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中牧昭二 『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』

 本書は、カドヤスポーツで販売促進課長を務めていた中牧昭二が、スポーツメーカーとプロ野球界の癒着について暴露したもので、発売当時はかなり話題になった。元々最初の告発は「週刊現代」誌上で行われたのだが、それ以降も「プロ野球界の体質は一向に改善されていない」とみて、もう一度その腐敗を「世に問う」べく本書を出版した、と中牧はまえがきで書いている。版元であるリム出版は、80年代の終りから90年代の初めにかけて、野球界の裏側について書いた本をよく出していた。

 ネットにその内容については書いてあるが、実際読んでみるとやはり衝撃的だった。野球に限らないが、スポーツメーカーは自社の製品を売るために、有名選手を広告塔に起用する。彼らのために作った道具を、実際の試合で使ってもらうことが、普通に新聞やテレビで広告をうつよりも、宣伝になる。野球の場合で言えば、特にピッチャー。試合がテレビで放映される時、ピッチャーの手元というのは必ずクローズアップされるから、グローブについている会社のロゴがいやでも視聴者の目にも入る。だから、テレビに映る機会が多い甲子園常連校や巨人の選手なんていうのは、メーカーにとって大事な宣伝マンだ。だから、メーカーによる接待は高校生にも及んでいる(小学生の頃から目を付けているケースもあるだろう)。中牧も、桑田には、彼がPLにいたころから接触し、カドヤのグローブを使ってもらえるように何度も説得した。ミズノやゼットといった大手メーカーに対し、弱小のカドヤスポーツが対抗するには、彼らをはるかに上回る接待攻めを行うしか方法はない。しかし、それは地獄への第一歩だった。

「たかり」という言葉でも温いぐらいの、桑田の異常な要求の数々。中牧とカドヤスポーツは、クラブの飲食代から風俗の費用まで負担させられ、挙句の果てには車まで買わされた(その時の契約書のコピーが本書の中に挿入されている)。要求を断ろうとすると、桑田は契約解除をちらつかせ、おどしにかかる。こうして桑田は、自身が貰っている年俸以上の金を、カドヤから分捕った。

 恐ろしいのは、プロ一年目からこのような行動をとっていた桑田の精神構造だ。桑田は何の罪悪感もなく、10歳も齢が離れている中牧を、運転手代わりにしてこき使う。中牧は通常の業務もこなしながら、桑田の付き人のようなことをやらなければならなかった(そのような激務に対し会社から支払われた給料は手取りで20万円以下だったそうだ)。年々成績を伸ばし、それと同時に冗長していく桑田に、とうとう中牧もキレた。平成元年6月20日にカドヤスポーツを退社したが、桑田が自分の悪口を後任の人間に吹き込んでいるのを知り、週刊誌上での告発に踏み切った(「週刊現代」7月29日号)。それを本にした経緯はまえがきに書いてある。また、中牧は桑田の他に、須藤豊の「たかり」や小宮山悟の裏切り、水野雄仁の変貌についても、本書の中で詳しく書いている。逆に良く書かれているのは、日本ハムの津野浩、津末英明、河野博文らである。

 ちなみに、あのKKのドラフト事件についても、少し触れられている。僕は前に『プロ野球スキャンダル事件史』(宝島社文庫)の中に収録されている美山和也の「桑田と清原の友情が裂かれた瞬間」を読んで、いわゆる「密約」はなかったと思っていたのだが*1、本書では、桑田が巨人のスカウト伊藤菊雄から接触を受けていたということが書かれている。伊藤は「抜け駆けの菊さん」と呼ばれていた敏腕スカウトだ*2。伊藤は自分の息子をPLに入れて、桑田について調査させるということまでしていたらしいから物凄い執念である。また、桑田以前にも巨人は、早大進学表明していた、大北敏博、鈴木康友といった選手らをドラフトで強行指名して獲得に至り、密約を疑われたことが何度かあった。つまり、常習犯だったわけで、これなら桑田との間に「密約」があったと言われてもしかたがないだろう。桑田は中牧に、次のようなことを言ったそうだ。

 

「あいつがドラフトで巨人に指名されず、泣いているときに、ぼくはザマアミロと思ったね。あいつは、教室でデカイ態度をとっていたんだ。『原のかわりに巨人の四番を打ってやる』とかね。でも、ぼくが一位指名されるのはわかっていたから、いまに泣き面が見られるぞと楽しみにしてたんだ」(pp.40-41)

 

 プロ一年目から、カドヤスポーツ相手に様々な駆け引きをしかけていた桑田である。人一倍上昇志向が強く、戦略を持って生きてきた男が、ドラフトで策略を使ったとしても不思議ではない。恐ろしいのは、彼がその時18歳の高校生だったことだ。後に、桑田は21歳にして、「投げる不動産屋」と呼ばれるようになる。  

 

 本書を読むと、一人の人間が、権力や組織と立ち向かう事の大変さを存分に知ることができる。会社を辞め告発に踏み切った中牧は、桑田だけではなく、古巣のカドヤスポーツからも攻撃をうけた。これを読んでスポーツメーカーに就職しようと思う人はほとんどいないと思う。憧れの選手に会うこともできるが、メーカーと有名選手の関係は、最悪の場合奴隷と主人のようなものになる。そこは、拓殖大学アメフト部というバリバリの体育会を経験していた中牧でさえ音を上げる世界なのだ。カドヤスポーツはこの騒動のあとすぐに、アシックス系の「ジョッキー」という卸問屋に吸収合併された。

 中牧は最後に原について少し触れているが、「球団のいろいろな人間と話しても、原の金銭的なスキャンダルはひとつも出てこない」と書いた箇所は、後の恐喝事件の対応のせいで、ちょっと皮肉な感じになってしまった。

 

 1990年5月12日の広島─巨人戦で、いわゆる「クモ男」なる人物が、一塁側のネットを昇り、「巨人ハ永遠ニ不ケツデス!」と書かれた垂れ幕をかけたことがあったが、あの事件は、中牧の本によって巨人批判の空気が高まっていた中で行われた物だった。

さらば桑田真澄、さらばプロ野球

さらば桑田真澄、さらばプロ野球

 

  

*1:清原1位、桑田2位が巨人の当初のドラフト戦略で、西武が清原の外れ1位で桑田を指名するという情報をドラフト当日に掴んだため、王監督の判断で桑田の指名を急きょ繰り上げた、というのが美山説。当初大学に進学すると言ったのは、清原への遠慮やプロでやりぬく自信がなかったからであり、背後に密約はないとしている。美山は中牧の本には一切触れていない

*2:伊藤は1961年から巨人でスカウティング活動に従事し、吉村禎章駒田徳広西本聖小林繁などの入団に関わった。