LES SPECS 1992年11月号 小沢健二×柴田元幸
小沢健二が東大時代、柴田元幸のゼミにいたことはよく知られている。小沢は1968年生まれだが、1浪しているので、大学入学は1988年。その後1留したから、卒業したのは1993年春ということになる。フリッパーズ・ギターが解散したのは大学在学中の1991年、ソロ・ファースト・シングル「天気読み」が出たのは1993年7月。
「LES SPECS」(ちなみに、この11月号で休刊した)で柴田と対談した時は、4年生(5年生)の頃で、フリッパーズ解散とソロとして活動し始めた時のちょうど中間の時期にあたる(対談自体は1992年9月3日に行われた)。なので、この対談は学生オザケン・先生柴田という構図になっているのだが、小沢がびっくりするぐらいくだけて話しているので、師弟対談というよりかは、年上のオジサンにじゃれているような感じがある。実際にどんな雰囲気なのか、読んでもらったほうが早いので引用しよう。
小沢 僕、先生んちの引っ越しのドタバタに協力してますよね。なにしろ、レコード500枚くらいもらいましたよ。
柴田 いやあ、ありがたかったですね。あの晩にみんなもらっていただいて。とっておきたいのは先に避難させておいたけど、残りは全部もっていったもんね。
小沢 もらった中には、中古レコード屋とか行くと、ニッキュッパ(29800円)くらいするような、マジでヤバめなの入ってるんですよ。もう、最後のアルバム(『ヘッド博士の世界塔』)にガンガン使いました。最大の大ネタが、先生にもらったラグタイムのレコードですよ。(p.66)
柴田 中学生のころからギタリストをコピーしたりしてたの?
小沢 うん……なんとなくね。僕、練習とか大嫌いだから。
柴田 そういうときって誰をコピーしたの。
小沢 誰をコピーしたかねえ。なんとなく、都合で……。先生、あれだよね。
柴田 はん?
小沢 僕のことはどうでもいいけどさ、ここで明かすと、先生は、東大駒場寮でギターをさんざん弾いてる人っていうので有名だったんだよね。先生は何をコピーしてたんですか。
柴田 いや、僕はそんなとこまでいかなかったから。
小沢 まあいいや。人の歴史は恥の歴史っていうから……。
柴田 何まとめてんだよ(笑)。いや、ギタリストで好きだったのは、やっぱりグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアですね。そのあとライ・クーダーね。もちろん。
小沢 そうかあ。先生にもらったおかげでさ、グレイトフル・デッドが、僕の持ってたのと合わせて20枚くらいになってて、人がうち来ると、その前で少し身を引くんだよね。「こいつ、何考えてんだ」って(笑)。(p.66)
柴田 (グレイトフル・デッドが)一番最初に出て来たときは、サイケデリック・ムーブメントの中のひとつって感じでしたよ。
小沢 トム・ウルフの『The Electric Kool-Aid Acid Test』と同じ題のついたヴィデオがあってさ──映画とかじゃなくて、アングラ・ヴィデオなんだけど──メリー・プランクスターズとかが出てるだろうなと思って買ったんですよ。そしたら、ジェリー・ガルシアが延々とバリバリ演奏してるとこでさ……まわり映すと、みんなとんでもないことばかりやってんだ(笑)。そういうものだったんじゃないの。
柴田 いや、僕の聴いたデッドっていうのは、実はもっとずっとおとなしいの。一時、彼らはアコースティックばっかりやってたのよ。クロスビー、スティルス、ナッシュ、&ヤングが出てきて、まるでそれの真似みたいに、エレキを一時やめて、『ワーキングマンズ・デッド』『アメリカン・ビューティー』っていうアコースティックなアルバムを2枚作って──僕はそれを一番聴いてるのね──『ワーキングマンズ・デッド』が出たときは、みんなおったまげたな。
小沢 へえ。そうか。ほら、このあいだ授業で、ポール・ボウルズの『あんたはあたしじゃない』を読んだじゃないですか。あの授業のとき、グレイトフル・デッドの好きそうなっていうか、なんかちょっとボケーっとしたわけのわかんない感じがあって……って言ったら、まったく賛同が得られなくて非常にビビったんですが。
