候補に上がったが、けっきょく「物語戦後文学史」に落ち着く。
中村光夫は「風俗小説論」という意見もあったが、大江氏が積極的に「二葉亭四迷伝」を推したということもあって「風俗小説論」の方は参考作品になる。
どれにするかでいちばんもめたのが福田恆存。「初期の作品をあげたいと思いますが」(野間氏)。「『芥川龍之介論』、『近代の宿命』……」(中村氏)。「しかし、再読してみてぼくはつまらなかった。とくに『西欧作家論』は今日の若い外国文学者の実力とくらべれば復刊する値打ちはないでしょう」(大江氏)。「福田さんは最初一緒に運動やって、いまはぼくの論争相手ですよ。『平衡感覚』を入れたい」(野間氏)、といったような発言があり、けっきょく「人間・この劇的なるもの」が選ばれる。
吉本隆明の場合、「高村光太郎」、「言語にとって美とはなにか」、「マチウ書試論」が候補として出されたが、「言語……」は難解だし、、異論(野間氏など)もかなりあるため落され、「マチウ書試論」が入っている「芸術的抵抗と挫折」に決定。「マタイ伝の生成を文学論的に批評したもので、暗い力のある、いいものですが、マタイ伝の成立の論考がどこまで吉本隆明の発見なのか、タネ本である外国人の専門家の発明にどの程度依拠しているのかをはっきりさせていないところが難でしょう」(大江氏)。
結論的感想。「しかし、ずいぶん妥当なものができ上ったもんだね(中村氏)。「小説家はいかに公正無私か、あるいはいかに温和な種族かということですか。しかしこんなものにあげられない方がいいのだよ」(野間氏)。
戦後評論ベスト20
佐々木基一 『リアリズムの探求』 参考 最近のリアリズム関係諸論文
福田恆存 『人間・この劇的なるもの』 参考『平衡感覚』
服部達 『われらにとって美は存在するか』