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清水富美加のツイートを勝手に深読みする

日常

 清水富美加の出家騒動に関して、様々な人が、「無責任だ」とか、「ブラック企業からは逃げるべきだ」とか、色々議論していたわけだけど、僕が彼女のツイート(sengen777)を読んだ時に、まず感じたのは、「すごい思わせぶりな人だなあ」といいうこと。

 例えば、「誰か(改行)ギリギリだと言った部分に隠された事(改行)誰か(改行)気付いてくれてますように」*1という、やたら改行を入れている2月13日のツイート。

 ここでポイントなのは、「気付いてくれますように」という願望と依頼の入り混じった言葉、それから、「隠された事」という曖昧な表現。結局、このツイートは17日に発売された、『全部、言っちゃうね。』の布石だったわけだけど、このツイートが出た時点では、多くの人が、彼女の思っていることを懸命に読み取ろうとした。なぜなら、「隠されている」ということは、本人の意志だけでは絶対に表に出せない「何か」があるわけで、それを真に受けた人たちは、正義感から、彼女のツイートの真意を理解しようとしたわけだ。しかも、本人が「気付いてくれ」って書いてんだから、なおさら「気付かなきゃ!」って思うよね。だけど、あっという間に本が出版されたから、「ただの宣伝かよ」という感じで、かなりの人が冷めた。

 報道とかを見る限り、清水富美加という人は、「気付いてほしい」というのがコミュニケーションの根幹にある人なんじゃないか(例の本は読んでいないので、ここからは完全に推測けど)。つまり、何に悩んでいるのかはっきりと言わない。「思わせぶり」な態度や言葉で、関心を惹き、深読みさせる。それで相手にされないと、ストレスを少しずつ溜めていって、ある日突然爆発させる。

 彼女が本当に不満だったのは、給料が安いとか枕営業したとか仕事が合わないとかじゃなくて、事務所が彼女の悩みに「気付いていくれない」もしくは「真剣に考えてくれない」というところにあったと思う。だけど、事務所や周りの人間は、「そんなに悩んでいるとは思わなかった」という状況。恐らく、彼女はそれとなく不満のシグナルを出していたとは思う。すごく「思わせぶり」な形で。「ぺふぺふ病」とか完全にそうでしょ。あの言葉って、「とぼけているように見えるけど、本当はすっごくつらいんです。誰か気付いてください」ってことじゃない。ユーモアって、基本的に苦痛を隠すために使うからね。だけど、事務所の人間だって忙しいわけだから、いちいち彼女の行動の裏を読んでいる暇はない(もしくは、「またか」と思って、無視する)。そのため、彼女としては、「どうして気付いてくれないんだ」ということになる。

 彼女がミュージシャンと不倫し別れた時に、こう思ったはずだ。「なんで自分ばかり、こんな苦しい目にあうのだろう」と。それに対し明確な答えを与えたのは、事務所ではなく、宗教だった。宗教っていうのは、「人間の生きる意味」について、確固たる理論を持っている。それは「神のために生きる」ということ。自分は神のために生きているのだと理解した瞬間、それまでの苦しみにも「意味」が出てくる。神が見守っている世界に、「無意味」なものは一つもないからだ。こうして彼女は出家した、と僕は推測している。

 しかし、彼女が宗教に頼ったのは、たまたま身近にあったからという以外の理由はないと思う。彼女は他人に多くのことを求め、かつ依存する性格のようにに見える。ある時期までは、レプロにも依存していたはずだ。だけど、他人を評価する軸が極端だから、一度依存が解けると、とことんまで憎んでしまう。「あんたのためになんでもやったのに、どうしてあんたは無視すんの!」ということ。今は、利用価値があるから幸福の科学も、彼女に対し配慮しまくってるんだろうけど、今後どうなるのかは、気になるところではある(いや、ないかもしれない)。

 

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)
 

  

 

野村克也と沙知代のコンプレックス

野球

『球界のガン・野村家の人々』という本を読んだ。あの悪名高い鹿砦社から出版された物だ。中身は、南海時代のスパイ野球疑惑、ヤクルトにおける内紛、野村沙知代の横暴といったことが、書かれている。

 ミッチー・サッチー騒動の時は、まだ小学生だったので、あまり野村沙知代について記憶がなかったのだが、本書で彼女の巻き起こした様々なトラブルについて読むと、「本当にヤバイ奴だったんだな」というのがひしひしと伝わってくる。

