Apple Musicのひどい不具合

 Apple Musicの会員になってから半年ぐらい経つが、不満なことが一杯ある。アレがあるのにコレがないみたいな、曲数についての不満も当然あったりするが、一番イライラするのは、技術的な問題だ。ちなみに、使っているiTunesのバージョンは、12.9.3.3である。

 

1 アルバムが勝手に分裂する①

 

 日本版Apple Musicでは、洋楽でもアーティストの表記が勝手にカタカナにされている。俺はLast.fmiTunesを連携させて再生数をカウントしているので、アルバムをライブラリに追加した後(ダウンロードではない)、わざわざ自分で元の表記に打ち直しているのだが、これをすると知らないうちに、なぜか最初の1曲目とそれ以外という、2枚のアルバムに分割されてしまうことがよくある。片方は打ち直したアーティスト名なのだが、もう片方はアーティスト名が、「不明」か元通りになってしまっているのだ。仕方なく後者の方を打ち直すと、再び統合されるが、面倒くさくて仕方がない。

 

2 アルバムが勝手に分裂する②

 

 あるベスト・アルバムをライブラリに追加し、しばらくしてまた聴こうと思ったら、なぜか、そのベスト・アルバムから数曲だけ消えているという妙な状況が起きた。よく見ると、ベスト・アルバムの隣に、自分が絶対に追加していないアルバムがあって、そこに消えた曲があった。つまり、ベスト・アルバムに入っていた「A」という曲を勝手にライブラリから消し、同じ「A」が入っている別のアルバムを追加していたわけだ。なぜ、こんなことが発生するのかわけがわからない。ベスト・アルバムをライブラリに入れると、これが良く起きる。

 

3 登録されているアーティストが、別人の名前になっている

 

 ある日、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのギタリスト、トム・モレロのソロでも聴いてみようかな、と思って「The Nightwatchman」(トム・モレロのソロ名義)と検索すると、まず「トム・モレロ」のページが出てきた。そこに飛んで、「同じタイプのアーティスト」の欄を確認すると、「The Nightwatchman」はなく、「Brendan James」というアーティストが、最初に表示されていた。そして、それをクリックすると、一応The Nightwatchmanのページに飛んだが、アーティスト名の表記はなぜか「Brendan James」となっていた。Brendan Jamesというのは実在するミュージシャンらしいが、なぜトム・モレロのアルバムがBrendan Jamesという名義にされたまま放置されているのだろう。誰も気づいていないのか? それとも俺だけこんな表示になるのか? もう一つ指摘しておくと、臼井OZMA孝文のページには、アメリカのバンドのOZMAが混ざっている。

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(2019年3月6日現在)

 

 

Spotify Music

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サイモン・ブラウンド編 『幻に終わった傑作映画たち』

 キューブリックの『ナポレオン』、オーソン・ウェルズの『ドン・キホーテ』、 アレハンドロ・ホドロフスキーの『デューン砂の惑星』、デヴィッド・リンチの『ロニー・ロケット』……。完成することなく幻に終わった映画は、「幻」であるがゆえに、魅力的である。なぜなら、そこには、それが一体どんな映画になるはずだったのか、妄想する余地が無限にあるからだ。そして、完成させることのできなかった監督本人こそ、一番の夢想者として、生きることとなる。

『幻に終わった傑作映画たち』は、様々な理由で未完成に終わったりお蔵入りした映画たちの顛末を描いたノンフィクションである。取り扱う範囲は、1920年代から2000年代までで、他に例を挙げると、エイゼンシュタイン『メキシコ万歳』(ちなみに、現在流通しているのは、グレゴリー・アレクサンドロフによる再編集版)、スピルバーグ『ナイトスカイズ』。エルロイ原作の『ホワイト・ジャズ』、コーエン兄弟の『白の海へ』、ジェリー・ルイスの『道化師が泣いた日』などなど……。なかでもオーソン・ウェルズがとりわけ多く、『ドン・キホーテ』、『風の向こうへ』、『ゆりかごは揺れる』、『ヴェニスの商人』と4作も紹介されていて、ウェルズの映画人生の多難さがうかがえる(ちなみに、『風の向こうへ』は、撮影から40年以上経過した、2018年11月2日にNetflixで配信された)。

 本書によって知ったのだが、「Development Hell」(開発地獄)という、映画やゲーム産業周辺で使われる用語があって、文字通り、いくら努力しても開発の進捗が進まない状況を指す言葉なのだが、作品自体の完成・未完成関係なく、使えるらしい(『Tales from Development Hell』という本書でもよく参照されている本があるが、残念ながら未邦訳)。未完成に終わった映画の多くがこの「開発地獄」に陥っているのだけれど、監督の肥大したエゴがその原因になったりもする。例えば、キューブリックの『ナポレオン』は、あまりにも「完璧さ」を求めすぎたために、調査ばかりに時間をかけすぎたせいで、本格的な撮影に入る前に制作がとん挫してしまった。

 それが本当に自分のやりたいことであればあるほど、きちんとした形にするのが難しくなるというのは、この本を読んでいて特に感じることだ。無論、それは映画製作の構造の問題でもある。巨匠たちは未だ誰も成し遂げたことがないような壮大な映画を夢見るが、映画は、小説や音楽と違って、関わる人間とかかるお金が段違いである。大ヒット映画を世に放った制作会社が、次にとんでもない大コケ映画を作ってしまい倒産するなんてのはありふれた話だ。だから、規模が大きくなればなるほど、相当な計画性が求められるわけだが、エゴの肥大しきった監督にそんなことできるはずもない。また、巨匠であるがゆえに、他人がコントロールするのも難しい。

 監督たちには、「こんな画を撮りたい」という一つ一つのイメージはあるものの、それらを繋げる「糸」を用意していないことがある。セルジオ・レオーネが『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の後に企画した『レニングラードの900日』(仮題)は、レニングラード包囲戦を描く偉大な戦争叙事詩となるはずだったが、オープニングしか構想がなく、計画はすぐに破綻した。これも巨匠だからこそ、その無計画な妄想に周囲が付き合った例だろう。

 しかし、失敗してもタダでは転ばないのが、芸術家である。キューブリックは『ナポレオン』で得た知識と技術をもとにして、『バリー・リンドン』を撮ったし、テリー・ギリアムは、何度も制作が中止となった『不完全な探偵』のアイデアとヴィジュアルを『Dr.パルナサスの鏡』に転用した。ただし、未完成に終わった『カレイドスコープ』を、『フレンジー』という失敗作に変えてしまったヒッチコックの例もある。

 この本で紹介されている幻の映画の中でも、特に魅力的に感じるのは、『ナポレオン』や『地獄』(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー)のように、それが実現不可能なほど「空想的」「偏執的」であり、しかし、偉大な作品をモノにしてきた彼らなら、それをどうにかすることができたのではないかという希望をこちらに抱かせてくれるものだろう。巨匠と妄想のコラボレーションを本書では堪能することができる。

「開発地獄」以外にも、キャストが死んだり、制作した本人が秘蔵してしまったために幻となった映画もいっぱいここでは紹介されていて、そちらも興味深い。執筆を一人ではなく、大勢で分担したのも、調査がより行き届く結果になったと思う。シナリオをもとにしたあらすじや当時のヴィジュアルもきちんと掲載されている。面白いのは、架空のポスターが、それぞれの映画ごとに作られていて、そのセンスの良さに、一瞬本物かと思ってしまうほどだ。これもぜひ確認して欲しい。

 

幻に終わった傑作映画たち 映画史を変えたかもしれない作品は、何故完成しなかったのか?

