ソール・ベロー 『ラヴェルスタイン』

 ソール・ベローの小説は大学時代に『その日をつかめ』を読んで感動し、以来翻訳されたものは全て読んだが、『その日をつかめ』以外はどれも面白いとは思えなかった。ベローの小説のおおまかな特徴として、衒学的な比喩を駆使した文体、形而上学的考察、知的な会話などが挙げられるのだが、それらが全て俺には全然合わないのだ。『その日をつかめ』は短いから、物語がはっきりしているが、その他の長編小説は、印象的なシーンはあっても、冗長なところが多く、記憶に残りにくい。

 ベローには詩人のデルモア・シュワルツをモデルにした『フンボルトの贈り物』や、自伝的小説『ハーツォグ』などがあるのだが、自伝・モデル小説に特有の「俗っぽさ」が欠けていて、高尚的すぎるきらいがある。極論を言うと、これはベローが「モテ男」であることと関係がある気がする。ベローという人は、俗っぽい事柄を扱っても、最終的には抽象的な議論と絡めずにはいられないというか、格好悪いことを格好悪く書くことができないのだ。その点、知的な登場人物を無様に描くマラマッドとは対照的だ。

 今回、久しぶりにベローの小説を読んだが、『ラヴェルスタイン』もまた、上に挙げた特徴を満たす、俺には合わない小説だった。「ラヴェルスタイン」とは、登場人物の名前で、モデルはベローの友人だった、アラン・ブルームだ。ブルームはシカゴ大学に勤める政治哲学の研究者で、プラトンやルソーの英訳をした人だが、同僚だったベローに勧められ、1987年に『アメリカン・マインドの終焉』という、大学教育に相対主義が蔓延したことを批判する大著を書いたところ、『ニューヨーク・タイムズ』でクリストファー・リーマン=ハウプトが褒めたことで、一躍ベストセラーとなり、古典派の評論家としても知られるようになった(日本でもみすず書房から翻訳が出ていて、2年ぐらい前に新装版が出たようだが、あまり注目はされていないようだ)。ベローはその本のまえがきを書いている。

アメリカン・マインドの終焉』は、反動的な書物として受け止められ、保守派からは歓迎されたが、左翼サイドからは──まえがきを書いたベローも共に──激しい攻撃にさらされた。ブルームの友人であるベローは、若い頃マルクス主義にはまり、ニューヨークの左翼系知識人によって運営されていた雑誌『パーティザン・レヴュー』にも参加していたのだが(ただし、本人はニューヨーク知識人たちに対し、疎外感を持っていたと『ハーツォグ』で書いている)、堀邦雄『ニューヨーク知識人』によれば、1970年に発表した『サムラー氏の惑星』で、「60年代後半のアメリカ都市における人心の退廃を描き、新しい文化状況に対して厳しい批判の目を向けた」ことで、「保守的な作家」と見なされるようになったのだという。

『パーティザン・レヴュー』は、30年代にモダニズムを擁護する姿勢を見せた雑誌だったが、50年代以降、ビート・ジェネレーションからカウンター・カルチャーの時代に突入してからは、保守的な態度を見せるようになったと言われている(『ニューヨーク知識人』)。ニューヨーク知識人の一人、ライオネル・トリリングの妻、ダイアナ・トリリングの自伝『旅のはじめに』には、印象的なエピソードが書いてあって、それは1968年の大学紛争の直後、「コロンビア大学の若い英文科講師」が、「彼の学生たちは1900年以前に書かれたものは、もうなにも読もうとは」せず、唯一の例外がウィリアム・ブレイクだということを、その講師が得意げに語った、というものだ。ダイアナはその講師を批判し、モダニズムというのは、過去と現在の断裂を意味するものではなかったというようなことを書いている。ベローやブルームも、大学の講師・教育者として、ダイアナが経験したような状況に直接身を晒していたわけで、そのことが『アメリカン・マインドの終焉』へと繋がっていったのだろう。しかし、二人とも、ただの「保守」として見做されることに対しては反発を覚えていた。

 説明が長くなったが、『ラヴェルスタイン』という小説は、そういったアメリカの文化状況について読者が十分把握している前提で書かれているので、『アメリカン・マインドの終焉』とその周辺について知らないと、かなり理解しにくいだろう。しかし、理解していても、面白いかといえば正直微妙で、「ラヴェルスタインのような人物を、そうやすやすと死に渡してたまるか!」というラストの文章が示しているように、この小説は、「保守主義者」のレッテルを貼られたブルームの名誉回復を狙って書かれたものだから、モデル小説でありながら、ゴシップ的な要素は少なく、プラトンソクラテスの言動を書き残したように、ラヴェルスタインから直々に自分の伝記を書くよう依頼されたチック(ベローがモデル)が、彼の日常生活から、その発言と性格、また教育者としての功績を伝えることに多くが割かれている。アメリカ文学つながりで言えば、『グレート・ギャツビー』の構造に近いが、ストーリーの流れが『ラヴェルスタイン』の方はすっきりしていない。サブ・プロットとして、チックの離婚と再婚が挿入されているが、それも上手くいっているようには思えない。前の方でも書いたが、結局のところ、ベローのいつもの知的エリート小説のようになっている。

 ベローの小説には否定的な俺だが、アメリカ文壇のドン・ファンとして名をはせた彼の人生についてはかなり興味があるので、今度はジェイムズ・アトラスによる伝記が翻訳されることを望む。

 

ラヴェルスタイン

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