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ポール・ニューマンとアカデミー賞

洋画 伝記

 2016年に行われた第88回アカデミー賞受賞式では、これまで4度候補に挙がりながらオスカー像を逃し続けてきたレオナルド・ディカプリオが、5度目のノミネートで遂にアカデミー主演男優賞(『レヴェナント: 蘇えりし者』)を受賞したことが話題になった。彼が最初に候補となったのは1993年の『ギルバート・グレイプ』の助演男優賞の時で(受賞したのは『逃亡者』のトミー・リー・ジョーンズ)、そこから受賞まで23年かかったことになる。受賞時、ディカプリオは41歳だった。

 抜群の知名度がありながら、アカデミー賞と相性の悪かった俳優としては、ポール・ニューマン(1925-2008)がいる。彼は1956年公開の『傷だらけの栄光』で一躍スターとなり、アカデミー賞初ノミネートは、1959年の時、『熱いトタン屋根の猫』の主演男優賞だ。そして、ここから彼の落選人生が始まることになる。簡単にその流れをまとめてみよう(記載してある年度は、アカデミー賞受賞式が行われた年)。

 

1959年:アカデミー主演男優賞

デヴィッド・ニーヴン ー 旅路(受賞

トニー・カーティス ー 手錠のまゝの脱獄

シドニー・ポワチエ ー 手錠のまゝの脱獄

スペンサー・トレイシー老人と海

ポール・ニューマン ー 熱いトタン屋根の猫

 

1962年:アカデミー主演男優賞

マクシミリアン・シェル ー ニュールンベルグ裁判 (受賞

シャルル・ボワイエ ー ファニー

スペンサー・トレイシー ー ニュールンベルグ裁判

スチュアート・ホイットマン ー 愛の絆

ポール・ニューマンハスラー

 

1964年:アカデミー主演男優賞

シドニー・ポワチエ ー 野のユリ(受賞

アルバート・フィニートム・ジョーンズの華麗な冒険

リチャード・ハリス ー 孤独の報酬

レックス・ハリソン ー クレオパトラ

ポール・ニューマン ー ハッド

 

1968年:アカデミー主演男優賞

ロッド・スタイガー ー 夜の大捜査線(受賞

ウォーレン・ベイティ俺たちに明日はない

ダスティン・ホフマン ー 卒業

スペンサー・トレイシー ー 招かれざる客

ポール・ニューマン ー 暴力脱獄

 

1982年:アカデミー主演男優賞 

ヘンリー・フォンダ ー 黄昏(受賞

ウォーレン・ベイティ ー レッズ

バート・ランカスター ー アトランティック・シティ

ダドリー・ムーア ー ミスター・アーサー

ポール・ニューマン ー スクープ/ 悪意の不在

 

1983年:アカデミー主演男優賞

ベン・キングズレーガンジー受賞

ダスティン・ホフマントッツィー

ジャック・レモン ー ミッシング

ピーター・オトゥール ー My Favorite Year

ポール・ニューマン ー 評決

 

1987年:アカデミー主演男優賞

ポール・ニューマンハスラー2(受賞

デクスター・ゴードン ー ラウンド・ミッドナイト

ボブ・ホスキンスモナリザ

ウィリアム・ハート ー 愛は静けさの中に

ジェームズ・ウッズ ー サルバドル/遥かなる日々

 

1995年:アカデミー主演男優賞

トム・ハンクスフォレスト・ガンプ/一期一会(受賞

モーガン・フリーマンショーシャンクの空に

ナイジェル・ホーソーン ー 英国万歳!

ジョン・トラボルタパルプ・フィクション

ポール・ニューマンノーバディーズ・フール

 

2003年:アカデミー助演男優賞

クリス・クーパーアダプテーション受賞

エド・ハリスめぐりあう時間たち

ジョン・C・ライリー ー シカゴ

クリストファー・ウォーケンキャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

ポール・ニューマンロード・トゥ・パーディション

  

 7度目のノミネートでやっとオスカーを獲得(その後2度落選)。ポール・ニューマン62歳の時である。最初のノミネートから28年かかった。ただ、アカデミー協会側もニューマンを評価していないと見られるのを恐れたのか、85年(主演男優賞受賞の二年前)、ニューマンに名誉賞を与えたいと言ってきた。そして、翌年の3月に行われた第58回アカデミー賞受賞式で、ニューマンは男優賞を獲得する前に名誉賞を受賞したのだった。