幻に終わった傑作映画たち 映画史を変えたかもしれない作品は、何故完成しなかったのか?

 

  

Tales From Development Hell: New Updated Edition (English Edition)

Tales From Development Hell: New Updated Edition (English Edition)

 

 

J・D・サリンジャー 『ハプワース16、1924年』

 サリンジャーが雑誌などに発表した短編小説の中には、本人が後に単行本化するのを拒否したため、封印状態になったものがいくつかある。例えば、『ライ麦畑でつかまえて』の原型となった、「マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗」や「ぼくはちょっとおかしい」などがそうだ。そして、封印されたもののなかでも、一番物議をかもしたのが、1965年、ニューヨーカーに掲載された中編小説「ハプワース16、1924年」だろう。
「ハプワース」はサリンジャーにとって6年ぶりの新作で、掲載紙であるニューヨーカーも、サリンジャーの小説と広告以外は何も載せないという特別扱いをし、その重要性を強調した。しかし、その評判はどうかというと、酷評か黙殺だった。以後サリンジャーは、2010年に死亡するまで、二度と小説を発表しなかった。
 ただし、一度だけ、幻の作品となっていた「ハプワース」が単行本化されそうになったことがある。地方でオーキシズ・プレスという小さな出版社を経営していた、ロジャー・ラスベリーという大学教授が、1988年、サリンジャーに「ハプワース」を書籍化させてくれないかと直接手紙で頼んだのだ。サリンジャーはその手紙に対し「考えておくよ」と返事を出し、それから8年も経ってから、承諾した。ラスベリーはサリンジャーと何度も打ち合わせをしたが、結局、計画は頓挫した。この原因については、色々言われているが、デイヴィッド・シールズは『サリンジャー』(角川書店、2015年)の中で、次のようにまとめている。

 

 ラスベリーによれば、彼が意図せず信頼を裏切ってしまったためにサリンジャーとの連絡を絶たれたというが(筆者注:ラスベリーが「ハプワース」の出版計画をある小さな雑誌に漏らしてしまったこと)、それはサリンジャーがカクタニの批評に傷つけられた感情をごまかすための建前にすぎないと考えるのが妥当なのではないだろうか? もしかすると、サリンジャーはこの先あり得るグラス家の物語群の出版に向けて様子見をしていたのであり、「記録としての新聞(Newspaper of record)」が「反対」の立場に大きく傾いていたために撤退したのかもしれない。

 

 カクタニによる批評とは、「ハプワース」出版の噂が流れた1997年に、ニューヨーク・タイムズに載ったもので、カクタニは当時のニューヨーカーに掲載されたテクストを読んだのだが、その評価は酷評だった。もっともカクタニは辛口の批評家として有名であり、サリンジャーだけが特別批判されていたわけではないのだが、本人からしてみれば決定的なものだったのかもしれない。何しろ、30年以上の時を経てからの再批判であり、ニューヨーク・タイムズという影響力のある新聞に掲載されたのだから。
 さて、アメリカ本国では、複雑な経緯を辿った「ハプワース」だが、日本では1977年に、荒地出版社からサリンジャー選集の別巻として出版され、その後も、東京白川書院が翻訳を出した。また、「ハプワース」以外にも、単行本化されていない短編が、その二つの出版社からほとんど翻訳されており、一時期は日本人の方がサリンジャーの幻の著作を簡単に読めたのではないか。

 

 俺がサリンジャーに触れたのは、中学三年生の時で、読んだのは村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だった。母に勧められたからというのが、そのきっかけだったが、この小説の入門の仕方としてはあまりにダサすぎると自分でも思う。それはともかく、実際に読んでみると、そこで使われていた文体の新鮮さと、主人公の反抗的な態度に、学校や周囲の状況に不満を持っていた当時の俺は、簡単にはまってしまい、英語で自分の好きなものを発表するという授業で、野崎訳の『ライ麦畑でつかまえて』を紹介したりもした(野崎訳の方が、言葉遣いが古い分、逆に渋いと思っていた)。それから、『ナイン・ストーリーズ』と『フラニーとズーイ』を読んだが、こちらはあまりよくわからず、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』や「ハプワース」には手をつけないままサリンジャー熱は自然に収まった。しかし、サリンジャーがきっかけで、アメリカ文学に興味を持ち、大学に進学した際も、英米文学科を選択したのだから、人生の進路に大きな影響を与えられたわけだ。
 ただ、大学に進学して以降、サリンジャー的な思想とはどんどん遠ざかることになった。それまでの俺は、中高一貫の男子校という、教師から「ビニールハウス」と揶揄されるぐらい、温い環境で6年間過ごしてきたので、他人からの評価というものを避け続けることができたが、大学に入って「異性の目」に晒された時、自分がいかに女にもてない、魅力のない人間であるかということを骨の髄まで実感させられ、それが現在に至るまでの長い悩みになっている。むろん、サリンジャーの小説において、こんな形而下的な苦悩は描かれるはずもない。つまり、サリンジャーの世界に共感できるような立場ではなくなってしまったのだ。
 それでも、腐れ縁のような感じで、主要な作品には目を通しておこうと、未読だった『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』(新潮文庫)を数年前に読んでみたが、やはりサリンジャーと自分の間にある深い溝ばかりが意識させられただけだった。
 そして、去年、新潮社から「ハプワース」の新訳が出た。以前、荒地出版社版『ハプワース』を読もうとしたこともあったのだが、出だしから「四時間前」を「四年前」に誤訳(誤植?)していて、それ以上読み進める気にならず、今度の新訳は再チャレンジへのちょうど良い機会だと考え手に取った。
「ハプワース」は、サリンジャーのライフワークとなるはずだった、「グラス・サーガ」の一部で、主人公はグラス家の長男シーモアである。そのシーモアが7歳の時に、キャンプ場から送ってきた手紙が、「ハプワース」の中身なのだが、実際にそれを読んでみて、どうしてこの作品が様々な批判に晒されたのかよくわかった。
 身も蓋もないことを言えば、その手紙の内容がまったく7歳のそれに見えない。言葉の調子だけは、子供らしさを装っているが、中身は完全に大人である(特に、手紙の後半で、ジェイン・オースティンディケンズヒンドゥー教の指導者について語るところなど)。これを発表した時のサリンジャーは46歳になっていたが、中年の男が7歳児の仮面を被って、自分の思想を照れることなく開陳したのかと思うと、うすら寒くなる。
 また、この小説にはほとんど筋がない。サリンジャー本人が自分は短編作家だと自覚していたように、彼はそもそも複雑なプロットを組み立てるのが苦手である。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読めば、それがいくつかの短編小説の繋がりのように出来ていることがわかるはずだ。そして、彼の小説は段々と「物語」的なものから離れていった。無論、それが必ずしも悪いというわけではないが、サリンジャーの場合、素材をそのまま放り出しているという感じで、読ませるための加工・工夫がまったくなされていないのだ。その傾向は、「シーモア-序章」で著しくなり、「ハプワース」で頂点を極めた。「ハプワース」では、語り手であるシーモアが、ホールデンに負けず劣らず喋りまくる。それがあまりにも辛辣かつ一本調子なので、読者としては辟易せざるをえない。特にひどいのが、脚をけがしたシーモアが、ミス・カルゲリーという看護婦に治療をしてもらう場面。 