柴田 そうだったねえ。(pp.66-67)
サイケデリック・ロックや60年代のロックについての会話が多いことから、『ヘッド博士の世界塔』で引用された、Harpers Bizarre、The Lemon Pipers、Jon Plum、Tintern Abbeyは元々柴田のコレクションだったのだろうか。
小沢 バロウズは、ほんとうにキワモノだろうね。B級ホラー映画的な、こんなことになっちゃってるのか、っていうね。そういえば、ボウルズもキワモノ扱いだね。
柴田 だね。実は、僕はあの路線、バロウズを含めてぜんぜんダメなの。すごい良識ある市民だからね。あっち行く人は相手にしない(笑)。反応もできないな。
小沢 僕は、わからない。力んでる感じが、なんとなくイヤなのかな。日本での紹介のされ方かもしれないけどね。
柴田 それはあるかもね。
小沢 僕ね、バロウズとかよりもっとだめなのっていうと、たとえばジェイ・マキナニーの『ブライト・ライツ・ビッグ・シティ』なんですよ。
柴田 うん、だろうと思った。それは、やっぱり小沢健二とは似て非なるものだからさ。
小沢 うん(笑)。嫌いなんですよ。なんだか*1。
柴田 下手すると、同じ括弧でくくられるもんね。
小沢 そう、それがくやしいというか。でも、ダグラス・クープランドの『ジェネレーションX』を読んだときは、そんなでもなかったですよ。あれは不思議でね。(p.68)
小沢 本を読むときは、レコードとかかけるんですか。
柴田 本を読むときはあまりかけないけど、翻訳してるときは必ずかけますね。だから、訳した本と特定のアルバムが結びつくのよ。たとえば、ポール・オースターの『孤独の発明』とフリッパーズ・ギターの『カメラトーク』なのね(笑)。
小沢 いやいや、やめてくださいよ(笑)。僕は逆に、『孤独の発明』読みながら次のアルバムつくってましたよ。なんだか反響してますね。(p.68)
柴田 (前略)ずっと前に友達と『オリンピックと近代』って本を訳したんだけど、それはスイング・アウト・シスターとスタイル・カウンシルなのね。
小沢 わりと、こう、清潔な感じ(笑)。
柴田 スタイル・カウンシルって、80年代になってから? そんな新しいの聴いてるのは例外的なんですけどね。
小沢 スイング・アウト・シスターは何でですか? 僕、わりと好きなんですけど。
柴田 あれは、何でかなあ……。スタイル・カウンシルは好きでしょ?
小沢 うん、すごい好き。
柴田 というか、一番近い影響源なんじゃない? そう言われるのイヤか。
小沢 いや、そんなことはないけど。わりとわかりやすい影響源としてはあるよね。一生懸命モノ言ってるじゃん。おしゃれな音楽やりながらさ。ああいうのってわりといいな、とは思う。
柴田 『幽霊たち』を訳したときは、意図的にレニー・トリスターノっていう、ちょうど『幽霊たち』の舞台の47、48年とかに録音されたジャズを聴いたね。(後略)(pp.68-69)
柴田 (柴田が前に住んでいた)練馬は農業地帯だったでしょ。それが、もういっぺんに工業地帯ですよ。
小沢 ほら、スティーヴン・ミルハウザーの『イン・ザ・ペニー・アーケード』の全体のムードって、なんとなく練馬な気がしちゃったんだよね。
柴田 わからないでもないな(笑)。
小沢 音楽でいえば、はっぴいえんどの最初のころの感じ。『夏なんです』とか『風街ロマン』とかね。日本ぽいという意味では、なんで『イン・ザ・ペニー・アーケード』が日本ぽく読めるのかも疑問だが……なんとなく子どもっぽいからなのかな。そういえば、白水社ではタイトルがカタカナだと売れないっていうのがあるんでしょ。
柴田 そうね、あれおもしろいね。ポール・ラドニックの『これいただくわ』なんて、ほんといただきでしたね。(p.69)
柴田 ポール・オースターまではみんなのってくれるんだけどね……。ミルハウザーはだめですね。心情的には、一番入れ込んでるんだけどねえ(笑)。
小沢 スティーヴ・エリクソンは?