 ヘンリー・フォンダもまた、初の男優賞を獲得する一年前に、名誉賞を貰っている。名誉賞を受賞したのは、1981年、75歳の時で、翌年『黄昏』で主演男優賞(上を見てもらえばわかるが、候補者にはニューマンがいた)を獲得した約5か月後にフォンダは死んだ。二人の主演男優賞受賞は、かなり功労賞に近いものであったと見ていいだろう。ちなみに、『黄昏』はアカデミー賞部門受賞、『ハスラー2』のアカデミー賞受賞はニューマンのみとなっている。

 ニューマンの2度目の妻は、女優のジョアン・ウッドワード(1930-)だが、彼女はニューマンと結婚した2か月後に、『イブの3つの顔』でアカデミー主演女優賞を獲得している。1958年のことだ。ニューマンよりウッドワードの演技の方が上手いという意見も数多い。

 ニューマンとウッドワードは結婚後、数々の作品で共演し、ニューマンの初監督作品『レーチェル レーチェル』(1968年)ではウッドワードが主役をつとめている。この映画は批評的にも興行的にも順調で、ニューヨーク映画批評家協会監督賞を──これには賛否ありながらも──ニューマンは受賞した。だが、アカデミー監督賞にはノミネートされず、ニューマンは落胆した。作品賞、主演女優賞、助演女優賞、脚色賞にはノミネートされたが、すべて落選という結果に終わる。その後、監督した作品が──難解な作風も災いしたのか──アカデミー賞という舞台で取り上げられることはなかった。

 上のリストを見ると、69年から81年まで、ニューマンは俳優としてアカデミー賞にノミネートされていない(1969年開催の第41回アカデミー賞では、『レーチェル レーチェル』が作品賞でノミネートされ、プロデューサーとして候補にあがったことはある)。俳優として脂が乗っていたであろうこの空白の期間に、ニューマンは『明日に向かって撃て!』(1969年)と『スティング』(1971年)という映画史に残る二つの作品に出演している。前者はアカデミー賞部門受賞、後者は7部門受賞したが、ニューマンは相手にされなかった。70年代のニューマンは、精力的に仕事をこなしてはいたが(大作『タワーリング・インフェルノ』にも出た)、『明日に向かって撃て!』で英国アカデミー主演男優賞にノミネートされたこと以外、賞とは無縁の生活を送っていた。ちなみに、1977年に出演した『スラップ・ショット』は後にカルト的な人気を博した。

 1980年、彼は『アパッチ砦ブロンクス』の製作に入ったが、撮影中、この作品が人種差別的だと話題になった。「ニューヨーク・ポスト」は、リベラル派として知られているニューマンがそうした作品に出るのはおかしいと熱心に批判した。マスコミに対する不信感が募っていた時、『スクープ/悪意の不在』に出演しないかというオファーが来た。『スクープ』はマスコミの不正行為を糾弾する映画で、現在の彼の心情にぴったりだった。『ポール・ニューマン アメリカン・ドリームの栄光』には、インタビューなどで『ニューヨーク・ポスト』を激しく攻撃するニューマンの様子が描かれている。『スクープ』に出たおかげで、14年ぶりにアカデミー主演男優賞にノミネートされるという大きなおまけもついた。『ニューヨーク・ポスト』とはその後も冷戦状態が続き、ちょうど『ハスラー2』が公開された頃、彼の身長に関する記事をめぐって、凄まじい戦闘が両者の間で起きた。この馬鹿馬鹿しい争いは先にあげた『ポール・ニューマン アメリカン・ドリームの栄光』に詳しく書いてあるので気になる人は確認して欲しい。これ以後ニューマンが、『ニューヨーク・ポスト』のオーナー、ルパート・マードックが所有していた20世紀フォックスと仕事をすることはなかった。ちなみに『ニューヨーク・ポスト』は一時期、テレビ欄からもニューマンの名前を消していたそうだ。

 

ポール・ニューマン アメリカン・ドリーマーの栄光

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ニューマンズ オウン ピノノワール 750ml

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  ポール・ニューマンが自身の名前を冠した食品会社「ニューマンズ・オウン」から売られているワイン。ラベルに彼の似顔絵が貼ってある。