Nirvana 『In Utero』

 ガンズ・アンド・ローゼズは『ユーズ・ユア・イリュージョン I& II 』を作るのに、4年以上かかった。

 ストーン・ローゼズは『セカンド・カミング』を作るのに、5年半かかった。

 両者に共通するのは、プレッシャーと誇大妄想。出世作となった前作を超えるようなアルバムを作ろうと意気込むあまり、完璧主義的精神の隘路にはまってしまったのだ。長引く空白期間の間に、バンド内の力関係も大きく変わり、独裁者と傍観者に分かれていく。『セカンド・カミング』は、ジョン・スクワイアのギターが大きくフィーチャーされているが、それはスクワイアに誰も意見しようとしなかったからだ。意見をすれば崩壊する、スクワイア以外のメンバーはそう感じていた。

 カート・コバーンは自殺したこともあって、一般的には非常に繊細な男として見られている。しかし、二つのローゼズが前作の呪縛にとらわれていたのに対し、『ネヴァーマインド』と『イン・ユーテロ』の間は2年。ロック・バンドのリリース・ペースとしては、順調と言えるだろう。曲作りのほとんどを担っていたカートに、プレッシャーがなかったはずはないが、彼は「誇大妄想」とは無縁だった。『イン・ユーテロ』というアルバムを理解する上でこのことは重要だと思われる。

 ニルヴァーナが『イン・ユーテロ』のプロデューサーに選んだのはスティーブ・アルビニアルビニは「エンジニア」を自称し、無駄という無駄を省くのが彼の信条となっている。つまり、1年間も2年間もだらだらとスタジオに籠り、曲作りを続けるというのは彼の発想にはないのだ。ニルヴァーナ側もそのことを理解して、彼に仕事を依頼した。実際に、レコーディングにかかったのはわずか2週間である。

 しかし、問題もあった。アルビニが録った音は、メジャーのレコード会社にしてみれば、あまりに粗っぽくインディーズ的すぎた。リスナーを不快にさせる要素が詰まっている、と彼らは判断したのだ。

 とはいっても、アルバムを放棄するわけにはいかない。そこで妥協案として、REMの作品を手掛けていたスコット・リットが雇われ、「Heart-Shaped Box」「All Apologies」の二曲にリミックスが施されることになった。ラジオでかけてもらうためには、小奇麗なサウンドでなかればダメなのだ。ニルヴァーナ側は譲歩しつつも、インディーズに対し理解の深いリットを関与させることで精神のバランスを保った。

「妥協」。これこそ、カートが誇大妄想に陥らなかった要因だろう。そう、彼は妥協できる人間だった。92年のMTVビデオ・アワードでは、主催者側の要望通り、彼らは「レイプ・ミー」ではなく「リチウム」を演奏した。その際、冒頭で一瞬だけ「レイプ・ミー」を演奏し、MTV側を慌てさせた。妥協しつつも、最低限の意地は見せる。こうしたビジネス感覚があったからこそ、彼は「反逆者」のまま「大金持ち」になれたのだ

『イン・ユーテロ』は、インディーズっぽさを残しながらもどこか俗っぽい。アウトローにも、ポップ・スターにもなりきれない、中途半端で優柔不断な感じが、良くも悪くも我々に安心感を与える。それは日々、我々が様々なことに妥協しているからだろう。最終的に、カートは「妥協」を捨てて、燃え尽きることを選んだが。

 

イン・ユーテロ<デラックス・エディション>

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