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フォルカー・シュレンドルフ 『バール』

洋画

 ブレヒトの同名戯曲を映画化した、シュレンドルフ監督の『バール』を見終えて、まず胸に浮かんだのは、「陰惨」という言葉だった。主演は、当時頭角を現しつつあった、R・W・ファスビンダー。彼は、バールという名の、新進気鋭の詩人を演じている。冒頭、バールは、自身のために開かれたパーティで、傍若無人な振る舞いをし、彼を評価していたブルジョワ世界の人間から愛想をつかされる。だが、バールがそのことを意に介する様子はない。そして、彼は、雑駁で血生臭い労働者階級の世界へ舞い戻る。そこは彼にとって最も落ち着く場所だ。その世界にいる限り、支配し、屈服させられる相手が、常に目の前に現れるからだ。バールの暴力は特に女に向かって行使される。女の一人は入水自殺に追い込まれ、女の一人は妊娠した状態のまま捨てられ、女の一人は、強姦される。女とセックスすることを、「穢れる」という強い言葉で否定するバールは、間違いなく女性嫌悪者であり、後半、彼が、エカート(シギ・グラウエ)と呼ばれている「男」との友情を重視するのも当然と言えるだろう。ただし、そのエカートも、彼が女と抱き合っている姿を見て、殺してしまうのだが。

 『バール』は相手への徹底的な執着心の無さという点で、ファスビンダーが監督・主演した『自由の代償』と正反対の作品だ。『自由の代償』におけるファスビンダーは、無教養な人間が、ブルジョワ世界に暮らす恋人の愛情を繋ぎ止めようと、必死に贈り物をし、さんざん利用され尽くされた挙句、野垂れ死ぬ男を演じている。『バール』の結末も同じく、野垂れ死になのだが、そこに至る過程が、真逆であり、「陰惨」と感じた理由だ。映画の最後で、バールの死体を見た男が、「最近は死ぬのも難しい」と意味深げに呟くのだが、バールの死だけが特別視され、バールによって入水自殺に追い込まれた女の存在が無視されているようでもあり、不快ですらあった。