ノーベル文学賞はポルノがお嫌い

 小谷野敦『純文学とは何か』を読んだのだが、そこに「村上春樹はなぜノーベル文学賞をとれないのか」とマスコミからよく聞かれると書いてあって、「通俗小説だから」というのが小谷野の答えで、モームグレアム・グリーンがとれなかったのも通俗小説と見做されたからだろうとしている。そこから純文学とは何かという方へ話が進むのだが、それはさておき、実際ノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーが「通俗小説」に厳しいのは事実だろう(細かく言えば、通俗的な要素があっても「シリアス」であると認められれば、受賞の可能性は高まる。カズオ・イシグロスティーヴン・キングの差はそこにある)。

 文芸において「通俗的」とされる要素はいくつかあるが、スウェーデン・アカデミーが絶対に認めないのが「ポルノ」である。例えば、ヘンリー・ミラーウラジーミル・ナボコフノーマン・メイラーアルベルト・モラヴィアアラン・ロブ=グリエフィリップ・ロス遠藤周作辺りが受賞できなかったのは、彼らの作品が「ポルノ」的だと見做されたからだろう。

 ちなみに村上春樹も、『1Q84』が、『リテラリー・レヴュー』の「バッド・セックス・アワード」にノミネートされたことからもわかるように、「ポルノ」と見做す論調が強い。また、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の英訳では一部の性的描写がカットされているという*1

 ノーベル文学賞はペンクラブの重要な役職についていると取りやすいとも言われていて、日本ペンクラブの会長を長く務めた川端康成とかは確かにそうだっただろうが、国際ペンの会長を務めたモラヴィアやペン・アメリカの会長だったメイラーは取っていない。千種堅の『モラヴィア』(中公新書)によれば、モラヴィアは、性を描く作家として有名で、特にペニスが主人公である『わたしとあいつ』という作品を書いてからは、「モラヴィア」=「ポルノ」という図式は揺るがなきものとなったようだ。

 メイラーは、「セックスは、おそらく十九世紀と二十世紀初期の小説家によってまだ掘りつくされないでいる、最後に残った開拓分野だ」(「六十九の問答」『ぼく自身のための広告』所収)と言っているぐらいなので、当然ポルノ的要素は強い(余談だが、初期の大江健三郎は、メイラーのこの発言に影響を受けている)。2007年には、『キャッスル・イン・ザ・フォレスト』で、前述した「バッド・セックス・アワード」を受賞してしまった。

 川端がノーベル文学賞をとった時の対象作品は、『古都』、『雪国』、『千羽鶴』だが、『眠れる美女』が翻訳されていたら危なかったかもしれない。

 遠藤周作は、第十代日本ペンクラブ会長で、ノーベル文学賞の候補になっていたとされる。しかし、ノーベル文学賞の選考委員の一人が「ただ、エンドーはポルノを書くような作家だ」と言ったため、落選したという噂がある(加藤宗哉『遠藤周作』)。その「ポルノ」に該当する作品というのが、恐らく『スキャンダル』で、この作品はあまり評判が良くなかった。

 アニー・コーエン=ソランの『サルトル伝』からの孫引きになるが、アルフレッド・ノーベル自身は、「ヒューマニズム的「理想主義的傾向の」文学作品に受賞することを願っていた」という。

 

純文学とは何か (中公新書ラクレ)

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1Q84 BOOK1-3 文庫 全6巻 完結セット (新潮文庫)

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The Castle in the Forest: A Novel

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遠藤周作

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サルトル伝 (上) 〔1905-1980〕

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