 

 笑っちゃいそうなほど粗末だけど、清潔といえなくもない診療所で、ミス・カルゲリーが傷を消毒して包帯を巻いてくれた。ミス・カルゲリーは資格を持った若い看護師で、年齢はわからないけれど、魅力的でもないいし、かわいくもない。ただ、こざっぱりして、スタイルがいい。キャンプの指導員全員、あと上級クラスの何人かが、大学にもどるまえに肉体関係を持とうと頑張っている。よくある話だ。彼女はとても口数が少なく、健全な判断を自分で考えつく資質も能力もない。そしていろんな表情を浮かべてみせるけど、このキャンプ場では自分以外に男性の相手ができそうな美人はいないと勘違いをして興奮している。ミセス・ハッピーは数に入らないからね。診療所では落ち着いていて、控えめで、受け答えはてきぱきしているので、面倒な状況でもあわてないようにみえる。だけど、それは悲しいほどうわべだけで、実際にしゃべる内容は最低。たぶん、頭を置き忘れて生まれてきたんだと思う(金原瑞人訳)。

 

 サリンジャーは、シーモアを魅力的で天才的な思考を持つ人間に仕立て上げようとしているようなのだが、怪我の治療をしてくれた人に対し、必要以上に残酷な評価を下す7歳児に、我々はどんな反応をすればいいのだろうか? また、「バナナフィッシュにうってつけの日」では、シーモアの内面を謎に包むことでその作品の魅力を作り上げていたのに、それをこんな風に露出してしまうのは、蛇足でしかないだろう。
 つまるところ、「ハプワース」は、サリンジャーという作家の欠点が、もろに現れてしまっている作品なのだが、そのことが逆に、自分がなぜサリンジャーから離れて行ったのかということもよくわかった。
キャッチャー・イン・ザ・ライ』にせよ、「ハプワース」にせよ、そこにはある種の選民思想がある。ホールデンシーモアは、他人を徹底的に批評はするが、他人から彼らの実存を脅かすような批判を受けることはなく、申し訳程度の自虐があるだけ。しかも、彼らには、自分の存在を、無条件で受け入れてくれる「身内」が存在している。この他者性の不在が、サリンジャーの小説に、選民思想を浮かび上がらせてしまうのだ。
 中高時代の俺がなぜサリンジャーの小説に共感できたのかといえば、根拠のない自信と現実感のなさに由来する、「俺はあいつらと違うんだ」という選民思想を強く持っていたからだ。しかし、年をとってくるにつれ、自分の能力にもある程度見極めがつき、また、就活や仕事などで他人からの評価も避けられないとあれば、その種の選民思想は自然と消えていくというか、落ち着いていく。
選民思想の裏には「エゴ」の問題がある。「俺はあいつらと違う」と感じるのは、「あいつら」のエゴを感じ取っているからであり、そのことによって、自分自身の「エゴ」にも敏感になっている。だから、フラニーやホールデンは作中で苦しんでいるのだし、シーモアが「バナナフィッシュにうってつけの日」で突然の自殺をしたのも、「エゴ」が原因だと考えられる。小谷野敦は、「サリンジャーを正しく葬り去ること」(『聖母のいない国』所収)の中で、それらのことについて指摘しており、サリンジャーが結局は「エゴ」についての考察が不十分なまま沈黙してしまったと書いている。
 小説家サリンジャーにとって、隠遁生活は本当に正しかったのだろうか? むしろ、それは問題の本質から目をそらす結果になったのではないか? あまりにも自分の世界にこもりすぎたため、小説をコントロールする術を失ったように俺には見える。
サリンジャーの伝記などを読んでいて悲しくなるのは、彼がいつまでも10代や20代前半の女の子にしか興味を持てなかった点だ。ピーターパン症候群じゃないけれど、本当に成長を止めてしまったかのような感覚を覚えてしまう。サリンジャーの娘、マーガレット・A・サリンジャーの『我が父サリンジャー』には、49歳のサリンジャーが、当時文通していた10代のイギリス人少女に会いに、わざわざイギリスまで旅行した時のことが書かれているが、自身のこうした執着に向き合うことができていれば、「エゴ」に関しても、別の考察が出来たように思えるのだが、そうした「恥」を晒すような真似は決してできなかったのだろう。

 

サリンジャー (-)

サリンジャー (-)

 

  

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

 

  

  

聖母のいない国―The North American Novel (河出文庫)

聖母のいない国―The North American Novel (河出文庫)

 

  

我が父サリンジャー

我が父サリンジャー

 

 

板東英二 『プロ野球 知らなきゃ損する』

 野球選手も人間である。人間であるからには、金・女・嫉妬といった俗世間のしがらみから簡単に逃れることはできない。いや、むしろ彼らはそういったものに、人一倍敏感にならざるをえない環境に身を置いているとも言える。オフシーズンになれば年俸が話題になるし、ドラフトでは自分のポジションを奪うかもしれないライバルが入ってくるし、なまじ体力があるから女との付き合いも派手だったりする。しかし、そういったことは、中々選手本人の口から語られることはない。

