中上健次の文芸時評

 中上健次はマガジンハウスから出版されていた『ダカーポ』という雑誌で文芸時評を連載していたことがある。最初で最後の文芸時評だ。連載期間は1988年11月2日号から1989年11月1日号までの1年間で、連載回数は25回。

 同時期には『朝日ジャーナル』で「奇蹟」、『文学界』で「讃歌」を連載したり、三島由紀夫賞の選考委員(88年6月)になったりしている。

 この「文芸時評」はちょっとした物議をかもしたが、それは中上が点数制を導入したからだった。第1回で中上はこう言っている。 

 

 天皇陛下崩御もさし迫った、つまり時代の終りが告知されているにも等しい今日(九月二十六日)、初めての文芸時評の筆を取るのも、何かの巡りあわせであろう。他の人なら、時代の終りに開始する文芸時評という格好のテーマを元にまくら(「まくら」に傍点)をふるのであろうが、私は止める。

 というのも、文芸雑誌に発表された物の一つ一つに、作物の品質、柄、成育具合、色、風味、あらゆるものをしんしゃくして、農作物の品評会風に点数表示をしようと思うからである。

 なにしろ、文芸雑誌に発表された物を全て読む。点数表示する。読みもしないで勝手な感想を言うのではない。カンをつけて一つ二つ読み、強引に自分の文学論を展開するのでもない。言ってみれば、これは文壇的、業界的文芸時評である。従って小説の項目の他に、評論も随筆も対談も、さらに文芸時評も、創作合評もデジタル評価の対象にする。

(中略)

 全て読み終えて、日本文学の水準の低さに唖然とした。(引用は『中上健次全集』15巻、集英社、1996年)

 

「日本文学の水準の低さに唖然とした」 と書いている通り、評価はかなり辛口である。個人的に気になった作家の評価を一部抜粋していこう。

 

第1回

金井美恵子「飛ぶ星」49点

古井由吉「瀬田の先」38点

大江健三郎「夢の師匠」77点(最高点)

小島信夫「六月の風」0点(最低点)

「「夢の師匠」を書いた大江健三郎に瞠目したのは周囲のあまりのひどさもある。大江健三郎の政治オンチぶり、韓国問題に関しての私へのデマふりまきや、ブッキッシュな長編小説作法が、大江健三郎に疑いの目を向けさせていたが、横一列に作物を並べ読みくだく方法を取ってみると、抜群の現代作家であることを認めざるを得ない」

 

第2回

李良枝「由熙」59点(最高点)

後藤明生「分身」29点

矢作俊彦「東京カウボーイ」20点(最低点)

小川洋子揚羽蝶が壊れる時」38点

「今月の李良枝「由熙」は、私が芥川賞の受賞決定権を持っているなら、一も二もなく当選策として推す出来である」

 

第3回

村上春樹ダンス・ダンス・ダンス(上・下)」文章35点 構成42点 志23点 総合39点

「一つ心配なのは、村上春樹の腕がスキルフルでありすぎ、少しばかり才におぼれかかっている点である」

 

第4回

吉本ばなな「白河夜船」46点(最高点)

大岡玲「黄昏のストーム・シーディング」35点

飯田章「訪問」23点(最低点)

松本健一星条旗よ永遠に」25点

 

第5回(対象は新聞の文芸時評

富岡多恵子朝日新聞)批評性45点 目配り15点 作家の信用度19点 読者の信用度2点 総合30点

 

第6回

大江健三郎「人生の親戚」79点(最高点)

水上勉「才市」77点

後藤明生首塚の上のアドバルーン」36点

古井由吉「息災」48点

島田雅彦「優雅な野良犬」25点(最低点)

高橋源一郎「ヒズ・ファーザーズ・ヴォイス」28点

倉橋由美子「移転」39点

大江健三郎は実に不思議な作家である。この書き方、この硬直した思考では次は駄目だろうと思っていると、デッドロックを予測もしない方向から易々と抜け、新しい展開を見せている」

  

第7回(対象は単行本)

色川武大狂人日記」48点

黒井千次たまらん坂」42点

津島祐子「夢の記録」36点(最低点)

耕治人「そうかもしれない」54点(最高点)

金井美恵子「タマや」49点

 

第8回

立松和平「海のかなたの永遠」39点

田中小実昌クラインの壺」50点(最高点)

山川健一「プーさんの誕生日」35点

池澤夏樹「冒険」32点

尾辻克彦「外人」21点(最低点)

田中小実昌クラインの壺」(海燕)は、〈「土人」の国〉からの浅田彰に対する物言いである」

 

第9回(対象は「オール読物」2月特大号)

平岩弓枝「鬼の面」C

陳舜臣「地天奉」B

結城昌治「約束」A

長部日出男「不意の一撃」C

半村良ぐい呑み」A

林真理子「靴を買う」D

 