 例えば、テレビで古田について「殺してやりたいほど憎い」と発言したり、カツノリが在籍していた堀越学園野球部の監督に「クビにするのは簡単」と恫喝したり、当時石井一久と交際していた神田うのを批判したりと、やりたい放題である。古田と沙知代の仲が悪化したのは、中井美穂と付き合っていた彼が沙知代の持ってきた縁談を断ったことが原因で、そこにカツノリとのポジション争いも加わって二人の関係性は完全に断裂した。そして、野村監督も、沙知代に肩入れし、古田のリードをねちっこく批判した。こういう経緯があるから、古田は恐らく今でも野村について良い感情を持っていないだろうが、我慢して黙っているのだろう。

 野村沙知代の悪行については、ケニー野村ダン野村の弟)が書いた『グッバイ・マミー』が詳しい。この本によれば、彼女は病的な虚言癖とヒステリーの持ち主で、男から男へと渡り歩いてのし上がってきたことがわかる。彼女と野村克也との出会いは、中華料理屋の女主人からの紹介で、結果的にはダブル不倫という関係になった。沙知代は最初、結婚していることも、子供がいることも隠していたらしい。騙されたことに気付いた野村は別れようとも考えたらしいが、結局は付き合い続け(周囲はもちろん大反対し、南海ホークスを追放される原因となった)、沙知代は41歳の時にカツノリを産む(ケニーはこの出産を、『女としての”賭け”だったんじゃないかな』と表現している)。野村は前妻との離婚がまだ成立していなかったので、沙知代との結婚はそれから5年近く経ってからとなった。ちなみに、野村の前妻はその後ノイローゼで若くして病死し、沙知代の元夫アルビン・ジョージ・エンゲルは自殺した。沙知代の周囲は死屍累々である。ケニーの本には、沙知代の信じがたい悪行が縷々として書き連ねられており、一読すると彼女が人殺しをしない角田美代子に思えてくる。

 そんな沙知代と、野村監督の相性は意外と抜群だったのではないかと、僕は思っている。野村の発言、例えば、ホークスを一年でクビになりかけた時、「このままでは南海電車に飛び込んで自殺するしかない」と言ってフロントを説得した話や、「長嶋は向日葵、俺は月見草」と言っているところを見る限り、野村のコミュニケーション術とは、自分を常に被害者に見立て、同情を惹くというものだ。つまりは、「卑屈」なのである。恐らく、貧しい家庭で育ち、大学野球が華々しかった頃、高卒のテスト生として南海に入団した経緯が、彼の性格を歪めてしまったのだろう。結果、野村は大卒(特に六大学)の選手に対して異常な敵意を持つことになり、その代表が長嶋茂雄だった。こうした学歴コンプレックスは、沙知代とも共通している。野村が親しくするのは、江夏や山崎武司と言った、高卒の一匹狼タイプの選手だ。野村が「ことわざ辞典」を持ち歩き、それで暗記したことわざを、さも昔から知っていたかのようにメディアに披露するというのはそこそこ有名な話だが、それも大卒への対抗心から来ているのだろう。

 野村の卑屈でペシミスティックな性格に対し、沙知代は真逆の自信家だ。野村が受け身な態度を見せるのに対し、沙知代はガンガン攻めていく。こういう卑屈(男)×自信家(女)のカップル・夫婦は意外と珍しくない。例を挙げれば、カート・コバーン×コートニー・ラブカニエ・ウェスト×キム・カーダシアン、ジョン・レノン×オノ・ヨーコ開高健×牧羊子などがいる。だいたい、女の方は悪妻と呼ばれる(今風の言い方だと、「サークル・クラッシャー」か)。ある意味では、そうした女の影響が、創作の原動力となるのだが、そうやって生み出されたものは本音を隠した「仮面」的なものであることが多い。レノンの「イマジン」や、開高のベトナム物などは、現実からの逃避を象徴しているかのように、僕には感じられる。卑屈で自信のない男に共通しているのは、自我を強く抑圧しているところで、それを完全に克服した人間はあまりいない(少なくとも芸術家に関しては見たことがない)。

 野村の話からちょっと脱線したが、この夫婦の関係は、精神分析的な意味で興味深い。野村沙知代実弟が書いた『姉野村沙知代』もいずれ読んでみよう。

 

球界のガン・野村家の人々―ID野球という名のスパイ野球
 

  

グッバイ・マミー―母・野村沙知代の真実

グッバイ・マミー―母・野村沙知代の真実

 

  

姉野村沙知代

姉野村沙知代

 

 