 板東英二の『プロ野球 知らなきゃ損する』は、野球界を「欲望」の観点から眺めた著書である。この本が出たのは1984年だが、この時板東は売れっ子のタレントで、コーチや監督といった球界のインサイダーとなる道を完全に断っていたから、こういう本が書けたのだろう。逆にいえば、将来監督やコーチになろうと考えているなら、思い切ったことを言うのは難しくなる。

 文章は板東の関西弁をもとにしているので、読みやすく、ポップである。また、常に身も蓋もなく、球界の建前をぶった切る姿勢はある種痛快で、常識が次々とひっくり返っていく。

 俺が、「へえ」と思ったのは、例えば元巨人の中畑清が、「こんなに神経質で、デリケートな男はおりまへんで」という件。確かに、ただの剽軽者だったら、日本プロ野球選手会の初代選手会長に選ばれることはないだろう。あの派手なパフォーマンスは、気配りが行き過ぎたうえでの行為らしく、根っこのところは暗いとか。

 さらに、選手がデッドボールを食らった時の監督の本音。

 

 主力選手がデッドボールをくらう。ベンチからバッターボックスへ、ひた走る間に監督はこう考えます。

〈あのバカたれが、あんなタマもようよけんと、当たってしまいよった。あの様子じゃ、一週間くらいはあかんやろ。ここであいつを使えんのは痛いなあ。負けがこんだらどないすんねん。ホンマにドアホ! けど、オーナーにあいつがいてへんから負けました。私のサイ配のせいやおまへん。私のサイ配は完璧です、わかっておくんなはれ、とも言えんし……〉

 まあ、こんなとこやと思いますわ。けど、倒れてる選手のそばにいったら、胸のうちを正直にいうことはありません。

「大丈夫か? 痛いことないか?(ホンマによけられんかったんかいな)」

「無理せんと、休んどいたらええ(無理しでも出えよ)㊟()は本音です。

 プロ野球は監督も選手も個人事業主です。そやから、かわいいのは自分ひとり。当たった選手の心配を誰がしますかいな。監督の頭の中は、その選手がおらんようになったときの戦力のことだけですわ。そのために負けがこんだときの、自分のクビだけが唯一最大の関心事なんですわ。

 

 今年で引退した巨人の杉内が引退会見で「心から後輩を応援するようになった。勝負師として、違うかなと感じました」と言った。板東の本にも同じようなことがもっとどぎつく書いてあって、ベテランはライバルとなる若手を潰すために、あえておだてて、彼らが無理をするようにしむけるとか。だから、「他人の意見をきかん、好意(?)を無にする、生意気……。これでないと一流にはなれへん」という。それでも若手に抜き去られたベテランは、「監督にベタッとくっつく」き、将来の安定を確保しようとするとか。とにかく、野球選手からすると後輩というのは、ライバル以外の何物でもないのだ。

 他に、選手にバカにされる監督の条件とか、金田批判とか色々面白かった。生身の野球選手を知りたい人にはオススメの一冊である。

 

 

いいね!5未満の男によるペアーズ印象記

 吉原真理の『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んだ。だいぶ前からいつか読もうと思ってタイミングを逃し続けてきたのだが、数か月前から自分がペアーズをやるようになったので、ちょうど良い機会だと思い、手を伸ばしたのだ。

『ドット・コム・ラヴァーズ』は、アメリカ文化やジェンダーについての研究者である吉原真理が、2003年にアメリカのオンライン・デーティング・サイト、マッチドットコムを利用した時の体験記だ。吉原によれば、アメリカでは2000年を過ぎた頃から、ネットを通して恋人を探す人々が増え始め、この本が出た2008年にはもう「年齢・職業・人種・地域を越えて、アメリカ主流文化の普通の一部となって」いたという。

 ネットを通じた出会いが胡散臭く見られていたのは、アメリカも日本も変わらないが、市民権を得たのはアメリカの方が圧倒的に早かった。日本だと、オンライン・デーティングが、交際相手を探す際の手段として認められ始めたのは、スマートフォンが普及してからだろう。それまでは、ネットのデート・サイトというのは、「出会い系」と総称されてて、かなり怪しまれていた。だから、俺の登録しているペアーズなんかも、「マッチング・アプリ」と称し、アングラ臭をどうにか消そうとしているのだ。

 しかし、吉原の体験から15年近く経っているわけだが、全然今と変わらないなあ、というのが本を読んだ時の俺の感想。国も違うのに、「ネット」「出会い」「恋愛」が揃うと、人間の考えや行動がだいたい同じものになるようだ。その行動・思考について、自分の経験も踏まえつつ、思いついた順につらつらと書いてみたい。

 

そもそもプロフィールを書くのは難しい

 

 俺のような売りが全然ないオタク顔・低年収マンが、魅力的なプロフィールを作るのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい。ちなみに、ペアーズの年収欄は、選択できる項目が、200~400という(多分、わざと)アバウトな作りになっているので、多少の誤魔化しがきくようにはなっている(こんなこと書いたら、俺がどこの層に属しているかばれるけど)。一度、男のプロフィールを見たことがあるが、600~800がずらりと並んでいて、思わず目をつぶった。

 また、性格・タイプとか社交性、酒を飲む頻度などを選択肢から色々選べるようになっているのだが、性格を「インドア」、社交性を「一人が好き」、酒を「飲まない」にしたら、完全な引きこもり人間が出来上がってしまい、これじゃいかんと思って、慌てて、社交性を「少人数が好き」に直したが(一瞬、飲酒についても「時々飲む」にしてみたが、止めた)、性格に関しては自分で「思いやりがある」とか「謙虚」とか「誠実」とか言うのが恥ずかしくて、結局「穏やか」しか追加していない。だけど、確実に言えることは、自分から「謙虚」なんて選んでる奴は、謙虚じゃないということだ。

 性格では他に、「奥手」とか「マイペース」とかあるのだけど、「奥手」な男なんて犬も食わないので当てはまっていても選択しなかった。「マイペース」は、「わがまま」の言い換えのような感じがしてこれも選ばず。もしかしたら、俺が気にしすぎなのかもしれないが、減点対象になるようなことはなるべく避けたいのだ。ただ、男の場合は減点でも、女の場合はそうでもない、というケースもあるだろう。 

 

プロフィールをきちんと読まない男が多い

 

 吉原はサイトに登録した際、相手に求める条件の一つとして「トニ・モリソンを知っていること」と書いたのだが、全然それを読まないでメッセージを送ってくる男がめちゃくちゃ一杯いたらしい。