第10回

松本清張「泥炭地」33点

安岡章太郎「春のホテル」48点

小島信夫ブルーノ・タウトの椅子」51点

大江健三郎「マッチョの日系人」33点

河野多恵子「その前後」45点

古井由吉「髭の子」58点

森敦「門脇守之助の生涯」66点(最高点)

池澤夏樹「梯子の森と滑空する兄」30点(最低点 他6人)

「『新潮45』の連載同様、いま、森敦は何かを発見したのである」

 

第11回

山川健一「悪魔を憐れむ歌」32点(最低点)

井上光晴「流浪」41点

小川洋子「完璧な病室」36点

大原富枝「彼もまた神の愛でし子か」52点(最高点)

立松和平「卵買い」36点

 

第12回

庄野潤三「パタースンさんの卵」35点

中沢けい「真夜中」34点

矢作俊彦「東京カウボーイ」22点(最低点)

吉本ばなな「夜と夜の旅人」32点

小島信夫「湖の中の小さな島」33点

田久保英夫「茜草」38点(最高点)

「おそらく小説の不振は、世の中の天皇ボケのせいであろう」

 

第13回(対象は詩集)

阿部岩夫「ペーゲェット氏」29点(最低点)

安藤元雄夜の音」30点

入沢康夫「水辺逆旅歌」50点

清岡卓行「円き広場」56点(最高点)

 

第14回(対象は写真集)

砂守勝巳「カマ・ディダ──大阪西成──」36点

中川道夫「上海新聞」37点

増山たづ子「ありがとう徳山村」26点(最低点)

杉本博司「SUGIMOTO」40点

中平宅馬「アデュウ ア エックス」79点(最高点)

 

第15回

岡松和夫「鉱泉宿」50点(最高点)

鷺沢萠「帰れぬ人々」35点

村田喜代子「潜水夫」39点

笙野頼子「呼ぶ植物」45点

三浦哲郎「じねんじょ」38点

福田紀一「神武空想帝国」20点(最低点)

 

第16回

上原秀樹「走る男」29点(最低点)

佐伯一美「プレーリー・ドッグの街」35点

高橋源一郎「ペンギン村に陽は落ちて」39点

萩野アンナ「うちのお母んがお茶を飲む」34点

小檜山博「クマソタケルの末裔」41点(最高点)

 

第17回(対象は「夏石番矢が選んだ88年の句集10冊」)

加藤郁乎「江戸櫻」45点(最高点)

池田澄子「空の庭」30点(最低点)

野村秋介「銀河蒼茫」40点

乾裕幸「風葬の口笛」30点(最低点)

 

第18回

三木卓「稲荷」36点

立松和平「金魚買い」40点

村松友視 「日々是好日」30点

林京子「亜熱帯」38点

吉本ばなな「ある体験」48点(最高点)

笹倉明「かわき」27点(最低点)

「「ある体験」の吉本ばななが、柄谷行人をはじめとする気鋭の批評家らの批判や悪罵を受けながら、なおかつ光り鮮度を失わないのは、無自覚のまま、何事も希薄なな日本社会の有様を描いてしまっているからである」

 

第19回(対象は歌集)

佐藤佐太郎「黄月」62点(最高点)

上田三四二「鎮守」59点

岡井隆「中国の世紀末」35点

塚本邦雄「ラテン吟遊」29点

萩原裕幸「青年霊歌」25点(最低点)

 

第20回

笠原淳「船川まで」50点

三木卓「傘」25点

野口冨士夫「横顔」68点(最高点)

松本健一「天上のライカ」20点

みきゆうこ「一九六九年の亡霊」15点(最低点)

 

第21回(対象は戯曲)

大橋泰彦「ゴジラ」17点

別役実「諸国を遍歴する二人の騎士の物語」39点(最高点)

鴻上尚史「天使は瞳を閉じて」15点(最低点)

岩松了「蒲団と達磨」30点

鄭義信「千年の孤独」36点

 

第22回

エッセイのみ

 

第23回

中野孝次「ドロミテ挽歌」42点

金井美恵子「孤独な場所で」39点

大庭みな子「黄杉 水杉」39点

黒田宏治郎「三日の軌跡」44点(最高点)

田中康夫「くわせもの」30点

司修「形について」35点

田中康夫「くわせもの」30点

桑原一世「月の王国」29点(最低点)

 

第24回

荻野アンナブリューゲル、飛んだ」31点(最低点)

黒井千次「影」39点

倉橋由美子「33点」

奥泉光「その光」46点(最高点)

中村真一郎「脣をめぐる幻想」40点

リービ英雄「新世界へ」43点

 

最終回(対象は文芸誌)

新潮 編集長坂本忠雄 編集者数6 推定実売数9000 定価700円 評価0

群像 編集長渡辺勝夫 編集者数5 推定実売数7000 定価670円 評価0

文學界 編集長湯川豊 編集者数5 推定実売数9000 定価700円 評価0

すばる 編集長加藤康男 編集者数5 推定実売数6000 定価700円 評価0

海燕 編集長田村幸久 編集者数5 推定実売数4000 定価750円 評価0

 