フロイト/精神分析にハマる人の特徴

日常

 橋本治が『蓮と刀』の中で、フロイトの「理論」というのは、実はフロイト自身の性格が色濃く反映されているのだ、というようなことを書いていて、そうした観点から『ドストエフスキー父親殺し』などを分析しているのだが、フロイト精神分析にハマる人もまた、フロイトのような性格をしているのではないかと最近思っている。

 そこで、フロイト精神分析にハマっている人の共通点を思いつくままに書き出してみた。サンプルが基本、芸術家たちの言動なので、掲げる例がそっち方面に偏った。あと、フロイトを読んだことがなさそうな人でも、フロイト的な人というのはいて、そういう人も、下に挙げた特徴に当てはまると思う。

 

フロイト精神分析にハマるor相性が良い人の共通点

・理論やコンセプトに拘って、作品を作る

・自分の事を語るときに、話を誇張する

・被害者意識が強い

・嫉妬を隠そうとする

・自意識が強く現れている作品に、嫌悪感を覚える

・『蒲団』のような私小説自然主義的な作品が苦手

・豪快な人間に憧れる(ヤクザ、マフィア、ギャルなど)

・感情を排した物に惹かれる(廃墟やテクノなど)

父親が立派な人だったり、怖い人だったりする

・隠れロマンティスト

・酒やドラッグ、異性に依存しがちである

・憧れている有名人と自分の共通点を探す(誕生日が一緒、星座が一緒など)

・「仮面」という言葉に反応しがちである

・悲観的なアフォリズムを好む(シオラン、『侏儒の言葉』、シモーヌ・ヴェイユ、『悪魔の辞典』など)

・褒められることが苦手

・猜疑心が強く、臆病

・破滅願望

・精神的な意味でマゾヒスト

・「本当の自分などない」とか言う

・露悪的だったり、ナルシシスティックだったりする文章を書く

・流行に乗るのが苦手(ただし、憧れてはいる)

・気分の上がり下がりが激しい

・自分が生まれる前の文化に、強く惹かれている

・文化の中心にいても、「遅れてきた人間」であるという意識がある

・職場やサークルなどで、「ここは自分の居場所ではない」とよく思う

 

 最近は、「精神的な意味でマゾヒスト」ということについてよく考えている。僕はよく芸術家の自伝や伝記を読むのだが、薬中やアル中になる人は、そういう傾向が強いのではないかと思っている。いつか、まとまった文章を書いてみたい。

 

蓮と刀―どうして男は“男”をこわがるのか? (河出文庫)

蓮と刀―どうして男は“男”をこわがるのか? (河出文庫)

 

   

 

ロン・ローゼンバウム 「ドナルド・トランプって結構いい人だ」

評論

 かつて、東京書籍が「アメリカ・コラムニスト全集」というシリーズを企画していて、トム・ウルフポーリン・ケイルの批評的エッセイ集等がその中に組み込まれていた。

 この前、図書館でそのシリーズの中の一冊、ロン・ローゼンバウムの『ビジネス・ランチをご一緒に』というのを借りてみた。作者のローゼンバウムは、経済ジャーナリストで小説家で、原著は1987年に出版されている。ちゃんと読むつもりではなく、「取り敢えず中身を確認しておくか」ぐらいの気持ちだったのだが、目次を眺めていると「ドナルド・トランプって結構いい人だ」という刺激的なタイトルが目に飛び込んできた。

 本書は成功した経営者やセレブの実態について、彼ら本人にインタビューして書いたもので、トランプはその内の一人という扱いだ。80年代の話なので、内容は実業家トランプについて迫るというもの。

 しかし、ローゼンバウム自身も驚いていることだが、トランプはまず最初に、経営の話よりも「核拡散」という政治問題について喋りたがった。一瞬、冗談だと思うローゼンバウムだが、トランプは本気なのである。本気で、フランスの核輸出や、カダフィのような独裁者が核兵器を持つことについて憂いているのである。ローゼンバウムは困惑気味にこう書いている。

 

(前略)だがそれ(核拡散)に関する彼の話を聞いているうちに、私は、トランプがそれに真剣に取り組んでいると確信するようになった。

 これは私にとっては、ちょっとした苦しい結論である。(中略)私は安っぽいジョークと皮肉をすべて捨てざるをえなくなった。もしそれが、野心満々の不動産屋が国家的舞台へ躍り出ようとする、何か奇異な自己中心的行動であれば、ジョークや皮肉も言えただろうに、すべてそうしたものは言えなくなってしまったのである。(p.65)

 