 これはペアーズでも同じで、とにかく手当たり次第に「いいね」を押す男が存在する。俺の友達も、そんな「数撃ちゃ当たる」戦法でやっていたが、相性とかよりも、とにかく「出会うこと」の方が先行していて、それで実際出会えたとしても共通項が少ないならば、よほど女慣れしている男じゃないと上手くいかないんじゃないかとも思う。ただ、マッチング・アプリというのは基本的に男が積極的に動かなければどうにもならないし、複数の人間とやり取りすることが(男女問わず)結構当たり前らしいので、「数撃ちゃ当たる」戦法は理にかなっているのかもしれない。一人に絞ると、駄目だった時のダメージは必然的にでかくなる。

 俺は逆に、女のプロフィールや入っているコミュニティを熟読玩味しすぎて、他の男たちのように気軽に「いいね」が押せない。「あー、このコミュに入ってるのかぁ。う~ん」みたいな。あと、複数の女に同時に「いいね」することもできない。万が一両方とマッチングしてしまった場合、二人同時に相手にするのは、体力とか罪悪感などの面から厳しいからだ。だから、俺は山のように「イイネ」が余っていて、やろうと思えば現時点で200人以上の女に「イイネ」が押せる。にっちもさっちもいかなくなったら、全ての「イイネ」をばらまいて爆裂四散しようかと考えている。

 しかし、女のプロフィールを眺めるのは単純に面白い。「〇〇が好きな女って、こんな感じなんだ」というのがよくわかるから。ペアーズは異性の情報しか見られないから推測なのだけれど、例えばマイナーな芸術系のコミュニティの場合、男はヘビーなオタクで、女はライトなファンといった感じに分断されていると思う。女は風変わりなマイナー・コミュニティに入っていても、プロフィールを見る限り社会性が高そうだが、男は社会不適合者が多いんじゃないか(自分含め)。だから、俺は中々マッチングしないのか?

 

建前といいね数

 

 やっぱり、人間というのは「プライド」があるので、自発的にマッチング・アプリをインストールしたとしても、そのことは隠しておきたいものである。そのため、プロフィール欄には、「職場では出会いがない」とか「友達にすすめられた」とか「フェイスブックの広告で知った」といったような受け身の文言が踊ることになる。これは20代に多いが、「ゆるくやっている」と書き、余裕を見せようとする人もいる。また、多くの人が、始めたばかりであることを強調し、「初心者です」とプロフィールに書く。とにかく、自分は「モテないわけではない」し「出会いに飢えているわけでもない」ということを、ところどころに滲ませる女が多い。多分、男もそんな感じなんだろう。

 しかし、実際は期待が大きすぎて長期会員になってしまう人間も少なくない(ちなみに、俺が長期会員になっているのは単純にモテないからである)。何しろ、常に新規会員が現れるわけだから、そっちの方も気になってしまう。新規登録した女に対する、男の群がり方は尋常ではない。普通程度の容姿でも、すぐに三ケタ「いいね」がついたりする。

 女の被・「いいね」数は、人並みの容姿で、だいたい50~80ぐらいだと思う。あまり容姿に優れていなくても、最低20前後は「いいね」がつく。逆に、男はその5分の1ぐらいか。中にはなんでこんなに「いいね」がついているんだろうと思う女もいるが、謎である。ただ、500以上の「いいね」を貰っていて、特に容姿も良くない場合、それは足跡を付けまくって稼いでいる可能性が高い。俺のところにも全然接点がないのに、何度も足跡をつけてくる女がいて、そういうのはプロフィールを見るとだいたい被・いいねが500を超えているから、「あ、いいね稼ぎか」と思って非表示にしている。こんなところで人気者になってもしょうがないと思うのだが。

 

短期間しか関係が続かない

 

 まあ、やっぱり「リアル」の関係じゃないから、切るのも切られるのもあっという間ということが多い(ようだ)。吉原の本にも、デートはしたけどすぐにフェイドアウトしたこととか、そもそも待ち合わせ場所に相手が来なかったことなどが書いてある。俺は初めてマッチングした女の子に、どんなメッセージを送って仲を深めればいいんだろうと考えているうちに、一ヶ月以上経ってしまったことがあった。当然、それで終りである。

 一度、女の子の方から俺に「いいね」を押してきたことがあった。ペアーズを始めてから三ヶ月目ぐらいの時で、それが俺にとって初めての初・被「いいね」だったから、天にも昇る気持ちで即「イイネ」を返し、メッセージを送ったら、まったく音沙汰がない。彼女のアカウントを見ると、俺に「いいね」をした日から、一度もログインしないまま今日に至っている。多分、俺に「いいね」をした日に、死んだんだろう。

 

男が入りにくいコミュニティ

 

 マッチング・アプリというのは、前述したように、男が能動的に動く必要がある。なぜなら、女の数が男よりも圧倒的に少ないからだ。それで、一人の女に何人もの男が群がるものだから、必然的に女も待ちの姿勢になるというか、「選ぶ」側として振る舞うことになる。そういう状況下で、女はともかく、男がネガティブなコミュニティに入るのは悪手だと思うのだが、意外に「恋愛経験が少ない」というコミュニティに入っている男が多いにはびっくりした。20代前半、もしくはよほどのイケメンじゃない限り、男がこんなコミュニティに入っていても意味がないんじゃないか? このコミュニティは、「私は軽い人間ではありません」という主張をするためのものなんだから、そこらへんの男が入っていても、「そりゃそうだろ」という感想しか抱かれない気がするのだが。

 あと、俺が入りにくいと思うのは、「実はオタク」というコミュニティ。俺自身、どこからどう見ても、オタクにしか見えないから。

 コミュニティについて言及したついでに書いておくと、既に「レディオヘッド」のコミュニティがあるのに「Radiohead」というまったく同じコミュニティを作る人は何を考えているんですかね? 一番おかしいのは菊地成孔のコミュニティが「菊地成孔」と「菊池成孔」に分かれていることで、「池」の方に入っている人は注意力が足らないと思う。確かツイッターのネタだったと思うが、菊地成孔という字は全部アナルを連想させる、という覚え方をすると今後間違うことはないだろう。 

 

モテないという負のスパイラル

 

 あらゆる人間にモテたいとは全然思わないけれど、まったく「いいね」がつかないと、必然的にヤバい人にしか見えなくなる。今のところ自分は三ヶ月以上「いいね!5未満」という表示が出続けているのだけれど、常識的に考えてそんな会員と付き合おうと思う女がいるのだろうか? 「こいつ誰もいいね!してないから、近づかんとこ」。そう考えるのが人間というものじゃないのか? 逆に、「いいね!」が多い人は、雪だるま式に増えていくはずだ。こうして恋愛格差は今日も広がっていくのである。