『すばる』1989年6月号で、柄谷行人と対談した時、中上はこの文芸時評について触れ、大江だけが抜けていると語った。

 

中上 俺も実際にいま「ダカーポ」というところで文芸時評をやってて、毎月の小説を全部読む。すべて横並びに読んでみて、あ、大江健三郎は違うなと思った。それまでは、大江健三郎読んでてさ、これはデッドエンドのほうに行くなと思ってた。ところが、横並びに読むと、ポカーッと抜けてる。ああ、こいつ一人考えてるわと思った。俺も不当なことをやってきた(笑)。(「批評的確認──昭和を超えて」『柄谷行人中上健次全対話』講談社文芸文庫、2011年 p.144)

 

中上 大江さんは、どうしてあんなふうに偏狭になったのかな。

柄谷 偏狭って何?

中上 なんで俺たちに、身をかくしたりしてさ。

柄谷 最近、やや身を弛めてるよ(笑)。

中上 他の人と横並びに読んでみると、大江さんはダントツなんだよ。そういう人が、なんで自信を持たないか。

柄谷 彼は被害妄想というところもあるけれども、まっとうな批評家に恵まれなかったんだね。

中上 山口昌男っているじゃない。

柄谷 山口昌男の言ってるようなことは、大江健三郎は、すでに『万延元年のフットボール』でみんな書いているよ。

中上 大江が、いつも知的向上心があるのは何によるのかね。

柄谷 ファーザー・コンプレックスのようなものがあるのかな。

中上 『新しい人よ眼ざめよ』を読んで、この人も終わりだなと思った。どんどん下がってくるな、と思ってた。ところがまた、ポカっと出てくるんだよ。

柄谷 僕は、おととしぐらいに『懐かしい年への手紙』を読んで、やっぱりこの人はすごいと思った。この人はポストヒストリーということを本当にわかっている、と思った。(同上、pp.157-158)

 

 1987年12月3日に、中上は江藤淳と『文藝』に載せるための対談していて(「今、言葉は生きているか」『文学の現在』河出書房新社、1989年)、その時は江藤に同調するように、強い言葉で大江を批判した。

 さらには「柄谷包囲作戦をやる」とか放言していたようだが、『すばる』の対談で柄谷自身から問い詰められた時に、「君子豹変する(笑)」とか言って撤回していた。どうもこの天皇崩御前後の時期の中上はふらふらしている。

 江藤との対談が発表された後、第一回三島由紀夫賞の選考会が行われ、そこで中上は大江に「お前悪人」と言い続けていたらしい*1坪内祐三福田和也は、「波事件」が根底にあったのではないかと推察している。

 

坪内 (前略)確か『波』だったと思うけど、ある雑誌に大江健三郎が──ここがまた大江さんらしいんだけど『中上』という名前は出さずに、「少し前に某文芸雑誌*2で対談したある若手実力派作家から、石原慎太郎がこんなことを書いているといって、その記事のコピーが送られてきた」と、やるわけだよ。(「暴力に満ちた世界で、愛と平和と大江健三郎を語ろう。なんてな」『暴論 これでいいのだ』扶桑社、2004年、p.369)

 

「波事件」と「韓国問題に関しての私へのデマふりまき」*3。この二つがどのように絡み合っているのか知りたいのだが、CiNiiで調べても、肝心の現物がどこにあるのかよくわからない(知っている人がいたら教えて下さい)。ちなみに、大江は85年に出版した『生き方の定義』の中で、林京子のことを批判した中上について、名前を出さずに非難している。

 一時期「江藤さんは俺の兄貴みたいなものなんだ」と言っていた中上だが、柄谷と対談した89年には、江藤から離れるような感じになった。江藤と中上の亀裂が決定的になったのは、江藤が91年に文学者らによる反戦声明を批判した時だと、小谷野敦は『江藤淳大江健三郎』の中で指摘している。

  

 

中上健次全集〈15〉

中上健次全集〈15〉

 

  

柄谷行人中上健次全対話 (講談社文芸文庫)

柄谷行人中上健次全対話 (講談社文芸文庫)

 

  

文学の現在―江藤淳連続対談

文学の現在―江藤淳連続対談

 

  

暴論これでいいのだ!

暴論これでいいのだ!

 

 

*1:「暴力に満ちた世界で、愛と平和と大江健三郎を語ろう。なんてな」『暴論 これでいいのだ』扶桑社、2004年、p.370

*2:「多様化する現代文学──一九八〇年代へ向けて」『新潮』1980年1月号

*3:『有名人 おさわがせメディア表現論』(1988年)における、高平哲郎野田秀樹との鼎談の中でも、中上は「大江さん、嘘付き(ママ)です。韓国のことに関してぼくのことで、いろんな場で、嘘ばっかりついていました」と発言している。