 トランプが核に興味を持ったのは、放射線治療の先駆者だった叔父(ジョン・トランプ)を通してだった。叔父から、核爆弾が年々容易に作ることができるようになっているということを聞いたトランプは、人類の破滅を防ぐべく、核の拡散を防止することを真剣に考えるようになったというのだ。彼はアメリカ側の政策担当者を批判し(ちなみに、時代はレーガン政権下である)、「核拡散」防止策について、ローゼンバウムに語る。例えば、こんな調子だ。

 

 経済面か何かで強い態度に出るべきだろうと、私は思う。解決するには経済的な要素が大きく絡んでくるからね。そうした国々(パキスタン等)の多くはぜい弱だ。それに対しわが国には、今まで一度も使ったことのない巨大な力がある。彼らは食糧や医薬品の面でわが国に依存している。私はこれ以外の問題に関して、こう提案したことは一度もない。だが、この問題は、何としても解決しなければならない問題だ。(p71-72)

 

 実際、トランプはレーガンに近い人々にアプローチし、核問題についての持論を何度も開陳していたようだ。ローゼンバウムは、トランプがホワイトハウスの「厄介者」になっているかもしれないと書いているが、この時の苛立ちが、のちの大統領選立候補にも繋がっているのかもしれない。つまり、政治を動かすには、政治家になる以外方法はないと考えたということだ。トランプは経営者の政治的影響力の限界を、核問題を通じて知ったのだった。

 トランプのパーソナリティについては、散々色々なことが言われているが、この核問題への熱心な取り組みを見る限り、彼には彼なりの「正義感」があるということがわかる。単に「野心」だけで大統領に立候補したわけではない。だからこそ、彼は「強い」のだろう。

 

ビジネス・ランチをご一緒に ロン・ローゼンバウム集 (アメリカ・コラムニスト全集)

ビジネス・ランチをご一緒に ロン・ローゼンバウム集 (アメリカ・コラムニスト全集)

 

 

野球選手とメディア

野球 日常

 日本ハムファイターズが優勝した。

 ファイターズ・ファンの俺としては嬉しいことだ。

 そんな中で気になったのは、メディアの注目が大谷へと異常に集まっていることだ。ニュース記事はもとより、試合中も幾度となくベンチにいる大谷にカメラが向けられた。鼻くそをほじる暇もないくらい、大谷は監視されている。

 前にクロマティの自伝を読んだことがある。『さらばサムライ野球』という本だ。その中で面白かったのは、巨人の選手たちがいかにメディアの目を気にしているか、ということを書いた箇所だ。彼らは試合で活躍すると、次の日、ロッカールーム等で、スポーツ新聞の一面を必ず確認する。大きく扱われていれば嬉しいし、冷淡な扱いをされていれば当然憤慨する。クロマティ自身もしょっちゅう確認していた。

 だが、ここで問題が一つ起こる。メディアとしては、中途半端な選手の活躍よりも、例えば、原辰徳の三振の方を記事にする。スターというのは一挙手一投足全てに注目が集まる存在であり、注目されるからこそスターでもある。活躍したのに取り上げられない選手からすれば、何とも不公平な話だ。だから、当時の巨人では、原に対する嫉妬がチームメイトの間にわだかまっていた。

 大谷についても、ファイターズ内で同じことが起こっているのではないかと、俺は心配している。それを表に出す選手はいないだろうが、どんな試合でも大谷がトップに扱われ、活躍した自分が無視されるという状況に、プライドの高い野球選手がいつまでも耐えられるだろうか。チームメイトは仲間でもあるが、同時にライバルでもある。だが、大谷は最早日本の選手では追いつけないような場所にまで達してしまった。選手たちの大谷に対する反応といえば「あれは別格」というような、半ば賞賛・半ば呆れるといった感じだ。ダルビッシュのファイターズ在籍時代の末期もそんな空気が漂っていた。日本の野球に大谷は収まらなくなっている。来年は日本でプレーするとのことなので、再来年にはメジャーに挑戦してもいいのではないだろうか。俺個人としては、打者でいってほしい。空振りにさえロマンを感じさせる選手は、大谷しかいないからだ。

 

 

さらばサムライ野球

さらばサムライ野球

 

 

 

フィリップ・ロス原作映画ヒット祈願

日常 海外文学

 今年はフィリップ・ロス原作の映画が二本も公開される。一本はIndignationで、監督は『ハルク』や『ブロークバック・マウンテン』のプロデューサーを務めたジェームズ・シェイマスだ。これが初監督作となる。シネマトゥデイによれば、内容は以下の通り。 

 