 

 

 

みにくいアヒルの子症候群

 本屋にいくのがつらい。本屋に行くと、自分と同世代、もしくは年下のライターとか作家とかミュージシャンとかが華々しく活躍しているのが嫌でも目に入るからだ。そして、いつまでもくすぶっている自分が悲しくなってくる。誰かの書評とか読んで、「俺の方がもっと上手く書けるんじゃないか」なんて思ったりすると、余計に惨めさは加速する。理想としている自分と、現実の自分に大きな齟齬があるから、こういった負の感情が生まれてくるのだ。

 アンデルセンに「みにくいアヒルの子」という童話がある。誰もが知っている有名な話だが、「物事の表面しか見れない人々への批判」というのが、一般的な感想じゃないだろうか。つまり、読者の焦点としては、アヒルそのものよりは、アヒルを取り巻く環境に向けられている。特に教育の現場では、「変わった子をいじめるのは止めよう」という教訓を読み取ることが、主眼とされているだろう。そこでは、「アヒル」が「白鳥」になることの必然性について疑われることはない。なぜなら、これは「童話」だからだ。

 しかし、ここであえて「アヒル」に、また「アヒル」を「白鳥」にしたアンデルセン本人について注目すると、また別の物が見えてくる。

自閉症」・「アスペルガー症候群」という観点から小説家たちを分析した、ジュリー・ブラウンの『作家たちの秘密』という本に、アンデルセンが取り上げられているのだが、ブラウンは、アンデルセン本人が「みにくいアヒルの子」は自伝的だと言ったことに注目し、「運命をまっとうして美しい白鳥となったアヒルの勝利が、アンデルセンが作家として成功し、ほかのライバルたちに打ち勝ったことの対比になっていることは明白に見てとれます」と書いている。つまり、「みにくいアヒルの子」とは、かつて自分のことを見下していた人々や社会への、ささやかな復讐だったというのだ。だが、アンデルセンはその復讐心を巧みに隠したから、「みにくいアヒルの子」は世界的に受け入れられた。

 さて、アンデルセンは、「みにくいアヒルの子」の最後の方で、「自分が白鳥の卵からかえったのであるならば、農家の庭の隅っこのアヒルの巣で生まれようが生まれまいが、ものの数ではなかった」(荒俣宏訳)と書いている。これは驚くべきことだろう。なぜなら、アヒルという生き物・生き方を全否定しているからだ。「育ち」ではなく「血筋」を絶対視しているこの文は、「アヒルの子」に同情してきた読者の梯子を外すものでしかない。しかし、実際は、読者の多くがこの点については見過ごして来たのではないだろうか。俺も、大人になって再読するまで気付かなかった。それは、アンデルセンが、最後まで、「アヒルの子」という三人称を捨てずに使っているからでもある。

はだかの王様」を書いているから、アンデルセンは貴族という存在に対し反発しているのだろうと思うかもしれないが、ジャッキー・ヴォルシュレガーの『アンデルセン ある語り手の生涯』を読むと、真逆の人間だったことがわかる。貧しい家庭に生まれたアンデルセンは、王族や貴族、上流階級に憧れ続け、彼らと交際できることを何よりも喜んだ。その様子があまりにもピエロ的だったので、詩人のハイネは、「外見には、王侯に気にいられる卑屈な自信のなさがただよっていた。王侯が考える詩人像そのものだ」と皮肉った。

 つまるところ、「白鳥」とは「貴族」のことであって、「大きな白鳥たちは、この新しい仲間のまわりをぐるりと泳ぎ、くちばしで首をなで、歓迎してくれた」とは、貴族に受け入れられたアンデルセンそのものである。しかし、「アヒルの子」として育った「白鳥」は、「これまで自分がいかにみにくさのために迫害され、軽蔑されてきたか」ということを忘れることができない。他人の眼には「白鳥」に映っても、「アヒルの子」としてのアイデンティティを完全に捨て去ることができない彼は、子どもたちから「新しい白鳥、どれよりも美しいぞ!」と褒められても、「こんなときにどうふるまったらよいか、わからない」のだ。

 ここまで、アンデルセンとアヒルの子の類似性を指摘してきたが、違うところが一点ある。それは、アンデルセンが、アヒルの子と違い、最初から自分が白鳥であると信じていたことだ。アヒルの子が、自分は実は白鳥なのだと気付くのは、たまたま水面に映った自分の姿を見た時だが、アンデルセンは幼少期から野心家で、積極的に自分を売り込んでいた。しかし、生来の卑屈な性格から、生まれも育ちも白鳥の貴族たちに、終生負い目を感じ続けたようだ。結局、彼は、芸術家としては高いプライドを持ちながらも、社交においては、白鳥の仮面をつけたアヒルの子として、見世物になる道を選んだ。

みにくいアヒルの子」には、自分のことを白鳥だと信じながらも、周囲から馬鹿にされ、アヒルの子として鬱屈しながら生きなければならなかった、下積み時代のアンデルセンの変身願望が反映されている。俺も含め、何者かになりたいと考える若者の多くが、このような「みにくいアヒルの子症候群」にかかっているのではないだろうか。

 谷崎潤一郎の「異端者の悲しみ」は、「みにくいアヒルの子」をリアリズムで書いたような趣がある(谷崎とアンデルセンの性格は真逆だが)。大学に通いつつも進路の決まらない主人公、章三郎が「白鳥」の幻を見るところから始まるこの自伝的中編は、大きな野心とそれに見合わない悲惨な境遇を描いているのだが、「みにくいアヒルの子症候群」にかかっている人間が読むと、まるで自分の内面を見透かされているかのように思ってしまうだろう。例えば、次のような個所……。

 

同じ人間でありながら、自分はなぜこんな貧民に生まれて此世間のどん底を出発点としなければならなかったのか、自分はどうして運命の神からハンディキャップを附けられて居るのか、思えば思うほど章三郎は業が煮えてたまらなかった。それも自分が陋巷に生まれて陋巷に死するにふさわしい、頭脳の低い、趣味の乏しい無価値な人間ならば知らぬこと、かりにも最高の学府に教育を受けて、将に文学士の称号を得んとしつゝある有為の青年である。自分は蠢々として虫けらの如く生きて行く貧民の間に伍して、何等の自覚もなく其の日其の日を過していられる人間とは訳が違う。自分には偉大なる天才があり、非凡なる素質がある。たま/\その天才と素質とが、物質的の成功致富の道に拙くて、藝術的の方面にのみ秀でゝ居る為めに、いつまでも斯うやって逆境を抜け出る事が出来ないのである。(引用は、千葉俊二編『潤一郎ラビリンスⅢ 自画像』より)