柴田 あれはまあ、恩の字(ママ)じゃないか。九千くらい刷ったからね。でも、ダイベックがね……(泣)*2。
(中略)
小沢 でもほんと、もっと翻訳小説売れるといいですね。いつも先生に部数とか聞くとさ……。
柴田 レコードと一桁ちがうって言うんでしょ。
小沢 ちがうんだよ。そのたびに驚く。部数が一万いってないとか聞くと、ほんとびっくりするよ。ロックミュージシャンが本を書くとさ、たとえばレコードが十万枚売れてる人だったら、その半分くらいはいくじゃん。(p.70)
小沢 (前略)そういえば、『生半可(な学者)』に『真夜中の虹』のこと書いてあるんですよね。『真夜中の虹』ファンとしては嬉しかったですよ。
柴田 カウリスマキね。新しいの見た? 『ラ・ヴィ・ド・ボエーム』。あれとジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』を続けて見たけど、歴然としてましたね。もう、ジャームッシュ悲惨だったですね。
小沢 じゃあ、マッティ・ペロンパー2連発じゃん。超かっこよかったでしょ。ジャームッシュのほうは、テレビを見てるみたいだったけど。(p.70)
小沢 東京乾電池といえば、むかし12チャンネル(現テレビ東京)で、『AカップCカップ』という番組やってたのご存知の方いますか? 高田純次と美保純が主演で、すっげえおもしろかったんですよ。(後略)(p.70)
小沢 先生にもらったコレクションってわりと見事にパタっと止まってるよね。
柴田 うん、止まってる。でもあの止まり方って、わりと多いんじゃない。70年代前半くらいで止まって、あとはトーキング・ヘッズあたりが申し訳程度に、一、二枚あったりして。ところで小沢くんは、何年生まれだっけ。
小沢 僕は24だから、68年生まれですよ。
柴田 僕は54年生まれなんだけど、54年てのは、全然なにも出てこないね。作家もいないでしょ……。(p.71)
小沢 なんかアメリカでラップを云々するのって増えてるみたいだね。まあ、ラップの位置づけがあれだけデカくなっちゃったから当たり前なんだけど。あれって、音楽と文学の境い目いってんじゃないですか。(中略)うちのおやじですら興味示してますよ。専門が口承文芸だから。アフリカでは各部族に伝承をするラッパーがいるんだって。「オレたちはいままでこうして生きてきて~そのとき生まれたビッグマザーからいまの~」ってね(笑)。
柴田 ラップは、日本では育たなかったのかな。
小沢 いや、がんばって育ってます。日本語でもおもしろいですよ。ラップの子たちの言葉は、マジですごい。もう、ジェイムズ・ジョイスですよ。共通して言えるのは、とにかく言葉に対してメチャクチャ敏感だってこと。しかも、造語するのがすごく好きで。(p.72)
柴田 ビートルズの『ラバーソウル』の65年とか66年、そのへんが転換点としては大きいと思うね。女の子のことを歌わなくてもいいんだ、ってことをロックが発見しはじめたとき。あれって、一番おもしろい時期だね。
小沢 その話って、わりと音楽畑の人はしない話だけど、このあいだロン・カールソンの『アット・ザ・ホップ』のこと話してたとき、この幼稚な感じが50年代の音楽と妙に合うんだよなあって言ったんだって、まさにそれだよね。
柴田 60年代が獲得したものと引き替えに失くしちゃったものが、全部書いてある小説だね。
小沢 しかも、少年期よりもうちょっと手前くらいのさ。意識けっこう無い感じの。やっぱり、60年代後半にああいうのんきな小説は成り立たないような気がする。
柴田 そう、成り立たないんだよ。やっぱり青春なんだよ、60年代は。50年代が少年でね。それで70年代以降に書くと、もう中年になってくる。まあ、それは、いま脂ののってる作家がちょうどその年代にきてるってのもあるんだろうけど、ある程度時代そのものってのがあるよね。60年代半ばって、そのへんの転換点でもあるから、そのチグハグな感じがあってさ。(p.72)
柴田 実は、僕自身も初めて小沢健二のギターを聴いたときは、これは”ポストモダンの寺内タケシ”じゃないかと思ったんだけどさ(笑)。(後略)(p.73)
柴田 これはすごく大雑把な話だけど、小沢健二に限らず、いまの現在進行形の文化って、使命感に陥ったらおしまいってのが、たぶん最大のモラルでしょ。ポストというからには、いままでのものを否定するなり超えているわけでしょ。
小沢 なんだろ。否定とか超えて、今は僕は全然テーマじゃないですけどね。
柴田 音楽のほうが、一桁多いぶん、ポップということを考えなくて済むんじゃないかしら。本作りにおいては、考えざるをえないからねえ。
小沢 いや、音楽作りにもポップを意識するってのはありますよ。
柴田 僕は日本のミュージシャンでは、フリッパーズ・ギターとたまと戸川純しか聴かないけどさ、少なくともフリッパーズ・ギターは意識しなかったわけでしょ。ポストといった文脈でポップを意識したら、『カメラ・トーク』のようなアルバムを、たぶんもう一枚作ってたでしょう。ラリー・マキャフリーっていうポスト・モダニズムやってるアメリカ文学者なんかからはあまり感じられないけど──彼なんかは戦略ってこともあるだろうけど──「ポストモダン」っていう言い方も、基本的に価値あるものっていうプラスのイメージで使うことには、僕はちょっと抵抗感がある。