 1950年代、朝鮮戦争下のニュージャージー州ニューアークに住む18歳の青年マーカス(ローガン・ラーマン)が、自殺未遂の過去があるオリヴィア(サラ・ガドン)や大学学部長コードウェル(トレイシー・レッツ)と出会ったことから起きる、思いがけない大学生活を描いている。2008年に出版された作家フィリップ・ロスの同名小説を映画化した。*1

  

 もう一本は、『トレインスポッティング』などで知られる俳優のユアン・マクレガーが監督したAmerican Pastoral 。これも初監督作品。内容は以下の通り。 

 

『アメリカン・パストラル(原題)』は、父は学生時代のスポーツヒーローで、成功したビジネスマン(ユアン)、母は美人コンテストの優勝者(ジェニファー・コネリー)という絵に描いたような完璧なアメリカ人一家が、ベトナム戦争に影響されて暴力的な抗議活動に身を投じた娘(ダコタ・ファニング)によって崩壊させられるさまを描いたドラマ。*2 

 

 スター俳優の初監督作品であり、原作がピューリッツァー賞を受賞していることから、American Pastoral の方は日本でも公開されるのではないだろうか。Indignationにも期待したいところ。僕としては、映画が日本で公開され、未訳の原作が翻訳・出版されるのが一番好ましい。

 海外文学は基本的にあまり売れないので、きっかけがないとなかなか翻訳・出版されにくい。「映画原作」の冠は売り文句になるが、肝心の映画がこけると意味がなくなってしまう。まずは、翻訳のために、映画のヒットを願うしかない。頑張れ、シェイマス、マクレガー。

 ロスの作品は、90年代以降に出版されたものが、未訳であることが多い。最近では、村上柴田翻訳堂シリーズの一冊として『素晴らしいアメリカ野球』が復刊されたり、内田樹効果?で、『プロット・アゲインスト・アメリカ』がそこそこ売れたりしたみたいなので、他の作品にも期待したいところだ。特に全米図書賞受賞作であるSabbath's Theaterや、クレア・ブルームについて書いたと言われるI Married a Communist、自伝的作品The Facts: A Novelist's Autobiographyを読んでみたい。

 

Indignation

Indignation

 

  

American Pastoral

American Pastoral

 

 

オルギア視聴覚室

日常

 昨日、池袋のシアター・グリーン(BASE THEATER)で開催された「オルギア視聴覚室」という演劇イベントを観に行った。ツイッターでフォローしている人たちが関わっているということと、小劇場的なものを体験してみたかった、というのが観劇のきっかけである。演劇に疎い人間なので、当然シアター・グリーン自体訪れるのは初めてだったのだが、段差にクッションを置いただけのシンプルな客席は、演者との距離感をぐっと縮めているような感じで、まさに想像していた「小劇場」そのものだ。

 最初の演目は「税金と死と女」(ベンジャミン・フランクリンの言葉からとっているらしい)による二人芝居で、ストロボを使いパラパラを踊った後、女二人が互いの彼氏や性癖について語り始めるという、良い意味で「俗悪」の極みのような内容。「首絞め」、「眼球舐め」という大変刺激的な単語が、真昼間から飛び交う異様な空間の中、二人は話し合いながらどんどん服を脱いでいき、最後には水着のような格好にまでなると、演者の一人であるhocotenさんの露出した胸に「税金」という文字が現れる。悪意だ。

 二番目に登場したのは、東京にこにこちゃん。上下真っ白の衣装を着た男がパイプ椅子に座りながら一人芝居をするのだが、開口一番、大声で「ヒィーヒッヒ」という不気味な笑い声をあげたので、場内が一瞬緊張した。しかし、ネタ自体は真っ当な物で、「相談屋」を職業とする男が、他人の真面目な相談に不謹慎な回答を返すうち、犯罪者ばかりが相談しにくるようになる、というものだった。特に放火魔の悩みに対する回答が一番笑えた。一応、ストーリーもオチもあり、脚本はきちんと完成している。「あっし」という一人称や、過剰な演技が、劇団ひとりを想起させた。

 三番目は、コンプソンズという劇団で、登場人物は四人。「何者」(朝井リョウ?)というタイトルで、就活をテーマにした劇ということだが、印象としては、就活を背景にした「コント」という風だった。女なれしていない男が、「寝る・寝ない」を巡って、元カノの家で激しい攻防を繰り広げるシーンが面白かった。まだできたばかりの劇団らしいが、これから伸びていくような予感がした。

 途中で帰ったので、演目全ては見れていないのだが、見た限りでは「笑い」の取り入れ方が、どの団体も上手かったように思える。小劇場の「今」を知れてよかった。

 

stage.corich.jp