 

 俺は大学を卒業して、ぶらぶらしている時期があったので次のような場面を読むと、当時を思い出して胸が苦しくなる。

 

「二十五六にもなって、毎日学校を怠けてばかり居やあがって、一体手前はどうする気なんだ。……どうする気なんだってばよ!」

折々彼は、否応なしに父親の傍へ呼び付けられて、ねちねちと詰問されて、意見を聴かされる時がある。そんな場合に章三郎は、面と向かって据わったまゝ、いつ迄立っても返辞をしなかった。

「手前だってまさか子供じゃあねえんだから、ちッたあ考えがあるんだろう。え、おい、全体どう云う了見で、毎日ぶらぶら遊んで居るんだ。考えがあるなら其れを云って見ろ。」

こう云う調子で、親父はじりじりと膝を詰め寄せるが、二時間でも三時間でも章三郎は黙って控えて居る。

「考えがある事はあるけれど、説明したって分りゃしませんよ」

と彼は腹の中で呟くばかりで、決して口へ出そうとしない。そうかと云って、一時の気休めに出鱈目な文句を列べ、父親を安心させようと云う気も起らない。そんな気を起こす餘裕がない程、彼の心は惨憺たる感情に充たされるのである。

 

「自分の体なんぞどうにでもなるがいゝ。己には親も友達もないんだ。」

そう思っては見るものゝ、彼にはやっぱり自分を生んだ親の家が、よしやどれ程むさくろしくとも、どれ程不愉快に充ち充ちて居ても、最後の落ち着き場所であった。自分の生まれた土を慕い、自分の育った家を恋うる盲目的な本能が、常に心の何処か知らに潜んで居て、漂泊の門出に勇む血気を怯ませた。

 

「異端者の悲しみ」が、谷崎の作品の中であまり人気がないのは、あまりにもリアルすぎるからだろう。しかし、ラストで、主人公の章三郎は、作品が認められ文壇への第一歩を踏み出す。彼もまた、アヒルの子から白鳥へと変身を遂げるのだ。

 アンデルセンにせよ、谷崎せよ、こういった作品を書いたのは、作家として十分に社会的地位を築いてからだった。成功したからこそ、当時の自分を客観視することができ、かつポジティブな方向へ作品を向かわせることができた。逆に言えば、誰からも認められないうちは、「みにくいアヒルの子症候群」から抜け出すのは不可能ということなのかもしれない。

 ヘンリー・ミラーは30歳を超えても芽が出ずくすぶっていたが、そんな時、自分よりも若いドス・パソスとかがもてはやされるのを見て、ひどい劣等感に苛まれたそうだ。ミラーがそんな感情から逃れることができたのは、パリに移住してからで、比較する相手が身近から消えたことによるものだろう。その時、ミラーは40近かったが。

 野坂昭如の『マスコミ漂流記』には、誰が何歳でデビューしたとか代表作を書いたとか、そういことを気にする場面があって、これも痛いほどよくわかった。俺も最初は比較対象が、大江・石原・村上龍だったのに、どんどん目標値の修正をせまられ、「ヘンリー・ミラーは43歳で『北回帰線』を出した」とか、そういうことに慰められるはめになっている。

 俺は、あと何年「みにくいアヒルの子」として生き続けなければならないのだろうか。

 

アンデルセン童話集〈上〉 (文春文庫)

アンデルセン童話集〈上〉 (文春文庫)

 

  

作家たちの秘密: 自閉症スペクトラムが創作に与えた影響

作家たちの秘密: 自閉症スペクトラムが創作に与えた影響

 

 

アンデルセン―ある語り手の生涯

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潤一郎ラビリンス〈3〉自画像 (中公文庫)

潤一郎ラビリンス〈3〉自画像 (中公文庫)

 

  

マスコミ漂流記 (銀河叢書)

マスコミ漂流記 (銀河叢書)

 

 

谷崎潤一郎伝―堂々たる人生

谷崎潤一郎伝―堂々たる人生

 

 

三島由紀夫が旅行記に書かなかったこと

 先月、「右翼」の三島由紀夫が初の岩波文庫入りということで、話題になった(まあ、海外の著者なら、既にエドマンド・バークとかも入っているが)。中身が旅行記だったので、特に興味もなかったが、水声社ヘンリー・ミラー・コレクション『対話・インタヴュー集成』に収められた、米谷ふみ子の「ミラー、メイラー会談傍聴記」(初出は『文學界』1985年10月号)を読んで、考えが変わった。

 1976年、ノーマン・メイラーは『天才と肉欲』という本を出した。中身は、ヘンリー・ミラーの小説・エッセイの長い抜粋と、メイラー自身による解説を付けたもので、「会談」はその本の出版を記念して、NBCテレビ「トゥデイ・ショウ」が企画したものだった*1。米谷は、夫が「トゥデイ・ショウ」のインタビュアーと知り合いで、ミラー・メイラー対談の企画のアドバイスをしたことから、当日のそれに参加する機会を得たのだった。

 対談では、ミラーがメイラーの本をきちんと読んだことがないと告白していて面白い。ミラーはメイラーの文章が難しすぎると言っているのだが、確か『回想するヘンリー・ミラー』の中でも、同じようなことを言っていた。ミラーの言を受けて、後輩モードだったメイラーも「ヘンリーのも単純な文章で書いたのは好きですが、ややこしくなると嫌になります。『マルーシの巨像』は性描写の所は好きだが他は好きじゃありません」と反撃している。実際、『天才と肉欲』の中でも、『マルーシの巨像』については批判的で、文壇受けを狙ってわざと上品に書いたのだろうと、難しいレトリックを使いながら回りくどく叙述している。

 対談の録画が終り雑談に入った時、谷崎の話題になって、日本人繋がりで三島にも話が及ぶのだが、ミラーはドイツで三島と会ったことがあるらしい。また、メイラーも三島と会ったことがあるらしく、「三島がうちにやって来たのは、ちょうど僕達の結婚がうまく行っていなかった時なんだ。どう彼を扱っていいのか判らなかったね。彼はただゲラゲラ笑っていたのでね」と語っている。

 そこで、三島の旅行記にミラーやメイラーと会った時のことが書いてないか確かめようと思い(特にメイラーについて)、とりあえず例の岩波から出た『三島由紀夫紀行文集』とちくま文庫の『外遊日記』などを読んでみたが、残念ながらミラーやメイラーのことに触れている文章はなかった。余談だが、『源泉の感情』に収録されている安部公房との対談で三島は、メイラーやミラーの饒舌さについて苦言を呈している。