小沢 うん、だからそういうのじゃないほうがいいんだよ。商売として戦略的に考えると、もちろんキャッチフレーズってなくちゃならないものですけど、振りかざせば振りかざすほど、その時はいいけど、結局、その言葉とともに去ってゆくしかないじゃない。(中略)言葉をつくってポップにするのって、一瞬かっこいい気もするけど、でもなんとなく、僕はあんまりね……。
柴田 フリッパーズ・ギターもあのままやってたら、フリッパーズ・ギターという存在自体が言葉になりそうだったね。
小沢 そう、それはヤバいんですよ。
柴田 ただ、そういうのは意図してなるもんじゃないから、迷惑な話だね。(p.73)
だいぶ引用してしまった。出てくる固有名詞がその時代特有のものだったり、あとは60年代話で盛り上がっているところとかが面白い。まあ、ジェネレーション・ギャップ対談という風にも見える。
おまけ
柴田元幸が選ぶ「現代アメリカのラブ・ロマンス ベスト35」(『恋愛小説の快楽』角川文庫、1990年より引用)
ジョン・バース『酔いどれ草の仲買人』
ジェームズ・ソルター『A Sport and a Pastime』
バーナード・マラマッド『アシスタント』
トマス・ピンチョン『V』
ティム・オブライエン『ニュークリア・エイジ』
ケン・キージー『郭公の巣』
チャールズ・ウェッブ『卒業』
I・B・シンガー『愛のイエントル』
スティーヴ・エリクソン『Days Between Stations』→『彷徨う日々』
ジェイン・アン・フィリップス「ベス」『ファスト・レーンズ』所収
ピーター・テイラー『メンフィスへ帰る』
レイモンド・カーヴァー『水の出会うところ』
スティーヴン・マコーリー『The Object of My Affection』
ローリー・ムーア『別の女になる方法』
エリック・クラフト『Herb 'n' Lorna』
ジョイス・ジョンソン『Minor Characters』
スティーヴン・ミルハウザー『Portrait of a Romantic』→『ある夢想者の肖像』
カーソン・マッカラーズ『悲しき酒場の唄』
イーサン・ケイニン「頭の中で何かがかちんと鳴る」『エンペラー・オブ・ジ・エア』所収
ロバート・クーヴァー「You Must Remember This」『A Night at the Movies』所収
アナイス・ニン『Henry and June』→『ヘンリー&ジューン』
リチャード・ブローティガン『愛のゆくえ』
T・R・ピアソン『Off for the Sweet Hereafter』→『甘美なる来世へ』
ジョン・ホークス『Death Sleep, and the Traveler』→『死、眠り、そして旅人』
トマス・マクメイオン『Mckay's Bees』
ドナルド・バーセルミ『Paradise』→『パラダイス』
ジャック・フィニィ『愛の手紙』
リック・バス「Field Events」雑誌『Quartely』11号所収
ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』
レイチェル・インガルズ『ミセス・キャリバン』
ジョン・フォックス『潮騒の少年』
ジョン・アーヴィング『ウォーターメソッドマン』
レスリー・A・フィードラー『アメリカ小説における愛と死』
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「あんたはあたしじゃない」を収録
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*1:『ブライト・ライツ~』の訳者は高橋源一郎なのだが、昔、『國文学 解釈と教材の研究』で蓮實重彦と対談した時、蓮實から「文化的遠近法」が狂っていると指摘されていた。つまり、どう考えてもマキナニーよりレベルの高い作家である高橋が、マキナニーのくだらない小説を訳すのはおかしい、ということ。その点を追及された高橋は「『いや、じつはあれは軽い冗談でやりました』と言いたくてしかたないんですけど」と答えている。蓮實重彦 高橋源一郎「天使たちへのサイン」『饗宴Ⅰ』日本文芸社、1990年
*2:「ボーン・イン・ザ・工業地帯」というエッセイでも柴田はダイベックの『シカゴ育ち』を「とりわけ愛着のある一冊である」と書いている。ちなみに、「楽しい翻訳」というエッセイで柴田は自分の精神史についてこう書いている。「僕という人間の精神史は二百字詰原稿用紙一枚で書くことができる。1、学生のころ、三浦雅士『私という現象』、岸田秀『ものぐさ精神分析』、寺山修司『赤糸で縫いとじられた物語』を読んで、「確固たる自分」なんてものはなくていいんだと納得した。2、三十代なかばに翻訳の仕事をはじめて、自己表現よりも自己消去を好む「奴隷の精神構造」にぴったりの天職を見出した。精神史、終り」