 松本徹編『年表作家読本 三島由紀夫』を見ると、三島がアメリカを訪問したのは、1952年、1957年、1960年、1961年、1964年、1965年の計5回。メイラーの「僕達の結婚」という発言が、63年に結婚、80年に離婚したビバリー・ベントリーとのことを指しているなら、64年か65年が対面の時期ではないか。三島が65年に訪米した理由は、『午後の曳航』のプロモ活動のためで、この時ニューヨークで大江健三郎とも会っている(ジョン・ネイスン『三島由紀夫 ある評伝』)。

 旅行記を諦め、メイラーについて語っている文章の中に、出会いのことが書いてないかと思って探したら、『ぼく自身のための広告』の書評の中に簡単に見つかった。

 

 余談ながら、わたしはニューヨークでメイラーに会ったことがあり、その機関銃のようなしゃべり方を、自ら「甲高くて、鋭くて、非常に早口で(中略)まるでヒットラーみたい」と評している(下巻一四一ページ)のには、微笑を禁じえなかった。

 その後かれは、わたしの戯曲集に対する完膚なきまでの悪評をのせた「ヴィレッジ・ヴォイス」の切抜きを、ご親切にも、わざわざ送ってくれたりした。(引用は、虫明亜呂無編『三島由紀夫文学論集Ⅲ』より)

 

 互いに、コミュニケーションをとれなかったのは相手のせいだとしているところが、自己中心的な二人の性格をよく表しているようで苦笑を禁じえない。しかし、この書評は、1963年に書かれたもので、俺の推測はどうやら間違っていたようだ。とすると、出会ったのはそれ以前となるが、61年はサンフランシスコのみの滞在なので除外するとして、多分、57年かもしれない(ということは、メイラーの言う「僕達の結婚」とは、54年に結婚し、62年に離婚したアデル・モラレスとのことか。メイラーはモラレスのことを60年にペンナイフで刺して、スキャンダルになっている)。三島の「わたしの戯曲集」とは、57年にクノップ社からドナルド・キーン訳で出版された『近代能楽集』のことだろう。ただ、「ヴィレッジ・ヴォイス」に掲載されたという書評は見つけられなかった。米谷のエッセイによると、メイラーは三島の本を読んだことがないということなので、執筆したのは別の人間と思われる。ちなみに、『近代能楽集』に収録された、「班女」、「葵上」は、60年にニューヨークで上演され、三島はそれを観ている。

 三島とメイラーの交流は、初対面→『近代能楽集』の書評が「ヴィレッジ・ヴォイス」に掲載される→「ヴィレッジ・ヴォイス」が三島の元に送られる、という流れなので、出会いも書評も57年に起きた出来事だと考えるのが一番すっきりしているのではないか。57年のアメリカ滞在については『外遊日記』に収録されている「旅の絵本」において、その多くを語っているが、メイラーのことについて書いていないのは、あまり良い思い出ではなかったからか。

 

 メイラーはミラーの『マルーシの巨像』について「あまりにもきれいごとすぎる」と書いたが、三島の旅行記についても同じような印象を持った。それは、表面を撫でて通り過ぎていくような感じで、高級な旅行パンフレットのようなのだ。『マルーシの巨像』はミラーが「性交の国」と手を切って書いたものだとメイラーは評したが、三島の旅行記も性的なことがまったく書かれていない。実際、三島はそういうことがあったのに、あえて書かなかったのだ。それを暴露したのが、ジェラルド・クラークの『カポーティ』である。

 

 (前略)事実、三島とトルーマンには多くの共通点があった。二人ともほぼ同じ年頃で、ホモセクシュアルであり、早くに名声を得た。五七年の一月六日に、三島は彼とセシル(注:セシル・ビートン)を歌舞伎見物に連れて行き、それから楽屋で、主演の役者に引き合わせた。翌日の晩には料亭で二人をもてなし、紅灯の港を案内した。

 ごく自然な友情のように見えた二人の関係だが、それ以上はあまり発展しなかった。三島がその年の夏にアメリカを訪問したが、そのあとで、トルーマンは日本で歓待した自分の恩義にむくいなかったとぼやいた。トルーマンはその非難は当たらないと言った。「ぼくは彼に親切にしてやった」と主張する。「彼は白人のでかいコックをしゃぶりたいと言ったんだ。(どうしてぼくにそういう斡旋ができるとみんなが考えるかわからない。なにも売春の取りもちの仕事をしているわけじゃないんだから──もっともそういう知り合いがたくさんいることは認めるけどね。)僕は一人の友人に電話をし、彼が三島と一緒に出かけたのは確かだ。ところが三島はお礼の電話もよこさなかったし、その男に代金も払わなかった」(中野圭二訳) 

 

 これも時期的には、「旅の絵本」と重なるのだが、そこにはカポーティの「カ」の字もない。三島は死ぬまで、自分がホモセクシュアルであることを公にはしなかったので、中には三島のゲイ的な要素はポーズだと考えていた人もいたようだ。

 三島の旅行記は、このように書かれていないことがいくつかある。むしろ、書かれなかったことの方に本質があるような気がしてならない。

 

 

対話/インタヴュー集成 (ヘンリー・ミラー・コレクション)

対話/インタヴュー集成 (ヘンリー・ミラー・コレクション)

 

  

天才と肉欲―ヘンリー・ミラーの世界を旅して (1980年)

天才と肉欲―ヘンリー・ミラーの世界を旅して (1980年)

 

  

回想するヘンリー・ミラー

回想するヘンリー・ミラー

 

  

マルーシの巨像 (ヘンリー・ミラー・コレクション)

マルーシの巨像 (ヘンリー・ミラー・コレクション)

 

  

三島由紀夫紀行文集 (岩波文庫)

三島由紀夫紀行文集 (岩波文庫)

 

  

  

三島由紀夫 (年表作家読本)

三島由紀夫 (年表作家読本)

 

  

三島由紀夫文学論集III (講談社文芸文庫)

三島由紀夫文学論集III (講談社文芸文庫)

 

  

カポーティ

カポーティ

 

 

*1:ちなみに、『天才と肉欲』の翻訳は1980年に出たのだが、訳者の野島秀勝はあとがきで「すでにわが国ではミラー「全集」は出ている、が、正確にいって、それは「全集」ではない。削除版にすぎない。むしろ読者は、このメイラーの<アンソロジー>によって、ようやくミラーという現代の怪物、さらに現代そのものの迷宮に入り得るアリアドネーの糸を与えられたのだと、わたしは自信をもって言うことができる」と書いているので、無削除版ミラーは、水声社よりも『天才と肉欲』の方が早かったと思われる。